音楽が人の心を癒す。
この効果は臨床心理学的にも立証されていて、心の病だけでなく
痴呆や知的障害を持つ人たちの心さえも揺り動かすという、人の心にとって非常に効果的で画期的なものだと思う。
私にとっての音楽。
学生時代、クラスメイトたちがアイドルや人気アーティストの話題で盛り上がる
中、私はその輪に入る事が出来ずにいた。
どうも、昔からポップスは苦手だった。私にとっては元気の良すぎる曲ばかりで
耳が痛くなるだけであったからだ。
歌詞にも今一共感できずにいた。
そんな中でよく聴いていたのは、宮崎映画の音楽だった。
幼い頃、初めて見た宮崎映画は「天空の城ラピュタ」。あの弦楽器の重なり合う音色、荘厳さ、優しく響くピアノの音色。
幼い私にとって、それはとても衝撃的なものであった。
それが、今に通じるきっかけであったのだろうとも思う。
小学生の時、ピアノを習っていた友人が「ラピュタ」の曲を弾いてくれた時には
とても感動したものである。
それに対しての憧れが忘れられず、
高校に入りたての時に小さなキーボードを買って、一生懸命
鍵盤の足りる限りラピュタの曲を練習していた。
高校を卒業すると、自分はどうして生きていたらいいのか解らず、
自由職を選ぶと、とにかく自由と言われるがままにいろいろな職種を経験した。
色々な人と出会い、そして色々な事と感じながら過ごしていく日々の中で貯めた給料から電子ピアノをやっとのことで購入し、
ピアノを習い始める。
40数鍵盤しかなかったキーボードから88鍵盤、そしてペダル。
1音叩いて響かせるだけでとても癒されていた。
といっても音楽奏法を殆ど理解しておらず、バイエルをやっていた当初自分を満足させる曲など弾ける訳もなく、ピアノ曲集のCDを聞いてはピアノに対する憧れを募らせていった。
今でも衝撃として心に残っているのは、ヴラジミール・アシュケナージのショパン。
彼の正確な演奏法と力強さに圧倒されて、心はクラシックと波長を合わせ始めていた。
幻想即興曲、英雄ポロネーズ…。
私の心ははすっかり華々しいその音色の虜となっていた。
そうならざるを得ないほどであった。
それとドビュッシーの月の光と、亜麻色の髪の乙女…。
静かにゆっくりと流れるリズムは優しく心を癒してくれた。
ピアノの音色は気づけば私のいつも傍にいた。
ピアノを習い始めて半年。
教室の中で発表会があり、私はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を弾いた。
その発表会前後、
精神的にかなり落ち込んでいた時期にあった私はネガティブな考えしか持てずにいた。
死んでしまいたいと、そればかり考えては明日に何も見出せない日々を送っていた。
そんな時、自分の不注意で階段から落ち、足を痛めた。
全治3ヶ月。
どこか遠くに行ってしまいたいと思っていた矢先であった。
家から出る事もできず、ずっと自室にこもるしかなかったその生活は精神衛生上、良いわけがなく、心は静かに闇の中に埋もれていくだけであった。
そんな中で、ピアノの発表会は行われた。
「亜麻色の髪の乙女」。
これは、「亜麻色の髪の乙女」がどこか遠くにいる大切な誰かの事を想う、
そんな曲。
4分にも満たないその曲の中で、こんな精神状態にも関わらず、美しい水彩画が頭の中で無意識にも浮かんだ。
真っ白なワンピースを着た、美しい少女が、湖の上を軽やかに
飛び跳ねたりする、不思議な絵であった。
水の波紋が心を静かに癒し、自分の演奏に自分が癒されてしまっていた。
私の演奏を聴いた者がどう感じたのかは解らない。
強弱、音の長さなど楽譜に記されている演奏奏法を完全に無視した
自分勝手な曲であったに違いない。
けれど、私は私の曲を弾く事ができたという満足感を得た。
これが私にとっての音楽療法の一つだと思う。
聴く事によって癒される事もあるけれど、自分の心を、自分で演奏する、
即興詩ほど自由ではなくても、自分の心を音色にすることがどれだけ精神的に良い意味での衝撃を与えるかという事を知ってしまった。
だから、音楽とは離れたくない。
今、この文書を打っている間にも私の傍らで静かに音楽は流れている。
心を癒す、自分を見つける、自分を知る。
人に心が存在する限り、音楽はあり続けるものであると考える。
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