生者のたわごと

 

 四月。

 桜が咲き乱れ、新学期が始まり、珠樹の学校では年度始めの学力テストというものが実施されたりする時期である。

「終わったぁー! やっと終わったね、鈴人くん」

「お前の場合、点数の方も終わってやしないか微妙に心配だったりするが、どうなんだそこらへんは」

 テスト最終日の帰り道。野暮なコメントをしてくる鈴人をあえて無視して、珠樹は今日の予定に思いを馳せる。この後はお花見なのだ。遊刃と朔美と三人で、ちょうど桜が見頃な公園に向かう。

 場所取りは既に遊刃が向かっているはず。珠樹は食べ物やお菓子を調達して、その後を追うだけだ。騒ぐ心を抑えつつ、ふと思い立って隣に尋ねる。

「あ、そーだ。鈴人くんも来るよね、お花見」

「ハイテンションなのはいいが、もう少し脈絡のある言い方をしてくれないか? お花見って何だよ」

 呆れているような口調だが、しかし今日の珠樹は全く気にしない。何せお花見なのだ。年に一度なのだ。ちょっとくらい物を言い忘れていようが大抵のことは許される日なのだ、きっと。

「言ってなかったっけ? 今日、公園でお花見するんだよ。遊刃と朔美ちゃんとボクの三人で。鈴人くんも来るよね?」

「またずいぶん奇天烈な面子だな……。人間じゃない奴が二人もいるぞ」

「来るよね?」

「俺? あー……いや、やめ――」

 何となく嫌そうに言う鈴人の言葉を遮って、ポツリと、

「あのとき怖かったなぁ」

 その一言に、鈴人の口元が引きつった。

「……。お前な、いつまでもその話題が通じると――」

「だってボク、力ないし。腕ずくで襲われたらどうしようって、ずっと怖かったし。鈴人くんは分からないだろうけど、ホントにすごく怖いんだよ? 特に、信じてた人にああいうことされるとさ……」

 うぐ、と鈴人が言葉に詰まる。例の一件から早や二ヶ月近く。いい加減に時効だろうと鈴人は主張するが、しかし実際のところ、あの話題は未だに効果を失ってはいない。珠樹が口に出すだけで、鈴人は非常に気まずそうな顔をする。

 あの後きっちり謝ってくれたし、今更本気で責めるつもりなど珠樹にはない。

 ただ、こうして鈴人を思うように黙らせる話題などそうそう手に入らない。使えるものは使えるうちに使っておく。でないと損だ。

「もう二ヶ月も前なんだからよ、そろそろやめろよその話は」

「時間は関係ないもん。それに二ヶ月なんて最近だよ、最近。今でも鈴人くんの顔を見るたびに、あの出来事が脳裏に蘇って――」

「……っ、分かったよ、行くよ。行けばいいんだろ」

 ふて腐れたように答える鈴人に、珠樹は大きく頷いた。

「お弁当はボクが持っていくから、鈴人くんはお菓子用意しておいてね。あとジュースも。トランプとかもあると嬉しいかな」

「はぁ!? トランプなんか探さないとないぞ。つーか、別に要らないだろ。花を見ろ花を。名目は花見だろ」

「そりゃ満開だし、桜は綺麗だろうけど。見てるだけじゃ飽きるよ。やっぱりね、その綺麗な花の下で楽しく騒ぐっていうのが、お花見の真骨頂だと思うんだよ」

 思わず力を入れて語り始めるが、しかし鈴人は面倒くさそうに、

「トランプはない。ほしけりゃ自分で買えよ」

「って、あ! ちょっと待ってよ」

 すたすたと先を行く鈴人を、珠樹は慌てて追いかける。

 

 結局、トランプは珠樹が近くのコンビニで買ってきた。

 腕によりをかけて作った弁当は遊刃があっという間に消費して、鈴人が買ってきた袋菓子も瞬く間に空になった。花びらが舞う中、今は三人でババ抜きをしている。朔美はその後ろをうろちょろして、それぞれの手札を見ては笑ったりハラハラしたりしていた。

「『ウスノロのバカ』という遊びを知っているか?」

 遊刃の言葉に鈴人が頷き、珠樹は何のことだか分からずきょとんとする。

 聞けばトランプでやるゲームの一つらしい。三人でやるなら、使う物は適当な大きさの小物二つとジャック、クイーン、キングの三枚を三種類ずつ。トランプの札は連番でさえあれば別に何でもいいらしい。

 よく混ぜた九枚のカードを三枚ずつ配り、合図と同時に一枚を隣に渡す。

 そうしてカードを回していって、手元のカードが誰か揃ったら一斉に中央に置いてある小物を奪い合う。小物の数は人数より一個少ないので一人は取れないことになる。その取れなかった一人がその回の敗者であり、『ウ』の文字が進呈される。

 二回目に負けたら進呈されるのは『ス』の文字。

 三回目は『ノ』

 四回目は『ロ』……とこういった感じで、負け続けると『ウスノロのバカ』という何とも不名誉な称号を与えられてしまうという、陰険かつ残酷、そしてシュールなゲームである。

 何しろ九枚なので札が揃うのも早い。配られたその時点で揃っていることも珍しくない。本当は四人以上でやるのがちょうどいいゲームなのだが、まあ三人でもやってやれないことはないだろう……というのが、遊刃の言葉だった。

 結果は遊刃が『ウス』、鈴人が『ウスノ』

 珠樹は……言うまでもない。

 ちょっと本気で落ち込む珠樹を鈴人は小馬鹿にし、遊刃はひたすら笑い、朔美だけが頭を撫でて慰めてくれた。

 楽しい、楽しい、時が流れる。

 綺麗な花の下で仲間と騒ぎ、笑う。その笑い声は他の集団の笑い声を誘い、いつしか場は笑い声で溢れていく。

 それは何よりも幸せで、どこよりも穏やかな光景だった。

 

「朔美ちゃん。帰るよ」

 日が暮れかけた公園。ビニールシートを片付けながら、珠樹はまだ桜に見入っている朔美に声をかけた。周りもちらほらと帰り支度を始めている。桜はこれからライトアップされて夜桜となるが、さすがに昼間から夜にかけて騒ぎ続ける豪の者はそう多くないらしい。

「先に帰っていてください。わたしはもう少し見て行きます」

「そう? でも、危なくない?」

 そう呟いた珠樹の後ろから、幽霊相手に誰がどんな真似をするっつーんだよという、鈴人の呆れたような言葉が聞こえた。

 それもそうかと思いながら、珠樹はもう一度だけ言う。

「じゃあ、先に帰るからね」

 ビニールシートを鈴人に持ってもらって、忘れ物とゴミがないかもう一回確認。よし、と頷いて踵を返して、

「あ、珠樹さん」

「ん?」

 朔美の声に振り返る。

 満開の木々の中でも一際見事に花を咲かせている大樹の下で、朔美は小さく頭を下げていた。

「今日は楽しかったです」

「あ、うん。ボクも楽しかった」

「たぶん、わたし朝まで帰らないです。だから、おやすみなさい」

「……? うん、おやすみ」

 何なのだろうと首を傾げた。朝まで帰らないだなんて、そんなに桜が好きなのだろうか。

「……」

 鈴人と遊刃の後に続いて振り返る先。

 朔美はもうこちらを見ておらず、夕暮れの桜に目を向けていた。

 

 綺麗だと思う。

 本当に、すごく綺麗だ。

 夜桜。その言葉があることは知っていたし、幽霊となってから十年、毎年必ずここに見に来ていた。それなのに、今年の桜は去年までとは比べ物にならないほど綺麗だと思える。

 もう見ることができないからと、そう思っているからだろうか。

 桜を見るのは今日が最後だと、そう決めたからだろうか。

 ちらほらと残っている、夜桜を囲む宴会。昼間のそれとは比べ物にならないほど小さな笑い声。すっかりできあがっている大人の人たちの声が、背中から聞こえてくる。

 幸せそうな声が、聞こえてくる。

 違う、と思った。

 今日の桜が何よりも綺麗なのは、最後だからでも、もう見ることができないからでもない。

 楽しかったからだ。

 笑い声の中に入ることが、誰かと一緒に笑うことができたからだ。

――もう、いいよね?

 朔美は自分にそう問いかける。

 好きなだけいていいよ。珠樹はそう言う。別にお金がかかるわけでもないし、話し相手にもなってくれるし、全然迷惑じゃないから。笑いながらそう言ってくれる。

 でも、だからこそ、朔美は心苦しくなる。

 二ヶ月前に殺めてしまったのは、屈託のない笑顔を向けてくれる少女の姉なのだ。

 珠樹の笑顔が、声が、朔美には何よりも嬉しく、苦しい。もう気にしないでいいよと珠樹は言うが、そう言われるたびに心苦しさが胸に残る。

 十年。

 たった一人で過ごしてきた十年。人を殺めてしまった二ヶ月前。

 そのおかげで出会った、自分を認め、一緒にいてくれる人。

 怨みを持って当然なのに、笑いかけてくれる人。

――もう、いいでしょ?

 生きていないという感覚に苦しむのも、今夜が最後。

 この素晴らしい桜を見上げるのも、今夜が最後。

 守ってあげると言ってくれた少女に感謝するのも、懺悔するのも、今夜が最後だ。

 一度幽霊となった人間は、自然の摂理で消えることはできない。紡ぎ手に鎮めてもらうまで、永遠にこの世を彷徨うことになる。

 今がそうなのだと思った。

 消えるなら今の気持ちがいい。思いっきり笑った後、過ぎ去った祭りの余韻を味わいながら消えていきたい。

 朝になったら、珠樹に頼もう。

 今までお世話になりましたと、心の底から感謝して。

 本当にごめんなさいと、心の底から謝って。

 腰を下ろし、地面に手を伸ばす。物体に触れることができない指先は、落ちている花びら一つ摘むことも出来ない。

 寝転がる。見上げる先にあるのは、光に照らされた夜の桜。その向こうに広がるのは、まばらに星が点在するだけの深く遠い闇色の空。

 綺麗だった。何よりも、何よりも、今まで見てきた何よりも綺麗だと思った。

――もう少しだけ。そう思う。

 もう少しだけ、あと一晩だけ。

 自分という存在が手にする最後の思い出であるこの光景を、強く強く心に焼き付けておきたい。視界を霞ませる涙を拭って、藤原朔美はそう思う。

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