| 芳香孕んだ軽き気空は、いとすべらかに、湖畔の水面を波立たせ渡る。
ふいという音に、風一陣、残照残す西より吹きて、
朧なる朱を古木に宿せし。
迫る夕闇にぼやりと浮かぶ、微光にも似た薄紅花の
名をば「まぼろし」と人は呼べり。
さて、この「まぼろし」の花の七部なる頃に
若き蔵人がこの木を訪れた。
この蔵人は、「まぼろし」を見るなり、己が腰に帯たる太刀を、
鞘ごと高くへ翳しあげた。
暫時、すらりと、抜き身の太刀の白い腹や煌めき
流るる洗い髪は揺れ、薄衣の裾を翻し「まぼろし」剣舞を舞い始めり
蔵人「まぼろし」の舞うを見て、眼に涙浮かべる
陽炎と人の心葉よりいずる想いに泡沫の命を得
薄紅の燃ゆる様は人を夢現の幻視にいざなう
残照失せ、夕霧の迫る頃「まぼろし」名残もなく闇に溶け
蔵人の頬に涙の筋のみ取り残されり
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