勇者と魔王のそんなお話
| 砂糖もミルクもいらないと言うのを忘れた。 よって、今スズの前には、例の殺人的なミルクティーが湯気を立てている。それには手をつけずに、スズは口を開いた。こうなったら洗いざらいぶちまけてしまおう。 「陛下が、魔族相手に戦争を仕掛けることを決めたの」 「……」 ミルクティーを口に運んでいたルリの手が止まる。軽く目を見開いた彼女の視線に耐えられず、スズは続きを一気に言う。 「その関係で、あたしは魔王――つまりあんたの暗殺を命じられた。魔族の指導者兼切り札を倒して来いって……一対一の接近戦なら、光の力を持ってるあたしの方が強いだろうって。あんたがいなくなったことで浮き足立った魔族を、人間の軍隊が一気に叩き潰す。こういう作戦みたい」 「……そう」 悲しそうに呟いて、ルリはカップを置いた。スズは俯いたまま顔を上げることができない。今のルリの顔を正視するなど、とてもじゃないができはしない。 「スズちゃんはどうしたいの? ……わたしを、暗殺する?」 「そんなことしない!」 ここだけは力いっぱい否定した。ルリを殺すくらいなら自分が死ぬ。その覚悟は、離れてからもずっとあった。 「あたしは……」 だが、この先が言えない。拒まれたらどうしようという思いが頭を離れない。「わたしは魔王だから」こう言われたらどうしよう。「ごめんね、スズちゃん」こう言われたらどうしよう。怖くて仕方ない。一人で生きていかなければならない未来が、目の前で手招きしているように見える。 実際に目の前にあるのは、ルリが淹れてくれたミルクティーだ。 ――どうせ、今日以外に飲む機会などない。スズはカップを掴み、一気に中身を飲み干した。熱い、そして甘い。相変わらず吐き気がする甘ったるさだった。砂糖をどれだけ入れればこんな味になるのだろう。 「す、スズちゃん、大丈――」 「あたしは、あんたを連れて逃げる!」 言ってやった。 時間が止まる。慌てて立ち上がろうとしたままルリは動かず、ただポカンと口を開けてこちらを見ている。その間抜け面を前に、スズは思いのたけをぶちまけた。 「嫌だって言っても無理やり連れてくよ。ルリだって戦いたくなんかないでしょ? だったらいいよ、逃げちゃお? 戦いたい奴が勝手にやってればいいのよ。あたし達が巻き込まれなきゃいけない理由はどこにもないもん!」 それだけ言って、ふん! と顔を背ける。態度こそ大きいが内心は冷や汗ものだった。高ぶっていた感情が次第に落ち着き出し、頭の中に「ごめんねスズちゃん」が響き出し、そのうちに控えめなルリの声が聞こえてきた。 「……そうだね。逃げちゃおうか」 その言葉に、どれほど安堵したことか。 ルリは自分を選んでくれた。ともに過ごした魔族よりも、たった一人の妹を選んでくれた。そのことがたまらなく嬉しい。 「……ルリ」 そうと決まれば、ぐずぐずしてはいられない。夜中のうちに、見つからないようにここを抜け出す必要がある。今すぐ荷物をまとめて、どうしても必要なもの以外は置いて行って――そうスズが口にする前に、ルリが言ってきた。 「でも、それは最後の手段」 「え?」 普段の正反対、疑問を発するスズの前で、ルリは悪戯っぽく笑った。 「スズちゃん。人間の王様のところへ連れて行ってくれないかな?」 ルリのペースに合わせていたらいつ着けるのか分からない。そういうわけで、スズはルリを背負って城へ舞い戻った。光の力を全開にしてもさすがに疲れたが、なんとか夜明け前に戻ることができた。 魔王城の魔族達には、ルリが『スズちゃんと一緒にいます。心配いりません』という書置きを残しておいた。心配するしないの問題ではないような気もするが、今回だけ何も言わなかった。自分では何とかできない以上、考えのあるルリに頼るしかない。これが半分の理由であり、 もう半分は、呆れて物も言えなかったからだ。 ルリは、人間の王を自ら説得すると言い出したのだった。ただでさえボケているルリが王を口で負かすなど、ナイフ一本で軍隊に立ち向かう方が幾らか勝率高いんじゃないかと思うほど無謀な挑戦に見えたが……それでも、スズは試してみることにした。 それで戦争が回避できるなら、その方がずっといい。ダメで元々。失敗したら逃げるまでだ。 少しでも勝率を上げるため、スズは朝になるまでルリに猛特訓させる気でいた。考えられる限りの舌戦のイロハを叩き込む。そうでなくては、このオトボケ魔王が王に勝つことはできない。 ……だと言うのに、この女ときたら。 「ここがスズちゃんの部屋? 広いね〜 わたしの部屋よりずっと広いよ」 「あんたの部屋が狭いのは妙なものでごちゃごちゃしてるからでしょうが。あれ全部片付けたらここよりずっと広いわよ。それより――」 「ぬいぐるみも何もないんだねぇ。寂しくない?」 「ない。あのさ、説得するならするでその準備を、」 「スズちゃんって昔からスッキリした部屋が好きなんだよねえ。憶えてる? そのことでよくケンカして、いっつもわたしが泣かされてて、」 「ルリっ!」 怒鳴った。 窓ガラスにヒビが入るか否かという、我ながら凄まじい大音声。何を思ったかベッドにダイビングしようとしていたルリがピタリと動きを止める。局地的な衝撃の後、待っていたのは不気味なほどの静寂で、 それを気まずい空気と取ったらしく、ルリが恐る恐る口を開いた。 「……スズ…ちゃん? あの、今夜中だからあんまり大きな声は出さない方が…いいと思うな」 「あたしもそう思うわ。て言うか出させるな」 「……ごめんね」 何か理不尽なものを感じつつも、とりあえず怒っている相手が怖いから謝っておく――そんなルリの態度。こんなんで大丈夫なのかと思う。仮に万全の態勢を整えても、一喝されただけで何も言えなくなってしまうのではないか。 「ルリ、本当にやるの? はっきり言ってかなり心配なんだけど」 「やるよ。本当にやる。自分でも心配だけど、やる」 自分で心配なのかよと思いながらも、スズはわずかに訝る。ルリにしては珍しく固い決意を胸に秘めているようだ。悪いものでも食べたのだろうか――そういう本音はとりあえず置いておき、 「どうかしたの? 珍しくやる気じゃない」 と尋ねておいた。 ルリはそれに、むしろそんなことを聞かれる理由が分からないといった顔で答えた。 「だって、戦わなくていいならその方がいいでしょ?」 「そりゃそうだけど……まさかそれだけ?」 「うん。わたしたちは逃げなくていいし、兵士さんたちは痛い思いをしなくてすむし。選り取り見取りだよね」 「用法が違う……だけど、それで勝てるの? なんか子供のたわごととか言われて終わりのような気がするんだけど」 「だいじょーぶ。やろうと思えば、わたしだってちゃんとできるんだよ」 物凄く不安だった。ちょっと一回そっちのモードで話してみろ――スズはそう言おうとし、ルリに先を越された。 「……あのさ、スズちゃん」 「何?」 ルリは目を逸らしながら言ってきた。 「……わたし達が双子だってこと……バレちゃうよね」 「……」 実は王は、その事実を知らない。スズに姉がいることは知っているが、まさか魔王だとは想像もしていないだろう。魔王とグルになっているなどと思われたら、人間社会でのスズの発言力がなくなってしまう。そのため、スズは今までルリが、魔王が姉であることを隠していたのだが…… 「別にいいんじゃない?」 今なら「魔族に関することならスズだ」と言われるほど信頼されているので、グルになっていると疑われるようなこともないだろう。どんどん話せばいい。 「いいの?」 「いいよ。どうして?」 「……魔王の妹だなんて知られたら、いじめられない?」 心配そうなルリに、スズは苦笑して、言ってやった。 「そんな心配しなくても大丈夫よ。あんたは明日のことだけ考えてればいいの」 「……うん。分かった」 真剣な顔をして頷くルリ。が、次の瞬間ふと何かを思い出したように表情を緩めた。軽く微笑みながら言ってくる。 「そういえば、久しぶりだよね。夜中に一緒の部屋にいるの」 「そう……ね。言われてみれば。あたし夜には帰っちゃってたしね」 「うん」 言われて気付いたスズに、ルリは楽しげな笑みを向けてくる。 「ね? 久しぶりに一緒に寝ない?」 「寝ない? って……寝る暇なんてないでしょうが。相手は陛下、人間の王よ? 準備しなくてどうするの」 「わたしだって王様だよ。心配しなくても、おねーちゃんに任せておけば大丈夫」 大人ぶっている子供そのままの表情は、凄まじく信用できないものだったが。 「はいはい……じゃあ、もう寝よう。疲れちゃった」 さすがにこの短時間での強行軍は辛いものがあった。ルリを猛特訓させるという決意も、とぼけた彼女の顔を見ているうちに萎えてしまう。なるようになれ。段々そう思うようになってきている。 嬉しそうに毛布にもぐりこんだルリの隣に、スズは自分の身を滑らせた。ひどく懐かしい感覚。こうして姉妹二人で一枚の毛布の中に入るのは、実に六年ぶりのこと。 目の前にルリの、早くもまどろみかけている表情がある。 それが次第に薄れていき、スズの意識も深い眠りの底へ落ちていった。 「ひゃああ!?」 目を覚ましたのは、そんな声が耳元でしたからだ。 「……ん?」 スズは目を擦りながら身を起こす。外はもう明るい。いつもより深く寝入っていたようだった。 それはいいが、何だろうと思う。今のは、久しく聞いていないメイドの悲鳴だ。昔はスズが窓から飛び降りたくらいで大騒ぎしていたものだが、最近は全くそういうことはなくなったはずである。一体今更、自分の何を見て驚くと―― そのときスズの目に、驚愕に目を見開いたメイドと、ぐっすりと眠りこけているルリの顔が映った。 ああ、と理解する。 起こしに行った相手がいきなり二人に増えていたりしたら、そりゃ誰だって驚くだろう。 「あああああの、スズ様? スズ様ですよね?」 起きた方、つまりスズに尋ねてくる。スズは頷き、ふと朝のセットが乗っている台車に目をとめた。当然一人分である。 「あの、悪いんだけど」 「はははは、はい?」 「……もう一人分用意してくれない?」 「は、はあ……あの、そちらの方は?」 ためらいがちに聞いてくる。得体の知れない相手に対する恐怖心と、スズと同じ顔をした少女に対する好奇心とが戦ったのだろう。好奇心が快勝したようだった。 「んー。双子のね、姉さんなの。ちょっとワケあって連れてきた。あ、別にここに住み着くわけじゃないから」 そう言って、スズはまだ夢の世界を満喫中のルリの頬を左右にひっぱる。面白いほど柔らかくよく伸びた。口を変な形に開かされながら、ルリが「う〜?」と唸っている。 彼女にとって、スズに双子の姉がいたなど初耳のはずだ。もっと何か聞きたがっていたようだが、仕事を優先したのか名残惜しそうに去って行った。そんな背中を横目で見ながらスズは思う。今日が上手くいったら、ルリのことを話してみようか。魔王の姉がいるということを。 「あ、この子のお茶、砂糖めちゃくちゃ多く入れてあげて。そりゃもう殺人的なほどに」 「はあ……」 どういう意味か分からないらしく、メイドは首を傾げながら生返事をした。 ……ちなみに。運ばれてきたお茶は、スズが舐めてみたところ、かなり甘かったがそれでもなんとか飲めないこともない味だった。 ルリはそれを一口飲み、「お砂糖が足りないよ」と角砂糖を何個も何個も何個も何個も入れていた。途中から数えていたがその数八個。メイドが入れたものと数える以前のものを足せば倍以上はあるだろう。どうやって溶かしたのか謎だが、ルリはそのお茶を美味しそうに飲んでいた。 ……スズが「太るわよ」と言わなければ、更に二、三個入れていた可能性もある。 王は毎朝必ず決まった時間に決まったルートで庭を散歩する。そこを待ち伏せして、場の勢いでもってルリの意見を押し通してしまおうというのが今回の作戦だった。もちろん王に護衛はいるが、そっちはスズの担当だ。口でも力でも、あるいは両方でも抑える自信はある。 茂みの陰に隠れながら、スズはルリに声をかける。 「いい? まずあたしが行くから、呼ぶまで出てきちゃだめよ」 「う、うん」 返事をするルリはさすがに緊張している。スズは苦笑し、激励してやった。 「大丈夫。あんた魔王でしょ。人間の王なんか敵じゃないよ」 「昨夜と言ってることが違うけど……うん。ありがとう」 がちがちに固まった微笑み。勝てるという思いが全く湧いてこないが、何故だろう。やってやろうと気になる。ルリの微笑みは、スズにそう思わせる何かがあった。 と、そのとき、 「あ、す、スズちゃっ――」 「静かに!」 ついに姿を現すお散歩中の王と護衛の兵士。声を上げかけたルリの口を手で塞ぎ、スズはじっとタイミングを計る。よく見ると、護衛の兵士は昨日スズが魔王城へ誘った彼だった。 「じゃあ、行くから。頑張ろう」 最後にそう言って、スズはルリの手を握る。 「うん」 ルリは手を握り返してくる。お互いに微笑み合い――そして、スズは茂みから歩み出た。突然出現した人影に兵士が慌てて前へ出て、自分の姿を認めて安堵した表情になる。 「なんだ……スズ様。脅かさないでくださいよ。どうしたんですか?」 「陛下」 問いかけてくる彼は無視して、スズは怪訝そうな王に言う。 「会って欲しい人がいます」 「……何だ? いきなり」 当然と言えば当然の反応を、王は返す。 「誰だ? 悪いが私は忙しい。よほどのことでないかぎり、後回しにしてしまうことになるが、」 言いかける王を制して、スズは背後の茂みに呼びかけた。 「ルリ」 ガサリと音を立てて、ルリが姿を現す。 ……スズは一瞬固まった。 出てきたルリは、今まで見たことがないほど真剣で、静かで、威厳のある表情を浮かべていた。自分の姉とは思えない。茂みの中で影武者と入れ替わったのではないかと思うほど、彼女は急変していた。 「……スズちゃん」 だが、そう言ってくる声や口調は、間違いなくルリのものであり。 ハッと気付いて、スズは慌てて王に向き直った。思わぬ変化に一瞬我を忘れてしまったが、ここでルリを紹介するのもスズの役目だ。 だが、王も兵士も、そんなスズの様子など目に入っていないようだった。まあ無理もない。これが他の少女ならまだ「誰だそいつは」と問うこともできたのだろうが、ルリは自分と全く同じ顔をしているのだ。王はスズに姉がいることを知っているが、双子とまでは知らないはずだった。 「陛下、紹介します。――彼女が魔王。魔王、ルリです」 「ま……何? 何だと?」 目を見開いている王にもう一度言おうとして、それをルリに止められた。制された手から彼女の顔へと視線を移す。「後はわたしが」と瞳で言っている。 譲るべきかどうか一瞬迷った後、スズは二歩退いて道を開けた。ルリが前へ出る。あまりのことに呆然としている男二人に向かって、ゆっくりと口を開く。 ――本当に影武者なんじゃないかと、スズは思った。 「魔王ルリです。初めまして、人間の王よ」 静かな声。気品のある喋り方。普段のルリからは想像もできない、いかにもといった感じの偉そうな口調。ルリは間を置き、続けた。 「このような形で訪ねた非礼をお許しください。ですが、ここならばお互いの本音で語り合うことができましょう。同じ国を治める者として、貴方と直に話し合いがしたいのです」 「……ルリ、といったか」 なんとか一応立ち直ったらしい王が、疑わしそうな目でルリを見る。 「お前が魔王とは、正直信じられん。それに……スズとは一体、」 「彼女はわたしの妹です」 「……は?」 「わたし達は双子の姉妹。あなたが妹を引き取って育てたように、わたしは魔族に引き取られ魔族に育てられました。強い光の力を持つ妹が勇者になったように、強い闇の力を持つわたしは魔王になったのです」 「……スズ」 本当なのか? と問うてくる王に、スズは一つ頷いた。同時に驚いてもいる。昨夜は不安で仕方なかった会談だが、いざフタを開けてみれば、ルリが王を圧倒している。 だが、さすがに王もいつまでも驚いてはいない。深呼吸一つで平静さを取り戻し、ルリを真正面から見つめ――いや、睨んでいる。 「して、用件は?」 声にも迫力がある。気の弱い者なら泣いて謝ってしまうような空気。だが、ルリはそれを平然と受け流してしまった。 「お話があります」 「それは聞いた」 「戦うのなんてやめませんか?」 あっさりと、 シリアスな雰囲気が音を立てて崩れるような気の抜けた一言を、ルリは真面目に口にした。 「……ふざけるな」 怒気を孕んだ声で王は言う。まあ、気持ちは分からないでもなかった。あれだけシリアスな雰囲気の中で「戦うのなんてやめませんか?」では、やる気があるのかと問いたくもなる。 だが、ルリは、あれでもかなり真剣に言ったつもりだったらしい。 「ふざけてなんかいません。わたしの言いたいことははっきりと伝わったはずです」 「……なら私はこう言おう。却下だ。魔族など地上から消し去ってくれる。お前もろともな」 孫と言っても差し支えない年頃の小娘に対して、あまりに大人気ない挑発である。しかもそれにルリはあっさり乗ったりするものだから、 「不用意にそういうことを言わないでください。魔族と人間が本気で争えば、一体どれほどの犠牲が出るか……」 「犠牲なくして成果はありえん」 「成果とは何ですか? 魔族を滅ぼしてあなたたちは何を得るんですか?」 「平穏だ。人間がどれだけ魔族に殺されたか分かっているのか?」 「そう言うあなたは、魔族がどれだけ人間に殺されたか分かっているんですか?」 「魔族のことなど知るか」 「その言葉そっくりお返しします」 「……」 「……」 無言でバチバチと火花を散らす二人。 「小娘が。王を名乗るなど百年早いわ」 「そう言うあなたは、そろそろ引退した方が良さそうですよ。モウロクジジイ」 ……なんだか不穏な雰囲気になってきた。 いつどこで誰がルリにあんな言葉を教えたのか気になったが、このままでは「お前の母ちゃんデベソ」レベルの悪口の応酬になってしまう。色々な意味でそれは避けたい。スズは仕方なしに、中指を立てたり親指を下に向けたりしている二人の間に入った。 「あーもう。やめなさい二人とも! ルリ、あんた一体何しに来たのよ!」 「だって、この人モウロクして話もできないんだもん!」 「何を小娘が! 処女のくせして偉そうに!」 「あー、今のセクハラ! て言うかそんなの無関係だよぉ!」 「ふん! 男も知らん奴が偉そうに吼えおって。セクハラなどという思考停止言語を口にする時点で器の小ささが知れるというものよ!」 「あー、ひどいひどい! この――」 「お前こそ黙って聞いていれば人のことをモウロクなどと――」 「やめろっつってんでしょうがっ!」 ラチが明かないので、スズは怒鳴ると同時に両者の口を封じた。途端に声が出せなくなった二人が目を白黒させている。まさかこんなロクでもないことで光の力を使うとは思わなかったが、とにかくこれで話ができるようになった。 「あんたら人間と魔族の最高指導者でしょうが! 低レベルにもほどがあるわよ!」 (だってこいつが……) 二人揃って被害者ヅラしやがった。ある意味似ているかもしれない二人を前に、スズは頭の中の『王』のイメージを一変させる。 「ルリ! なんか珍しく魔王っぽいことやるのかと思ったら何!? 悪口しか言えないなら任せろなんて言うんじゃないの! ついでに聞くけどモウロクジジイなんて言葉どこで知ったの!」 (本で……) 「後で没収ね」 そう言われた直後に泣きそうな顔をするルリはとりあえず無視して、今度は王に向き直る。彼は不満げにこちらを見ていたが、正視した途端にぎょっとした顔になった。それほど恐ろしい顔をしているらしい。 「陛下も! まるっきり子供のケンカじゃないですか! こんなんでよく治世なんてやって来られましたねって言うかそれでいいの王として!?」 (いや、ついペースに引き込まれてしまって……) 「言い訳するな!」 (ところで気になったのだが、どうして心の中を読めるのだ?) 「光の力を使えばそれくらいわけないです。とにかく! 二人とも冷静で理知的で王様らしい話し方をするように! ルリ、無理はしなくていいから悪口を言わないように。陛下も罵詈雑言を並べないように。もしまたさっきみたいな展開になった場合は……」 それ以上は皆まで言わず、ただ拳をバキバキと鳴らした。ルリと王が青い顔になってコクコクと頷く。 封印を解いてやると、二人はどこかほっとしたような顔になった。そしてお互いに見つめあい、睨み合い、スズの睨みを意識して「仕方ねえな」といった表情で向き直る。王はともかく、おっとりとした天然ボケだとばかり思っていたルリがこんな顔をするのは本当に意外だ。 「それで、とにかくお互いに戦いは避ける方向でやっていきたいんです。できれば今後永久に」 「……仮に私が頷いたとしてもだ。他の者はそれでは納得しないぞ。魔族とはとにかく危険な存在だという認識がある。そこの者もそうだ」 と、示されたのは展開について行けない哀れな兵士。 「どうやって説得するのだ? 危険ではない証拠として、お前自身を好きにさせてみるか?」 「それで納得してもらえるんですか?」 バカにしたように言った王は、ルリの返事に目を見開いた。多分スズの今の表情も同様だ。自分を好きにさせるという意味が分かっているのだろうか。 「ちょ、ルリ――」 「さすがに今のは嘘です」 口を出そうとするスズを制するように、ルリはそう言った。 「でも、今ので分かりました。要するに、魔族が怖くないと証明できればいいんですね?」 「あ、ああ」 「あなたやスズちゃんはともかく、他の人達は……そこの兵士さんも含めた人達は魔族が怖い。だから戦って滅ぼす。そういうことなんですね?」 「くどい」 「分かりました。では、今の流れを踏まえて……あなた」 と、ルリが声をかけたのも、流れについて来れていない哀れな兵士。 「は、はい!」 「わたしは魔王です。それは分かりますね?」 「は、はい……」 まだ多少信じられない部分があるようだが、魔族に関しては他の誰よりも詳しいスズがそう言っているのだ。信じざるを得ないだろう。 そんな彼に、ルリは短く尋ねた。 「わたしが怖いですか?」 「……は?」 二度も問うことはしない。ルリはただ、彼の答えを待っている。 そしてスズにも、ルリのやろうとしていることがようやく分かってきた。ここに来たいと言った理由も。 王と直接話すのは、それほど重要なことではないのだ。考えてみれば当たり前で、舌戦でたとえ勝ったとしても、王が「魔族討つべし」という考えを改めなければどうしようもない。 ルリの本来の目的は、自分を見せることだったのだろう。 恐怖の権化とされている魔族の、頂点に立つ自分を。恐れることなど何もない魔王の姿を。さっきのケンカで、少なくとも王の魔王に対する恐怖は消えた。兵士も同様だ。あんな間抜けな姿を目にした後で、怖がれるはずがない。 「……いえ、怖くはありません」 「だ、そうです。これでも戦争は必要ですか?」 と、勝ち誇ったように言うルリ。王は毒気を抜かれたような顔で、しかしそれでも首を振る。 「その兵士一人が理解したところでどうなる? 民衆全てを、少なくとも過半数以上を納得させなければ、」 「納得させればいいじゃないですか。わたしはいくらでも顔を出しますよ」 魔王が直接人間に顔を見せる――友好関係を結ぼうと言っている。王も兵士も、さすがにスズも開いた口がふさがらなかった。いくらなんでも話が飛躍しすぎている。 そんな周囲の思いなど知らず、ルリは真摯な顔で続けた。 「だから、戦争なんてやめましょう。力を使っていいのは、本当に本当にどうしようもなくなって、そうする以外に方法がなくなったときだけです。今はまだそのときじゃない」 「何故そう思う?」 「わたしとあなたがきちんと会話をしているから。話ができるなら、力は必要ありません」 正論なのか屁理屈なのか分からないことを言われて、王は一瞬押し黙った。そして言い返す。 「人間の中には魔族を恨んでいる者もいる。魔族の中にも人間を恨んでいる者はいるのだろう。そいつらはどうする?」 「それは……仕方ないと思います。恨むには恨むだけの理由があるだろうから、それにわたし達が口出ししていい理由はありません。でも――」 「でも?」 「……だからと言って、それを理由に人間と魔族が全体で戦っていいわけはありません。そういう人達がいるように、魔族と人間にはお互いに必要とし合っている者もいるんです」 「……いるわけがない。人間と魔族には、ロクな接点すらないのだぞ」 「います」 「どこにだ?」 「あなたの目の前に」 怪訝そうな顔をする王から目を逸らし、ルリはこちらを向いてきた。微かに微笑んだ瞳が同意を求めてくる。 スズは微笑み返して、静かに頷いた。 ……それからのことを少しだけ話す。 結局、ルリ本人に直接会ったというのが一番大きかったのだろう。王は魔族を滅ぼす気をなくし、あちこちで反感を買いながらも魔族殲滅の話は白紙に戻された。まだ友好関係を築くまでには至らないが、どうにか現状維持できてはいる。 スズとルリが姉妹だという件に関しては、王に一度聞かれただけで終わった。スズが、いざというときは人間よりも姉を選ぶつもりであると知ると、王は少し寂しそうに頷いた。ひょっとしたらこれも彼の意気を削いだ要因の一つだったのかもしれないが、今となっては分からない。 ルリは魔王城に戻って、再び怠惰としか思えない魔王としての生活を送っている。 そして、スズも―― その日、スズは上機嫌だった。 あまりの機嫌の良さに鼻歌まで歌いながら、魔王城への道を駆け抜ける。いつもの通りの報告書だが、今日は来るときに嬉しいことがあったのだ。 あのとき王と一緒にいた彼。めでたく恋人と結ばれて幸せの絶頂にいる彼が、出かける間際にこう言ってきたのだ。 『いつか、一緒に魔王城へ連れて行ってもらえませんか』 今すぐでないのは、まだ少し恐怖心が残っているからだろう。それはいい。そんなことはどうでもいい。 魔族に対する迷信を捨ててくれたのが、嬉しかった。 「ルリが聞いたら喜ぶだろうな……」 目を輝かせる姉の姿が目に浮かぶ。一刻も早く知らせてやろうと道を急ぐ。 魔王城に着くと、何か変な雰囲気が城内を支配していた。 不審に思いながらもとりあえずルリの部屋に行こうとすると、広間の扉が開かれた。出てきた魔族と目が合う。どういうわけか正装だ。城内の魔族全員の顔を憶えているわけではないから断言はできないが、緊張した物腰から見て新人だと推測できる。 ……嫌な予感がした。 嫌な予感は、その新人君の叫び声によって的中した。 「く、曲者!」 その一言で新人君ズが一斉にこちらを見る。曲者と叫ぶあたり、まだスズのことは知らせていないのだろう。わずかに痛み始める頭で考える。この城は、一体年に何回新人を入れているのだろうか。 だが、数える前に最初の新人君が襲ってきたので、スズの思考は中断された。広間にいたからには集会でもやっていたはずで、正装しているからにはルリもきっといるはずだ。そう思って奥の方に目をやり、ついでに耳も傾ける。 『い、いいのですか? ルリ様。スズ様が……』 『ん〜、大丈夫だよ。それにこれ、恒例行事みたいなものだし。こうした方が皆スズちゃんにも慣れるでしょ。適当なところで止めればいいよ……あ、今のスズちゃんには内緒ね』 『は、はぁ……』 聞こえないとでも思っているのだろうか、あのクソアマは。実際常人なら絶対に聞こえない距離だが、あいにくスズは常人ではない。新人君ズが絶叫を上げて襲い掛かってこようが、会話がたとえ耳打ち程度の小声だろうが、広間の入り口と奥くらいの距離なら拾うのはたやすい。 ――後で泣かせてやる。 この後でルリを小一時間ほど痛めつけながらネチネチいびることに決めて、とりあえずスズは襲ってきた新人君を殴り返した。 |
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