北斗篇(エピローグ)



君は僕のもの。ねぇ、そうでしょう?



 以前とは比べ物にならないほど落ち着いた瞳をした少年がそこにいた。一気に5年や10年分の年をとってしまったかのような印象を受けた。
「北斗? 一体何が?」
 夜明けに感じた悪寒を理由に、瑞樹はすぐさま砂神島に帰ってきた。できることならば綾香の元を離れたくなかったのだが、そうはいっていられない状況だった。
「咲は?」
 咲に何も言わずに島を出たから、拳骨で殴られることぐらいは覚悟していたのだが、一向に姿を表す様子がない。それどころか屋敷の中に彼女の気配すら感じられない。
「彼女は死んだよ」
 静かに少年が告げる。すと瑞樹の足元を指し示す。
「ほら、瑞樹さんの足元に砂があるでしょ?」
 確かにざらざらとした感触が靴下を通して伝わっていた。
 だがこの砂と咲の死がどうリンクするのか、それが瑞樹には理解できなかった。
「俺たちは砂鬼。死ねば砂にかえるのが道理でしょう」
 膝を落とし、指先でその砂を確かめる。
 小さな白い砂の粒。
「信じられない」
 あの咲が死んだなんて。
 砂鬼の死がこんなものだなんて。
「だが僕たち砂鬼は死なないはずじゃあ?」
「誰がそんなこといったの?」
 北斗の冷静な突っ込みに一瞬言葉を失う。ひどく傷ついているように見えて案外しっかりしている。
 度重なる身近なものたちの死に感覚が麻痺しているのだろうか?
「……昔、僕は妻の後を追ったが死ねなかった」
「それは寿命じゃなかったからだよ」
 砂鬼にも寿命がある。それまでは自ら命を絶つことなど出来はしないのだと。
「咲も、寿命だというのか?」
 寿命という言葉から、瑞樹は老人の姿を連想した。あの美しい少女の姿からはそんなことは想像もつかない。
「違うよ」
 少年は窓を開け放った。砂がきらきらと光りながら庭へと散っていく。あっと瑞樹が小さく叫ぶも間に合わなかった。
「寿命のほかに、砂鬼が死ぬ方法はたった一つ。当主自らの手で殺されること」
 相模当主と砂鬼は一心同体。当主に不要とされ切り捨てられれば砂鬼の存在意義もなくなる。ちなみに今の当主は西子だ。
「まさか……」
 北斗の金色の髪が太陽の光を受けて一層鮮やかに輝く。染めてから一ヶ月以上は経つはずなのに、彼の髪が伸びた様子はない。
 いつのまにか彼自身、人間ではなくなっていた。
「あの人が咲を殺したんだ」
 自分の母親を「あの人」と形容した少年の目には何の感情もこもってはいない。
 地王にのっとられた体ではあったが、咲の最後を北斗はおぼろげながらに覚えている。
 咲の胸に包丁が刺さっていた。彼女は眉間にしわを寄せて苦しそうだった。西子が震えながら口を手で覆っていた。本当に刺す気はなかったらしい。
 血が噴出す代わりにさらさらと小さな砂が傷口から落ち始めた。
 力の入らなくなったからだが畳の上に倒れこんだ。
『咲、咲?』
 地王は北斗の体を使ってぐったりとした咲を抱きしめた。
 やっと会えたのに、どうして君は僕から離れていこうとするんだ。
 言葉にならない叫びを北斗は脳で直接聞いた。
『ちお……、も、一度言って。愛してる、て』
 最後の力を振り絞るように咲の手が地王の頬を撫でた。
『愛してるよ、咲』
 君が望むなら何度でも。
 そして彼女は綺麗に、今まで見せたことのないような綺麗な微笑を見せた。
 口がわずかに動いたかと思うと、そのまま息絶えた。腕の中の温もりが砂となって落ちていく感触。
 地王の悲鳴と北斗のそれが重なった。
 そして気付けば、北斗の中から「地王」も消えた。
「案外儚いものだね」
 きらきらと砂が舞う。脱力したように、瑞樹がぺたりと腰を下ろした。
「ねえ、瑞樹さん。俺たちこれからどうしよう? 咲はいなくなっちゃったし、直系も途絶えちゃったし」
 拠り所とする相模の直系を失ったとき、自分たち砂鬼がどうなるのか、北斗には見当もつかない。ああ、そのことだがと瑞樹が思い出したように口を開くまで長い時間があった。
「直系ならいる。まだ生まれていないけれど」
「西子さんと伸一さんの子供?」
「じゃなくて」
 不意に自分を指差されて戸惑う。
「え? 俺の子?」
「子供だとばかり思っていたら、やることだけは一人前だな」
「ええ? まじで?」
 美郷の顔が思い浮かぶ。
 気をつけていたつもりだったのに。
 何やら恥ずかしいやら嬉しいやら。
「でも生むかどうかは美郷にまかせるよ。だって俺、……こんなだし」
 あえて「人ではないし」という台詞を飲みこんだ。もしも話が本当であれば、生まれてくる子供が可愛そうな気がしたのだ。
「というか、彼女は子供が出来るのを狙っていたのかもしれないな。憶測だけど」
 北斗の些細な気使いなどまったく無視して、眼鏡を押し上げながら神妙な面持ちで瑞樹が爆弾発言を口にした。
「な、なんで?」
「なんとなく予感があったんじゃないか? 君が消えてしまうんじゃないかって。自分につなぎとめる意味も込めて」
「予感、ねぇ」




 月が満ち、新たなる二人の直系が産声を上げた。
 一人は相模の本拠地・砂神島で。島の未来を担う跡取息子の誕生に島中上げてその誕生が祝われた。だが父親に似たのか、相模家特有の白い肌を持ってはいなかった。
 名を、相模東矢(とうや)。少しばかり早産であったため、病弱な幼少時代を過ごすことになる。未婚のまま東矢を生んだ母親に愛されることなく、事実上の父親の愛情を一身に受けて育つ。
 もう一人は島から遠く離れた都会で。祝うのは母親とその友人だけだったが、雪のような肌を持つ黒目がちの女の子であった。砂鬼を父に持つこの子がどのような運命をたどるかは、この時点では誰一人として知るものはいなかった。
 名を、千原岬。母親の愛情に包まれ、父親のいない不自由さなど感じることなく育つ。
 二人の直系が出会うとき、また新たなる砂神の物語が始まる。

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