心地よいとは少しいいがたい冷たい風が唸る。
折角咲いた桜の花びらが舞い上がるのを恨めしそうに見上げながら歩く連れを心配して少女は彼を手近なベンチに誘った。
少女の隣に座る連れの少年は飽きもせず桜の花びらを目で追っているようだ。
少年は桜の花びらを目で追いかけてはいたが意識は過去に飛んでいた。強い春風が二人の髪を弄ぶ。
「俺、樋口のこと初めて見たとき桜の精かとおもったんだ」
少年が二年前おもったことをふと、告白する。
少女は微笑む。
「桜が散ったら樋口も消えちゃうかとおもった。」
隣に座りこちらを見上げている少女を見つめる。
少女はベンチの上に置かれた少年の手の甲に自分の色白い手をそっと乗せ
「花が散っても消えませんよ。『木』ですから。」
にっこり微笑みながらそう言った。
少女は立ち上がり桜の木に歩み寄る。
少年は少女を目で追う。
少女は少年の双眸を一度哀しそうに見つめ俯きながら言葉を紡ぐ。
「でも、ね。好きな人に正体を知られてしまうと、消えなくてはならない決まりなの・・・」
「樋口?」
少年はゆっくりと立ち上がり少女に歩み寄る。
「さよなら、勇人―」
「樋口!!」
少年が叫びながら桜の木に走り寄ると一陣の風が勇人を通り抜けた。
其処には少女の姿はなく桜の花びらがサァッと舞っているだけだった。
勇人は桜の木に凭れかかりながらその場に崩れ落ち、桜の木の根元に両手を突くとゴロンッと仰向けに寝転がった。
深く息を吐き目を閉じる。
目を閉じてもなお桜の花びらは消えない。
両手で閉じた目を覆う。
土の匂いがした。
パラパラと桜の花びらが勇人に降り積もる。このまま桜の花びらに包まれていたら自分も桜の精に生れるだろうか?
桜の花びらは舞う。
勇人の胸元に桜の花びらではない何かがパサッと落ちてくる。
頬と手に温かい感触があったかと思うと唇に桜の花びらが落ちてきて更に何かが触れた。
勇人の手に触れている温かいものはどうやら誰かの手らしい。
温かい手に目を覆っていた手を退かされ視界が明るくなる。
ゆっくりと目を開けると消えてしまったとおもっていた少女が勇人の顔を覗き込んでいる。
「樋、口?」
「お目覚めですか?王子様」
勇人は覚醒し、上半身を起こし綾の手を掴む。
「痛いっ、です」
「ご、ごめん。」
苦笑しながら勇人を見つめる綾の唇に桜の花びらがついている。
勇人はそっと花びらを取る。
「あ、花びらさんに邪魔されてしまいましたね―」
頬を桜色に染める綾の唇を奪う。
今度は花びらの邪魔は入らなかった。小さな子供のようにしがみついてくる勇人の頭を綾は優しく撫でる。
「樋口。俺、騙されたの?」
勇人を撫でる手が止まる。
「だって、新堂君『桜の精』とか言うから、わたしも何か気の利いた嘘言わないと!とおもってしまって・・・」
「なんで?」
「今日、エイプリルフールでしょ?」
そう。
本日四月一日エイプリルフール。
嘘を吐いてもいい日。
勇人は綾を抱き締めながら倒れ込む。
お互いの息がかかる距離で勇人は綾を見つめる。
「俺は嘘言ってないぜ?」
綾はバツが悪そうな申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「本当に桜の精かとおもってたんだ。」
「ごめんなさいっ」
と、いいながら両手で顔を覆う綾。
勇人は綾の両手を掴み退かして隠されていた彼女の顔にやさしく微笑みわざとらしい明るい声を出して言う。
「ゆるしてやらないこともないけどな」
「本当ですか?」
「うん。名前で呼んでくれたらゆるす。」
綾の顔は桜色を越えて牡丹色になっている。
「さっき言ってただろ?ん?」
意地悪く首を傾げて見せる。
綾は困った顔で恨めしそうに勇人を見つめる。
「言わないとキスするぞ。」
「・・・言ったらしてくれないのですか?」
ゆっくりと更に二人の距離が縮む。
「言ってもするよ、綾―」二人の熱を冷まそうとするかのように吹き続ける春風の威力など勇人と綾には全く効果が無い。
ただ、ただ、桜の花びらが舞うだけだった。