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 木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに望む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
        島崎藤村 「夜明け前」 序の章
 11月1日9時半ごろ、私達は娘夫婦の車で小雨の降る名古屋を出発した。矢張り、雨男の私は旅行に雨が
切り離せないものとみえる。それでも中央高速自動車道、多治見を過ぎる当たりから、雨はやや小降りとなった。藤村ばりに言うならば、「木曽路の山はすべて雲の中であった。」とでも言うべきか。
 昼前、馬篭に到着、早速、中山道馬篭宿入り口の大きな碑の前の蕎麦屋「恵盛庵」で昼食を済ます。
 雨が小止みとなったので、上の入り口から馬篭宿の家並にそって土産物店を冷やかしながら、石畳の坂を下った。当日は金曜日で、しかもこの天気と言うのに大勢の観光客で賑わっていた。偶々、バス旅行の外人さんの一行と坂の途中ですれ違ったが、彼らは洋傘をささないで皆、ヤッケのようなコートを頭から被っていた。
折角、外国から観光旅行に来たのにと、こちらが気の毒にと思う羽目になった。
 坂の中途に「藤村記念館」があった。この記念館は長野県史跡に指定されている。日本近代文学を代表する作家、島崎藤村の文学館である。藤村の生家で小説「夜明け前」の舞台であった馬篭本陣の家屋は焼失したが、地域の人々の文豪を記念するものを造りたいという熱意によって、有志の勤労奉仕により焼け跡に記念堂が建てられた。後に県内より広く寄付を受け文庫を開設、昭和27年より藤村記念館として活動を開始、その資料は6000点に及ぶと言う。
「旅人を親切にもてなすことは、古い街道筋の住民が一朝一夕に養い得た気風でもない。椎の葉に飯を盛ると言った昔の人の旅情は彼等の忘れ得ぬ歌であり、路傍に立つ古い道祖神は子供の時分から旅人愛護の精神を囁いている。
「夜明け前」 第5章より
                                          
足元を気にしつつ坂を下り、雨の馬篭を後にした。恵那山を迂回、雨雲に煙る馬篭峠を超えて、当夜の宿泊先、昼神温泉「割烹旅館、吉弥」に車を走らせた。 昼神に着いた頃は雨も上がっていた。                                           注: 文字用の領域がありません!