ファンタジー好きの住処〜オンラインロープレについて〜


「果てしない物語」と云ふ物語をご存じでせうか。 ミヒャエル・エンデの名作で「ネバーエンディングストーリー」と云ふ題でハリウッドで映畫化されました。 ちなみにミヒャエル・エンデは私が好きな數少ない物語作家の一人です。

チビでデブで臆病者で、おまけに勉強も出來無い少年バスチアンが(この主人公の設定が、なんともアレだな)、 古本屋で見つけた「果てしない物語」と云ふ本を讀んで行くうち、本の中の世界「ファンタージエン」が崩壞の危機にあり、バスチアンの助けを求めてゐることを知ります。バスチアンは本の世界に入り込みファンタージエンの女王に名前を與へることによつて、この世界を救ひに導くのです。

本好きなら一度は思つたことがあるとがあるでせう。本の世界へ行つてみたい、と。實際本の世界へ行くことなど出來無い、でも行つてみたいといふ、本好きの心理を上手くついたのがこの「果てしない物語」ですが、昨今の技術の進歩は凄まじいものがありますね。斯樣な本好きの望みを疑似的に滿たしてくれる利器が巷には溢れてゐます。テレビゲームといふやつです。取り分けドラゴンクエスト(DQ)やファイナルファンタジー(FF)などに代表されるロールプレイングゲーム(RPG)は、物語性の強さから本好きの中には以外とやつてゐる人が多いかもしれません。
RPGには世界觀があり、その世界に自分が名付けたプレイヤーを操作することによつて、強く感情移入することが出來ます。この感情移入こそがRPGの要素としては一番重要なのです。何故RPGが面白いかと云ふと、自分が劍や魔法を操る正義の味方になつて世界を救ふと云ふ設定にh現實に對する如何ばかりかのカタルシスを感じるからでせう。
最近のFFシリーズは面白くないと良く云はれますが、その理由はプレイヤーの意思が以前ほどゲームに反映されなくなり、それ故感情移入できなくなつたからだと考へられます。もしくは、ストーリー自體が駄目なのでせう。
ところで、RPGと云ふジャンルは、他のジャンルと違ひ、二人プレイが出來ません。大抵は獨りで遊ぶものです。さう云へば本と云ふメディアも、獨りで讀むものです。何故かと云ふと、他人がゐると現實とは違ふもう一つの世界(所謂自分の世界)に入る邪魔になるからです。もう一つの世界に入ると、獨り言を云ふ人もゐますし、恍惚とした表情を浮かべる人もゐるでせう。大抵の人は斯樣な自分の醜態を他人に見られるのは御免です。(ちなみに私は、友人の隣で漫畫を讀んでゐて、莫迦笑ひしたところを怪訝な表情で見られたことがトラウマになつてゐます。)
漫畫や本を熱中して讀んでゐる時に、急に電話がかかつて來りすると物凄く嫌な氣持ちになることがあるでせう。あれは、もう一つの世界から急に現實の世界に戻されるから不快になるのです。
基本的にもう一つの世界へは自分獨りでしか行くことが出來無いのです。
かうして考へてみるとRPGと本、取り分けファンタジーには多くの共通點があることに氣づきます。
最近珍しく活字界で大ヒットしたファンタジー小説「ハリーポッター」は、その話の展開がRPG的であると何かの雜誌で評されてゐましたが、成立した順序から云へば、RPGこそがファンタジー小説的である、と云ふことが出來ると思ひます。
RPGとファンタジー小説、メディアこそ違へど、その根本は同じものであることが分かります。
DQもFFも、發賣されれば、相當數賣れることになります。ブランドの強さが原因といへるでせうが、やはりそれだけファンタジーといふ、もう一つの世界を求める人が多いのでせう。
そんなRPGのジャンルに最近エポックメイキングな出來事が起こりました。RPGの世界をインターネットを用ゐて不特定多數の人と共有しようと云ふ、オンラインRPGが登場したのです。
このオンラインRPGは二つの面でエポックメイキングであると云へます。第一にテレビゲームを不特定多數の人とやることが出來る樣になつたと云ふこと。第二に、もう一つの世界を不特定多數の人と共有出來る樣になつたといふことです。第一のことについては誰もが良くわかつてゐることなのでここで言及する必要は無いでせう。ここでは第二のことについて述べることにします。
先にも書いた樣に、もう一つの世界は自分獨りでしか行くことが出來無いと書きました。もう一つの世界とは、云はば自分の願望希望怨念妄想、樣々な情念の入り交じつた、自分にしか理解することの出來無い空想の世界なわけです。
赤毛のアンにこの樣なエピソードがあります。
アンの青年期のこと、親友であるダイアナに、自分の想像の世界を聞かせると彼女は、アンの想像力にはついて行けないと云ふのです。 もう一つの世界へは自分獨りでしか行くことが出來無いことを、アンは成長するに從つて知ることになるのでした。
もう一つの世界へ行くことの樂しみを知つてゐる人は、その世界を非常に大事にします。しかし、獨りでしか行くことの出來無い寂しさも同時に感じてゐると思ひます。
そろそろお氣付きのことでせう。オンラインRPGは、その樣な獨りでしか行くことの出來無いファンタジーの世界に不特定多數の人々をリアルタイムで存在させることに成功したわけです。
しかし考へてみれば、パソコン通信の頃から續くチャット機能も、獨りの世界の多人數による共有といふ側面をもつてゐたといへます。インターネット中毒になる人は案外斯樣な理由ではまつていつたのかもしれません。そのチャット機能に、明確に世界觀とファンタジーの意匠を與へたのがオンラインRPGであるといふことができませう。

今囘何故この樣なことをか書いたのかと云ふと、實は今私はラグナロクといふオンラインRPGにはまつてをりまして…どうも當分ここから拔け出せさうにないのです。何故拔け出せないのか、を考へた結果が上に述べた通りなわけですが、兔に角面白い。本當に自分がファンタジーの世界の住人になつた樣な感じがします。このままファンタジーの住人になつても良いかも、等と莫迦なことを考へる位になりました。現實生活に支障を來すのも時間の問題です。
あ、さういへば、まだ「果てしない物語」の上卷の粗筋しか書いてゐませんでした。下卷はかうなります。

その後バスチアンは、ファンタージエンの世界で、自分の望みを次々と適へて行くのですが、 それだけで終はらないのがこの物語の凄いところ。次々と望みを適へて行くと、その度に自分のことを忘れていくのです。 そして完全に忘れた時、現実世界に戻れなくなり、かつてファンタージエンの帝王とならうとした者たちが住む街を徘徊する廢人となつてしまふのです!!

エンデは平衡感覺の優れた人ですね。ファンタジーを求めなくなつた現代人を痛烈に批判した後、ファンタジーに溺れる人にも警告を促したのです。エンデはファンタジー作家であるが故に、その中毒性を見拔いてゐたと云へませう。さて、私もファンタージエンで徘徊する廢人にならない樣にしなければ。まだ間に合ふかな。


2002/10/01
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