逸話の疑問点
織田信長
道三との会見後、家臣が「たわけにて候」と道三に言う
かりにも道三の娘婿に対し「たわけ」と言ったのだろうか?
3間半の長槍、鉄砲隊と美濃勢を圧倒させ、会見の時の振る舞いに、道三はただならぬ人柄を信長から感じたであろうことはその後の道三の行動からして推察できる。
身近にいた道三の家臣もその事に感づいたのではなかろうか。


桶狭間の戦い
熱田に数騎で行ったのに、2千くらいに増えた(2千から500くらいの説があるが)
まだうつけと言われていた信長に信望が無ければそんなについて来るはずが無い。
内応した痕跡も無さそうである。破天荒な殿だとは思っていたがその頃には信長を信頼していたのではなかろうか。
「うつけ・たわけ」と言う意味が現在の感覚と違っているかも知れない。



松永久秀の 主殺し、大仏殿炎上、将軍殺し
信長が家康に紹介した時、松永久秀は赤面した。面目を失った。
今でも、酒席などで上司が「昔は悪だった」と自慢話をする人が多い。
武勇の面で、凄い男だと言われ喜んだのではなかろうか。
 

設楽が原の戦い(長篠の戦い)
3千丁の鉄砲3段撃ち(1千500かも知れない)
交代交代に撃つ場面が多いが、射手は一人で後ろに他二挺の弾込め手入れの部隊がいた方が効率良いのではないだろうか。
その方が射手は目標を定めている事に専念出来るし射撃の名人を厳選出来る。


光秀 愛宕社の三度のおみくじ
一軍の将たる人が、何度も未練たらしく「おみくじ」を引くであろうか?
ヒョットすると全て「大吉」が出て確信を持ったのかもしれない。
 
織田信雄、今川氏真は愚息なのか?
織田信雄は、本能寺の後清洲会議において後継者の第一候補になるはずだが選ばれなかった、よって後継者としては問題があったのだろう。
織田信澄は、明智光秀の娘婿であり織田信長に似た性格だったらしく本能寺の後、信孝と丹羽長秀に殺害されている。信澄が警戒すべき人物であったからだろう。
信雄は73才まで氏真は77才まで生きている。
勝手な判断だが、警戒される人物でなかったから長生きできたのではないだろうか。
 

徳川家康
三方が原の負け戦の脱糞
神君と崇めたてまつられる人の失敗談にしては凄すぎる。
何故隠さなかったのか、もみ消さなかったか不思議である。普通は恥ずかしくって失敗の肖像画はわかるにしても、脱糞は誰でも恥ずかしい、家康自身が口止めしなかったのか不思議である。
どちらかと言うと史実に残せと家康が言わなければ江戸260年の間にもみ消すことはできたのではないだろうか。
家康の人柄なのでしょうか。