リョーコの知人の証言
 

ええ、そうですね。(聞き手に対して肯いてみせる)


彼女は『トニオ・クレーガー』を読んでない男には興味ないわ、と言っていました…。

(至極真面目な顔をして、白いカップに注がれたオレンジペコーを飲む)

光が図書館通いをしていたのはそのためでしょう。(僅かに微笑む)

ああ、ヴェルレーヌですか。彼女は「忘れた小曲」の「その五」が好きなんです。

(「貴方は彼女の事を、随分ご存知のようですね」という聞き手に対して、)

それは……ハハハ。(俄かに誤魔化し笑い)


誰だろう・・・。いや、誰にしよう・・・。

story by 影アナ

 

街角にて

足下の赤レンガが硬質な音を立てる。


 彼女は俯き加減に歩を進めていた。

 そこは街の中心からやや外れた緑地公園沿いの通りだった。

数年前新たに整備し直されたばかりのその通りは、郊外の住宅地方面から緑地公園のある文化施設街、商店街を貫いて駅方面まで続いている。

両脇には広く取られたレンガ敷きの歩道が整えられ、街路樹が植えられていた。

夏には濃い緑を湛えていた樹々の葉も今はすっかり色付いて、地上にしきりに散り敷いていた。

それはまるで去り逝く季節を悼む声無き鎮魂歌を奏でているかのようだった。


 通りに人影は疎らで、吹き荒ぶ風は夜に向かう空気を一層冷ややかなものに変えていた。

そんな中を、彼女はグレーのロングコートの襟元に風を遮るように手を添え、足早に歩いてゆく。

片手には数冊の本を抱えていた。先程図書館から借り出してきたばかりの本だった。

――何時の間にか随分、寒くなったのね。

 視線を上げると、通りの向こうの建物の窓から柔らかな光が溢れているのが目に入った。

彼女はそんな灯が好きだった。

冷たい夜の中で、そこだけには命が宿っているように感じられた。

――硝子に閉じ込められてるネオンよりずっと優しい。

  本当に息づいているみたい。

 心なしか口元に笑みを浮かべ、彼女は道を曲がった。

その小さな通りには彼女の行き付けのパン屋がある。

少し遠回りになるが、今なら上手くすれば閉店前に辿り着けるだろう。


 パン屋の通りは本通りと比べてかなり狭く、街灯の数もぐっと少なかったが、通いなれている道だ。彼女は躊躇わず、その通りに入った。

 その時ふと、彼女は誰かの声を聞いたように思った。

 彼女は思わず後ろを振り返った。

――誰も、いない。

 彼女の後方、街灯に照らし出された本通りからは何時の間にか人影は消えていた。

無論、今彼女が入ったばかりの通りにも人影はない。

 けれど確かに、彼女は誰かの声を聞いたと思ったのだ。

 その一瞬、彼女の心を鮮やかなこげ茶色の瞳が掠めていた。

孤独と絶望と死の翳りさえも秘めた、何処か荒んだ眼差し。

けれど……熱い一途な熱情を湛えた眼差し。

 無意識のうちに彼女の心に刻まれた、たったひとつの眼差し。

 しかし次の瞬間には、その眼差しは消え去っていた。

 しばし、彼女はその場に立ち尽くす。

 街路樹の間を吹き抜ける風が激しい音を立て、黄金色に染まった落葉を天空へと舞い上げていった。

光は左腕に強い痛みを感じて振り返った。

そこには、ちょっと前に少年を終えたばかりといった年頃の背の高い男が光の腕を掴んで立っていた。

―こんなガキに背後を取られるなんて―

 光は腕を振り払うと、瞬時に身構えた。

が、その男の顔を見て息を呑んだ。

白い整った顔立ち、黒髪、そして強い瞳。

「姉さんに付きまとうのはやめろ。」

彼は間違いなくリョーコの弟だった。

「僕はお前が何者か知っている。お前と姉さんとでは住む世界が違うんだよ。」

光にとって真実を突きつけるけられることは、ナイフを突きつけるけられるよりも恐ろしいことだった。

「今度、姉さんに近づいてみろ。僕がお前を殺してやる。」

光は品のいい口元から吐き出される短い辛辣な言葉に打ちのめされた。

ヤクザの情婦に手を出して殺されかけた時でもこんなに恐怖を感じなかった。

彼が去った後、光は壁に背を着き、赤レンガの敷き詰められた冷たい通りに座り込んだ。

その足元で、枯れ葉がカリカリと音を立てて、さっきまでの幸せな時間とともに飛んで去った。

知らないのは涼子ばかりなり。 ●朗君、がんばって出張って。盛り上がりは君にかかってる。

story by 光流 + ☆

>>

logtop