chapter
5. - Destiny's child -
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Arthur was
mischievously seduced by Morgause,
his voluptuous half-sister and wife of King Lot
of the Orkneys,
without him knowing her true identity.
The union resulted in the birth of Mordred.'
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(もう、戻ってこないつもりでいたけれど…)
白い霧を抜けてアヴァロンの境界に入ったとき、モルガンは息を吐いて、苦々しくそう思った。
本来ならば、自分を守ってくれる避難所であり、唯一の居場所であるアヴァロンの地。
けれど――母の狂気の源を知った以上、ここは故郷ならざる地となった。
自分の罪、などと自己憐憫をしても始まらないが、とはいえ今までのように、平気な顔でここに…母の傍にいられるとも思わなかった。
顔を見るたびに、きっと自分への苛立ちが募ることだろう。
もう戻らない覚悟も、出来ていた。
(ニミュエ様なら、お母様を放り出したりはしない…)
母の安全さえ保障されるなら、あとはどうでも良かった。
自分一人なら、どこかの森の奥深くにでも隠れ住めばいい。森の中で生きていく術は十分に身に付けていた。闇も獣も、自分には近しい存在だ。
――ただ唯一、不安があるとすれば。
自分がたった一人になって、孤独に苛まれる恐怖だけを案じていた。
これからの長い時を誰とも交わることなく過ごすかと思うと、それなりの覚悟はあってもやはり恐ろしい。
ここにいれば避けられる無用の争いも、迫害も、外では容赦なく襲い掛かってくることだろう。
…少しだけ、一人になる前に、傍にいてもいいかもしれない…
だから、不安に負けて、わずかな間といえど自分を甘やかすことを許してしまった。
――それが、自分の過ち。
勝手知ったる館の中を、見つからないようにこっそりと通り抜け、目当ての部屋にたどり着く。
細かく区分けされた棚に並ぶ、さまざまな種類の保存用の草木。
(……)
乾燥させた薬草の束の一つに目を留め、手を伸ばそうとして、…彼女は、自分の手が震えているのに気が付いた。
もう片方の手でそっと包み込んだが、容易には収まらなかった。
手だけではなく、身体全体が震えているのだ。
…恐怖と、哀しみとで。
「それでも、…仕方がないのよ。生きることは、許されない…」
そう、必死に自分に言い聞かせた。
だが、そのとき。
震える彼女の背後に現れた人影がゆっくりと伸びて、彼女を包み込んだ。
小さな体が、やたらと大きく感じられる。…そう感じるのは、いつも自分がやましい事をしたときや隠し事をしているときだった。
「わたくしの館で、無闇な殺生は許しませんよ、モルガン…」
――そんな、ニミュエの穏やかに窘める声を、モルガンは混乱する頭のどこかで、ひどく懐かしいと思った。
***
それは、ランスが旅立ってすぐのこと。
母は一足先にアヴァロンに戻ったが、モルガンはアーサーに懇願され、祝宴が終わってからも長々と引きとめられていた。
理由は様々だった。
初めは『ランスが出発するのを見届けてから』、次には『やってくる王妃を一緒に出迎えて欲しい』――。
そのたびに、もう彼と会うこともないだろうから、と自分に言い訳をして、モルガンはキャメロットに留まった。
また、理由にはもう一つ、久しぶりに会った姉のことが気にも掛かっていた。
何かと忙しさに取り紛れて、あまり親しく話し合うこともなかったけれど、機会を見つけて様子を訪ねたいと思っていた。
――今思えば、それも取ってつけた言い訳だったかもしれない。
姉とは、もう二十年も離れて、もはや見知らぬ他人のようだったのに。
「…これはこれは、そこに見えるは陛下の姉君ではありませんか」
祝宴からだいぶ日も経っていたが、未だ領地に戻らず饗応に預かっている者達が多くいた。
中には城詰めの女性に対し不埒な振る舞いに及ぶものもいて、場合によってはいささかの問になっていた。
夜も更けた薄暗い城の廊下を、考え事をしながら通り抜けようとしたとき、明らかに泥酔の様子をした騎士たちに声をかけられたのは、そんな時だった。
モルガンには彼らがどこの騎士かなど区別はつかなかったが、厄介な事にならないよう、素知らぬ振りで隠れてしまおうと足を速めた。
しかし、酔った勢いで気も大きくなったらしい彼らは、もつれる足でモルガンを取り囲み、酒臭い息を吐きかけながら詰め寄ってきた。
見たところ、まだ若く、血気盛んな男たち。
「お噂には聞いておりましたが、傍で見るとますます…。いや、随分とお若い姉君でいらっしゃる。まさに、惑わされる程のお美しさですな。…魔女だ妖女だという風聞もあながち嘘ではないのですかな…?」
「こらこら、失礼だぞ。仮にも陛下の姉、我らがモルゴース様の妹君に当たられるのだ。丁重に扱って差し上げねばならん」
下卑た笑いを漏らしながら、彼女の全身を品定めするように眺める男たちに、モルガンは怯えるでもなく、ただひそかに顔を顰めた。
しかし、姫君らしい怯えと羞恥を予想していた彼らは、その反応の無さにかえって逆上した。
「――高貴な姫君は我々とは口も聞いて下さらないのですかな? フン、確かに美しいが、魔法でも使って醜い女が化けているだけかも知れんな。陛下の姉とはいえ、妖しげな薬を作っているとか鳥と話をするだとか、妙な風聞ばかりが聞こえてくる。…まるで、得体が知れぬわ」
「はは…それは仕方あるまい。噂によれば、こちらの母君も魔性のようなお美しさで先王を誑しこんだとの、専らの評判ではないか。――そういえば、このところ妖しげな噂を聞くな。《上王》も戦場でよく鴉に呪われてお怪我をなされたとか…? 案外、この姉君も――」
そこまで云ったところで、彼らはモルガンの纏う空気が一変したのに気付き、舌を凍らせた。
その目は冷え冷えとした光を放ち、まるで床に潰れた虫けらを見るような眼差し。
嫌悪や怒りなどという感情を持つことすら勿体無い…まさに、彼女の目はそう語っていた。
実際、一時眠らせようか、黙らせようかの選択で悩んでいた彼女は、そのとき永遠に眠らせるという第三の選択肢を候補に加えようとしていた。
ところが突然、その思考を打ち破るかのように、聞き覚えのある陽気な声が、やたらと大きな音量で廊下に響いたので、呟こうとした呪文を口に出せずに終わった。
「おやおや。そこにいらっしゃるのは、麗しの我が叔母上では?」
その人物はそのまま大またで近づいてきたかと思うと、彼女と騎士たちとの間に滑るように割って入った。
そして、今しがたの陽気な顔とは打って変って、彼らに向けて刃のような鋭い視線と、強烈な一喝を浴びせる。
「そこまでにしておけよ、お前達。父上の子飼いといえど、その城の中での無礼には容赦しない」
そう云うと、二人の頭を強烈にぶつけ合わせ、その場に昏倒させた。
ずるずると倒れこむ彼らを鼻息も荒くねめつけ、最後に軽く蹴りつける。
しかし次の瞬間には、何事もなかったかのようにモルガンに向き直って、恭しくその手を取った。
「夜にお姿を拝見すると、まるで蒼天に輝く銀の月、といった風情ですね。いや、いつ見てもお美しい。まったくもって、目の保養になります。…ん? どうかなさいましたか、叔母上?」
「……」
少々気の弱い姉から、どうしてこんな息子が出来たのか?
…一瞬モルガンは脳裏にモルゴースの気弱な笑顔を思い浮かべ、真剣に悩みこんだ。
「…貴方はガウェインだったわね、確か」
「覚えておいていただけたとは、光栄です。叔母上はいつも心ここにあらず、といったご様子でしたからね、果たしてお目に留まっているものかと心配していたのですよ」
「…。その、叔母上というのはやめてくれないかしら。モルガンでいいわ」
「それならば喜んで、仰せのままに。――実際のところ、貴女が叔母君とはとても信じたくない気持ちなのです。…我が人生最大の不幸かもしれません、これは」
大仰に天を仰いで落胆する彼を、モルガンは不思議な物でも見るような目つきで見ていたが、しばらくするとクスクスと笑い出した。
「…私も貴方が甥だとは俄かに信じがたいわ。でも、とにかくうまく治めてくれてありがとう。…さっきの人たちは、オークニーの騎士なのね…。――お姉様は、お元気?」
「まだオークニーには戻っておりませんよ? 母は父と共にまだここに残っております。お会いになられていないのですか?」
「ええ、それは知っているけれど。ずっと会っていなかったものだから、…」
記憶に残っている姉の姿はとてもおぼろげで、けれど妙に印象に残っている断片は、何故か辛い思い出ばかりで。話し掛けるには微妙に気が引けた。
覚えている限りでも、自分が話しかけると、いつも彼女は怯えたように逃げてしまうことが多かった。
何故なのかはアヴァロンに連れて行かれてからようやく判った。つまり、自分は姉にとって見れば、なにかと不気味な子供だったのだろう。
…そして、一番耳に残っているのが、最後に別れたときの悲痛な叫び。
『どうして? 私もお母様と一緒にいたいわ! モルガンはいいのに、どうして私は駄目なの? 嫌、行きたくない――!』
たった十で嫁いでいく姉の気持ちを考えれば、あの叫びも当然だったろう。
しかも、あれは父が戦死したと聞いたばかりのときで。
大人しい姉が、あのときばかりは声を限りに叫んでいた。
それでも、やはり少女の叫びなど周囲に聞き届けられることはなく、まるで捕虜のように婚約者の元へ連れて行かれたのだ。
その姉が果たしてどんな生活を送ってきたのか。
――あんな連中に取り巻かれて暮らしてきたというのなら…。
「…貴方に聞くのはどうかと思うけれど…。お姉さまは、お幸せだった?」
「…そうですね。……昔は、やはり泣いておられることが多かったですよ、あの通りの父ですから。正直、彼にしてみれば、婚姻によってコーンウォールと誼を通じる目的だったのが、見事に当てが外れて、面白くなかったのでしょう。でも、私や弟達は、いつでも母の味方でしたし、これからもそうです。――それに、今回は陛下の姉君として遇されたのですからね! …父などは掌を返したように母を丁重に扱い始めましたよ。まったく露骨なことだ、あの人も」
侮蔑も露わにそう云うガウェインは、父その人へ抱いている疎ましさをまるっきり隠そうともしなかった。
だが、モルガンの視線に気付くと、表情を緩めて、おどけた顔をしてみせた。
「大丈夫、母上はお幸せですよ。なにしろ優秀な息子が揃っていますからね! まあ、これから父が早々に亡くなって、たくさんの孫にでも囲まれれば、なお一層お幸せになること請け合いです。おっと、それにはまず孫を作って差し上げないと…」
「……」
冗談なのか本気なのか、掴み取れない部分もあるが、本人の言うように、頼りがいのある息子であるのは確かなようだった。
(良い母親なのね、お姉さまは…)
ようやく心の重荷が一つ下ろせたような、安堵感が胸の中に広がった。そうして、知らず知らずのうちに、穏やかに微笑んでいたらしい。
ガウェインが彼女の顔を覗き込んで、嬉しそうに笑った。
「やあ、そうやってお笑いになると本当に綺麗だ。いつもの神秘的なお顔も捨てがたいですが、やはり憂い顔よりも微笑みのほうが数倍輝いて見えますよ!」
そんな調子でやり取りをしているうちにいつの間にか、人嫌いのモルガンにしては珍しく、この『甥』と打ち解けて話をしていた。
おそらくは彼の人好きのする性格が原因だったのだろう。ランスロットの子供のような純粋さとは別の、人を食ったような愛嬌が彼にはあった。
だが、この連れ立って歩いていた途中で、運の悪いことに。
――偶然出くわしたのだ。『彼』に。
『彼』は一瞬顔を強張らせたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻った。
すかさず礼を取って頭を下げたガウェインには、そんな表情は見えなかったろう。
しかし二人に掛けられた声は、普段よりも少しばかり低かった。
「…ガウェインと随分仲良くなられたようですね、姉上。貴女にしてはお珍しい」
そして、ガウェインに向けて、早口で言い添えた。
「ここからは私がお送りしよう。ご苦労だったね、ガウェイン。ありがとう」
主君にしては珍しく落ち着きの無い素振りに居心地の悪さを感じたのか、私はこれで、と、彼はそそくさとその場を去った。
その後姿を見送り、『彼』は背後のモルガンにそっと告げた。
「少し、お話があります。よろしいですか?」と。少し、怒ったように。
***
「…王妃の侍女?」
「ええ、よろしければ、是非」
私室に通されて、開口一番に云われたのが、彼女には思いもよらない提案だった。
侍女、とはいっても、王妃付きともなれば勿論位は高い。宮廷にいる女性の中で、王妃と対等に話ができるだけの高貴な身分、という意味合いが含まれている。
つまりは、王妃が宮廷に慣れるまでの相談役になって欲しい、というわけだ。
「……悪いけれど、私はここに長く居ることはできないわ」
「姉上の御意のままに、と言いたいところですが…。しかし、では、あそこに戻るつもりだとでも?」
彼女の内心を探るように、アーサーは青い瞳を閃かせ、少し挑発的に問いかけた。
「…どういう意味かしら。私はアヴァロンの住人よ。貴方もよく知っているように」
「住人、ね。物は言いよう――ですが、要は母親を盾にとって、貴女を利用し、閉じ込めようとしているだけのことでは? そろそろ貴女はご自分の幸せを考えてもいいはずですよ、モルガン」
「……」
彼の意図が読めず、モルガンは訝しげに彼の表情を窺った。
「何が云いたいの…?」
「――あんな、人里離れた場所に隔離されて、ろくに人とも交わらず。それでも、貴女は生きていると云えるのですか? 少なくとも、私にはそうは見えない。…貴女が生まれついた身分と備わった美徳を考えるならば、もっと幸せな、豊かな人生が送れるはずです。ここにいてくださるのなら、私が――」
(……っ)
「余計なお世話よ、アーサー・ペンドラゴン! …私に指図しないで…!」
(貴方に、何がわかるの――)
思わず逆上しそうになって、モルガンは必死に自分を抑えた。
こんな、普通の神経の高ぶりさえも、周りに影響を与える可能性がある以上、気ままに吐き出すことはできなかった。
だからこそ、自分は常に制御できるように、幼い頃から精神を訓練されてきたのだ。
あそこで生きるしかない人間の気持ちなど、きっと彼にはわからない。
この世で何一つ、叶わぬ事などないような、この弟には――。
「――私は、貴方とは違う生き物なの。そう見えなくとも、そうなのよ。一緒にいれば分かったでしょう。ここは私の住むべき場所ではない。…貴方とは、決して、共にはいられないのよ」
弟にいいきかす口調で、モルガンは語調を強めて説いた。
じっと彼女を見つめる澄んだ瞳に、しっかりと目を合わせて。
「…」
「分かるわね…? 貴方はすぐに目が覚めるわ。一時の迷いは、時と共に消え去る」
アーサーが何を考えているか、望んでいるのか、彼女は全く判っていないわけではなかった。
けれど、それは母性に対する思慕、失われた家族への愛着の代わりに過ぎないのだと思った。王者の孤独が耐えがたいからこそ、彼が求めた逃げ道なのだと。
そして皮肉交じりにこう考えてもいた。
全てを手にしてしまったから、手に入らないものほど欲しくなる…そういうことでしょう、と。
(でも、これから妃を迎えて子供でも生まれたなら、私のことなどすぐに忘れるわ――。)
更にそう付け加えようと、モルガンは口を開きかけた。
しかし、そんな彼女を、アーサーは鋭い眼差しでまっすぐに貫いた。まるで睨みつけるかのように。
「迷い? …迷ってなど、いません。僕はずっと正気ですよ。貴女を想うこの気持ちが狂気であれ、逸脱であれ、…迷いなどではない」
アーサーはそう言い放ったかと思うと、腰に挿してあったエクスカリバーを抜き、すっと目の前に差し出した。
「…? 何…」
モルガンがいきなりの動作に戸惑っている間に、彼は剣を抜き払い、躊躇うことなく自らの腕を切り裂いた。
…宝剣の切れ味は、云うまでもなく鋭い。とっさに、鮮血が床に滴る。
「…っ!アーサー、何をしているの? 鞘を持って、早く!」
モルガンは唖然としながらも、少しでも止血をしようと、彼の腕を押さえ、鞘にかけた自らの魔法を増幅させた。
『…を、…てる…』
「――え…」
鞘と、触れた腕を介して、一層同調が強まる。
それに紛れて、自分の中に彼の感情が流れ込んできた。
『…貴女を、守りたい。傍にいて、もう苦しまないように…貴女が、僕の知らない場所で一人で泣かないように――』
「…アーサー…」
雷にでも打たれたかのような衝撃に呆然とする彼女を見つめ、アーサーはようやく血を落すために剣を振ると、流れるような動作で鞘に戻した。
「これで、伝わっただろう? 僕は、決めたんだ。自分の意志で誓った。…もし、貴女が僕を守るというのなら、代わりに守られることも望んで欲しい。使命として定められていたから、ではなく。貴女自身の心で望んで、誓ってくれないか」
その声と、視線とで、彼は意志を明確に伝えてきた。
本気だった。本気で、誓いをしようとしている…。
(怖い――。)
唐突に、そう思った。
男としての彼の熱情に恐れたのではなく、もっと別の意味で。
自分に、自分だけに向けられる感情が怖かった。
いつも苦しめられる思念の奔流とは違う、もっと直接的な、生々しい感情。…今まで自分が知らないでいたもの。
こんな想いをぶつけられたくなかった。ましてや、『彼』に。
(いけない…誓っては、いけない! 誓約をしてしまっては、もう取り返しがつかないのに…!)
「やめて!――黙りなさい。…私は貴方と生きるつもりはない。傍にはいられないし、貴方を愛することもないわ。姉として、弟である貴方を生涯守ってあげる、それは誓うわ。でも二度とこんな愚かしいことは云わないで。――その、不吉な、汚らわしい感情を表に出さないで」
「……っ」
(…痛い…)
自分の投げつけた言葉の矢に貫かれたかのような、悲痛な彼の顔を見ていられなくて、モルガンは必死に目を背けた。
それでも彼の感じている痛みが伝わってきて、胸がきしんだ。
彼の誠実な想いに対して、私が投げつけた、惨い言葉。それによって傷つけられた、アーサーの心の痛み。
「明日にでも、ここを去るわ。貴方は、王として為すべきことをなさい。――そのことが、私にとって一番の望みよ」
静かに彼の頬に触れ、去ろうとした。
モルガンは、彼の誠実さを信じていなかった自分を恥じた。
そして、弟に対してずっと抱いていた感情を解放した。憎しみや嫉妬や――それから…。
このとき、初めて自覚したのかもしれなかった。
自分が彼の想いを『嬉しい』と感じたことによって。――
それでも禁忌が彼女を押し止めた。
自分を慰めるように、こう言い聞かせた。
姉として、自分はまだ弟を慈しむことができる。これでようやく、本来の状態に戻れるのだ。
――そして、次に会うときには、これほど胸は痛まないだろう、と。
ところが、触れようと伸ばした手を、アーサーは逆に自分の方へと引きこんだ。
そのまま引き寄せられ、体ごとすっぽりと包み込まれる。
「…! やめ…」
「――そんな酷い顔をして…。君のほうが、僕よりも余程傷ついている」
そう云って、彼女の顔を両手で挟みこみ、こつんと額を重ねあわせた。
「僕にだって、貴女の気持ちぐらい伝わってくるんだ。こうして傍にいれば、魔法など無くてもね――。僕を傷つけて、嘘をついて、一番傷ついてるのは君だ。君の心は普通の人間と変わりないよ。今まで感情を出せなかった分、人より成長していないだけなんだ。…僕は、誓いを守らねばならない。例え、君自身であっても、君の心を傷つけることは許さない」
彼は、自分が傷つくことなど少しも恐れていなかった。そして、想いをぶつけることすら躊躇いもしない。
…そう悟ったモルガンは、もはや何も言い返すことができなかった。目の前がぼやけ、足元がふらついて、腕を押さえつける力に対抗することすら。
こんな、何事にも流されまいとする強い意志に対して、いったい自分に何ができるというのだろう?
これまで与えられた運命を嫌悪はしても、抗おうとはしなかった自分に。
世の禁忌も定めも、…血のつながりすら、彼には障碍となり得ないのだとしたら。
ただひたすらに圧倒されて、近付いてくる彼の瞳に呆然と見入った。
母によく似た奇麗な瞳だった。湖と空を溶かし込んだような、深い青。
自分が憧れていた、外界の海のような――見たことのない青。
――きっと初めて見たときから、…私は、この瞳を憎むことなどできなかった。
アーサーの体温を感じながら、諦めに似た思いで彼女は目を閉じた。
彼の手の暖かさは、いつも心に触れるときの温かさと同じで、何故かとても安心した。
子供のように堅くしがみつくアーサーを、ゆっくりと抱きしめた。
以前にも彼をこうして抱きしめていたような気がする。――林檎の花の散る中で。
だから、罪深いことだとは思わなかった。
あまりに自然で、無意識にしてしまうような当たり前のこと。
…そんな錯覚さえ覚えるほど。
***
「…それで、理由を教えてはくれないのかしら?」
「…」
ニミュエに見咎められ、ひとまず彼女の居室に連れて行かれたモルガンは、すぐに前置きもなく詰問された。
彼女には、視えなかったのかもしれない。
…そう思ったモルガンは、ニミュエの問いを可能な限りではぐらかそうとした。
「私は、母親になどなれません。だから、ですわ」
「…それは、貴女が原因なのかしら、それとももう一人の当事者が問題なのかしら?」
「どういう意味です?」
「――人と触れ合うことを極端に恐れる貴女が身を許すとしたら、相手は一人しか考えられないからよ。わたくしはこれでも貴女のことをずっと見ていたわ。恐れていたけれど、仕方の無いことでもある。…貴女と彼は、惹かれあわずにはいられなかったのですものね…。それなのに、貴女は自分の判断だけで、せっかくその身に宿った命の火を吹き消そうというの?」
「そこまでわかっていて、そんなことをおっしゃるほうがどうかしているわ! この子の存在の忌まわしさは、もうおわかりでしょうに」
そう、普通の禁忌だけでも、充分に忌むべきものなのだ。それなのに、この子は――。
「それでも、生まれようとする命に罪などないわ。貴女も苦しいでしょうに、モルガン…」
「私のことなど哀れまないで結構よ。それに今更『貴女』が何を云うの? …お母さまのことを、見て見ぬふりをした、貴女が」
「……。そうね、…わたくしには何も云う資格はないわ。――でもね、モルガン。わたくしはもう犠牲はみたくないわ。この仮初めの安住の地を守ろうとして、わたくしたちは過ちを犯してしまった。…あれほど何物をも苦しめまい、苦しむまいと誓ったのに。――けれど、それより何より、この手で育てた貴女が苦しむのを見たくはないのよ…。その子はわたくしが育ててもいいわ。だから――」
「……視たんです。先視をしたの。この子が宿ったその日に」
――ニミュエはどうあっても納得しない。
生命を愛する彼女は、この世に生まれいずる命は全て祝福を受けた存在なのだ。
そう観念して、はっきりと、理由を告げた。
この子供は生きることを許されない、そのわけを。
――薄暗い、夕日の落ちた戦場で、二人の騎士が闘っていた。
一方の手にはエクスカリバーの輝き、…あれは、アーサーだ。
もう片方、顔を見えないが、動きが若い、長身の騎士。
『もはや命運は尽きたぞ、アーサー。貴方は真の王などではない、偽りの王に過ぎぬ』
『…御託はそれで終わりか。早く来るがいい、望み通りそなたを殺してやろう。私のこの手で』
逆光に晒されて、一瞬だけ相手の目が見えた。禍々しい光を放つ、青緑の瞳。
見知らぬ男だった。なのに、何故か――
(――やめて…、これは――!)
暗闇の中、泣きながら目が覚めて、ひとしきり身を震わせた。
夢などではなかった。明らかな、未来の欠片に違いなかった。
初めて視る、アーサーの未来の不吉な幻像。
それなのに、――あれが誰なのか、直感で、おぼろげながらもわかってしまった。
やりきれなさに涙が止まらない自分を、傍にいたアーサーが必死に抱きしめてくれた。すまなかった、頼むから泣かないでくれ、とずっと髪を撫でながら。
(そうではないの。貴方のせいではなく…!)
けれど、理由はとても云えなかった。云える筈もなかった。
想いを交わした結果がこうなるだなんて、誰に予想できただろう?
未来を視る自分にすら分からなかった。…それがショックで。
――それで、次の日、逃げ出すように彼の元を飛び去った…。
「これだけ明確な視像はないわ。…この子は、いつか破滅を導く事象の一つとなる」
予感は、当たっていた。
いつか『大地の守護者』として、自分はこんな判断をするだろうと。
マーリンと同じく、――否、それ以上に冷酷に。
それとも、もしかしたら…それを理由にして。
自らの胎を捧げて、己と彼の罪悪感を救うために。――
・・・to be
continued.
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