新撰組ファイル


すっかり更新を怠っていたこのコーナー。
大河ドラマも新撰組に決定!新撰組のブームが再到来しそう。

大河の基礎知識としてここで勉強しておこう。
※写真は土方教の某信者。





局長 近藤勇(こんどういさみ)

強面で局長という1番上の地位にあるが、実は女好きでしかも甘い物大好きな人。
局長だけど、実際新撰組を動かしたのは副長の土方。彼はお飾り的な局長といえるかも。
京都に上り新撰組の局長になる前は農家出身で生まれ故郷の東京多摩で「試衛館」という小さな道場の主を務めていた。結構性格は温和で人情に厚かったようだ。
東京にいる頃に結婚したおつねさんとの間には、おたまちゃんという女の子が一人。
おつねさんはあまり美人とは言えなかったが、おつねさんと見合いをした際、近藤は速攻彼女との結婚を決めた。「もっと美人な人もいるのに・・・」という周囲の声に対し、「確かに彼女は器量良しではない。しかし心はとても美しい気持ちのいい人だから。」と 語ったらしい。なんていい人なんだろうΣ ( ´Д\)でも妻子を東京に残しているくせに京都では、美人姉妹を一挙に囲うなど、愛人を作りまくった・・・・。
私は、そんな彼のことを親しみを込めて「サミー」と呼称している。



副長 土方歳三(ひじかたとしぞう)

冷徹で美しいとしか言いようのない男。頭も切れ、世が世なら軍師だろうと言われている。
春と俳句(しかし下手)を深く愛し、ナルシスト気味。女には東京でも京都でもモテモテ。
「俺モテちゃって困るんだよね〜えへへ(#´∀`#)」という手紙も現に残っている。
新撰組副長になる前は、東京多摩の豪農の生まれで、実家に昔から伝わる打ち身薬の行商をしたり、今でも有名な松坂屋デパートに奉公に出ていた記録もある。
奉公先で女を孕ませてクビになったり、お盛んだったようだ。問題を起こしてはすぐにやめるフリーターみたいな生活を送っていたっぽ。
近藤が道場主の「試衛館」に通い、剣術を習得。近藤とはここで仲良しになった模様。
近藤とは「勝ちゃん」(近藤の幼名が勝五郎だから)「トシさん」と呼び合う仲だったとか。
新撰組では沖田と並んで1番人気。かくいう私も彼にはメロメロである(汗)
たくあんが大好きで、一樽まるごと背負って何キロも先の家に帰ったという逸話あり。
新撰組として最後まで戦い、北海道の函館で戦死。享年35歳。


   

副長 山南敬助(やまなみけいすけ)

土方と同じく副長。しかし、土方とは昔から折り合いが悪く性格が合わなかったらしい。
仙台藩出身で、学者肌。温厚で争いごとを好まない。冷徹で、争いごと大好きワッショイな土方とは犬と猿だったらしい。東京では流派は違うが「試衛館」の剣客として居候。
京都に上り、新撰組に入るものの、同じ地位の土方のやりかたに合わず隊を脱走。
「脱走は御法度(゜Д゜)」な新撰組にとっていくら東京時代からの古い仲間であってもこれは許されない。土方によって切腹が命じられ死亡。死ぬ間際土方の姿を見て「この九尾のキツネめ・・・」と言ったとか言わないとか。





参謀 伊東甲子太郎(いとうかしたろう)

8番隊長・藤堂平助に是非!とじきじきに懇願されて入隊した人物。
本名は鈴木大蔵・・・。甲子太郎という名は、入隊した年の干支が甲子だったので入隊を期にこの名前にしたとか。 剣も強く、思想も高く、しかも顔はハンサム。非の打ち所のないお人だったとか。隊内では英会話まで教え、「ぎいぶみい」「ぐうとないと」などと書いた教科書チックなものまで残っている。新撰組隊士は、彼に倣ってリピートアフタミーしていたのかと思うと笑える。実は彼は、薩摩藩(要は新撰組の敵)の間者(スパイ)だったらしい。新撰組を離れ、新しく党を立ち上げるが、土方らによって暗殺される。 因みに最初から土方は彼を気に入ってはなかったらしい。自慢気に頭の良さをひけらかす彼のことが嫌いだったのかもしれない。しかし局長の近藤は「伊東先生〜vv」と尻尾を振っている。結局彼はスパイ容疑で暗殺されるが(油小路の変という)その後土方は「ほら〜だから俺はコイツを隊に入れるの嫌だったんだよ!」と近藤に言ったとか言わないとかw
彼についての面白い(?)エピソードを1つ。妻のうめが、離れて暮らす彼に対し、「実家の母が急病です。早く帰ってきて」と手紙を送ってきた。びっくりした彼は急いで帰省するが、なんとそれは妻のうめが寂しさのあまりに書いた嘘だった。「国が大変な時に何考えてんだYO!ヽ(`Д´)ノ」と怒った彼はうめを離縁したそうな。奥さんはかわいそうだが、彼はそれだけ国事に真面目だった。という逸話でした。
因みに、坂本龍馬に「新撰組があなたを狙っています。気をつけて・・・」と告げ口したのも彼である。裏切りは良くないね。


1番隊長 沖田総司(おきたそうじ)

新撰組の1番隊長。1番隊長というからには隊の中でも1番強いということになる。
暴走族の組織でいうと、斬り込み隊長みたいなもんで、そうとう頼りにされていた。
白河藩(福島)出身。東京に移ってからは「試衛館」に住み込みながら剣術を習得。
とにかくめちゃくちゃ強かったらしい。人が1回剣を突く間に彼は3回突いたとか。
土方とは9歳差。近藤とは10歳差だというのに、剣の腕はこの2人より上だったという。
背は高く、色が浅黒い。ひょろっとした風貌だったとか。現代では「沖田は美形」と言われもてはやされているが、実は不細工だった・・・らしい( ;´∀`)土方・山南両人のことを兄のように慕っていたが、この土方・山南の仲が良くないので板ばさみになっていたことも考えられる。京都に上った後は、兄として慕っていた山南が脱走というショックな事件が起こるが、土方の非情な命令で彼自ら山南の介錯をすることに。彼のその時の心情は計り知れない。子供が大好きだったという逸話も残っているが、実は子供を集めて説教をたれてるだけで、嫌なやつだったという話も一部あり(汗)
労咳で若くして死亡。享年27歳。





2番隊長 永倉新八(ながくらしんぱち)

新撰組2番隊長。東京の士族の次男。東京では「試衛館」に居候。
2番隊長だから2番目に強い。ということになるが、実際沖田とか<なり張るくらいの強さで、人によっては「新撰組では永倉が1番強い」という人もいた程だというか らかなり強かったのだろう。彼は、沖田とは対照的にかなり長生きをした。明治維新後は名前を変え、北海道の小樽のとある家に婿養子に入り、「新撰組顛末記」を記した。年を取り、腰が曲っても強さは健在だったらしい。孫の手をひいて映画に出かけたとき。4〜5人のヤクザが彼に絡んできた。
しかし彼は動じることもなく、木刀を持つと曲がった腰ピーンと伸ばしヤクザ全員をやっつけてしまった。「これは人を斬ったことのある目だ!」とヤクザは逃げ出したらしい。最後は虫歯が悪化して死亡。流石の剣豪も、虫歯には勝てなかったようだ。
写真も若い頃と、老いてからの2パターン残っているが、なんとなく眠そうな顔をしているw 因みに江戸っ子っぽい気風のいい性格をしていたとか。





3番隊長 斎藤一(さいとうはじめ)

新撰組3番隊長。しかし、3番目に強いというわけでもなさそう。沖田・永倉と互角の強さで、この3人は甲乙つけ難かったとか。彼は人を微笑みながら斬るという逸話がある。
人を斬るということに関してはあまり罪悪感がない。というか、むしろ楽しんだっぽ。
いつも寡黙で余計なことを喋らず、隊内では中立的な一匹狼的存在だ。一般に彼はクールで黒髪の綺麗な・・・そんなイメージがファンの間では定着しているが、実際残った写真を見ると、正直目と耳がどでかくてサルっぽい(汗)刀の手入れが何より好きで、黙々と刀に打ち粉を施している。そんな姿が彼にはぴったりくる。ある意味土方より何を考えているかわかんない人。この人も明治維新後は、警察官や巡査長、最後は東京教育博物館に務めなかなか長生きしたらしい。新撰組にいたことはあまり話さなかったとか。新撰組の中ではあまりに陰的な仕事も多く、ゴルゴみたいな彼は実は会津藩の目付け役だったのでは?なんて説もあり。



               
4番隊長 松原忠司(まつばらちゅうじ)

新撰組4番隊長。彼には悲劇的な逸話が残っている。彼はある時、四条大橋でとある男とトラブルを起しその男を斬り殺してしまう。その男の死体を妻のいる家に送りに行くと、夫の死体を見た妻は号泣。自分が斬ったとも言えず、「あなたの旦那さんはなんか知らない男どもに絡まれて斬られました(゜Д゜)」と嘘をつく。嘘をついた罪悪感からか、彼はその未亡人の家にたびたび見舞いと称して足を運ぶようになった。そしていつしか恋仲に。これを耳にした土方に「自分で斬ったくせに嘘ついてさ〜ちょっと武士らしくないんじゃないのぉ?」とチクリと言われ、切腹しようとするが止められ失敗。その後平隊士に降格させられ屈辱を味わった彼は、その未亡人と心中してまう。風貌は坊主ででっぷりとした体格だったと伝えられている。



                    
5番隊長 武田観柳斎(たけだかんりゅうさい)

新撰組5番隊長であり、文学師範。なんか仰々しい名前だが本名は福田広・・・・。
この人物を好きだという人はあまりいないだろう。なんといってもエロじじいのおっさんなのだ(w
新撰組には美男五人衆と呼ばれる美男が五人いたが、その内の一人に露骨に言い寄り隊内の雰囲気は最悪に。もともと自慢大好き、説教大好きのくせに剣の腕はさっぱりで、隊のみんなには嫌われていた。いろいろな不満が募り新撰組の敵である薩摩藩に身を預けるようになる。
最後は斎藤一、篠原泰之進によって殺される。




6番隊長 井上源三郎(いのうえげんざぶろう)

新撰組6番隊長。東京時代は「試衛館」の門人。
彼に関するデータというのはそんなに残っていないが、現在のファンの間での
イメージは何故かいつもお茶を飲んでまったりしているお爺さん的キャラ。
別に年を取っているわけでもないし、年齢も近藤らと変わらないのに何故か。
この名前のせいなのだろうか。謎なのだ。愛称は「源さん」だったらしい。
鳥羽伏見の戦いで戦死したといわれている。




7番隊長 谷三十郎(たにさんじゅうろう)

新撰組7番隊長。備中松山藩の出身。
兄弟3人(三十郎・万太郎・昌武)揃って新撰組に入隊。
藩主に暇を出され、大阪で槍の道場をやっていたらしい。
末弟の昌武は近藤の養子となり、名を近藤周助と変えた。
新撰組が大きく名をあげるきっかけとなった池田屋事件では、得意の槍術で活躍。
これを機に天狗になったのか、隊内での態度がごう慢になっていく・・・。
「俺って強い?俺ってパーフェクト?俺って神かもね!?ヽ(`∀´)ノ」こんな感じ。
しかし、平隊士・田内知の隊内粛清に伴う切腹の際、介錯を任された彼はミスる。
俺のような腕のたつ剣豪ならば、首をバッサリと切り落とせる・・・・はずだった。
ところが、悲惨なことに狙いはそれ、肩にザックリ、頭にザックリ刀が入る・・・・。
のたうち回る田内・・・。場は騒然となり血の海に。これには見ていた土方も顔をしかめた。
見るに見かねた斎藤が「しかたないなぁ〜」とかわりに介錯してやり、田内はようやく楽になった。
その後、「あれ?谷さんって腕がいいんじゃなかったっけ?( ´,_ゝ`)」と、周りからの評価は一気に暴落した。かなり気まずくなったことだろう・・・・。その後は祇園で何者かに斬られ死亡。




8番隊長 藤堂平助(とうどうへいすけ)

新撰組8番隊長。もともとは浪人だが、津藩主のご落胤だという説もある。
剣の流派は違うものの「試衛館」に居候していたらしく、近藤・土方・沖田らとは昔からの仲間。
隊内ではかなり若い方だったらしい。同じ剣の流派で、道場での先輩だった伊東を新撰組に誘う。
伊東が新撰組を離脱して新しい党を立ち上げると迷わずこれに参加。彼は同じく流派の先輩である山南を敬愛しており、山南脱走事件に大きなショックを受けたのが離脱のきっかけだったとも言われている。
この行動は昔からの仲間だった試衛館のメンバーらを裏切る形になる。これには元・試衛館メンバーも衝撃を受けた。伊東は殺したいが、藤堂だけは助けたやりたいなあ・・・そんな気持ちが元・試衛館メンバーらによぎる。伊東暗殺実行の日。伊東の遺体を引き取りに来る残党らを始末するために、永倉達が物陰に隠れて待ち構えていた。その残党の中には彼もいる。永倉は藤堂に「お前は斬りたくない。逃げろ」と耳打ちするも、何の事情も知らない平隊士が突然彼に斬りつけた。これが致命傷になり死亡。




9番隊長 三木三郎(みきさぶろう)

新撰組9番隊長。伊東甲子太郎の弟。
後伊東らと脱退し鈴木三樹三郎と改名。
油小路の変(伊東一派暗殺襲撃事件)では死地を脱して薩摩藩藩邸に逃げ込み、
その後、悔みから近藤を襲撃して重傷を負わせる。
晩年は警察署長などを歴任した。





10番隊長 原田左之助(はらださのすけ)

新撰組10番隊長。
彼は土方よりもずっととびきりの美男だったと言われている。
性格はかなり豪快。ケンカっぱやい性格だったようだ。
伊予松山藩(愛媛県)の足軽原田長次の長男として生まれる。
江戸で同伊予松山藩の藩邸で中間をしている時、近藤らと知り合う。
国元で足軽をしている時、武士とケンカに。
「お前切腹の作法も知らないのかYO!(*`▽´*)」馬鹿にされ
かなり腹が立った彼は、「知ってるっつーの!なんならやって 見せるか(゜Д゜)ゴルァ 」
と、まじで腹を切って見せた。傷は浅かった為、一命は取り留めたがずっとその傷は残ったという。
新撰組でも「俺の腹は刀の味を知っているんだぜ。」と腹をぴしゃぴしゃ叩いて見せたとか。
池田屋事変・油小路の変共に活躍。刀はあまり得意じゃないが、槍の腕はそうとうだったらしい。
彼はこの新撰組に在籍している最中、まさという妻をめとり、間に茂という男の子を設けた。
後々近藤と方針の違いで永倉と共に新撰組を抜け、靖共隊に参加。しかし途中で脱退。
戦死したらしいが、その暴れん坊ぶりから満州に渡り馬賊の頭になったとかという逸話あり。
日露戦争最中、ある若者兵士が老いた同僚兵士に「俺は昔新撰組にいたんだよ(´∀`)」
という話を聞いたという話もある。
実は戦死をせず日露戦争に参加したのが原田なのか?という説もあるが真偽は定かではない。
妻まさの写真が残っている。






監察方 山崎丞(やまざきすすむ)

知る人ぞ、知る。新撰組の中でも何気にファンが多い彼。
監察とは、今で言うスパイ。ある時は商人。ある時は武士。そしてある時は町娘。
キューティーハニーも真っ青な七変化をして町で敵方の情報を集める諜報部員。
新撰組には何人かの監察方(諜報部員)がいたが、その中でも彼は絶大な信頼を寄せられており、監察の中の監察たる人物だったとか。
特に隊の運営を実質的に司っていた土方副長には殊更に可愛がられたらしい。
土方の手となり足となり、昼夜問わず過酷な仕事を果たしていた彼は、まさにキングオブ仕事人の名に相応しい。彼が一番の活躍を見せたのは池田屋事変といわれているがどうやらそれはフィクションらしい。
何より彼は褒美をうけたという記録がない。
大阪で医者の息子として生まれた彼は、京大阪の地理に詳しいことと、無口で頭脳優秀だったことから
諸士調役兼監察という探偵方と隊内の取り締まりという厳しい仕事を任されていたようだ。
広島にも1年ほど潜伏し、敵方の長州の動向を探索していたこともある。
そして後には副長助勤に昇格。鳥羽伏見の戦いの時に負傷し、大阪で死亡したとか。
また、江戸に向かう途中の船(富士山艦)内で死亡し、水葬されたという逸話も残っているが、
どうやらそれもフィクションだという説が最近では有力。
新撰組お抱えの医師・松本良順から西洋の救急法を学び、「われは新撰組の医者なり。」
と言って周囲を笑わせるという一面もあった。
写真は『新撰組血風録』で山崎を好演した坂口祐三郎氏。
残念ながら今年の夏に急逝されました(涙)私の中での山崎のイメージはこの人ズバリなので貼ってみた。
因みに山崎その人の写真は残っていません。


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