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接近

 光は太陽の熱の冷め切った道をネオンの灯りを目指し歩いていた。

あの日、star‐voiceで交わした由宇の手の感触に不安を感じ始めた光の足は自然と速くなる。

 この道は最近よく通る。リョーコの弟に声を掛けられたのもこの通りだ。

彼女はいつもあの細道に消えて行く。

 光は足早に通りを横切りながらその細道に眼を走らせる。

ふと、光の瞳の端に小さな人影が見えた。

誰か、うずくまっている。

光はその人影を捕らえると反射的に細道に飛び込んだ。

 

見覚えのある細い肩のシルエット。

 光はその肩に恐るおそる手を掛ける。

ぱっと黒髪がはじいて白い顔が振り返る。

その瞳にはうっすらと涙が浮かび、眉には不安の色が漂っている。

光は細道の明りに目が慣れてくると同時に彼女が右足をかばっていることに気付いた。

その小さな膝には鮮血が滲み痛々しい。

それを見るとすぐに光は彼女を抱え、宝物を運ぶように慎重に歩き出した。

 この時間、診てくれる病院といえばこの辺りではあそこしかない。

以前、光はその病院によく世話になった。

度々の喧嘩の打撲や切り傷。そして、何より彼が声を失った時、良くしてくれたのが、そこの先生だった。

 細道から裏通りに入って歩くこと20分。

光は彼女の温かさをその腕に感じることはあっても、重さは少しも感じなかった。

「松浦医院」と書かれた看板は電球が切れかかっていてチカチカと不規則に点滅している。

光はドアを足で軽々と押し開けると彼女の傷ついた足を気遣いながら玄関をくぐった。

そして緑色の古びたソファーにゆっくりと彼女を座らせると、受付の窓ガラスを軽くノックした。

ガラスが開くと白髪の婆さんが老眼鏡をかけ直しながらひょっこりと顔を出した。

「あれ。ひかるさん。」

「婆ちゃん、先生居る?」

「ああ。居られるよ。」

「ちょっと、診て貰いたいんだけど。」

「その、べっぴんさんかい?」

「うん。」

「妊娠でもさせたんかい?」

「っ!何云ってるんだよ!そんなんじゃないよ!...!怪我してるんだよ!」

「あれ。こりゃ。あの、ひかるさんが、赤くなっとるよ。ひひっ。」

「婆ちゃん!!」

「はい、はい。せんせ〜。久々にひかるさんがお見えですよ〜。えらいべっぴんさん、御連れですよ〜。」

 

 奥で婆さんと先生の話し声が途切れとぎれに聞こえた。

光はソファーの彼女の横に静かに腰をおろした。

彼女は光を信頼しきった瞳で見ている。

しばらくすると受付の隣の戸が開いて婆さんが出て来た。

そして彼女の膝の傷を見ると、その手を引いて診察室の方へ連れて行った。

婆さんは不安そうな光の方をふり返ると

「ひかるさんはここで待っとり。だいじょうぶやて。」

と笑って戸を閉めた。

 松浦医師は40代後半位に見えた。

目鼻立ちの良い顔に綺麗に化粧をして、赤い口紅を引いている。

彼女は涼子の傷口を消毒しながら訊ねた。

「どこで怪我したの?」

「赤レンガの通りを細道に入った所です。自転車にぶつけられて」

「この足でよくここまで来られたわね。」

「ヒカルさんが抱えて連れて来てくれたんです。」

「・・・傷口はこれでよし。一応レントゲンを撮るけど、他に打ちつけた所はない?」

「はい。」

「今は平気でも後から痛んでくる事もあるから、異常があったら明後日にでもまた来て、その時に言ってちょうだい。」

「はい。晩くにありがとうございました。あの今日、保険証を持ってないのでまた持ってます。」

「あぁ。・・・お金はいいわ。その代わり頼みたいことがあるのよ。」

「はい。」

松浦医師は涼子のまっすぐな黒い瞳を見つめて静かに言った。

「光のこと見てやって。あの子は心にすごく弱い部分を持っていてね。

強がってはいるけど、誰よりも寂しがり屋なのよ。

昔、いろいろあってね。

それをまだ引きずっているのよ。若いのにあんな瞳をして・・・」

「私で役に立つでしょうか?」

「あなたじゃなきゃ出来ないのよ。

光はあなたをすごく大切にしている。

ひとを大切に想えるのは光の心にとってすごくいいことだわ。・・・あなたは光のことどう思う?」

「えっ!」

涼子は見る間に赤くなった。それを見て松浦医師はうれしそうに微笑んだ。

 


 涼子が待合室に行くと光が駆けよって来た。心配そうな光に涼子は

「ありがとうございました。大丈夫です。」

と笑って見せた。受付の婆さんが薬を用意してくれた。

「これ。化膿止め。御飯の後、飲んでな。それから、これはよう効くで。包帯代える時ぬりなさい。そんぐらいの怪我すぐに治るから。」

 婆さんにお礼を言うと、二人は光が呼んでおいたタクシーに乗り込んだ。

運転手に涼子の家の方角を告げると後部座席に並んで座った。

少し沈黙があった。しかし決して居心地の悪い沈黙ではなかった。

その沈黙を涼子がゆっくりと開いた。

 

「ヒカルさん。ヒカルはどういう漢字を書くのですか?」

「光と闇の光です。」

「じゃあ、光源氏の光ですね。」

光はマリーが「光源氏っていうのは日本一の遊び人よぉ〜。」と言っていたのを思い出した。

しかし涼子の言葉はそんな含みは全くないようだ。

やわらかく笑っている。ほっとして今度は光がたずねた。

「リョーコはどんな字を書くの?」

「涼しいの涼。さんずいに・・・」

「こう?」

光は指で空を切って字を書いた。

「あ。そうじゃなくて。こうです。」

涼子は光の手を取るとその掌に「涼」という字を丁寧に書いた。

光の冷たい掌に涼子の温かい指の感触が残った。

 その後、運転手のおじさんも交えて「子連れ狼」の話に花が咲いた。

タクシーは名残おしそうに涼子の家の前に着いた。

 

 涼子が玄関を開けると朗が飛び出してきた。

「姉さん!こんな時間までどこ行ってたんだよ!」

「ごめん。ちょっと怪我して病院に寄ってたの。」

「怪我って!大丈夫?」

「うん。レントゲンも撮ってもらって異常ないって。」

「よかった。でも、心配するだろ。電話くらいしろよ。」

「うん。ごめん。」

「でも、こんな時間にどこの病院?」

「松浦病院。」

「あのボロいとこ?ずいぶん遠いな。」

「うん。でも光さんが送ってくれたから。」

「光って、あの姉さんに付きまとってる怪しい奴じゃないだろうな。」

「朗。光さんはいい人よ。」

「姉さんはだまされているんだ。あいつの正体を知らないからそう言うんだよ。」

「正体って?」

「・・・とにかく、あいつはダメだ。姉さんを不幸にする。」

「朗?」

 

 

 外で姉弟の会話を聞いていた光はため息をついた。

すると、いつの間にか横に来て一服していた運転手のおじさんがマイルド・セブンを勧めながら、

「がんばれよ。あんちゃん。」

と言って歯を見せて笑った。

光はそれをありがたく受けると、運転手に次の行き先を告げた。

 star-voiceへ。光はどうしても行かなければならなかった。


進展・・・そしてまた夜の世界へ

story by ☆

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