あなたの名前は

 

「アンタがリョーコ?」

「え?」リョーコは図書館を出た所で、髪の長い若い女に声をかけられた。

リョーコの肩に掛けられたその女の爪はラメ入りのマニキュアが少し欠けていた。

「ふん。たいしたことないじゃない。あの光がズブの素人に落されたって言うからどんな美人かと思えば、ただの細っこい小娘じゃない。」

女はヤニくさい息と共にぶしつけな言葉をリョーコに浴びせかけた。

リョーコは黙ったま女をジッと見ている。

「まったく、ママも何でこんな女、気に掛けるんだか。」

女が脱色した長い髪をかきあげる度にキツイ香水の香りが辺りに散らばった。

それから女は、タバコを取り出すと、慣れた手付きで火を点け、眉をしかめながら煙を吸い込むと、その煙をリョーコに吹きかけながらしゃべり出した。

「光はねぇ。あいつは、ウチらの世界の神なんだよ。アンタみたいな小娘がタメはれるような男じゃないんだよ。」

リョーコは動じることなく女をジッと見ていた。

女は、その瞳にに見つめられる事に居心地の悪さを感じ、長いタバコを地面に叩き捨てた。

「何見てんのさ!どんな手を使ったか知らないけどアンタは光にふさわしくないんだよ!アンタと光じゃ住む世界がちがうんだよ!」

「あの人は、ヒカルさんというお名前なんですね。」

リョーコはゆっくりと、まばたきをした。

「見るなって言ってるだろ!いい気になってんじゃないよ!」

女はカッとなって長い爪をひらめかせて右手を大きく振り上げた。

 

 

その女の爪を、指の長い筋張った手が強く掴んだ。

女の側には、静かな怒りの横顔に哀しい瞳をたたえた若い男が立っていた。

男はゆっくり女の腕を下げさせると、うつむき、踵を返して歩き出した。

女もリョーコを横目で見ると、そのまま男の後について行った。

 

 

木の葉が風に吹かれてリョーコの髪に引っ掛かった。

「ヒカル...」その名前はリョーコの心に引っ掛かった。

 

 

 

 

 女は・・・摩夕子(まゆこ)は、イライラと、光とお揃いのロングのパーラメントに何度か火を点けようとして、しくじり、強く地面に叩きつけた。

「何なのよ、あんな娘!!・・・何なのよ・・・!!」

前を行く光は、微かに振り返り、無表情のまま、また前を向いて歩いた。

「どうして!?何であいつなの?・・・おかしいじゃない!
今まで、どんな女があんたを落とそうと近寄って来たって、
あんた絶対本気になることなかったじゃない!!
どうして今更、あんな・・・・」

そこまで言って、摩夕子はまたリョーコの澄んだ瞳を思い出し、パーラメントの箱を握り潰した。

「・・・・どうして・・・・!!」

「まゆ・・・。」

光は、今度は振り向かず、静かに摩夕子に声を掛けた。

「・・・一体どうしたんだ?お前ともあろう女が・・・。
俺が一人の女に目をかけるくらい、いつもの事じゃないか。
何であんなことしたんだ・・・?」

「いつものこと・・・?」

摩夕子は強い瞳で、前を行くストレートの短髪を睨め付けた。

「違うじゃない・・・!いつもと・・・違うじゃないの!!
・・・・自分でも分かってる癖に!!!」

「・・・・・」

一瞬の沈黙の後、光は立ち止まる。

「着いたぞ。」

「どこによ!?」

光はため息をついて振り返った。

「いつもの場所。車、呼べばすぐ来るだろ?」

摩夕子は、少し幼い顔立ちに似合わない大人びたロングのスカートの端を握りしめながら、
漆黒の瞳を潤ませて光を凝視した。

「着いてないわよ!・・・あたしの家まで、まだ着いてないわよぉ・・。」

大きな瞳から透明な雫を滴らせながら、摩夕子は訴える。

「ねぇ、あたしの家まで来てよ!ねぇ、お願い・・・。前みたいに、
ずっと一緒にいようよぉ・・・。ねぇ、あたしだけは他の女と違うんでしょ?
あの女とも違うんでしょ!?・・・ねぇ・・・ねぇ・・・ひかるぅ・・お願い・・・」

光は、困ったようにもう一度ため息をつくと、摩夕子の頬の雫を人差し指ですくった。

「お前は確かに、その他大勢の女とは違うけど・・・。
家には行けないよ。社長令嬢が、あんな店に通うのさえ、
家の方からいい顔されてないんだろ?前々から、俺が家に行くのは父親には内緒だって
言ってたじゃないか。・・・そろそろそういう関係はやめにしないか?」

「そんなこと思ってないくせに!!」

摩夕子は、光の心のこもらない台詞に被せて叫んだ。

「あの女が気になるからだって言えばいいでしょ!!!
もう他の女は抱けないんだって、言えばいいでしょ!!卑怯者!!!」

ぐしゃぐしゃになったパーラメントの箱を光の顔に叩き付けて、

摩夕子は、日の傾きかけた西空の方向へ、走り去って行った。

 光は、折れた二本だけ入ったパーラメントの箱を拾うと、

すぐさま踵を返して、夜の繁華街へ歩き出した。

 

 

 今日は、リョーコに会えた。

それだけで、幸せだった。

周りから何と言われても、光はリョーコを諦めるつもりはなかった。

全てを捨てたっていい。

「卑怯者・・・か・・・」

折れたパーラメントに火を点けて、吸い慣れた香りを肺に流し込む。

俺は、何時だって卑怯者だ。

光はそう、自嘲した。

あの時死にかけた自分に手を差し伸べてくれたオーナーに、恩などこれっぽっちも返していない。

摩夕子に救われた事も、感謝はしているが、自分が摩夕子にしてやったことなど何もないだろう。

俺の生き方は、間違っている・・・。

何の見返りもなく、自分を救ってくれた人達に、何という仕打ちをしているのか。

しかし、どうしても断ち切れない、想い。

「出会ってしまったんだ・・・」

一生の人に。

その感覚が確信に変わるまで、長い時間はいらなかった。

リョーコしかいない。

 

かつて実姉を愛してしまったあの時の気持ちと、

似ているようで、否なるもの。

もう今回は逃したくない。

きっかけは何だっていい。

俺には間違いなくリョーコが必要なんだ。

 

 

ふと顔を上げると、遠くに、見知ったグレーの長い煙草を片手に持った、背の高い男が
こちらを見つめているのが目に入った。

「オーナー・・・・」

久義(ひさよし。オーナーの名)は、光が自分に気づいたのを知ると、持っていたジョーカーを道ばたの灰皿に捨て、ゆっくりと光へ近づいてきた。

「久しぶりだな。光。」

「すみません、オーナー・・・。」

足下斜め下の下水溝に視線をずらし、光は答えた。

「リョーコ・・・とか言ったか。あの娘・・・。・・・似てるな。」

「!!」

光は、弾かれたように顔を上げた。

「違うんです!!きっかけは・・・!きっかけはそうかもしれない、けど!
リョーコを、俺は本気で愛してるんです!!」

久義は、光の揺れるダークブラウンの瞳を見つめたまま、しばらく沈黙し、やがてため息をついて髪を掻き上げた。

「その話はまあいい。今日俺がここに来たのはその話をする為じゃない。
・・・ついて来い。」

話さなければならない話を遮られた苛立ちと、話したくない話を話さなくてよい状況になった安心の入り交じった複雑な心境を抱え、光はおとなしく久義について行った。

 

程なく、二人は「star-voice」の裏口へたどり着いた。

「中へ入れ。」

オーナーに促され、光は見慣れた店内に足を踏み入れる。

「初めまして。」

そこには、ゆるい癖毛を肩まで伸ばした、細身の美男子が立っていた。

「・・・初めまして。」

男の切れ長の瞳に少し警戒しながら、光はゆっくりと左手を差し出した。

「今日からうちの店で働くことになった、由宇(ゆう)だ。」

「・・・どうも。主任の光です。」

「君の話はオーナーから聞いているよ。」

由宇は微かに微笑んで、光の左手を握る力を軽く強めた。

由宇から漂う落ち着いた雰囲気に、光はなぜか警戒心を解くことができなかった。

「新人といっても、彼は他の店での主任経験があってね。今回、うちの店に引き抜いてきた。
つまり、レベル的には光、お前と同じだ。だからヘルプからやらせることはしない。
お前の近くで働かせてやってくれ。」

「・・・分かりました。」

左手に残った由宇の手の感触を握りしめ、光はさらに数歩店内へ進んだ。


新キャラ、ぞくぞく登場中

story by ☆ + さし美嬢

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