初めてのシチュエーションって随分戸惑うもので。

「美味しかったでしょ?」

「ああ、美味かった。」

氷室零一は凄く満足気で11月の冷たい風の中、心地よい気分に浸っていた。
その彼の腕を取り寄り添うように歩く彼女は彼の言葉を嬉しそうにかみ締めている。

「大学の友達とよく通うカフェなの。
昼間はもっと明るい感じだけど夜は隠れ家的な雰囲気で。零一さんを招待したかったんです。」

「そう言えばこうしてにエスコートしてもらうのは初めてだな。」

主導のデート。珍しく車を置いて来たのものご所望。
いつもは零一が車で彼女を迎えに上がりエスコートするのが常なのに今日だけは別。
今日は特別な日。

「11月6日は『決戦日』だったの。
プレゼントを受け取ってくれない堅物の『先生』に受け取って欲しくて3年間頑張ったわ。」

「去年は受け取ったと思うが。」

コホンと息をついて零一が付け加える。
毎年やってくる彼への試練。
11月6日の彼の誕生日は非情な言葉を言わなくてはならない。
『生徒からの贈答品は受け取りかねる、以上だ。』

しかし乙女の憧れにも似た恋心は途絶える事もなく毎年、同じ台詞を言い続けている。
ただ1人の生徒をのぞいては。

「君から今日の誘いを受けて…どうなる事かと思った。この日への並々ならぬ意気込みを感じていたからな。」

「あ。バレてました?」

本人はどうやら水面下で色々画策していたつもりのようだが零一にはお見通しだった。
だからと言って口を挟む様な無粋な真似は勿論なく今日まで彼女を静観して来たのだ。

「11月6日は『決戦日』だって言ったでしょ?
零一さんに楽しんでもらえるようにと思って色々な事をたくさん考えたけど…。」

「私に楽しんでもらうつもりで実はやっつけたいのか?」

零一はフッと笑ってを見下ろす。
煉瓦道に光が照らされて今は2人の影だけがシルエットをかもし出している。

「車なし、待ち合わせ場所はカフェ。私だったら連れて行かないような場所を指定してきた。
私は初めてカフェで食事を取って食後にケーキも食べた。ゆったりとした心地良い空間で。
に連れて行ってもらわなければこういう過し方は知らなかっただろう。」

「さすがは氷室学級の元生徒…でしょ?」

「いや。さすがは私が惚れた『恋人』だ。」

高校を卒業して大人の彼と少しは対等になったはずなのにいつまでも追いつけない。
大人びた言葉を背伸びして言ってもいつも彼にその上を越されてしまって。

「零一さんの誕生日なのに私を喜ばせても仕方ないです!」

が素直に反応してくれるのが私の至福の喜びなのだが。」

「う〜〜〜。」

モゴモゴ言ってる所を見ると照れて二の句が出ない様子。
零一は笑いを堪えている。

「人の誕生日を『決戦』と位置付けるから挑んだまでだ。今年は私の勝利だな。」

「去年は私の勝利と言う事ですか?」

「…白旗揚げて陥落だった。」

街頭の下を通りかかった所では足を止めた。それに伴い零一も歩みを止める。

「…まだ『決戦』は終わってないの。メインイベントが残ってるから。」

はそう言って零一の正面に向き合う。

「零一さん、目を瞑って。」

「……。」

素直に従う零一。耳に入るカサッと袋から何かを取り出す音。
と、供に首にフワッと心地よい感触。

「目を開けていいですよ。」

そっと目を開けて自分の手で首に巻かれたモノに触れる。

「マフラー。」

カシミアのグレーのマフラー。その両端を彼女が軽く握り締めていた。

「プレゼント、何にしようか迷ったけど…今からの季節にピッタリだと思って。
首周りを暖めると風邪も引きにくいんですよ。」

「ああ、暖かいな。」

優しい笑みでマフラーの感触に触れる零一。
しかしその瞬間!

「!」

グイッとマフラーを引っ張られ上半身が前屈みになる。
はマフラーの端を掴んだまま彼を引き寄せその唇に軽く触れた。

「お祝いのキスも。」

「…。」

さすがに不意打ちで驚いている零一。彼女からのキスは初めてで。

「マフラーの使い道を誤っている。」

「…負け惜しみですね!」

は照れ隠しなのか零一の顔を見ずに腕を取り強引に歩き出す。
余韻に浸る間もなく石畳の上をひたすら歩き出している2人。

「今のキスについてレポートを要求する。」

「え〜〜〜!」

「当然だ。」

零一の教師口調に萎縮している。勿論本気で怒っている訳ではない。
が…。

「マフラーをかけて…嬉しそうにしてくれてる零一さんを見ててふと思ったんです。
このまま引っ張ったらキスできるかな〜って。狙ってた訳ではなく…あれは衝動的で。」

「…結構。」

それだけ聞くとをグイッと肩を抱き寄せて。

「このまま電車に乗れば10分で帰れる。
ここから歩けばゆっくりでも1時間。君の門限にはどちらでも十分に間に合う時間だが。」

「勿論、歩きたいです。」

「…私もだ。」

零一はかけていたマフラーをの首にフワリと巻く。

「今は君がしてなさい。今夜は特に冷えるから。」

「でも…。」

「君が寄り添ってくれるから私は寒くはない。」

零一はそう言うと彼女の髪に軽くキスを落とした。シャンプーの淡い香りが彼の鼻孔をくすぐる。
キスの感触はにも伝わって…。

「ありがとう、。最高の誕生日だ。」

嬉しくて言葉が詰まったのか泣き出しそうで言葉にならないのか…返事は返ってこなかった。
代わりに彼の肩に頭を寄り添って…それが返事の代わり。
それで零一は十分で…。

2005年11月6日の氷室零一の誕生日は心地良く過ぎていった。
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