冬の音色


 吐く息が白い。そのことに気がついた私は、何度も息を吐いてその事実を確かめた。もう冬が近い。マフラーなしでは外を歩けなくなってしまった。
 私は歩く足を速めた。早く暖かいところへ行きたい。先生に会いたい。

 私が向かったのはピアノ教室。小さな白い建物の3階で、一人の先生が教えている。私はそこで、小学校一年生の頃から、現在の中二まで、その先生にピアノを習っていた。
 建物に入った私は、暖かさにほっとした。階段で3階へあがる。小さな建物だから、エレベーターとかはない。でも、そういうところが暖かい感じがして、私はこの建物が好きだった。
 階段を上がるとすぐに小さな木のドアが見える。そのドアには『竹下ピアノ教室』という札がかかっていた。
 部屋のなかからピアノの音が聞こえる。私の前の時間は、習っている人がいないから、弾いているのは先生だろう。
(何の曲だろう。聞いたことないな)
 私は先生の邪魔をしないように、そぅっとドアを開けた。けれどあまり意味はなかったようだ。先生は、ピアノのいすに座って、こちらを見ていた。にっこりと笑っている。
「こんにちは、都ちゃん」
「コンニチワ、綾子せんせ」
 私もにっこり笑った。

「そこはもう少し弱く弾いたほうが、曲の感じが出ると思うわ」
「弱く?」
「そう、優しく弾くの」
 先生は穏やかに笑いながら、穏やかに言う。
 先生は私がピアノを弾いている間、窓の近くに立って聞いている。そして時々口をはさみ、時にはお手本として弾いてくれる。
 でも私は、先生が弾いているところを、お手本以外では見たことがない。先生はあまり弾いてくれない。
(あ、でも前に一度・・・)
「都ちゃん?どうしたの、ぼーっとして」
 私は我に返り、ピアノを弾いていた手を止めた。知らぬ間に考え事をしていたらしい。先生が窓の方からこちらを見ていた。
「両手がばらばらだったわよ」
 先生は優しく笑った。
「ピアノって、人の心を写すからね。何か考えてた?」
 先生には隠し事できない、と思いつつこくんと頷いた。
「先生が、あんまりピアノ弾いてるところ、見たことないなぁって思って」
 先生は、少し目を開いた。
「でも前、私が小さい頃、弾いて弾いてって頼んだら、何か弾いてくれたよね。あれ、何の曲だったのかなって、考えてたんだ。ね、あれ、何の曲?」
 先生はしばらくじっと私を見ていた。私は、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、後悔した。沈黙が痛かった。
 先生は私から目を反らすと、窓の外を見た。
「あの曲はね、名前はないの」
 ポツリと先生が言った。
「名前が、ない?」
「そう。私が作ったから」
 先生の言葉に、私はすごく驚いた。
「本当! すっごーい、先生! あんなに綺麗な曲を作れるなんて! いいなぁ」
 私が大きな声を出して喜んでいると、先生は小さく笑った。
 その笑顔は、すごく、悲しそうだった。

 次のレッスンの時から、先生はやけに窓の外を見るようになった。

 冬が本格的になってきた。いつものようにレッスンをしていると、窓の外を見ていた先生が声をあげた。
「あら、雪・・・」
「うそぉ!」
 私も窓に駆け寄る。ちらちらと白い雪が灰色の空から降りてくる。
「綺麗・・・。でもますます寒くなるなぁ」
「雪って・・・」
 ポツリと先生が呟いた。私は先生の顔を見る。
「儚いものよね」
 そう言ったまま、先生は黙ってしまった。
(先生・・・?)
 しばらく二人で何も喋らずに雪を見ていると、次のレッスンの子が部屋に入ってきた。
「あら、もうこんな時間。ごめんなさいね、都ちゃん中断しちゃって。今日のレッスンはここまでにしましょう」
 先生は無理してだしたような明るい声を出して言った。
「はい・・・」
 私は、何か、不安だった。もう二度とこのまま、先生と会えないような。
「先生!」
 私はドアの前で振り返り、先生を呼んだ。先生はいつものように笑いながら、なぁに?と聞いてきた。
「また、・・・来週ね」
「えぇ。また来週」
 先生はにっこりと笑った。


 その日から、今日まで、先生には一度も会っていない。私の不安は的中してしまった。
 次のレッスンの日、木のドアに札が掛かっていなく、中に入ってみると、ピアノも置いていなかった。建物の受付の人に聞いてみても、何もわからなかった。
 先生は消えてしまった。雪のように儚く、あっというまに。
 私はそれからもピアノを続けた。綾子先生のことを忘れたくなかった。もう一度、会いたかった。
 どうして、こんなにも綾子先生のことを考えてしまうのか、自分でも不思議だった。ピアノもやめて忘れてしまえばいいのに、と。
 でも私の胸には流れているんだ。先生のあの曲が。

 私は弾くと決めた。いつかプロになって、先生のあの曲を。
 きっときっと気づいてくれる。あの頃のように笑って、上手くなったねって言ってくれる。
 そして私は聞くんだ。
 あの曲の名前を・・・。



★あとがき★
ふと、ピアノを弾く女の子の話が描きたいなぁ、と思い、すぐに「冬の音色」という題名が浮かび上がりました。スラスラと描けた話でした。読んでくださってありがとうございました!感想、教えてくれたら嬉しいです!ぜひぜひ感想掲示板へ!