ふるさと



「東京に行って来る」
 アイツがそういったのは、五年前の三月。桜の花が、ちらちらと咲き始めた頃。
「自分の力を試してみたいんだ」
 目に強い光が宿っていた。そういう時は、なに言ってもきかないって事は、私が一番知っている。
「明日の新幹線で、行って来る。大丈夫、あてはあんだよ。住むところも決まってる」
 そういってアイツは、空を見上げた。大きく息を吸う。
「親父もおふくろも、最初反対してたけど、昨日とうとう折れたよ。行って来い、だって」
 にっと歯を見せて、照れたように笑った。少し大きな前歯。小さい頃よくからかわれていたっけ。
「ごめんな、ずっと言わなくて。おまえには、決まったら言おうって思ってたんだ」
 そう言って、少しうつむいた。
「俺、行くよ。がんばってくる」
 顔を上げたアイツは、きっぱりとそう言った。

その日から、五年。
『朝八時頃、着くと思うから』
消え入りそうな、留守電の声。私はその場で録音されるのを聞いていた。電話を取ることはできなかった。

 毎週のように届いていた長い手紙が、少なくなってきたのは、いつからだっけ。
「うまくいかない」
 それしか書いていないハガキもあったな。

アイツが帰ってくる。
生まれて育った、ココに、帰ってくる。

 何を言えばいいのか。どう励ませばいいんだろう。
 眠れない夜は過ぎていった。答えは、見つからなかった。

 八時少し前に、駅へ向かった。次の電車だろうか。到着時刻を伝えているアナウンスが聞こえる。
 私の手には、二つの暖かい缶コーヒー。

言う言葉が見つからなかったのは、何も言わなくていいからだよね。

 電車がゆっくりと入ってくる。私は白い息を吐きながら、食い入るように、降りてくる人々を見つめた。
 いた。アイツだ。
 
 少し、背伸びたみたい。そのせいかな。やせて見えるのは。

 アイツもこっちに気が付いた。なんともいえない顔をして、足を止める。
 私は、にっこり笑った。出て行ったのが昨日のことのように、手をふって言った。

「おかえり」

 アイツは、複雑そうな顔をしたが、大きな前歯を見せて笑う。

「ただいま」

 二人、駅から続く、一本の坂道を下っていった。ゆっくりゆっくり、暖かい日差しを浴びながら。

 私たちが育ったふるさとは、何もない。おもしろいことも名物も。
 でも、確かに、私たちのふるさとは、答えてくれるのだ。

大きな大きな愛で、おかえり、と。