~Kanon another short story~

 

夏カノ <栞>

 

栞に奇跡が舞い降りてから、初めての夏を迎えた

冬には暗い空から雪が舞うこの街も、いまは明るく輝いている

栞が死を宣告された期日から半年近くたっている

決して病気が治ったわけじゃなかった。不治の病と言われ、一時は笑顔を失っていた栞

忘れてしまうくらいの難しい病名

でも今は、あの人のおかげで病気と戦うことができている

そして栞は、確実に回復していた

 

そろそろかしら。あの人がうちにくるのは

学校で私に言っていた。−明日、栞とデートなんだ−

ピーンポーン

「どちらさまですか?」

「俺だ、相沢祐一だ」

「今、栞がそっちにいったわ」

「おう、サンキュ」

相沢君、受験勉強してるのかな…

またテストの時面倒見なきゃいけないわね

「お姉ちゃん、いってきまーす」

でも今は、栞の笑顔をみていたいから… ありがとう…

 

 

「栞に会うのも久しぶりだな」

「祐一さんは受験生なんだから、仕方ないですよ」

「それをいうなよ」

「だってお姉ちゃんはすっごく勉強してますよ?」

「香里は香里。俺は俺だ。ところで栞、これからどうする?」

「今日は行ってみたいところがあるんです」

「どこだ?」

「水族館です。イルカさんのショーをしてるんですよ」

祐一の目が、ちょっと笑っているように見えた

「あ、いま子どもっぽいとか思いませんでした?」

「い、いや、全然そんなことないぞ」

「私、水族館ってまだいったことないんです」

「よし、行こうか、水族館」

「はいっ」

やっぱり祐一はやさしいと思う。今日は少し、甘えてみたかった

 

街からバスに乗り、30分もゆられていると岬の突端に水族館が見える

海に面したところには、イルカショーのプールも見えた

「祐一さん、早く!」

バスを降りると栞は走り出した

われながら、ホント子どもっぽいと思ったりもしたが、今日はそれでよかった

2人でチケット売り場に並ぶ。やがて順番になった

「えっと、高校生と小学生1枚ずつ」

げしっっ 栞は祐一の靴をふんづけた

「いてっ。間違えた、高校生と中学…」

げしげしっ

「冗談だよ。高校生2枚ね」

困った顔をした受付の人の顔をちらっとみて、二人は逃げるように中に入っていった

「祐一さん、ひどいですー」

「わるい、あまりに栞がかわいかったからさ」

「かわいいのイミが違いますっ そんなこという人、嫌いですよ」

もちろん、大好きだけど…

「ほら、栞。熱帯魚がいるぞ」

祐一はあからさまに話題をそらした。もちろん栞もこれ以上口論する気はない

「うっわー きれいですね、祐一さん」

水族館といえばデートの定番のコースだ

長い間病室にいた栞にとって、水族館とはそういう象徴の場所だった

だから、一度は好きな人と水族館に行ってみたかった

一緒にさかなたちを眺めて、おしゃべりしてみたかった

それが今、叶っている。栞と祐一はいま、宝石箱のなかにいた

「栞、香里におみやげ買っていかないか?」

「あ、いいですね。どんなのがいいでしょう」

2人は土産物屋を覗いてみる

「これなんかどうだ?」

巨大なヒトデの置物…

「そんなのもらって嬉しい人なんていません!」

あれ? 栞の視線が一瞬止まった。見覚えのあるイルカのキーホルダー

ずっと前から栞の机の引き出しに入っていた

「祐一さん、これにしませんか?」

「いいけど、なんのへんてつもないキーホルダーだぞ」

「私、これがいいです」

「そうか、じゃ、買ってくるよ」

 

 

栞の頭の中に、かすかな記憶が残っていた

遠足のお土産をもって病室にやってくる姉

もらったキーホルダーを手に、姉の話を楽しそうに聞いている妹

あのころは幸せだった。もうすぐ学校にいける。そう思ってた

 

 

あ、あれ?

なんだかすごく、悲しくなった

目の前がくもって、前が見えない

「栞… 出ようか?」

いつのまにかそばに戻ってきていた祐一に連れられて、水族館をあとにした

「岬の方にでも行ってみるか」

祐一は栞の手を引いて、ゆっくり歩き出す

なにも聞いてこない祐一の心遣いが嬉しかった

 

 

やがて姉は病室へ来なくなった

妹はただ、嫌われたのだと思った

自分がばかだから、嫌われたんだと思った

妹が退院して家に帰ったときも、姉とは言葉を交わしてなかった

いや、それは正確ではない。妹は幾度か話し掛けた

姉は そうね とだけ答えた…

 

 

「きれいだな」

岬の先には展望台があった。遠くを行く、船がみえた

「ホント、きれいです」

2人の間に言葉は入らないように思えた

2人してそばの草の上にねころがる

青空に、白い雲が流れていた

 

 

ある日、妹がシャワーを浴びて部屋に戻ると、中に人の気配がした

ドアが細めに開いていた

中を覗くと、姉の姿があった

キーホルダーを握りしめていた

姉は、震えていた……

妹もその時、泣いた…

 

 

「イルカのショー、みれなかったな」

「大丈夫ですよ、また来るんですから」

「そうだな、今度は香里と3人で来てみようか」

「はいっ」

栞はこの日、最高の笑顔を祐一に贈った

Fin