chapter 2. - Battle and Raven -
 
 
 
 

In Arthur courage was closely linked with generosity,
and he made up his mind to harry the Saxons,
so that with their wearth he might reward the retainers
who served his household.
(History of the Kings of Britain, Geoffrey of Monmouth, 1135-50)

 
 
 
 
 
眼下に、朦々と立ち込める煙と、暗い雲のような思念が広がっていた。
 そこに降下していくにつれ、周りの木々がなぎ倒され、燃やされて灰になった無残な光景がまず目に入った。
 次に、その不毛な地の上で血塗れになって倒れている兵士、そして傷を負ってもその歩みを止めようとしない軍馬と、それを酷使する甲冑の騎士達が見えた。
 サクソン人の荒々しい方言の叫びに負けず、ラテン語系の響きを持った怒号と雄たけびが飛び交っている。
 (血に纏わる恍惚と高揚感、そして、純粋な戦いの喜び…)
 自分にはおよそ不快な、しかし原始的であるが故に圧倒されるその感情の渦に巻き込まれ、しばしの間思考が止まる。
 誰も彼もが争いに夢中で、敵を倒し血を見たいという暗い欲望をあたりに振りまいていた。
 (気持ちが悪い…。アーサーはいつも戦場にいる――当然だけれど…)
 普段の清浄な環境とはあまりにかけ離れた戦場の有様とその熱気に、彼女の不快感が頂点に達しようとしたそのとき。


 「陛下!…危ない!」
 その一言に、はっとして『振り向く』と、1人の従士らしき若者が、銀の甲冑を纏った、これまた若い骨格の騎士に駆け寄るのが見えた。
 騎士は振り返って、手に剣を持った軽武装の従士を認めるや否や、鋭い口調で叱責した。
 「下がっていろ! ……っ!!」
 直後に上がった悲痛な騎士の叫びもむなしく、助けようと伸ばされた手は空を切った。

 ――その腕の先で、騎士である主君を庇うように、若者は両手を広げて敵の槍に突き通された。



 
 「痛っ……!」
 その途端、胸に響いたあまりの苦痛に、『彼女』は同調を解いた。
 
 額に浮いた汗を掌で拭い、周囲を確認した後、両腕で自らを抱きしめ、その場にうずくまる。
 此処は、アヴァロンだ。私は此処に在る……。
 そう確かめることが、今の彼女に許された唯一の救いだった。
 
 「『視た』のか。…それで何故、そなたはそうしてのうのうといられる?」
 我には不思議でならん、と老人は呟き、いつの間にか近づいて、彼女の傍らに立った。
 「そなたが一人うずくまっていても、その苦痛は止むまいよ。…いや、ますます酷くなるばかりだ。ならば、何かせずにはいられまい?」
 「あの剣をアーサーが持ったら、結びついた私がこうなると知っていたくせに、よくも…。…いいえ、無闇に行動することなどできない。私はそのおせっかいな行為で傷つく人もいることを知っているのよ」
 「そのために救いを得る者もいる」
 
 ――マーリンはこうして吹っ切った結果、自らの心を痛めずに行動するようになったのだろうか?
 いつも痛みを敢然と受け入れる彼をそんな風に評しつつ、モルガンはいまだ動悸のおさまらない体を震わせた。
 確かに、この痛みは苦しい。心の痛み、そして体を貫かれた痛み。
 彼の味わう苦痛そのものには及ばないとしても、傍で見ている以上の痛みを共有する、そんな感覚。

 「苦しみをただ耐えるよりも、立ち向かったほうが楽ではないかな?」
 彼は誘惑するように、重ねて言った。
 「そなたが心を痛めぬ程度のことならできよう? …もっとも、我らのできることなど、所詮はたかが知れているのだよ」
 
 そんな都合のいい助言に乗せられたのではないけれど――。
 そう言い訳しつつ、モルガンは自らを言いくるめ、この苦痛を堪えるのを諦めた。
 どうせもう、彼には接触してしまった、…そんな自暴自棄の思いもあった。
 決心さえすれば、することは決まっている。
 彼女はその姿を変え、逃げ出すように島から飛び立った。



***


 
 「陛下は、ご無事か」
 「…ええ、ですが、しばらくそっとしておいて欲しいようでしたので」
 様子を見に行ったケイ卿がそう報告すると、エクター卿は眉を顰め、嘆息して呟いた。
 「このところ、だいぶ落ち着いてこられたようだったが…。あの者はそれほど親しくなさっていたのか?」
 「いえ、あれは最近になってお側についたばかりのはずです。まあ、気持ちもわからんではないのですが」
 「陛下はお優しいですからな。そのお人柄を慕って集まってくる者も大勢おりますよ。…こう言っては何ですが、今のお嘆きの姿を見れば、余計に周りの忠誠心も高まりましょう」

 二人の会話に割って入ったのは、執事を務めるルーカン卿の兄にあたる、ベディヴィア卿であった。
 忠誠厚く、誠意のある人柄ではあるが、あまり高潔とはいいがたいところもある。
 しかし、アーサーの登位を早くから支持した数少ない騎士の一人であった。
 「…あまり思いつめることのないよう、守ってさしあげたいものだよ」
 あの子の純粋さは戦場には向かない――エクター卿はそんな思いを抑え、今や一人息子となったケイ卿の肩を軽く叩いた。


 バサバサという、天幕に入ってきた鳥の羽ばたきの音を聞いて、ふと横を向くと、入ってきた鳥は大きな冠鴉だった。
 血の匂いを辿ってきたのか、と思い、また視線を宙に戻す。
 そして、アーサーは目を瞑ったまま、物憂げに呟いた。
 「…悪いけど、まだ死んではいないよ」 
 「死んでいたら来ないわ。甲冑を脱いでくれるかしら」
 その思いがけない返事に、今度は度肝を抜かれ、思いきり振り向いた。
 ――そこにいたのは、鴉が化けたかのように、黒いローブを纏った細いシルエット。
 「…貴女か。何故、こんなところにわざわざ」
 その人物がローブを外し、長い銀の髪を表したとき、思わずアーサーは不機嫌をそのまま露わにしてうめいた。
 「怪我をしているでしょう。いいから、早く」
 そういって、てきぱきと甲冑を脱がせる手伝いを始める。
 怪我は誰にも気付かれていなかったのに。――そう言おうとして、あまりの無意味さにやめた。
 どうせ彼女達には何でもお見通しなのだ。
 「人一人貫いた後だから、それほど深くはない」
 傷の様子に思わず顔を顰めた彼女に、およそぶっきらぼうな調子でアーサーは云った。
 「…何をそんなに傷ついているの」
 「だから、それほどひどくは――」
 「庇われたのが、ショックだったの?」
 「……」
 そのとき、彼女の指すのが体の傷ではないとようやくわかった。今度こそ、心の中まで読まれたのかと、内心畏れに震える。
 (だから、会いたくなかったんだ)
 そう思ったが、わざわざ心配して(普通に考えれば、だが)来てくれた彼女に、そこまで正直に云える筈もない。
 「――そうじゃない。…名前を、知らなかったんだ」
 対処に困って、先程まで思っていたことをそのまま告げた。
 自分のために死んでいった彼を、最期に呼ぶこともできなかった。戦場で人が死ぬのは当たり前だ。だが。
 「こんな奴のために死ぬなんて、浮かばれないだろうな、と思って」
 「…泣いてしまった方が楽よ」
 「泣けないんだ。…薄情かな」
 それは多分、泣いてしまうと自分への憐れみになってしまうから。
 (だから、その分余計に痛いのね…。)
 モルガンは彼の近くにいるとなおさらに伝わってくる胸の痛みに、自分のほうが泣いてしまいそうになって困惑した。
 それを誤魔化すためにかどうか、しばらく無言のまま、嘴にくわえてきた化膿止めと痛み止めの薬草を揉みほぐして治療に没頭した。
 そんな彼女の様子を横目に見ながら、アーサーは震える声で、早口に言葉を紡いだ。
 「――何故こんなに皆が尽くしてくれるのか、僕にはさっぱり理解できないよ…。反抗して、敵になる奴らのほうがまだわかるんだ。だって、自分でもこんな王は怪しいと思ってしまうからね! 今集まってる連中もそうだけど――特に、君とマーリンは、僕についていいことでもあるの? そんなすごい能力があるなら、自分で国を治めたほうが早いんじゃないかと思うよ」
 もしくは、何か交換条件でもあるなら、言ってもらったほうが楽なんだけど。
 アーサーは皮肉というよりもむしろ本心から、そう思った。

 自分に王位を与え、剣を授け、怪我をすれば(文字通り!)飛んでくる。
 何のためにそんなことをするのか、浮かんでくるのは疑問ばかりだ。
 ずっといいように使われている気がして不満ばかりもっていたけれど、それは、どう考えても彼らにとって旨みのある理由が浮かばないからでもあった。

 
 「別に貴方のためにやってるわけではないわ。――こう言うと誤解があるでしょうけど、全て自分のためよ」
 「…」
 「ああ、やっぱり誤解があるわね。…貴方を利用してるのは本当だけど、別に害を与えるつもりはないの。ただ、…私達の痛みを和らげて欲しいだけ」
 「僕に?」
 こくんと無表情でうなづく彼女に、彼は不審さを隠さず、きつい口調で問いかけた。
 「害を与えない割には、かなり好き放題してるように思うけどね。それに、君たちの痛みを和らげる手立てなんて、僕には見当もつかない」
 モルガンは、これ以上黙っていても、彼の不信が増すばかりだということを、その表情からひしひしと悟った。
 うまく伝わらないことは、百も承知だけれど、一度は言っておくべきではないだろうか?
 たとえ自己満足でも、何も教えないよりはマシなはずだ。
 「…貴方が地に満ちる嘆きを受け止め、地に染み込む血潮をこれ以上流さないようにしてくれたら、それでいいのよ。そのために貴方を助けているの」
 きっとマーリンはこんな説明をしようとも思わないだろう。
 する必要も感じていない。
 そのために自分が恨まれても、憎まれても、それでも動かずにはいられないほど、彼は鋭敏だからだ。
 だが、どうしたら伝えられるだろう? 
 私達が大地に連なる全ての嘆きと同調してしまうこと、人の痛みを我が身にも引き受けてしまうこと。
 ――その結果、この能力が人よりも長い寿命を苦痛と共に過ごす代償であるということを。

 「…それは、僕が背負う責任なのか?」
 「叶うならば。けれど、強制などできないわ。…それに、私達は常に貴方の都合など考えずに、一番有効と思われる手段を取るでしょう。それで貴方に恨まれる結果になることもありうる」
 だから、お互いに利用すればいいだけのことよ。
 そう、モルガンはそっけなく言い捨てた。
 もっと言いたいことが他にもあったはずなのに、彼に対して恨み言を言うには完全にタイミングを逸してしまった。
 彼のために犠牲になったものは他にも大勢いる。けれど、その責任がどこにあるのか、モルガンには整理がつかなくなって久しかった。
 ただ、今アーサーに言っているうちに気付いたことがある。
 そして同時に、彼女はその自覚に慄然とした。
 ――それは、いつか抜き差しならない選択を迫られたとき、自分もマーリンと同じ思考をする可能性がある、ということ。
 生身の人間としてではなく、『大地の守護者』として。…


 「よくわからない。でも、…考えておくよ」
 アーサーがそういったのを聞いて、何故だかほっとしたモルガンは、最後に煎じていた飲み薬を手渡した。
 そのとき、天幕の向こうで、騒がしくわめき立てる集団の叫びが上がった。
 男たちの罵声に混じって、女の叫びや怒鳴り声も聞こえてくる。
 「何?」
 「…ああ、略奪に行った一群が戻ってきたんだろう。それほど酷いことにはならないよう、注意させているよ」
 「何ですって…」
 珍しく唖然となるモルガンに、アーサーは面白がって、意地悪く付け加えた。
 「そろそろお帰りになったほうがいいかもしれませんね、姫君。…ここは戦場で、アヴァロンのようなお奇麗な場所じゃないんです。それに、僕がこんな格好だと、貴女が『そういう』お相手だと誤解されかねないでしょう?」
 そう云って、甲冑と上着を脱いだ自らの上半身を、腕を開いて指し示した。
 その仕草に、しばし呆然としていたモルガンだったが、すぐに頬を紅潮させると、彼を冷たい視線で睨み返した。
 アーサーは、冷静な彼女には珍しいその怒り方にほんの少したじろいだものの、原因の一部については彼にも言い分が少々あったので、黙ってはいなかった。
 「すみません。…冗談については謝りますよ。でも、略奪は仕方がない。大体、そんなに怒るようなことかい? 普通に行われていることだよ。戦いをするのはご立派な騎士だけじゃない、他の戦士も大勢必要なんだ。僕が今、王として権限を持ってるのは軍の召集権と上位の裁判権、せいぜいがそれぐらいのもので、略奪はある程度容認するしかない。領地も財産もろくに持ち合わせていないのに、どうやって臣に報いろと?」
 
 しかし、彼が口にしたこの至極常識的な意見を、彼女は事も無げに一蹴した。
 「そうやって、他の王と同じことをしている限り、貴方は《上王》になどなれないわ!…云っておくけど、これはおそらく私が贈る、最初で最後の親切な助言よ」
 そうして、裾に付いた塵を払うと、すっと立ち上がった。
 目を閉じてしばらく念じたかと思うと、見る間に先程の鴉に姿を変える。

 「――また、会えるでしょう?」
 飛び立つとき、背後に焦ったような、彼の声を聞いた。



 彼女が去った後、もらった煎じ薬を恐る恐る飲み始めたアーサーの天幕に、両手に荷物を抱えたランスロットが現れた。
 「アーサー、具合はいかがですか?」
 明るく笑顔で入ってきた彼は、しかし、天幕の中の匂いに気付いた途端、あからさまに顔を顰めた。
 そして手にもった荷物を下ろした拍子にアーサーの手にある薬に気付くと、今度は大仰に天を仰いだ。
 「ああ、またその匂いを嗅ぐことがあろうとは、思ってもみませんでしたよ!とてつもなくひどい味でしょう?」
 その大げさな悲嘆には苦笑したものの、確かに苦いし渋いし、ひどい代物であることは確かだった。
 ランスの様子からして、おそらくアヴァロンでは怪我の度に無理やり飲まされた、『苦い』思い出があるのだろう。
 「…モルガンが来たんですか。彼女が島から出るなんて、珍しいこともあるものだな」
 アーサーに軍用食を手渡しつつ、ランスは日頃の彼に似合わず、かすかに皮肉をこめてそう云った。 
 「君は、彼女のこと苦手みたいだね」
 「…私が母からお小言をもらっているときに、いつも横でつんとした顔をしてた印象しかないんです。あそこの女性は皆、苦手ですよ! 取り澄まして冷たくて、およそ感情的なことは頭から忌み嫌うんですからね。…私は外界に出たとき、女性というのはこれほど優しく、生き生きしてるものかと、本当に驚いたんです」 
 アーサーはそれを聞いて、なるほど、と頷いた。
 生きる喜びを全身で表現しているようなランスロットにとっては、確かにあそこは楽園ではなく檻のない牢獄に他ならないだろう。
 だが、今のアーサーには少しだけ異論もあった。
 「モルガンは、取り澄ましてるのが癖なだけじゃないかな」
 先程からかった時の彼女の様子といったら、思い出しただけでも可笑しくなるような、世慣れない小娘そのものだった。
 初めて会った時の張り詰めた印象が嘘のような素直な反応に、仕掛けた彼のほうが驚いたほどだ。
 
 「? 何かあったんですか、アーサー?」
 「いや、何でだい?」
 「…泣いていらっしゃる」
 云われて、アーサーは自分が涙を流していると初めて気付いた。
 声も震えず、嗚咽もなく、ただ涙が溢れていた。
 自分は笑っていたはずなのに。
 「…ああ。たぶん、悲しいのと嬉しいのと、両方だよ」
 やっと素直に悼むことのできる犠牲の死と、彼女のことをほんの少し知った喜びと。

 
 「名誉ある騎士の闘いを目指してみようか、ランス。今まで誰にもできなかったような」
 そう云って不敵な笑みを浮かべたアーサーに、ランスロットは目を輝かせて頷いた。
 「勿論、私はお供します。どこまでも」 



***



 その後、周辺地域の制圧を進めるアーサーの軍は、その声望の高さに惹かれて参加する王達が集まり、それに追随する援軍を得た。
 モルガンは、あるときは鳥の姿で戦場を飛び、王として、戦士として成長していくアーサーの姿を見た。
 ランスロットやケイ卿、後に加わったガウェイン卿が王に忠誠を誓い、アーサーの軍が王の軍として崇敬を集めていく様子を『視る』こともあった。

 
 そして数年のうちに、地に満ちる人々の声を聴いた。
 『ついに我々を、この国を救ってくださる真の王が現れた。高潔で慈悲深い、我々の王』

 ――しかし、その喜びの声が世に広がると同時に、軍の中ではある一つの噂が流れるようになった。
 曰く。

 『不吉な黒い冠鴉が現れると、必ず王が怪我をなさる。王は悪い妖術使いに呪われているらしい――』


 
 

・・・to be continued.

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