お母さんが解放された日
3月の下旬頃、祖母が福岡から山梨県に引っ越した。
祖母が引っ越す前は私達と一緒に同居していた。
当時、私の家族はビルの1階と2階の1部分を借りて生活していた。
部屋に直すと、1階が6畳の部屋が2つあって、2階が少し広くて8畳ぐらいの部屋が二つと、
それぞれの階に小さな台所と、トイレとお風呂と、最後に小さな小さな事務室があった。
だから、結構借りビルにしては広かったと思う。
それでも、2世帯で暮らすには今一つだった。
私はその頃、自分の部屋が欲しかった。
人並みに部屋を持って、
その中を好きなぬいぐるみや本で埋めたかった。
普通の、生活がしたかった。
1階の全てを(借りていた)祖母と今は亡き祖父専用に使ってもらっていたのに、
狭いと感じているのか、祖母は狭い狭い、広い部屋がいい、
広い部屋がいいといつも言っていた。
それだけなら、まだよかった。
祖母は、大分被害妄想の気があった。
物が少しでもなくなると、まず最初に母を疑った。
そして、自分の娘に「あの人が私の物を盗んだ、泥棒と一緒に暮らしたくない」
といつもいってたいたようだ。
その話ばかり聞いてしまった従兄弟のおばさんは、
福岡にくるとき、誰もいない時に母に文句を言ってたそうだ。
そんなことがあるからなのだろうか。
母は、私達の私物に昔から手を触れようとしなかった。
私の病気はてんかんで、
激しいスポーツや心身ともに無理なことを強いると、発作が起きる。
発作が起きると、被害妄想が一気に出て、周りに危害を与えようとする。
その点、やった本人はそうしたことを一切覚えてない。
だけど、当然周りの人は覚えていて、私が怒ると、
母はいつも「ほら、あんたはおばあさんと一緒なのよ。きちがいなのよ」とすぐに言う。
だから、なんだっていうんだ。
怒ってるのに、きちがいじゃないのに、被害妄想じゃないのに。
何かあると、すぐに母は昔っから祖母の話を持ち出してきた。
そして、それを私にかぶせた。沙誉はおばあさんと一緒なのよ、と。
だけど、後で思い返せば、自分のやったことはきちがいに違いなかった。
母があの時、どんなに苦しい思いで訴えていたのか、
その時の私は知ろうとしなかった。
自分が憎い。
自分の手を見るたびに、そう思う。
この流れている血も、手の指も。爪も。
全部祖母のDNAを受け継いでいるなんて、信じられなかった。
3月のある日、祖母は急に山梨に引っ越した。
もうこんな嫁と一緒に暮らしたくない、従兄弟のおばさんと一緒に暮らしたいと。
そう言って、亡くなった祖父の貯金を全部一人で使い切って、山梨に行った。
祖母が行った後、部屋の中にはビニールに
包まれた大量のごみ袋と大型の廃棄物があった。
それらをゴミ捨てに持っていったり、
業者に電話して、ゴミ捨てには捨てられないような大型のごみをひきとってもらった。
お母さんは、いつまで縛られなくちゃならないんだろう。
結婚した時から、ずっと
自分の母親が死ぬまで、まともに実家に帰ることの出来なかったお母さん。
いつも、祖母から泥棒扱いされてきたお母さん。
祖母の被害妄想を、全部受けとめていたお母さん。
私がてんかんになって、それを全部受けとめていたのもお母さん。
昔は、あんなにきれいで美しかったお母さんの手が、
暫く見ないうちに、しわくちゃになってしまった。
ごめんなさい、お母さん。
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