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ベンチの約束

 

渇いた落ち葉が、赤いレンガの歩道にガリリと爪を立てている。

見上げた太陽は、空の高みを少し過ぎたあたりを、時折雲に隠れつつ、ゆらゆらと漂っている。

 いつの間に、世界はこんなに冬に近づいていたんだろう・・・

頬を撫でて吹き過ぎる空風に、光は無気力にそんなことを思った。

そして彼は腰掛けたベンチの背にもたれかかりながら、ただぼんやりと暗く輝く太陽を見ていた。

鈍い光の太陽は、それでもチカチカと目には痛く、彼は一瞬、泣きたい気持ちで瞳を閉じた。

閉じた目の奥のほうが、ジンと痛くて、熱かった。

 

 自分のただ一つの居場所は、もう無くなってしまった・・・

 star-voiceは変化していく。

 俺がいてもいなくても、店はもう大丈夫だろう。

 それでよかった。そうなって欲しかった。

 これで、心おきなく店を辞めることができるじゃないか。

 そうだよ、俺が望んだとおりになっているじゃないか。

 それなのに・・・・・

 

 

光はおもむろに瞳を開いた。

すると薄鼠色の空の姿はぐにゃりとゆがんで見えたのだった。

「それなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう・・・?」

 

「光さん??」

 

そのとき急に、光の背後から声がした。聞き覚えのある声に、彼は思わず振り返った。

すると、そこには・・・・


・・・彼女だ。

なぜか今まで心に刺さったガラスがとれた気がした。

 

「・・・怪我はもういいの?」

「あっ。ええ。」

彼女は恥ずかしそうに、右足の上のスカートを揺らした。

 

「こっ、この間はどうもありがとうございました。

 私、ずっと光さんにお礼が言いたくて・・・・。」

「いや、お礼なんて。あっ、よかったらここ。

 ・・・でも綺麗なスカートが汚れちゃうね。」

「いえ、そんな。」

「ちょっと待って。」

 

「えっ、光さんのマフラーが。ダメですよ。」

「いいよ。」

「でも・・・」

「・・・・かえって座りにくいかな?ごめんね。」

「すっ、・・・座ります。」


「あの・・・。この前お守りを頂いてきたんです。

 ・・・私ってドジだから。この前光さんに助けていただいた時も・・・。

 で、で、これ・・・光さんの分も・・。私と同じものなんですけど、この前のお礼で。」

彼女の手には、ガラスの中にマリア像が埋め込んである小さなプレートがあった。

薄いブルーのそれは、太陽の光を受け素直な輝きを放っていた。

「・・あっ、お守りなんてきっと迷惑ですよね。ごめんなさいっ。」

顔を赤くして立ち去ろうとしていた彼女の手を俺は掴んでいた。


「・・・ありがとう。嬉しいよ。」

 


「何処にも居場所がないんだ。」

光はぽつりと言ってさみしく微笑んだ。

「でも、ここはとても気持の良い場所ですね。ほら、日も照ってきました。」

そう言って涼子は腕に抱えていた大きな帽子を広げて軽くかぶった。

 光は照りだした太陽にさっきもらったお守りを翳してみた。

その小さく清らかなマリア像が涼子のイメージと重なった。

 十年前のあの事件以来、光は神や仏を信じることをあきらめていた。

いつだって信じられるのは自分自身だけだった。

心のよりどころなんてなかった。

それでいいと思っていた。

 穏やかな風がベンチに座るふたりの間に流れた。

風は少しひんやりしていたが、日の光にベンチは暖められていた。

 光は最初、太陽のせいで目が痛くて、周りの景色が滲んでいるのだと思っていた。

しかし、その痛みはだんだんと熱に変わり光の頬をつたいはじめた。

 しかし光は長い間自分が泣いていることに気が付かなかった。

涼子に白いハンカチを差し出されるとそれを不思議そうにみつめた。

涼子がハンカチで光の頬を拭うと彼ははじめて自分が泣いていることに気が付いた。

光は恥ずかしそうに首を振るとハンカチを受取りそれを握り締めた。

 

 もう何年も彼は泣くことを忘れていた。

それまでずっと押し殺していた色々な感情が一気に溢れ出した。

さっきまで心刺さっていたガラスの破片が溶けて流れ出したようにも思えた。

 涼子は小さなマリア様のように微笑むと、光の髪をそっと撫で

、自分のかぶっていた帽子を深めにかぶせてやった。

涼子は無理矢理大人になったような光が痛々しく、彼を守ってあげたいと思った。

 

 光は思った。俺はなんて弱いのだろう。

虚勢を張って生きてきた。誰のことも信じたりしなかった。

失って困るものなんて何も無かった。

なのに誰かに頼りたがっていた。

誰かをずっと信じたかったんだ。

 でも今、涼子がこうして側に居てくれる。

少し手を伸ばせば触る距離に涼子がいて決して何処にも行ってしまったりしない。

 俺の居場所は涼子と座るこの陽だまりのベンチなんだ。

信じてもいいんだ。

 太陽が傾きだし肌寒くなった頃、光はもう一度star-voicesに行こうと立ち上がった。

「じゃあ。」

「あの、私に出来ることはありますか?」

「ありがとう。これだけは自分でケリを付けなければダメなんだ。でも、またここで会えるかな。」

「はい。じゃあ。図書館が休みの来週の月曜日にでも。」

「うん。」

 

 涼子のお守りと約束が今の光を生かしていた。

 光は十年前の傷後の残る闇の中に消えていった。


story by 仁々 + ☆

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