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「え?」
光がそう答えるよりも早く、涼子がシスターの傍らにしゃがみこんだ。
そして二人は写真を光の顔の高さに持ち上げて、ううむと両者を見比べる。
その様子に、やれやれとばかりに光はかすかに肩を寄せた。
「本当、ここに写っているの光さんみたい。でも、ずいぶん古い写真ですね」
「ええ、結婚式の下見でしょうか?この方が花嫁さんでしょうね?衣装合わせのときに撮ったものでしょうか?」
今度は写真を目の前まで引き寄せて、女性二人は思索を続ける。
そんな二人を前にして、今度は軽いため息が光の口をついて現れた。
なぜならば、うら若い女性方の楽しいお話はまだまだ終わりそうにはなかったからだ。
しかたないな、とばかりに、再び光が床の写真に手を伸ばしたころだった。
「光さん、この教会にきたことあるんですか?」
楽しげな色を浮かべて、涼子が唐突に尋ねてきた。
その瞳が楽しげにキラキラと輝いていた。
ああ、きれいだな、そう思いつつ、光はやわらかく微笑んだ。
「いや、記憶にないな。いったいどんな写真なんだい?」
「あ、ごめんなさいっ!私達ばっかりで騒いでしまって」
慌てた涼子の頬がたちまち赤く染まる。
ああ、今度は可愛いな。
ころころ変化する涼子の表情につられて笑みがこぼれる。
胸の奥に暖かい熱をえたかのような心地で、光はシスターの手の中の写真を受け取った。
それは古い写真だった。
写りこんでいる人物は4人。
白い衣装の女性を囲むように、黒い服の男性と恰幅のいい牧師とそして細身の少年が立っていた。
場所は先ほど通り抜けた教会だろうか。
長い年数のためか、写真の背景の色身はやや茶色に変色しかけていたが、
それでもその場所を照らす明かりの美しさが、人物達の足元に写り込んでいた。
白い女性は年のころは20歳くらいだろうか、幸せそうに目を細めていた。
こんな光景は、光の記憶には存在しない。
けれど、ここに写りこんでいる人物は・・・。
つい先ほどまで、温かだった胸の奥に、急に空風が吹き込んだようだった。
「クッ・・ガハッ!!ゴホッツ!!」
急に胸を重い何かが突き上げた。喉の奥が焼けるように痛い。
「大丈夫ですか?」
「カハッ、ハッ・・・ああ。」
その場にうずくまってしまった俺の背を懸命にさする涼子。
「すみません、お水ください!!」
「はいっ!」
シスターが慌てて走っていく。
「光さん?」
「・・・・・ごめん。」
どうしたんだ・・・・。
ただ、この喉が焼けただれるような痛みを俺は覚えている。
「すごい汗。」
折り目が綺麗に付けられたハンカチで、俺の額を拭おうとする涼子の手を
すがるように握った。
「ごめん、しばらくこのままで・・・。」
「光さ・・・。はい。」
簡単に折れそうなほど細い涼子の指。
ガキみたいだが、今はこの手を離したくない。
パタパタパタ・・・・。
誰かがやってきた。
「大丈夫ですか?お水です。」
「ありがとうございます。はい、光さん。」
水がうまく喉を通らない。
鉛を飲み下すように、無理やり流し込む。
「・・・・ありがとう。」
大きく息をついて、投げ出したあの写真に目をやる。
「シスター、この写真なんですが、」
「はい?」
「・・・・・いただいてもいいですか?」
「ええ。かまいませんが・・・。
やはりアナタなんでしょうか?」
「・・・・。」
「・・・・おもちになってください。」
シスターはやわらかく微笑む。
「すみません、」
「それより、落ち着かれるまでしばらくお休みになって。」
「もう、大丈夫ですから。」
「そうですか、でもご無理なきよう。」
「ありがとうございます、片付けはしておきます。」
「まぁ。いいんですのよ。」
「いえ、ご迷惑をおかけしましたし。」
散らばった写真を拾い集める。
その自分の指先が、まるで自分の体ではないかのように感覚もないのに震えていた。
部屋に散らばった写真を幾度となく取り落としては拾う作業を繰り返し、
ようやく部屋が元の状態に戻った頃には、既に腕の時計が11時半を指していた。
「大変っ、もうこんな時間にっ!!」
慌てた様子の涼子の声が、背後から聞こえていた。
しかし、急いでいるのに「早く行こう」と言わない彼女に、
気遣ってくれているのかなと我ながら安易な期待を抱いては、情けなくも笑みがこぼれた。
そして俺は、涼子には気付かれないように深く息を吐いてから、
姿勢を正すように息を吸い込み笑顔を作ってから、彼女のほうを振り返ったのだった。
彼女に心配をかけたくない。
ただその思いだけで・・・。
「急がないとね、涼子」
「あ・・・はい。でも、光さんっ・・・」
「大丈夫。心配かけたね」
「いえ、そんな」
相変わらず気遣いの瞳で俺を見上げる涼子に、俺は懸命に笑顔を作って返していた。
こんなときに、仕事で培ったポーカーフェイスが自分を助けてくれるなど、
嬉しいことではなかったが、そんなことは言っていられない。
それに、そうやって仮面をつけていないと、自分を心配げに見つめる涼子の瞳に、
一瞬他のの瞳がダブって見えてしまいそうだった。
思い出してしまいそうだった。
だから、ほんの少し、俺は瞳を細めて彼女を見てから、ゆっくり視線をはずした。
彼女からすれば、照れて視線を外したと見えるように。
そして二人して、大慌てで教会を出ると、懸命に大通りを目指して走ることにした。
『ヒカル・・・』
走り始めて数歩、一瞬俺の頭の中に、聞き覚えのある声が閃いた。
思わず俺は足を止め、既に扉の閉じた教会を振り返った。
「なんで・・・」
しかし、すぐに俺の足は再び走り出し、前を走る涼子へと追いついていく。
そして無意識のうちに吐き出された言葉だけが、その場に取り残されたのだった。
――なんで、今更現れるんだよ――
――姉さんっ――
タクシーを呼び止め、乗り込む。
piririririr・・・・
「はい、光です。・・・あ。お久しぶりです。・・・いや、今ちょっと・・・。」
「・・・・病院に行ってほしいんです」
涼子は病院の説明をしているようだ。
「またかけ直します。すみません。・・・・はい。・・・・じゃ。」
「光さん、お仕事じゃないんですか?」
涼子が心配そうに覗き込む。
「気にしないで、それより、足、大丈夫?」
「え?」
「ヒール・・・。ローヒールでも、女の子の靴は走るようにはできてないでしょ?」
涼子は淡い桜色の靴に視線を落とす。
「平気です、それより光さんは?もうシンドクありませんか・・・?」
「俺?大丈夫。・・・さっきはゴメン。心配かけて。」
「・・・・・。」
「本当に大丈夫だから。ね?」
必死に笑顔を作り、次の言葉を捜した。
「お母さん、待ってるね。あ、
写真見せてあげるんでしょ?教会の、」
「ええ、」
涼子があの写真を取り出す。
「涼子はお母さん似なんだね、目元なんかそっくりだ。」
照れながらも、花のように笑う彼女を見てほっとした。
こんなふうに無邪気にかわいらしく微笑む女性を俺は知っていた。
その人も俺にとってかけがえのない人だった。
彼女を守りたかった。何を犠牲にしても・・・・守りたかった。
「あ、着きましたね。」
しばらくして車は瀟洒な建物の前に止まった。
・・・・十条病院、か。
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