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A Japan Travel Journal

「第122日」

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はじめてだった、日本一周(西日本編)ひとり旅

                     19xx年4月9日(月) 曇り,時々晴れ
                ☆★☆★★★☆★☆★☆★★★☆★☆★☆★★★☆★ 静岡 → 豊橋(愛知県)

 

 

午前7時、起床。大工さん達が仕事にやって来るのでは、と気を利かして早めに起き上がった積もりだ。 昨日は体を一杯伸ばしてゆっくりと寝れた。寝袋に入った後は両足が馬鹿に熱く火照った。

ビスケットやパンにジャムをつけて食べ、午前7時半には出発した。

今日は浜松までを予定した。国道に出て来た。浜松方面はどちらの方向だろう? 迷った。 道路標識 を見ると静岡駅までは約3キロメートルとなっていた。

何んだ、来た道を逆戻 りしていたのだった。静岡駅前を通過し、藤枝そして島田−ここでは郵便局と駅に寄る−そして袋井 へと、どんどん走って行く。目指すは浜松 。浜松。

 

午後零時25分、天竜川に着く。土手の下へと自転車ごと降りて行って、「天竜川祈念公園」で休憩を取る。 雲の合間から太陽が洩れ眩しいが、それも暫しであった。

約1時間後には天竜川に掛かる橋を渡っている自分であった。浜松まであと6キロメートル。 浜松、浜松。

午後1時45分、浜松駅前に出て来た。交通混雑が激しく、駅には寄らず、そのまま交通の流れについて行く。 浜松市は一大都市という感じであった。色々とビルが立ち並び、やはり地図がないと不安である。どこに何があるのか、ちょっと分かり難い。 市内見物と言っても何か見るべきものがあるのだろうか。

市内に入ったものの、時間的にはまだ早かったので、先へと行くことにした。

国道1号線を外れ、市内を通る国道251号線、257号線に沿って行く。豊橋まで、30何キロとかで、少し焦った。なぜ焦ったか。 苛立ちもあったようだ。どこまでもどこまでも、ただただ走って行くだけ。曇り空でもある。雨が降って来るのではなかろうか。 天気予報では雨が降るということだった。落着いてゆっくりしたい。息をつくという時間がまだない、ということも焦りの原因かも知れない。

登り坂が一、二度、途中にあった。ペダルが重く、汗を掻きながら、正しく一歩一歩、その一歩一歩を確かめるかのごとくゆっくりと登って行く。 重いのは後輪のタイヤの空気が少ない所為かも知れない。途中、どこか自転車屋さんで空気を入れようと思っていながらも、自転車に勢いが付いているので、上手い具合に通り過ぎてしまう。

 

 

再び国道1号線に出て、名古屋方面に向って走って行く。右側は運送トラックなどがどんどんと通過して行く。 まだ旅の喜び、楽しさというものが味わえない。腹一杯食べれば、、、だろうか? 食事は変則気味である。

午後2時35分、右側に「弁天島駅」を見ながら通過、浜名湖も視界に入ってくる。大橋開通祝いの看板が立っている。

午後3時15分、愛知県・豊橋市に入った。とうとう愛知県か、と思うと何だか随分と遠くまで来てしまったという気がした。

雨がポツリポツリと腕に感じられるようになる。段々と市内もにぎやかになってくるような感じの所を走ってくる。 冷たく感じたのは汗だろうと思ったのだが、やはり雨だった。途中で食パン等を買い、曇天下を相変わらず走っていく。

交差点を幾つか過ぎ、青信号になるのを待っていると、右側に豊橋公園の看板だ。惹かれるように右折、公園へと向って行く。

公園内、自転車に乗って、サーカスの自転車の如くぐるぐると回る。桜が満開とでも言うのか、あちらこちらに咲き乱れている。良い寝場所を探し求めながら、タイヤを方々へと走らせて行く。 体育館の玄関前は比較的きれいのようで、良いかもしれないなどと一応候補の一つとして念頭に入れながらも、もっと良い所がないものかと探し回る。 まだ日は暮れていない。

 

 

豊川を見下ろすことの出来る大きな東屋と休憩所があった。暗くなる のを待つとするか。休憩所のベンチに腰掛けて待つ。

公園内、午後6時を過ぎても人が居残っている。アベックも声高に話している。他の人が近くにいると寝るのにもやはり気になる性質なのだ。そんな自分を受け入れるしかない。人が退くまで待つしかない。

同じ公園内、何時の間にかランプが点いていた。 今となってはなす術もなく、両腕を頭の後ろに組んで枕のようにして、ベンチに寝転がっていたが、寒くなってきて風邪でも引きそうに感じられたので、動こうと東屋の方へと移動しようとした。ところが既にアベックの先客がその場所を占有していた。 寒いから早く寝袋の中の包まっていたい。仕方ない。別の場所、体育館の裏横、ひさしの出たコンクリートの上で新聞紙を敷いて寝ることにした。

午後6時50分、寝袋の中に入った。水平になれたことで一日の疲れがこれで少しは取れる。明日の朝になれば、また新たな気分で出発できるだろう。

午後8過ぎまで、乗用車の出入りが激しく、ヘッドライトは眩しく、うるさく寝つかれなかった。

耳元の携帯ラジオでパブロ・ピカソの死去を伝えていた。



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