勇者と魔王のそんなお話
| 確かに、本来必要な許可を取らず、勝手に立ち入った自分にも少しは非があるのだと思う。いつもは顔パスだし、だから今日も当然のようにそうしたまでなのだが、それを咎められたとしても文句を言える立場ではないのかもしれない。 ただ、誰が想像できるだろうか。 離れて暮らす姉をちょっと訪ねただけで、そこに住む者たちの総攻撃に遭うなどと。おかしい。異常だ。月に一回、唯一の肉親を訪ねることも、自分には許されないというのか。そんな世の中は間違っていると思う。誰もそんなことは言ってないけど、なんか悔しいから自分でそう思う。 ……まあ、ここは魔王城なわけだけど。 振り下ろされるこん棒を、スズは後ろに跳んでかわした。肩口で切りそろえた髪が耳をくすぐる。次いで襲い掛かってくる剣は仰け反ってやりすごし、反撃を繰り出すには少々無理な体勢のままごろごろ転がって、多少数が少ないところまでエスケープした。 「えっと、ちょっ! っと、待って! わたっ! っしはルリに――!」 繰り出される無数の攻撃をしのぎながら、なんとか自分の用件を伝えようとする。ルリというのは姉の名前だ。この魔王城の主――つまり、魔王である。 いきなりの侵入者が「魔王に会いに来ました」などとほざいては……まあ、まず友好的には受け入れられないだろう。自分でそんなことを考えつつ、スズは嘆息する。この状況、一体どうしたものか。 「どーでもいいけど……いや、どうでもよくないけど。ルリは何やってるのよ、かわいい妹が死にそうな目に遭ってるってのに」 「ふんっ お前ごとき、魔王様が出るまでもないわ!」 スズの呟きを聞いていたらしい魔族の一人が、嘲るような声を上げる。聞こえてるんならこっちの用件にも耳を貸せと思いながら、そして突き出された槍を横に動いてかわしながら、スズはそいつに話しかける。 「あのさ、あんた達新人でしょ? 入って二週間くらい?」 「よく分かったな! だが! 新人だからとて甘く見ないことだ! こう見えても俺は村一番の――」 「あー、あんたの武勇伝はどうでもいいから。ね、試しに一年くらい前からいる人呼んでみない? て言うかそういう人達はなんでここにいないのよ」 「出張中だ!」 きっぱりと、その魔族は言い切った。 「侵入者一人に無駄な力は使いたくないってわけね。せっかくだから新人に現場慣れさせておこうってことか」 「……よく今のでそこまで分かったな」 「まあ、慣れてるし」 意味不明なやりとりを交わしつつも、攻防は止まっていない。槍、剣、こん棒に石斧が次々と襲ってくる。 「あのさ、上司か、できればルリを呼んでくれない? てかあたしが魔王の本名知ってる時点でおかしいって気付きなさいよ」 「む……そう言われれば確かに……はっ! さてはお前、我らが魔王様のストーがふ!?」 ロクでもないことを言いかけた魔族を、たまらずスズは蹴り飛ばした。 「何が悲しくて実の姉をストーキングしなきゃいけないのよ!」 叫ぶ。すると、『実の姉』という言葉に魔族達が反応し出した。 「姉?」 「ルリ様の妹か?」 「そう言えばそんなのがいるって話を……」 「聞いたような……」 「聞かなかったような……」 互いに顔を見合わせてボソボソ何か言い合っている。スズはひとまず体を休め、息をついた。まあいきなり信じてはもらえないだろうが、妹がいるという話が伝わっているなら、上司に報告が行くはずだ。以前から魔王城にいた彼らなら、ちょくちょく訪ねているスズとも顔見知り―― 『まあ、いいか』 「なんでよ!」 満場一致で下されたらしい結論に、スズは思わず抗議の声を上げた。いっそ、この場の全員ぶちのめして上司を引きずり出してくれようか……そう考えて軽く構えた、そのとき、 「……あれ? スズちゃん」 場違いなほど呑気な声が、広間に響いた。 「魔王様?」 「魔王様だ……」 「魔王ルリ様……お、おい、お前ら、敬礼!」 最後の声にビクリと反応し、魔族が一斉にビシリと敬礼する。人垣が割れた。どうやら魔王が――姉がこちらに向かってきているらしい。 目の前の魔族がどいて、ルリがその姿を現した。 相変わらずの容姿である。眠たげな青い瞳に、亜麻色の髪。まだ幼いと言ってもいい容貌。そして、 「おい、あの二人……」 魔族の誰かが呟き、それが波紋を呼んだかのように、次第にざわめきが広がっていく。 ルリの容姿。それはまるで鏡を覗き込んでいるかのような、スズと瓜二つのものだった。違うところは、スズの短い髪と違ってルリは背中まで伸ばしていることくらいだろうか。 雰囲気の違いその場の状況その他もろもろの理由で魔族たちは気付かなかったらしいが、スズとルリは、れっきとした双子なのである。 「ルリ……ずいぶん早い登場ね」 「えへへ。それほどでもないよお」 精一杯の皮肉も、寝ぼけているらしい姉には通じなかった。……もっとも、起きているときでも通じるかどうかは疑問だが。 ルリの幼い表情は、昼近い今なぜか眠たげな色を浮かべている。よく見てみると着ているものもパジャマで、ホットミルクの入ったカップを手にしていた。厨房でもらってきたらしいが…… 「ルリ……一つ聞いていい?」 「いいよ」 「どうしてそんな、あからさまに今起きましたって感じの格好してるわけ? 言っとくけどもうお昼前だよ」 「えーっとねー」 音を立ててカップのミルクを飲み、ルリはにこりと微笑んだ。 「今日は仕事ないから、寝坊したの」 まるで邪気のない瞳。 とりあえずムカついたので、一発殴っておいた。 魔王城の最上階にあるルリの部屋で、スズはようやく平穏を手に入れていた。 「お茶がいい? それともコーヒー?」 「お茶。あ、砂糖とミルクはいらないから」 以前淹れてもらって以来、スズは必ずどちらもいらないと言うことにしていた。と言うのも、ルリが砂糖とミルクを使うと毒としか思えないような甘ったるいミルクティーができあがるからである。後天的に狂ったのか最初から変なのか、彼女の舌はあの殺人的なミルクティーを何の疑問もなく受け入れているようだったが。 「そう言えばルリ。あんた新人にあたしのこと話してなかったでしょ」 「あー……ごめんね。何となく言いそびれちゃって」 何となく言いそびれたせいで自分の妹が死にかけたという事実は、とぼけた口調から察するにあまり重要なことではないようだった。まあ、おっとりぼんやり天然入った性格のルリは、よほどのことがない限りこんな調子ではあるのだが。 「あのね、他の何を忘れてもいいけどあたしのことを言っておくのは絶対に忘れないで。毎回あんな目に遭うのはごめんよ」 「大丈夫だよ。次来るときはスズちゃんの顔を知らない新人さんはいないはずだから」 お茶を置いて微笑みながら言うルリを、スズはじとーっと睨む。きょとんとした笑顔。どうやら本気で分かっていなさそうなので、スズはルリの頭を両手で掴み、力を込めた。 「……そーいう意味で言ってるんじゃないんだけどなー。新人教育徹底しとけって言ってるんだけど分かってる? この一年中春の陽気に包まれてる頭はちゃんとそのこと理解してる?」 「スズちゃん痛い痛い痛い痛い。万力みたいに両側から挟んで力入れるのはやめ痛い痛いホントに痛い!」 余裕がありそうだったので力を強めると、さすがのルリも悲鳴を上げ出した。放してやると、「ふにゅうぅ」とわけの分からない言葉を発しながら、涙目で挟まれていた箇所を押さえる。 「ひどいよぉ……ちょっと忘れちゃっただけなのにぃ」 「だからそのちょっと忘れちゃっただけのせいであたしは死にかけたっての。殺人未遂の罪をその程度で償えるんなら安いもんでしょ」 「スズちゃんは強いんだから、新人さんに襲われるくらい平気でしょ」 「そういう問題じゃないでしょうが」 あっさりと一蹴するスズを、ルリは困ったような顔をしながらわずかに恨めしそうに見つめてきた。ひょっとしたら睨んでいるつもりなのかもしれないが、はっきり言って全然怖くない。 「まあいいや。今のでおあいこ。それよりさ……これ」 まだ少し不満そうなルリを無視して、スズは持ってきたカバンの中から書類の束を取り出す。今回魔王城を訪ねたのは、まあルリと久しぶりに顔を合わせたかったということでもあるが、一番の理由はこれだった。 「ここ数ヶ月、人間が魔族に襲われたりする事件が多くなってきてるわよ。あんたちゃんとやってるの?」 魔族による被害の報告書。スズはこれをルリに渡しに来たのだった。ルリはこれを元に取締りを強化させる。魔族と人間との関係を悪化させないためには、こういった努力も必要になってくる。 人間と魔族との争いは、今はまだ小競り合い程度で済んでいる。だが、これが互いの総力戦つまり戦争へと発展した場合――ルリとスズは、戦わなくてはならなくなる。実は二人とも、互いに類を見ないほどの力の持ち主なのだった。魔族側でスズに対抗できるのは魔王であるルリただ一人であり、人間側でルリに対抗できるのもスズ一人だけなのである。 誰だって肉親と戦いたくなどない。ルリとスズが戦わずに済むには、人間と魔族との関係を良好化、少なくとも現状維持しなくてはならないのだ。 そういうわけで、二人は結託してなんとか戦うのを避けようとしているのだった。取り締まるだけではない。スズは人間の王の様子を逐一見張って、危ないと思ったらすかさずそしてさりげなく自分の意見を伝えておく。なにしろ月一の割合で魔王城へ出向いているので、スズの言葉は王もかなり参考にしているのだ。 ルリはルリで、魔族内での交戦ムードを沈めようと躍起になっている(はずだ) 人間に仲間や家族を殺された者もいるため簡単ではないらしいが、場合によってはスズのことを持ち出したりもするのだそうだ。実は人間側に妹がいる。戦争になれば彼女を殺さなくてはならなくなる。頼むから、自分にそんな真似をさせないで欲しい――ルリに妹がいることは、実はあまり知られていない。スズのことを知っているのは、魔王城で直接顔を会わせる連中くらいだ。 ちなみに、涙目で訴えるとかなり効果があるらしい。ともすればルリに掴みかかりそうだった者も、このことを話して涙ぐんでいるルリを見て思いとどまったそうな。普段ボケまくっているくせに、妙なところで計算高い女であった。 「……真面目にやってるよ。でも、やっぱり家族を殺された人とかもいるから……自分だけで動くならいいんじゃないかって思ってるみたい」 渡された報告書に目を通しながら、複雑そうな表情でルリは言う。 「ふーん……まあ、そう思いたくなる気持ちも分かるけど。でも、ルリ――」 「分かってる。それを許しちゃったら、わたしが魔王でいる意味がないよ」 強い口調でそう言う姉に、スズも黙って頷いた。 その後しばらく雑談をし、日が暮れる前にスズは魔王城を出た。 ルリとスズが離れて暮らすようになったのは、二人が七歳の頃からである。スズには人間の王が、ルリには魔族の大臣が、それぞれ迎えに来たのだった。その理由は、スズに強力な光の力が、ルリに強力な闇の力があったから。 ここで少し説明をする。 光の力とは、自分自身の能力を高める力のことである。運動能力、視力、聴力その他色々。強力なものになれば手を触れずに物を動かしたり、一定の範囲内なら好きな場所へ瞬間移動したり、遠くにあったり何かに遮られていたりするものを見たりできると言う。ちなみにスズはそれを当然のように使いこなせる。 対して、ルリがその才能を認められた闇の力。こちらは自然現象を無理やり引き起こすという、なんとも荒っぽい力のことである。近くに雨雲があれば引き寄せて雨を降らし、雷雲があれば落雷も思うがまま。力が強い者は、雨雲や雷雲なしでも雨を降らせたり雷を落としたりできると言われ、見たことはないが多分ルリは朝飯前にやってのけるだろう。 この二つの力は互いに相反するもので、人間は光の力、魔族は闇の力を持つというのが双方の社会で共通となっている定説である――と言うより、光の力を持つ者を『人間』とし、闇の力を持つ者を『魔族』としているのだ。だから物語などに出てくるような獣の化け物みたいな魔族は実際にはいない。力の性質が違うだけで、人間と魔族は生まれ方も育ち方も死に方も同じである。ちなみに、力を持っていない場合は、どちらを親に持つかで決まる。 人間と魔族との戦争が起こった場合、必然的に戦士として戦うのは力を持つ者が多くなる。力を持たない者は、それだけで力を持つ者に対してハンデを背負うことになるからだ。 人間側で最も強い光の力の持ち主はスズである。そして、魔族側で最も強い闇の力の持ち主はルリだった。 人間側でルリに対抗できるのは、間違いなくスズ一人だけ。そして魔族側でも、スズに対抗できるのはおそらくルリ一人だけ。人間と魔族が本格的に争うようになれば、二人の衝突は避けられない。 それが嫌なために、スズはルリの元へ逐一報告に行き、ルリはそれを念頭に置いて執政をする。実際に魔族を動かしているのはおそらく大臣たちなわけだが、まあルリも本格的にヤバくなったら自分で動くだろう……多分。そのはずだ。 ……自分たちが戦うというのは、他のどんな想像よりも現実味のない悪夢なのだから。 「……ズ……スズ…ま」 どこかから、女の人の声が聞こえた。スズはうっすらと目を開ける。考え事をしているうちに眠ってしまったようだった。お城の部屋を借りて住んでいるスズであるが、ここのベッドはいつも凶悪なほどの睡魔を繰り出してくる。 二人寝てもまだ余裕のある一人用のベッドから起き上がり、スズは声をかけてきた女性に目を向ける。スズがここに来たときから世話をしてくれている、顔なじみのメイドだ。 「どうしたの?」 首を二、三回ぐるりと回し、あくびをしながら尋ねる。はしたないとかそういう感情はまるでない。本物の姉が悲しくなるほど頼りないせいか、落ち着いた物腰で年上の彼女に対しスズはつい妹のような気分で接してしまうのだった。 「そろそろ夕食のお時間です。今日は陛下がお呼びです」 普段スズは部屋で一人で食べる。だからいつもは運んで来たときに起こしてもらえばすむ。が、王が直々に夕食に顔を出せと言ってきたとなると、寝ぼけていてはまずい。それで起こしたらしかった。 「ん、分かった。じゃあ、ちょっと体動かして眠気飛ばしてくるね」 「もう間もなくですので、あまり熱心にはならぬよう」 皆まで聞かず、スズは窓際に歩み寄って置いてある靴に履き替えた。窓枠に足をかけ、下に人の姿がないことを確認してから、 「じゃ、いってきます」 メイドに声をかけて、窓から飛び降りた。ちなみにここは五階である。 普通ならどんなに上手く着地しても死にそうな高さであるが、スズは光の力の持ち主である。身体能力を大幅に向上。腕を広げて体勢を整え、くるりと一回転して着地した。何年も前からやっていることなので、慣れたものだ。 「あ、スズ様こんばんは。訓練ですか?」 着地直後の体を丸めた体勢でいると、不意に横から声がかけられた。上から一見しただけでは気付かなかったが、見回りの兵士がいたらしい。以前は驚かれていたが、今では皆もう慣れてしまっていて、こんな風に普通に挨拶してくる。 「ん。ちょっと体動かしたいなーって。付き合ってくれる?」 「冗談よしてくださいよ。俺なんかじゃ、魔王を抑えてるスズ様の相手になんてなれませんって」 お世辞ではなく本心かららしい言葉に、スズは苦笑で答える。魔王が動かないのは当の本人に動こうという意志がないからであって、魔族の活動があまり活発でないのはルリ及び大臣達が苦心しているからだ。 「魔族だって、話は通じるよ」 「いやいや。その話し合いだって、スズ様みたいな力があってこそですよ。俺らじゃ話そうとする前に殺されますって」 こういう問答も、もう何回してきたことか。 事あるごとにスズは魔族を怖がる必要はないと言っているのだが、いかんせん彼らの頭の中には「魔族=恐怖」というのが前提として存在する。魔族は恐ろしい。会えば死ぬ。殺される。人間のほとんどは、そう信じて疑わない。 実際に会ったことすら、彼らはないはずなのに。 見せてやりたいと思う。魔族をまるで恐怖の権化のように見ている人達に、あの不良に絡まれただけで泣き出しそうな情けない魔王を。一体どこが怖いというのか―― と、そのとき、ふとスズは思いついた。 「あ」 「あ?」 間の抜けたスズの声に、兵士が間の抜けた返事をする。それには構わず、口を開いた。そうなのだ。口で言っても分からないなら……実際に会わせてしまえばいい。 「あのさ、今度一緒に出かけない?」 「へ? おおおおお俺とですか?」 こちらが首を傾げたくなるほど狼狽した兵士に、スズは苦笑を返す。 「他に誰がいるのよ」 「いやいやいやでも、スズ様確か十三歳でしょ? 俺とじゃ十歳近い年の差が、」 「なに変なこと言ってんのよ。別にデートじゃないわよ。ちょっと付き合って欲しいだけ」 「はあ……ちなみにどこに?」 「魔王城」 いっそ笑いたくなるほど面白い変化だった。どういうわけか顔を赤くしていた兵士はたちまちのうちに真っ青になり、体の全てを使ってその申し出を拒否してきた。 「いやいやいやいやですいやです! 俺こう見えても彼女いるんです、実は来週には式を挙げるつもりなんです!」 「あ、おめでとう。見に行っていい?」 「もちろんですってそうじゃなくて! だから俺まだ死ねないんです、魔王城へなんか行けません!」 どうやら魔王城へ行く=死という図式が成り立っているようだが、それなら月に一回は魔王城を訪れている自分はどうなるのか。スズはそう思ったが、口には出さないでおいた。どうせ「スズ様と俺じゃ実力が違いますよ」とでも言われるだけだろう。 「んー、あたしが守ったげるからさぁ。だいじょーぶだいじょーぶ。魔族もいきなり襲ってきたりなんかしないって」 「嘘です! スズ様今日帰って来るときそこはかとなく疲れてたでしょ! 魔王城で何かあったんでしょ! 集団相手にしばらく戦ってたんでしょ!?」 なぜ分かるのか。 「いや、実はあたし魔王とけっこう仲良くやってるからさ。なんなら事前に話通しとくよ。友達連れて行くって。それなら安心でしょ?」 「嫌です! 仲良くやれてるのはスズ様が強いからでしょ! 俺みたいに弱いのなんか殺されるに決まってる!」 またこれだ。スズは強いから魔族と上手くやっていける。彼らの頭の中にあるこれをどうにかしない限り、説得は不可能だった。 「……分かった。また今度ね」 「今度も何もありませんよ! 絶対行きませんからね!」 そう捨て置いて、彼はそそくさと見回りに戻って行く。それをぼんやりと見つめながら、 「……難しいな、やっぱり」 予想はしていたものの、スズは少しだけ落胆したように呟いた。 「魔王のところに行ってきたそうだな」 夕食の席。スズは最初、それが自分に対して言われたものだと分からなかった。 「あ、はい。行ってきました」 「どんな様子だった? 何か妙な動きはあったか?」 「いえ、全然。むしろ向こうの方が平和なくらい落ち着いてましたよ」 「……そうか」 そう呟いたまま、王は何もなかったかのように食事に戻る。スズはその様子を不思議に思う。一体どうしたと言うのだろう。いつもなら、スズが魔王城から帰ってきても王は何も言わない。問題があったら報告しろと言われているので、何も言わない場合は問題なしと判断されるのだ。 怪訝に思っていると、王は静かに口を開いた。 「……今日、官達と話し合いをした。魔族による被害にどう対処すべきか」 「……」 嫌な予感がした。 今日会議があるという話は聞いていなかったから、おそらく緊急に開かれたものなのだろう。民衆の魔族に対する不満をどうにかするためのものなのだろうが……まさか結論が出たのだろうか? 最悪の結論が。 スズのその予感は、見事に的中した。 「近いうちに魔王討伐隊を編成する。スズ、お前にはその隊長をやってもらうことになる」 「ちょっ」 ここまで正確に当たることはないのに――自分の勘の良さを恨めしく思いながら、スズは声を上げた。持っていたスプーンが食器に当たり、静かな部屋に金属音が響く。 「ちょっと待ってください! 今言ったでしょう、魔王は大した動きも見せてなくて、」 「動かないならむしろ好都合だ。先手を打って、勢いで一気に叩き潰す」 「そんなことをしたら、戦争は避けられません! 何考えてるんですか!」 王に対する言葉ではなかったが、頭に血が昇っているスズにそんなことを考えている余裕はなかった。王は王で特に気にした風もなく、ただメイド達ばかりがおろおろしている。 「そうだな……戦争だ。人間が魔族を滅ぼすための」 「ふざけないで!」 とうとう、スズは王を相手に怒鳴りつける。 「何が魔族を滅ぼすためよ! 逆の可能性は考えないの? 仕掛けたら向こうだって黙っちゃいない。自分達に対してケンカを売ってきたと分かったら、すぐにでも反撃してくるわよ!」 「反撃が全くないとは私とて考えていない。だが、大丈夫だ。勝算はある」 「それによって出る犠牲者はどうなるの? 魔王は魔族を抑えてる。不満をなんとかして静めようとしてる。お互いがそうしていればずっと平和なのに、どうしてわざわざ血を流す必要があるの!」 「血は今も流れている」 王は、静かに呟いた。 「……え?」 あまりに静かな呟きに、スズは毒気を抜かれたような声を出した。 「魔族によって、血は今も流されている。もちろん魔族の血も流れているのは知っている。お互いが憎み合い、殺し合う。人間と魔族はずっとそうしてきた。過去に何度も何度も、小さな戦いを繰り返しその度に少しずつ血を流してきた」 王が魔族の被害も知っているとは驚きだった。そんな情報をどこから手に入れたのか気になったが、スズは黙って話に耳を傾けた。 「何十年どころではない。何百年も続いている血の歴史だ。お前は平和だと言ったが、逆に問おう。どこがだ? 互いに傷つけあう二つの種族が存在するこの世のどこが平和だ? 私は魔族が悪役だとは思っていない。だが――敵だとは思っている」 一つ息をつき、最後の言葉を口にする。 「敵は倒す。当たり前のことだ」 「でも、」 「今の時代はお前がいる。史上例を見ない強力な力の持ち主がいる。我々にとってはまたとない好機だ。これを逃すつもりはない。人間と魔族の歴史はここで終わる。これからは人間だけの歴史が続く」 それは違う。ようやくスズは反論の糸口を見出した。人間にスズがいるように、魔族にはルリがいる。スズと同じ、史上例を見ない強力な力の持ち主が。 そのことを伝えようとするが、しかし王は先に口を開いた。 「お前の相手がいるとしたら、それは魔王くらいのものだろう。だが、奴らの力は大雑把だ。大量破壊には向いているが、狙った相手だけを攻撃することはできない。一対一の戦いに持ち込めば、お前の圧勝に終わるだろう」 「戦場で魔王と一対一に? 無理です。王が一人でいる場面などあるわけが、」 「戦場ではない」 「……どういう意味ですか?」 尋ねるスズに、王は答えた。 「今夜、魔王を暗殺するのだ。訪ねたその日に暗殺しに来るとは思わないだろう。成功すれば、魔族は指導者と切り札をいっぺんに失うことになる。魔王さえ片付けてしまえば、後はゴミ掃除のようなものだ」 「……」 「お前が魔族にどんな感情を抱いているのか知らんが……これは私だけではなく、人間の総意と考えろ。勇者として何を成すべきか、分かるな? スズ」 「……はい」 スズは、黙って頷いた。 ……そうするしかなかった。 そしてスズは、今魔王城の前にいる。 人間の住む地域とは大分離れている魔王城だが、スズは光の力を使って文字通り全速力で走ってきたのだった。 来るときが来てしまったのだと思う。 王をもう一度説得することも考えたが、これは他の官達とも話し合って決めたことである。権力はないに等しいスズではそれをひっくり返すのは難しい。何より、王は魔族は敵だと言い切った。スズにはどうしようもない。どうにかできるという気がしない。 だから、ここへ来た。 ルリを暗殺するため……であるわけがない。そんなことをするくらいなら死んだ方がマシである。 ルリを連れて逃げよう――スズは、そう決心したのだった。戦争が避けられないのなら、せめて自分達だけでもそこから遠ざかろう。勇者とは名ばかりの自己中心的な考え方だと思うが、それを悔いたり恥じたりするつもりはなかった。 ……だが、 ルリは何と言うだろう。たくさんの魔族に迎えられ、彼らと日々を共にしてきた姉は、ひょっとしたら魔王として残ると言うかもしれない。もちろんそうなれば人間側の負けは決まったようなものだ。スズは戦う気がないのだから、人間側にはルリに対抗できる者が一人もいない。 そうなったら、自分はどうするだろう。 ルリが自分よりも魔族を選んだとしたら、自分はどうすればいいのだろう。 どこかで一人静かに暮らす――ありそうな答えではあるが、現実味に欠けた。 望んでもいない戦いに身を投じる――ありえなさそうな答えであるが、何となくそうなるような気もしないでもない。 分からなかった。ルリと縁を切り、一人で生きていく自分というのが想像できなかった。 「……ルリ」 何となく、この時間なら熟睡しているであろう姉の名前を呟き、 「呼んだ?」 背後からいきなり聞こえたその声に、思わず鳥肌を立てた。 「ぎゃああああああああああああああああ!」 「え!? え!? えっと……きゃあああ!」 「なんで一緒に悲鳴上げてんのよ! て言うかどうしてここにいるのよあんたが!」 「え、えと、なんだか眠れなくて、それでお散歩してたらスズちゃんが見えて、なんで昼間来たばっかりなのにいるんだろうって思って、それでせっかくだから驚かそうと思って、それで…ひは、ひはいよふふひゃぁん!」 ルリの頬を思いっきり引っ張りつつ、スズはねちねちした口調で問い詰めた。 「すると何? あたしは本人の前で離れちゃったらどうしようとかそういうこと考えてたわけ? アホみたいじゃない。せっかくのシリアスモードが台無しよ」 「は、ははへひゃっはら? はんほほほ?」 「何言ってんのか分かんないわよ。もっとはっきり喋りなさいよ」 「ふふひゃん、ほっへは、ほっへは」 涙目になって自分の頬を示すルリを見て、スズはようやく手を離した。「痛かったぁ……」とルリが頬をなでているが、そんなものは気にせずに問う。 「で、何て言ったの?」 「ん〜、だから、離れちゃったらって何のことかなって。スズちゃんこそこんな時間にどうしたの?」 「……」 思い出した。思わず珍登場に驚いてつい失念してしまったが、もともと自分はルリを暗殺……もとい、連れて逃げるためにここへ来たのだ。 「……あのね、ルリ」 「ん?」 「……」 言えない。 下手にじゃれあってしまったのがいけなかったのか、拒まれることを余計に恐れるようになってしまった。離れたくないという思いが頭につきまとう。だが、かと言ってこのまま何事もなかったかのように帰るわけにもいかない。 「……あのね、」 「スズちゃん」 名前を呼ばれて顔を上げると、ルリは微笑みながら首を傾げて、 「どうしたのか分からないけど、せっかく来たんだから、お部屋へ行こう? お話はそこでゆっくり聞かせて?」 正直言って、救われた。 |
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