企救の顔
「うちの学校の、顔は、何と言っても、明英君と、二村さんだよ。
他の人もたくさんいるけど、この二人がいるから、学校が成り立ってるんだよね」
そんな風に、私のことを、Special Need School(養護学校)の顔だと、言ってくれた子がいた。
小学1年生の時から、ずっとずっと、私と明英君をしたってくれた、金島君という子だった。
その時の私には、言葉よく意味がわからなかったし、顔という代表の自覚も無かったけど、
金島君が、私を、そんな風に思ってくれたことが、とっても嬉しかったことを今でも覚えている。
高校3年生になった時、先生は言った。
「あなた達は、この学校の中で、最上級生になります。
小学部、中学部の子達は、あなた達を見て、育ちます。
みんなのお兄さん、お姉さんのお手本になれるように、がんばってください」
それ以来、私は、今まで後輩や、ほとんど誰に対しても、普通に話してたけど、
高校3年になってからは、金島君や、一君にも、丁寧語で話すようになった。
朝、早く学校に来て、学校の玄関前で、後輩達に、おはようと、朝の挨拶運動をするようになった。
それをまねてか、次第に、後輩達の何人かに、自分も玄関前に立って、
おはようと、毎朝、朝の挨拶をする人も、出てきた。
誇らしかった。
私は、自分の後輩に対しては、
どんなに勉強が、出来なくてもいい、決して、大企業と呼ばれるトコロに、入れなくてもいい、
ただ、挨拶ができる人間に、呼ばれたことに対して、素直に、ハイと言える、
そんな人間に、なってほしかった。
ただ、1度、思いっきり、ようしゃなく金島君を、叱ったことがある。
私が、高校1年生の時、金島君と、もう一人の女の子が、けんかをした。
二人は、激しく言い争って、大変なことになって、私や、明英君がまきこまれた。
何を思ったのか、その時の私は、二人を生徒会室に呼び出して、
他の先生方の前で、一言、こう、叱ったような気がする。
「二人がしっかりしないと、私や明英君は、この学校から、卒業できません」
女の子の方は、あんまり聞いてなかったみたいだけど、金島君は、嫌というほど、わかったみたいで、
その日は、とても暗い、泣きそうな顔をして、家に帰ったらしい。
後で、明英君から、何度も何度も「沙誉ちゃん、アレはやりすぎだよ、金島君が可哀相だよ」
と聞かされた私は、早速、ココロの中で、後悔してしまった。
だけど、金島君は、やっぱり金島君だった。
家に帰って、一日中、今日の出来事を思い出して、これからどうすればいいのか考えた
金島君は、数日たってから、見違えるように変わっていた。
自分が、中学部の上級生なんだという自覚を持って、あんまりけんかも、しなくなった。
他の子が、けんかをしたら、間に割って、やめなよ、と言える子になった。
私は、ココロの底から、泣きたくなるぐらい、そのことが、とっても嬉しかった。
そして、高校3年生の秋頃、大きい委員会の、
長をやっていた私は、誰に後を継いでもらおうかと、少しだけ、頭を悩ませていた。
だけど、すぐに、金島君の顔が頭に浮かんだ私は、ほっとした。
大丈夫、金島君がいる。彼なら、安心してまかせられる。
金島君、
私は、あなたが思っているほどに、良い先輩ではなかった。
だけど、あなたが、私を尊敬してくれたように、
金島君の背中を見て、育つ後輩が、出てくると、私は思います。
どうか、頑張って、あなたもまた、企救の顔に、なってください。
大丈夫、人の言葉に、耳をかたむけることが、出来るあなたなら、
この先も、ずっと、成長しつづけていくことが、できるでしょう。
期待しています。
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