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独白

 

煙草の匂いも、香水の匂いも、…苦手だった。

でも、どうしてだろう、あの人の腕の中だと何も嫌じゃなかった。

今、ドキドキしているのは、きっと事故の所為じゃない……。

 

朗はなんで光さんのこと、警戒するのかな?


story by 影

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再び夜の世界へ

 

涼子の家を後にしたタクシーは、沈黙を乗せたまま煌びやかなネオン街を目指してひた走る。

一つ、また一つとネオンの輝きが増すごとに、

先ほどまでの涼子との時間が幻であったかのように思われて、光は意図せず掌を軽く握っていた。

「そうじゃなくて。こうです」

そう言いながら彼女が名前を綴った掌が、まだ温かみを覚えている。

光は彼女を抱きしめる代わりに、その掌をただ無言で握っていた。

しかし、不意に、その手に昨日の由宇の手の感触が甦り、

光は途端に現実へと引き戻された心地がして、顔を上げた。

すると彼の瞳には眩いネオンの手前に連なる赤い車のテイルランプが目に痛いほど飛び込んできた。信号待ちの車の列だ。

 

 あと一つ信号を過ぎれば、star-voiceはもう目の前だ。

 

光は深く息を吸うと、再び瞳を閉じ、長い息を吐いたのだった。

 

 

 

「あ、光さん!」

star-voice店内に入るなり、そう声をかけて来たのは輝だった。

いつもなら落ちついた雰囲気を保っている店内が、今夜はどういう訳かざわめいている。

光はその奇妙な空気に、少し怪訝な顔をして輝に「どうした?」と尋ねてみた。

すると輝は一瞬あたりを窺うような視線を周囲に走らせると、

声のトーンを通常より一つ落として光にこう告げたのだった。

「ちょっと、トラブルがあったんですよ」

 


トラブルだって?

一体何が起きたっていうんだ?

輝に付いて店の奥へと進む。

ジャリ・・・

足元へ視線を落とすと、

ガラスが散らばっていた。

「ほとんど片付けたんですけど、まだガラスが散ってるんで気を付けて下さいね」

そう言いながら、輝は店内を足早に横切り、奥の事務室へと光を導いた。

その際、光の目にはチラと倒れた机や椅子を並べなおすホストたちの様子が目に入った。

「今日は、オーナーは?」

おもむろに、光はそう尋ねてみた。すると、輝は扉を開きながら、軽く振返ってこう言った。

「今日はこちらにはいらっしゃらないとの連絡がありました。ママも今日は向こうのお店の日ですし」

その言葉を聞きながら、事務室へと足を進めた光の目に、

ソファに前かがみで腰掛ける翼の姿が目に入った。

翼は左頬に水袋を充てながら、はっと、光の方へと顔を向け、そして視線を逸らした。

「どうしたんだ、翼?!!その顔は?」

透明な水袋を通して、翼の左頬が紫色を帯びているのがわかる。

明らかに殴られてできた痕だった。

けれど、翼は「済みませんっ!」と謝ってばかりで、ことの詳細を詳しく語ろうとしない。

仕方なく、光は詳しい状況説明を求めようと、翼の前に屈み込んだときだった。

光の背後から、急に言葉が投げつけられた。

「チンピラが乗り込んできたんだよ。

お客の一人がそのチンピラの女らしくてね。

ま、痴話げんかのようなものだったんだけど、男が余りに女を殴るものだからさ、

彼が女を庇ったんだよ」

そう言いながら、由宇は翼に氷の詰まった袋とタオルを手渡した。

そしてそのまま、彼は「店の片付けを手伝ってくるよ」と部屋を後にしようとした。

だが、その際由宇はこんな言葉を光に浴びせた。

「オーナーも、ママもいない状況で、主任の君は一体どこで何をしていたんだい?」

 

 

「だいたいは由宇さんの言葉の通りです」

沈黙した部屋の空気を察して、輝が語り始めた。

「翼が接客をしている所に、急にチンピラが一人でやってきて、

お客の女性を連れ出そうとしたんです。

最初は言い争いだったんですけど、それが急に殴り出して、

余りに酷いので、翼が静止させようと間に割って入ったんですよ。そしたら…」

「殴られたわけか」

「はい。終いにチンピラはナイフまで持ち出して、振回し始めたんです」

その状況がどんなに大変だったか、光は容易に想像できた。

時折、ホストクラブに通う女に腹を立てた恋人などが怒鳴り込んでくる事があったからだ。

そのような事態に光はとうに慣れていたが、翼にとっては初めての出来事だった事だろう。

「よく、俺なしに対処できたな」

光は、そう翼と輝を褒めたつもりだった。

所が、それまで状況を語ろうとしなかった翼が急にポソリと、思いがけない言葉を口にした。

「由宇さんが。由宇さんが助けてくれたんです」

その言葉に驚いた光の後ろから、輝が言葉を付け加えた。

「事を鎮めたのは由宇さんです。

あの人がナイフを振り回す男を説得して。

見事なものでした。

あそこで大立ち回りでもしていたら、店の評判もがた落ちでしたし、怪我人も増えていました。

それを話術だけであっさり治めてしまったんです」

 

「本当に凄いんスよ。俺の目の前で、あんなに暴れていた男に、由宇さんが二言三言言葉をかけた途端、男はナイフを持った手を下ろして…」

そう語る翼の目には、由宇への尊敬と畏怖の思いが込められていた。

思いがけない翼の目に光は少なからず動揺した。

今までは、自分にしか解決できない問題があった。

この店で必要とされていたし、この店で働いているほとんどの人から尊敬のまなざしを向けられていた。

そのことは、今でも変わっていないかもしれない。

しかし、今、この瞬間、翼が尊敬の念を抱いている相手は由宇だ。

そのことに光は軽いショックを覚えていた。自分の一番の居場所だったstar-voiceが変わっていく。

しかし、star-voiceが変わる前に変わってしまったのは自分だ。

そして、star-voiceと自分との距離をおいたのも自分自身なのだ。そのことに、光は気付いていた。

「ふっ・・・。」

光は自嘲気味に声を漏らした。

「ん?何かおっしゃいました?」

「いや、なんでもないよ。」

そう言って光は笑ったが、

それが淋しさを押し殺した笑顔だということに翼は気付くことが出来なかった。

 


由宇の台頭

story by 仁々 + 光 + りん

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