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「お待たせしてすみません!」
春の日差しの明るい4月某日。
は右の助手席に慌しく座り込む。
運転席にはいつものように冷静沈着な氷室零一がを見て窓越しの彼女の母親に軽く会釈する。
きらめき高校の教師。…いや、今はも卒業して彼の生徒ではなくなった。
卒業式の日に「教会」でお互いの気持ちを確かめ合ったあの日から2人は卒業生と先生ではなくなった。
彼…氷室零一はいつものようにを迎えた。
「慌てさせたようだな…すまない。私が早く着きすぎた。」
零一はそう言うとチラリと後方を確認しスムーズに車を走らせた。
卒業してからのデートはこれが初めて。
在学中は「社会見学」を二人で出かけたのだが…今日のはいつになく緊張している。
「大学の入学準備はできているのか?」
「はい。後は入学式を待つばかりです。」
「…結構。」
春からの新生活、より零一の方が慌しい。
今度の受け持ちは1年生。新学期への準備で教師にとって春休みは無いに等しい。
今日は零一にとって貴重な春休みなのだ。そして貴重な1日は彼女とのデートを約束していた。
「先生、今日はどこに行くんですか?」
は乗ってからの沈黙に少し耐えかねた様子で零一に声をかける。
零一の頭の中ではスケジュールはいつも決まっている。
「せっかくの快晴だ。昼食を食べてドライブをと考えている。君の行きたい所があれば遠慮なく言いなさい。」
「先生にお任せしまーす!」
のいつもの口調に零一も口元を緩める。にだけ見せる優しい笑みだ。
「では任せてもらおう。」
零一の運転はさらに加速して2人のデートは好発進した。
「ねえちゃん、何時に帰るの?」
尽は夕飯の準備で忙しそうな母親の側でブラブラしている。
母親は時計を見ながら
「門限までには帰ってくるでしょ。」
と、一言。
「門限って何時?」
「0時。高校卒業したからね。」
「ふーん。」
尽はこれ以上、話相手もしてもらえないと察知してか台所を後にする。
時計を見上げれば午後4時を指している。
(放任主義なのか氷室先生を信頼してんのか。)
尽はつまらなそうに部屋へと戻る。明日になったら今日のデートの話を色々聞こうと思案しつつ。
「先生、この後は?」
は街の景色を眺めつつ零一に恐る恐る聞く。
いつもなら7時までには必ず家に送り届けてくれた。しかし今日は…。
「君の門限はお母さんに確認とってある。私はもう少し一緒にいたいと思っているが…。」
「わ、私もです!」
は慌てて答える。零一はその様子にフッと口元を緩める。
「素直でよろしい。実は例の店のマスターが君を連れて来いとうるさい。
顔を出さないと治まらないんだ。」
「あ!私も楽しみ。だってマスターさん、先生の話し色々してくれるし。
それにまた先生のピアノ聞きたい!」
はしゃぐに零一がジロリと一瞥。
「全く…あいつに会わせるとロクな事を吹き込まないから気が進まないんだ。」
零一は不服そうだがは大はしゃぎだ。そんな彼女に今までの零一ならお小言を言う所なのに今日はない。
はそんな小さな変化も気づかずにクリスマス以来の夜のデートにウキウキしている。
「すぐに行くんですか?」
「…店に行く前に寄る所がある。」
と、言ってに行き先も告げずに車を走らせていた。
「ここは!」
「久しぶりだろう?」
零一はスッと手を出しをエスコートした。
あまりに自然に出た手には引き寄せられるように取る。
目の前に広がる景色はピンク色に染まった空。課外授業の帰りに零一と来たあの風景。
「1年ぶりですね。…キレイ。」
はしばし景色に見惚れる。気持ちが高ぶってるのは景色のせいだけではない。
「先生と手をつなぐのフォークダンス以来ですね。」
「…茶化すんじゃない。」
零一はコホンと息をついての手を握り返す。
極々、自然に出した手を今になって気づいた所だろうか。の顔をまともに見れないでいた。
「先生、疲れてるんでしょ?」
は美しい景色を見つめながら呟く。零一はそんな彼女を優しく見下ろす。
「卒業式終えたらすぐに新学期の準備。今年は1年生の担任で毎日が慌しい。
1年で1番忙しい時期だからな。春休みはあってないようなものだ。
私にとっては心地良い慌しさだが…今までのようにはいかなくとも君と会える時間をもっと取りたいと思っている。」
零一はそう言って言葉を止める。何か言いたげで躊躇してるのはにも見てとれた。
「先生?」
「その…先生と言うのはやめなさい。」
零一が真面目な顔でを見下ろす。光線に照らされた彼にはドキリとした。
「卒業式以来のデートで今日を区切りにしようと思う。
君は私を名前で呼べばいい。私は遠慮なく君を名前で呼ばせてもらう。以上だ。」
(い、以上だって…言われても。)
が戸惑っているのは手にとるようにわかる。そんな彼女を見て零一が取った行動は…。
「!…先生!?」
零一はつないでいた手を離しての前髪を軽く上げ、おでこにキスをした。
ごく自然な事のように。しかし…。
「?」
「は、はい?!」
は突然のキスと名前で呼ばれた事と…頭の中がパニック状態だ。
零一は躊躇してを見つめる。
「恋人同士なのだからごく自然に名前で呼び合いたい。
今のキスは私の気持ちの証なのだが戸惑わせてしまったようだな。すまない。」
「いえ!いえ、戸惑うなんて。いえ、戸惑ったのは先生…が名前で呼ぶように何て言うから。
付き合ってるのはわかってるんですけど3年間、先生と呼び続けてたから…。」
「私も君に何度、言おうかと悩んだ。電話をしても…今日、こうしてデートをしても。
『先生』と呼ばれるのに段々抵抗が出てきたのは君が私の恋人だからだ。
なら今日、この場所で君を名前で呼びたかった。他に理由などない。」
零一の率直な言葉には黙り込んでいる。その様子に零一は。
「時期尚早だったか…私は。」
「いいえ!…いえ。」
頭をブンブン振りながらうつむく。
「私も今から「零一」さんって呼びます。それと…。」
もごもご口ごもるを零一は訝しげに見つめる。は決心したように口を開く。
「零一さん!もう一度、仕切り直しにおでこにキスして下さい!」
はそれだけ言うとキュッと目をつぶって零一の言葉を待っている。
「緊張しすぎだ、。」
零一は覚悟を決めたようなの頭をそっと撫でる。
その手は肩に沿えられ片方の手はのおでこにかかった髪をたくし上げる。
しかしその手はスッと顎にかかりは何も考える余地もなく2人は初めて唇を重ねた。
ほんの一瞬、触れるだけの優しいキス。
「そろそろ日も暮れる。店に向かうとしよう。」
零一は何もなかったかのように冷静沈着。
は目をつぶっていたとは言え唇に残る感触に顔は今まで以上に赤面している。
「おでこじゃなかったんですか〜〜〜?」
「君があまり可愛かったからキスしたくなった。
これで私達はれっきとした恋人同士という事になる。以上だ。」
零一はの手をとり車まで彼女をエスコートする。
その時にコホンと息をついて一言。
「君の気持ちを確認せずに一方的に気持ちを押し付けてしまった。すまない。」
見上げれば零一の顔がにわかに赤い。
冷静を努めながら実は零一の方がの何倍も照れているのかもしれない。
そう思うとはホッとできる気がした。
「また、来ましょうね。零一さん。」
「…ああ。」
零一は救われたような安堵感を感じているようではそんな彼の腕に寄り添った。
まだ付き合いして1ヶ月足らずの2人の恋は今、静かに歩みだした。