瞳の月
第一章
| 高校2年の夏休み、僕は4年ぶりに夏の海を訪れた。4年前と違うのは、海に遊びに来たのではなくて、バイトで来たということだ。でも、できることなら来たくなかった。だが、特に産業らしい産業も無い僕らの町には、夏休みにバイトをしたいと思う高校生の数ほど求人があるわけではなかった。何軒もの飲食店のドアをたたき、バイト先探しに奔走したがなかなか決まらない僕をみかねて、家族で海の家をやっているクラスメイトの宏明が声をかけてくれたのだ。そして僕は宏明の家に2週間住み込みで働くことになったのだ。4年ぶりに見た夏の海は、殺人的なまでにぎらぎらと太陽の光を反射し、なにか腹立たしく思った。僕が海に泳ぎに行ったという記憶は、中1の夏休みが最後だった。その時、夏の海が嫌いになった。あの夏を思い返すとき、決まって僕は胸が痛くなる。それは感傷とかそういった類のものではなくて、罪の意識がもたらすものだった。 「おい、椋、夕飯だぞ」 海の家の方で宏明が叫んでいた。 「あぁ、今行くよ」 波の音に負けないように、僕も大声で叫んだ。肉体的にも精神的にもクタクタだった。僕の仕事は浮き輪やビーチボールの貸し出し、そしてその回収だった。貸し出しは楽なのだが、回収は実に大変な作業だった。貸し出した遊具をみんながみんな返しに来てくれるわけじゃなく、砂浜に放置されているものもあれば、波間に漂っているものもあった。遊具がもはやその意味をなさなくなっていたりすると、ひどくやりきれない気持ちになった。 僕らが夕食を終えると、親父さんがいかにもすまなさそうに言った。 「宏明、椋くん、もうひとつ仕事をお願いしていいかな」 「え、あぁ、もちろん構いませんよ」 僕は反射的に答えていた。宏明は、僕の方を見て、なぜか苦笑していた。 「ボートを洗って欲しいんだ。砂浜に12艘上げてあるからね」 「えぇ、分かりました。行こうぜ、宏明」 宏明はかったりぃなぁとぼやきながらも、体を起こした。 それからしばらくして、僕は宏明が笑っていた意味を知ることになった。ボート洗い… それは僕が予想していたよりも5倍くらい重労働で、僕らがその仕事を終えたときには夜の十時をまわってしまっていた。僕らは仕事を終えると、どっさりと体を砂浜に投げ出して、どちらからともなく笑い出していた。なんとなく、ひたすらボートを洗っていた僕らの姿を想像すると、滑稽に思えたのだ。冷たい砂が、ほてった体を冷やしてくれて、なんとも心地よかった。このまま眠ってしまえたら、すごく幸せに思えた。 「星がきれいやなぁ」 と僕が言うと、 「や、俺はいつも見てるからな」 という、なんともそっけない返事が返ってきた。この海水浴場は、僕の住んでいる市街地からはけっこう離れていて、宏明は学校には原付で通っている。僕の部屋から見える星の数は、ここで見ている星々の半分にも満たないと思った。僕らはしばらく、星を眺めていた。周期的に聞こえてくる、波が崩れる音と、星の瞬きだけが今の全てを支配していた。しばらくの沈黙のあと、僕は宏明に一番聞きたかったことを聞いてみた。 「なぁ、ボート洗いって毎日すんの?」 「ははっ、絶対そういってくると思った。や、ま、心配すんな。3日に一回くらいだよ」 「それでもきつい」 「まぁまぁ。3食飯付きで、寝る場所もあって日給もそこそこだ。こんないいバイトはなかなかないぞ。 しかも俺の親父に気に入られると、もれなくいい酒といい肴にもありつける」 「なるほど、そうなのか…」 僕は特に酒が好きというわけでもないし、嫌いというわけでもない。普通の高校生並には酒を飲むし、友人たちと集まれば、飲み会なんかもしていた。意外と、宏明の親父さんは若者に理解のある人物らしい…。 「ところでっ」 宏明はそう言いながら勢い良く上体を起こした。 「お前、海は嫌いだって言ってたやん? 何で?」 「あれ? お前にそんなこと言ったっけ?」 「去年の夏、言ってたぞ。俺がお前に遊びに来いって誘ったとき」 「そうだったかなぁ。てか、よくそんなこと覚えてんな」 「まぁあれだ。俺も一応、潮風の似合う海の男だからね。体育会系のお前に海が嫌いって言われりゃそりゃ気になるさ。」 「潮風の似合うって誰が?」 「や、ま、言いたくなけりゃいいんだ。前にクラゲにアレを刺されたとか、カニにアレをはさまれたとかいう話は、聞いてて気持ちのいいもんじゃないからな」 僕の疑問はあっさり無視されたらしい。 「別に言いたくないわけじゃないさ。ただ…、話すと長い話になる」 「んじゃ、ちょっと待ってろ」 宏明はそういうと、海の家の方へ駆けていった。嫌な予感がした。5分ほどして戻ってきた彼が持ってきたものは、寝袋と缶ビールが2つずつ、それから、さきいかだった。そして彼は屈託の無い笑顔で、 「今日はお前の昔話を聞きながらここで寝ることにするよ」 と言った。やっぱりだった。 「マジか?」 「マジだ」 「面白い話じゃない」 「面白いかどうかは俺が決めることだ」 今まで、あの夏の出来事を人に話したことはなかった。友人はおろか、親にさえ。話したいとも思わなかった。いや、そう自分に言い聞かせていただけで、本当はしゃべりたかったのかもしれない。そして最低なやつだと、罵られたかったのかもしれない。その方が楽になれるということを、僕が生きてきたこの4年間が教えてくれていたのだから。 「4年前のことだ」 僕はゆっくり、口を開いた…。 そう、4年前だ。僕が真琴に出逢ったのは… |