chapter 1. - morgan -
 
 
 
 

Morgan is her name, and she has learned what useful properties 
all the herbs contain, so that she can cure sick bodies.
She also knows an art by which to change her shape,
and to cleave the air on new wings like Daedalus.
(Life of Merlin, Geoffrey of Monmouth, 1135-50)

 
 
 
 
 降り出した雨に気を取られ、気づいた時には敵が背後に迫っていたらしかった。
 たまたま二人だけで出歩いてしまった、まさにそのときに。

 思いもよらぬ伏兵の存在に驚いたアーサーとランスロットだったが、まだ体勢の整わない敵の一角を突破して、なんとか包囲される危険は免れた。
 しかし多数の追手を引き連れて逃げることに変わりはなかった。
 おそらく敵に要請を受けた北部からの援軍が、遅まきながら到着したのだろう。

 「アーサー、大丈夫ですか? 血が…」
 しばらく前の戦闘で負傷した箇所が暴れた拍子に傷を開き、ひどい具合になっているようだった。
 雨でよく見えないが鎧の下にある衣が黒く染まっているのがわかる。
 (この先は確か…)
 一か八かで逃げ出したのは、ソールズベリーの背後に広がる深き森へと続く方向の獣道だった。
 森の中はいざ隠れるにはもってこいだが、逃げるとなると馬を走らせにくく、都合が悪い。

 「この傷では逃げ切れない。卿は、味方に、連絡を。・・・私は森に、隠れているから」
 息を切らしながらそう云うと、アーサーは馬を下り、森の中に歩きだした。
 しかし、出血の具合からも彼一人を置いて行くのが危険な状態であることは明白だった。
 それを見越してアーサーもわざと言ったのだ。『卿』と。
 (この森から行けるだろうか…もしかすると)
 ランスロットは彼の友の強運に賭けてみることにした。
 何と云っても他ならぬマーリンが彼の後見なのだから、迎え入れられる可能性は高いはずだ。
 「…アーサー、もう少し奥に行けば私の郷につながるかもしれません。それまで辛抱を」
 ランスロットには、いざとなれば養母もマーリンもアーサーだけは助けてくれる、という根拠の無い自信があった。
 彼はもう一度アーサーを馬に乗せると、その雨に濡れた手綱を持って、森の奥へと分け入った。

 自分の勘が外れていなかったとランスロットが確信したのは、森に入ってしばらくしてからのことだった。
 森の中を一歩進むごとに周囲に白い霧が漂い始め、それは次第に煙のように濃くなっていく。
 (そろそろ中に入ったかな)
 雨が止み、肌に感じる温度が明らかに上昇したところで、ランスロットはぐったりとなったアーサーを静かに馬から降ろし、心と声の両方で喚び声を上げた。
 「養母上、道を開いて下さい!私です!急いでいるのです、どうか」
 横たわったアーサーの顔色がさっきよりも一段と青白くなっているのを見れば、声は自然と高くなる。
 彼はまるで今にも泣き出すかのように、ひきつった叫びを上げた。
 「お願いです、早く――」
 「――そう怒鳴らなくても、聞こえているから落ちついて」
 遠くからかすかに、ランスロットの叫びに答えが返った。
 透き通るように冴えた声の返答は、彼の記憶通りで、いらただしいほど冷静だった。
 そのうちに森の中には不似合いな、舟の櫂を漕ぐ音がしたかと思うと、ほっそりした漕ぎ手を乗せた小舟が、唐突に目の前に現れた。
 「お久しぶり、ガラハッド。何があったの、そんな姿で?」
 云われて始めて、自分の鎧が返り血で紅く染まっていることに彼は気づいた。
 だが、今はそんなことにはかまってはいられない。
 「やっぱり貴女か…。この方を頼む、誰かは知っているはず。傷を負っているんだ。無茶は承知だが、何とか島に入れて欲しい。私はすぐに行かねばならないんだ」
 彼女の同意を得る前に、強引にアーサーを舟に移しながら、ランスロットは懇願を声音と目の両方とで訴えた。
 境界の開いている時間は短い。こんなやり取りの間にも《扉》が閉じるような気がして、ランスロットは焦った。
 事実、彼がアーサーの体を舟に横たえ、自分が馬上の人となった時には、一時晴れたかに見えた霧は再び視界を曇らせ、向かいに立つ人影も朧ろになっていた。
 「ガラハッド!? 貴方は…」
 「――頼んだよ、すぐに迎えに…から…」
 アーサーの白馬を近くに放すと、ランスロットはそのまま踵を返し、敵の裏に抜けるはずの方向に向かって駆け出した。
 背後に、聞こえるはずのないため息をひしひしと感じながら。



***



 「・・・う」
 目覚めて始めにアーサーの目に入ったのは、壁に吊るされた薬草の束で、鼻についたのは薬湯の匂いだった。
 その嗅ぎ慣れた匂いからすると、風邪の時に母が飲ませてくれた苦い薬と同じものだろう。
 そのせいか、一瞬故郷の城なのかという錯覚に陥った。
 (帰ったのかな…それにしては見覚えの無い部屋だけど)
 視線を天井から壁に移し、無意識に体の向きを変えようとしたところで、脇腹に刺すような激痛が走った。
 「っつー…」
 その覚醒をもたらす痛みと共に、傷を負ったときの状況が脳裏に鮮やかに蘇る。
 (そうだ、ランスは? 彼は無事なんだろうか)
 アーサーがうめき声を上げると、しかしすぐに、誰もいないと思った隣の部屋からすぐに人の現れる気配がした。
 「動いては駄目よ、まだ」
 「…誰?…ここは…ランスは…」
 混乱したままの頭から、とりとめのない質問が溢れる。痛みのあまり思考がうまくまとまらなかった。
 「これを飲んで」
 細い腕に頭を持ち上げられ、云われるままに痛み止めの薬らしき液体を飲み下す。
 杯を空け、しばらくしてから自分の呼吸が落ち着いたとわかるまで、口をきくことはできなかった。
 「もう一度眠りなさい。まず体の疲労を回復しないと治るものも治らない」
 その諭すような口調にどこかで既視感を覚えながら、かすれた声でアーサーは尋ねた。
 「…ここは何処なんだ? 君は?」
 「大丈夫、心配しないで。…眠りなさい」
 アーサーは問いかけを諦めた。
 彼女の声の何かが彼に根源的な安らぎを与え、薬の睡眠作用よりも強く、彼を眠りに導いた。


 「ガラハッド…いえ、今はランスロットね。彼が貴方をここに預けたのよ。ここは彼の故郷だから」
 アーサーの意識がしっかりして、ようやく向き合って話ができるようになったのは二日後の事だった。
 彼が自分を看病してくれた女性をはっきりした頭で見たのも、このときが初めてだった。
 「そう…なんですか。それにしてもありがとう、本当にお世話になりました。貴女のお名前を聞かせていただけますか? 僕は…」
 「貴方の名前に興味はないわ、騎士殿。私の名もどうでもいいこと。本来ならば、此処はあまり見知らぬ者を招き入れるところではないのだから」
 素っ気ない返答は本来ならば鼻白むべきものだったが、彼女から云われると妙に当然のように思われた。
 長い白銀の髪に明るい翡翠の瞳を持つ彼女は、外見上は姉弟かと思うほどランスロットに似通っていた。
 しかし、外見だけを見るなら、同郷というのもなるほどとうなずけたが、口調に現れる性質はまるで正反対だった。
 言葉の端々に愛嬌が溢れ人好きのするランスロットと違い、動作も言葉遣いも冷静で隙がない。
 「それでもお名前を教えて下さい。命の恩人にお礼を云わせてくれてもいいでしょう?」
 アーサーはなおも食い下がった。
 何故か彼の口調は俄仕立ての王のものではなく、彼にとっては自然な、ついこの前の従士の時のものに戻っていた。
 「…私はモルガンよ。ここはアヴァロン」
 真っすぐに見つめるアーサーの眼差しに根負けしたのか、彼女――モルガンは、こころもち顔を伏せてそう云った。
 「モルガン…貴女の御親切に心から感謝します。貴女に幸いのあらんことを」
 彼女の手を取って礼を述べるアーサーに、モルガンはかすかに居心地の悪そうな顔をしたが、次には少し挑みかかるようにして、彼に問いかけた。
 「どういたしまして。…ところで貴方のお名前は?」
 「僕はア…アルトゥリウス、…といいます」
 少し頬を赤くしながら、彼女の視線を避けるようにしてアーサーは答えた。
 「…そう。アルトゥリウス、もう少し養生したほうがいいでしょう。ランスが迎えに来るまでゆっくりして」
 「ありがとう、モルガン」


 (アルトゥリウス、ね…。偽名にもなっていないと思うけど)
 モルガンは取り替えた包帯の布を持って離れを出ると、島の中心に当たる少し小高い丘を上り、樹々に覆われた館に入って行った。
 調理場の側で灰を含んだ水に包帯を浸し、持っていた薬草を素早く整理すると、その足で館の奥まった一室に向かう。
 モルガンが足を踏み入れた部屋は、明らかに館の主人がいると思われる格式のある部屋だった。
 中心には、花々をあしらった大きなタペストリーを背に、微笑みながら座っている小柄な婦人がいた。
 この婦人こそがこの館の主人であり、“湖の貴婦人”と呼ばれるニミュエであった。
 穏やかな微笑を絶やさない、優美な婦人。
 小柄で優しげであるにもかかわらず、身に備えた威厳は女王もかくや、と思わせるものがある。
 ニミュエはモルガンが入ってきたのに気づくと針仕事をしていた手を止めた。
 そして彼女を近くに招き寄せ、向かい合わせに座らせるとその顔を覗き込んだ。
 「彼の具合はどうなの、モルガン? たいした傷ではないのね?」
 「ええ、もう大丈夫です。今出て行っても良いぐらい」
 モルガンは相変わらずの素っ気ない口振りで、一言言い放った。
 「またそんな…。二、三日意識もなかったような傷がそう簡単に治るものですか」
 とりあえずは窘めたものの、彼女が普段にもまして不機嫌なのは明らかだった。
 そして、それがずっと溜まっている怒りのせいだろうということも。
 「あの子は何も悪くないのよ、貴方も分かっているでしょうけど。むしろ可哀想な子」
 「可哀想?」
 モルガンはひそかに眉を上げたが、ふいっと顔を背け、皮肉とも取れる口調で付け加えた。
 「そうね、彼も私と同様の、マーリンの駒に過ぎないと思えば確かに」
 「……」
 ニミュエはことこの話題に関しては、未だにモルガンに対して自分が無力であることを悟っていた。
 (彼女自身が納得しなければ駄目なのだわ…。)
 モルガンが幼い頃ならば、怒りも憎悪もマーリンやニミュエにぶつければそれでよかった。
 しかし『視る』能力があると自身が自覚した今となっては、その負の思いは吐け口もないまま、心の中に押し込められていくだけで、逃げ場を失っていく。
 「恨むならわたくしとマーリンを恨みなさい。――運命では恨みようがないものね。でも、憎しみだけを持っていては貴方が辛いでしょうに。それに、彼のことは…貴女が守ってあげなければ」
 モルガンは素早く席を立ち、その言葉を避けるように優雅に会釈をして、その場を離れた。
 
 (運命。運命などではないわ、あれは。全く人為的なもの)
 母代わりに自分を育ててくれたニミュエでも、結局はマーリンの味方だと思うと辛かった。
 ランスロットのように外界に出て行くこともできない自分には、未来の全てが閉ざされているような気がした。
 せめて普通の人間だったら、他の居場所もあっただろうに。――
 この感情をどこにぶつければいいのかわからなかった。どう表せばいいのかも。
 (…あの子は、普通の子ね。…憎らしくなるほど…)
 
 

 ***
 


 アーサーが自由に動けるようになるまで、それほど時間はかからなかった。
 二週間もすると、彼は離れの寝台から起き出すまでに回復した。
 外に出られるようになると、まずこの島の信じられないまでの美しさが彼を驚嘆させた。
 一面の樹々の緑と空の霞がかった青、そして島の周囲を取り囲む霧に覆われた湖の、吸い込まれそうな透明な湖面。
 聖書に書かれているエデンの園を思わせる、現実離れした景色だった。
 (やっぱりあの時死んでいたのかもしれないな)
 彼はもう離れに寝ていることには早くも飽きてしまっていた。
 暖かいうちは出来る限り外にいることを好み、許される限りの範囲を歩き回った。(館の中は御婦人が多いからということで、入ることは許されなかったのだが)
 「ああ、やっぱり外はいいなあ…。天国がこんなに奇麗な所なら、いつ行ってもいいかもしれない」
 アーサーは林檎の木の根元に頭を置き、赤ん坊のように体を丸めて、うとうととしながら呟いた。

 教会の中で剣を抜いてからの一年というもの、彼の王位に不満を抱く諸侯との争いが果てることなく続いていた。
 兄の従士だった時には父の戦話を聞くだけで胸躍らせていた、騎士と騎士の闘い。
 いつかは自分も戦場で勇敢に戦うのだと、信じて疑わなかった。
 だが、思い描いていた騎士の戦い、華麗な戦争などというのは幻想に過ぎなかったのだと、アーサーは血にまみれた戦場に立って、初めて実感していた。
 華麗な戦争などあるわけがない。少し考えればわかることだ。
 それでも実際にその場に立たなければ、決して思い知ることはない。
 今はそんな中で不意に訪れた、休息の時間だった。

 (もう戦いなどしたくない…。勝手に王だと云われても、僕は本当の両親のことさえ、何一つ知らない。全然、記憶が無いのに)
 「こんな所で眠っているの? 傷が治ったのに今度は風邪を引くわよ」
 眠りかけていた彼の隣に、ふわりと座る少女の気配があった。
 顔を見なくても、もう声だけで判別がつく。
 というより、此処で彼の看病をするのは彼女だと暗に決まっているようであり、アーサーは彼女以外の人をあまり知らなかった。
 「…やあ、モルガン。――ねえ、ここで歌ってくれない? この前歌ってるのを聴いたけど、すごく上手だった」
 「今は…静寂の時間だから無理。それよりそろそろ部屋に戻って包帯を代えないと」
 彼女は、モルガンは、いつもこんな調子だった。
 熱心に看病をし、身の回りを世話をしてくれたのは全て彼女であり、優しく親切な人には違いないと思うのだが、親しげに話に応じてくれるかと思えば時に突き放すような態度を取る。
 まるで傷を治すことにしか関心が無い、とでもいうかのように。

 (何だか命令されて嫌々やってるみたいだな…)
 そう考えて、なんとなく近づきがたく感じたこともあった。
 しかしそれでも、彼女のことを嫌いにはなれなかった。
 むしろ顔を合わせる度に、そのつかみ所のない様子が気にかかった。
 何とか普通に話して欲しい。そっけない素振りでもいいから見ていたい。
 ――そう思って。

 モルガンはこの島によく似ていた。
 この上もなく美しく神秘的で、でもどこか人を寄せ付けない冷たさを持っている。
 そもそもここに住んでいることからして怪しいのではあるが、そこには人に明かすことのできない秘密が隠されているのではないかと、アーサーはおぼろげに考えていた。
 例えばマーリンにつながるような、異端の。…
 鈍感な所のあるアーサーでも、この島の不可思議さにはすぐに疑問を抱いた。
 何しろいくら雨の多い季節とは云え、こうも四六時中島の周囲が霧に覆われているのは不自然極まりない。
 そして島の外から人が入ってくる気配は微塵も無く、完全に外界から切り離されていると云ってよかった。
 (ランスは確かに“湖のランスロット”と呼ばれているけど、それ以外の経歴も謎が多い…)
 本当にここがランスロットの故郷であるなら、彼はもしかすると人外の、妖精の類なのかもしれなかった。
 それでも、アーサーには忌避や嫌悪の感情は生まれてこなかった。
 ランスにも、モルガンにも。

 「今度、ランスの養母上という方にお会いできるかな。その方にもお礼を申し上げたいし」
 「そのことで、ちょうど話をするところだったの。マーリンが来たから、具合が良くなったら貴方を連れてくるようにと云われたのよ」

 マーリン!
 やはり、という思いが彼の脳裏をかすめた。薄々感じ取ってはいたにしろ、しかし、彼の居場所がここだと明白になると、確かに衝撃だった。
 (マーリンにも人並みに住むところがあるんだな…)
 そんな感想が思い浮かんでしまう。
 それにしても彼女の云い方は、まるで…。
 「マーリンのことは知っているわね、アルトゥリウス? …ああ、それにランスの養母上というのは、ここの女主人よ。名はニミュエと云うの」
 彼の内心の焦燥を気にも留めない様子で、モルガンは『会いに行くのは貴方の自由だけど』と、まるで罪人に猶予を与えるような物言いで付け加えた。
 (知っているんだな、何もかも。多分、此処に来た時から)
 アーサーはずっと彼女から、心の中で密かにせせら笑われていたかのような屈辱を覚えた。
 そう気がついてみれば、いつも彼女は薄い微笑で彼の偽名を呼んでいた。 『アルトゥリウス?』と。
 
 ――まるで僕は道化じゃないか。
 此処にいる間だけは『王』のアーサーではなく、本来の自分のままでいられると思った。
 彼女に対しても、王の威厳を気にする事なく自然に振る舞えるのを喜んでいたのに――。
 「すぐにお会いしますよ、モルガン。傷も治ったのだし、失礼なことにはならないと思います」
 自分が身分を名乗らなかったのがそもそもの間違いだと頭ではわかっていながらも、アーサーは羞恥心と…多分に八つ当たりな気持ちから、モルガンのそれに張り合うような無愛想な云い方で、つっけんどんに言い返した。
 彼女の前で情けない真似はもうしない。そう心に誓って。



***



 モルガンに案内されて初めて足を踏み入れた湖の館は、いかにも女性たちの住むところといった風情で、そこかしこに熟達した手になるものと思われる織り物やら編み物やらが見受けられた。
 女主人と紹介されたランスの養母上の後ろにも、林檎の木と側に立つ女性をあしらった見事なタペストリーを見て取ることができた。
 ――題材は楽園の林檎の木に寄り添うエヴァ、だろうか?

 「無事な様子で安心しました。放蕩息子の頼みとは云え、大切な預かり物ですからね」
 視線と興味をタペストリーに向けていたアーサーは、はっとして目の前の婦人に向き直った。
 彼に対して穏やかに微笑むその婦人は、確かにランスとは血が繋がっていないらしく、容貌はそれほど似ていなかったが、それでもどことなく雰囲気の相通じるところがあった。
 例えば人に無条件で信頼させるような愛嬌のある笑顔、冗談好きな様子、など。
 (何故こんな養母上に反発などしたんだろう…?)
 養母という人を見て、多少の疑問も生じたが、アーサーは婦人の気さくな様子に好感を持ち、彼女とモルガンがいるおかげで婦人の隣にいるマーリンと二人きりにならなかったことにほっとした。
 最初の印象が悪いおかげで、いまだにマーリンは苦手で、一緒にいると気詰まりを覚えるのだ。
 「此処に迎えて頂けたことを感謝します、ニミュエ様。それに、ランスロットにはいつも力になってもらっているのですよ。彼の養母上にお会いできて本当に嬉しく思います」
 「わたくしも嬉しいわ。あの子の話をしてもらえるなんて久しぶり。なにしろ出て行ったきりずっと戻らないのですから」
 そういかにも嬉しそうに言う婦人の様子を見て、アーサーは胸につまるものを感じた。
 彼は愛されている。誰よりも、この養母上に。
 「・・・それも彼の天性によるものだ、諦めた方が良いよ。さて、アーサー。其方に渡すものがあるのだ」
 しかし、そこでマーリンは唐突に2人の話に割って入り、モルガンに合図をすると近くにあった包みを持ってこさせた。
 「これは…。また剣か」
 そこに包まれているのは、その形状から剣であると容易に想像がついた。
 この老人は自分に剣を渡すのが余程好きらしい。
 「剣はもう頂いたよ。今度は皇帝にでもなれと? もう贈り物はこりごりだ」
 「それは其方の身を守るためのものだ。特に鞘は大事に持っていなさい。常に側に置くと良いよ」
 アーサーの皮肉など聞きもせず、マーリンは剣をモルガンの手から受け取らせた。
 「もっと慎重に行動なされよ、王。油断するからそのような傷を負うのだよ。ではまた」
 そうして云いたいことだけ云い終わると、マーリンはすっと影のように姿をくらました。

 (もしかしてマーリンは僕が傷を負った時も見ていたのか?)
 そしてランスが共にいたのだから、自分が此処に運ばれることも予定の内に入っていたのかもしれない。全てのことがマーリンの思惑どおりに進んで行く…そんな気さえしてくる。
 …どこまでも、掌の上なのか、と。

 「相変わらず勝手に現れては消えるのだから…。彼は人のことなどおかまいなしなのよ、仕様のないこと」
 ため息と共にニミュエが呟いた。
 「けれど、その剣が必要なのは本当よ。治癒の魔法がかけられているのですもの」
 「魔法…ですか」
 云われてみれば剣は不可思議な光沢で淡い光を放っている。
 抜いてみると素晴らしい業物であるのが一目でわかった。
 なるほど、これなら魔法がかけられているという妖しげなものでも、持つ価値はある。
 「違うのよ、魔法がかかっているのは鞘のほう」
 刀身ばかりを眺めていたアーサーに、ニミュエが苦笑しながらそう教えた。
 「鞘を持つことで、傷が癒されるのよ。肌身離さず、持ち歩くといいわ」
 鞘というのは本来剣の容れ物に過ぎないのに、その鞘こそが重要だなんて誰が考えるだろう。いかにもマーリンの発案らしい。
 「話はそれだけよ。あとは迎えが来るまでゆっくりしていらっしゃい。…アーサー、と呼んでも良いかしら?」
 「…ええ、どうぞ」
 それほど呼ぶこともないでしょうけれど、とアーサーは心の中で付け加える。
 (結局、この御婦人もマーリンと同類か。…モルガンも)
 
 一瞬、やり場のない怒りと憎しみがアーサーの中で膨れ上がった。
 ――それは彼が『家族』を失った時にも感じたもの。
 自分の全てが何かに操られているという不快感と、それ故に他人を信じ切れなくなっていくことで募る不信感。
 そしてそんな不条理な状態に無理やり置かれたことへの辛さから、この怒りと憎しみは生まれてくる。
 
 「…もう失礼します、少し疲れましたので」
 「まあ、もう? でも少し顔色が良くないわね、御免なさい、気が付かなくて。そうそう、云い忘れていたけど、その鞘にかかっているのはモルガンの魔法よ。だから持っていると本当に安心」
 彼女の魔法は完璧だから、とニミュエは誇らしげに語った。
 この部屋に入ってから全くの無口だったモルガンは、そんな婦人の言葉にもあまり反応せず、軽く一礼すると二人に背を向けて立ち去ろうとした。
 すれ違いざま、なぜか泣きそうに俯いた彼女の表情が目に留まった。
 そんな彼女の様子が気にかかり、同じく目礼を施すと、アーサーは足早に彼女の後を追った。
 「モルガン、待って。聞きたいことがあるんだ」
 さっきまでアーサーの負の感情は彼女にも向けられていたのだが、そんな思いも吹き飛ばすほど、ニミュエの部屋での様子は明らかに普段の彼女とは違っていた。
 いつもの冷静な気配とは似ても似つかない強い感情の波。
 それはアーサーの抱いたものと同種の感情、或いは強さではそれ以上のものだ。
 (誰を、何を憎んでるんだ…。僕か、マーリンか、或いは…)
 あの場面で自分と同じ感情を抱いたのは何故なのか、アーサーはそれを知りたいと思った。
 何か、何か理由があるはずだ――。
 そう思って問い詰めようとした矢先、先を歩いていたモルガンがいきなり立ち止まった。
 しかしそれはアーサーの声を聞いて止まったのではなく、館の奥から出て来た女性を見つけたからだと、アーサーは気づいた。
 モルガンはその女性に駆け寄ると、手を取って体を支えようとする。
 「こんな薄着で外に出てはいけないわ。戻りましょう」
 焦りつつも、その愛情に満ちた口調は、彼女の口から出たとは思えないほどの優しげな響きを持っていた。
 自分には決して向けられたことのない、心底本音で話しているとわかる声。
 「モルガン、この人は…?」
 追いついたアーサーは、モルガンの手に支えられた女性を間近に見た。
 その女性はあまり正気ではないらしく、その口から漏れるのは意味の不明な言葉の切れ端ばかり。
 けれど、狂人というにはあまりにその容貌は儚げで、厭わしい印象は受けない。
 何より微笑の瞳の淡い色が、アーサーにとっては育ての親であるエクター卿の夫人に似ていて、慕わしかった。
 見たところ、ニミュエよりも多少年下くらい。
 亜麻色の髪と明るい青の瞳も、若かりしときにはさぞ美しかったであろうと思われる美女の面影が、今尚見て取れた。

 「見ないで!・・・向こうへ行って。お願い。・・・お願いだから。」
 モルガンは激しく取り乱した様子で懇願し、その女性の姿をアーサーから隠すように支え、別棟に足を向けた。
 「ごめんなさい。見知らぬ人に会うと、体によくないの。館に戻っていて」
 振り向きざまアーサーにまた声をかける。
 そのとき、支えている女性の足首が衣のすそから垣間見えた。
 細く白い、少女のような足。
 (まだ、若い方なのかもしれない――)
 不意に気付く。
 だが、それほど重要なことだとは思わなかった。…そのときは。


 (ここには、不思議が多すぎる。何だか嫌なくらいに。)
 もう、アーサーには、この島にいること自体が鬱陶しくなってきていた。
 天国のような美しい景色も、神秘的な雰囲気も、物珍しさが抜けるとあとは落ち着かないものだ。
 何より、秘密だらけの周囲の素振りが、さっきから無性に苛立ってたまらなかった。
 彼は元々、ごく当たり前の環境に育った普通の少年だった。
 異端とも、魔法とも、何の関わりも持たずに健康的に育った、ただの子供。

 (戻りたい。元の世界に。僕の、あるべきところに。)


 
 

・・・to be continued.

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