chapter
6. - seal < the Door > -
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And Vivien answered
smiling mournfully:
"However wise, ye hardly know me yet."
And Merlin loosed his hand from hers and
said,
"Yea, by God's rood, I trusted you too much."
Merlin and Vivian, by Alfred, Lord Tennyson
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(モルガン、モルガン…!)
夢の中で、ぼんやりと自分を呼ぶ声を聞いた。
(アーサー?)
(《扉》を開けてくれ! 僕は君に会いたい、会って…一度…!)
(…聞こえない。…何も、聞こえないわ…)
声が遠ざかった。だが、気配は伝わってきた。
いつもエクスカリバーを通じて感じる、彼の感情の波。
…あの子が、泣いている…
***
「……? 私…」
目覚めたとき、モルガンは一体我が身に何が起こったのか混乱し、戸惑った。
かろうじて、アーサーが泣いていることだけは覚えていた。
何故泣いているの…。そう考えて、途端に記憶が蘇った。
そうだ、自分は…!
「目が覚めたようね。…具合はどう?」
「…ニミュエ様…。私…」
全身に警戒を滲ませて立ち上がろうとしたが、すぐに押しとどめられた。
「急に立っては駄目よ。眩暈がするわ」
「一体私に何をしたの…! あの薬は?」
そうだ。はっきりと思い出した。
彼女に不意をつかれ、眠らされた。苦痛のない堕胎薬を作るからと、いかにもな嘘に少し気を取られた隙に。
それが証拠に――
「…この子…」
胎に息づく生命は、確実に育っていた。
この分では、かなりの間眠っていたことは間違いない。
もはや、息遣いも聞こえそうなほど、大きくなった胎児の波動。
「何故…。あれほど云ったのに、何故?」
ほとんど絶叫して、ニミュエを睨みつけた。
この子供は生まれても仕方の無い子供なのに。彼女も、よく分かっているはずなのに――!
「…今、貴女はその子を殺せて?」
「何?」
「己の一部だと思えばこそ、あれほど簡単に殺すなどと云えたのでしょう? 今はどう? 己の腕や足を切り取るように、その子を殺せて?」
「……」
「まだ自覚がないから云えたのではないの? 勿論、我が子を苦も無く殺せる者もいるけれど…。でも、日に日に育っていく子を自らの身体の中に感じたなら、決して云える筈などないわ…」
ニミュエは恐ろしいほど真剣な顔で、モルガンを責めたてた。
それは紛れも無く、何かを知っている苦痛の表情。
(ああ…。この人も、子を持ったことがあるのだわ…)
直感で、それを感じ取った。
確かに、今感じる子供の胎動の生々しさは、実際に体験しなければわからなかった。
自分の一部というよりも、壊れやすい宝を抱いているような、そんな感覚。
頭で考えていたときには予想もつかなかったけれど、その脆さが愛しいとすら思った。
だからこそ、ニミュエの持つ母の顔は、経験による以上のものだったのだと気が付いた。
そして、同時に彼女の過去にも思いを寄せた。
――彼女もまた、殺すか殺さないかのギリギリの選択を迫られたことがあるのではないか、と。
「昔のことよ。わたくしの場合は、殺されたの。目の前で。」
そんなモルガンの思考も読み取ったかのように、ニミュエは背中を向けた。
「…その頃は、能力を持つ子は神々に捧げられることになっていた。わたくしは族長の娘で、子を産む為にかろうじて生かされていたの。岩穴の牢の中で、待望の息子を産んだ…皆が望んだ後継ぎ。けれど、その子は強い能力があった。」
それから彼女と子供がどうなったのか。――聞くまでも、なかった。
「…殺すとき父は云ったわ。『また産めばよい。次は長になる子が産めよう』と。」
まるで伝承でも語り聞かせるかのように、ニミュエは無機質な声で云った。
「…死んだ子供の声がまだ耳に残っているわ。わたくしにはあれほど辛いことはなかった。もし貴女があの苦しみを味わうというのなら、わたくしが貴女を殺してあげましょう。そのほうが、余程救いになるかもしれなくてよ」
殺す、という言葉を、彼女はまるで安らぎをもたらす助けであるかのように使った。
「どう? …まだ、殺せて?」
***
それでも、まだ迷った。
この子供は、破壊をもたらすかもしれない。大地に血を呼び込むかもしれない。
けれど、最後に自分を促したのは、母の微笑だった。
イグレーヌは、時々傍に近づいてきてそっとモルガンを抱きしめた。
子を宿していると知ってか知らずか、いつもよりも嬉しそうに。
そのとき、不意に母の叫びを思い出した。
『怖いわ。とても恐ろしいの…! …けれど殺すことなど出来ないわ。私の子よ。たとえ、死者の子であろうと、私の赤ちゃんよ…!』
狂っていく中で徐々に子供のことなど忘れていったけれど、それでも母は確かに守ろうとしていた。
――胎の中の、アーサーを。
『生きて欲しいと思ってもいいのかしら? …お母様…?』
微笑むイグレーヌが、かすかに頷いたように、モルガンには見えた。
臨月を迎えるまで、外に気配が漏れぬよう、ニミュエは強い結界を張った。
この子の存在を隠すため。モルガンの存在を隠すため。
それはアーサーにというよりも、ある一人のために、だった。
云うまでもなく、この子の存在を許さぬであろう、彼の目をくらますために。
月満ちて、子供は生まれた。
元気な男の子だった。
――何も不吉な兆しなどあり得ない。そんな祝福だけが聴こえるようだった。
「アーサーの声が聞こえたわ。何度も。眠っている間に。」
「そうね、近くまで来ていたようだったわ。…招くことはできなかったけれど。わたくしも手一杯だったのでね。」
腕に抱えた赤子をじっと見つめたまま、彼の声を思い出していた。
彼の顔よりも、腕の強さよりも、自分にとってはあの声が一番印象深い。
『僕の名は…』
そのとき、ふと出会ったときのアーサーの顔が子供に重なった。
「…アルトゥリウス。この子の名は、アルトゥリウス」
「そう、いい名ね。…貴女の希望ね…。」
不思議と、その名をつけた途端に赤子の顔がアーサーに似ているような気がしてきた。
淡い金の髪も、薄い青緑の目も、自分とアーサーを合わせたような色をしている、この子供。
だが、このとき。
『名をつける』という行為そのものがもたらす意味を、モルガンもニミュエも、迂闊にも忘れていた。
――それは、存在を顕かにすること。
この子供の生命を、天地の隅々にまでしろしめすことだった。
突然、二人を包み込むように、結界を崩壊させる力の発動が起こった。
そして、現れたのは、不気味な静けさを保ったマーリンの姿。
…彼は怒りなどおくびにも出さず、むしろ哀しむように、怯えるようにこう云った。
「その子供の名は、モルドレッドだ。悪しき助言、甘言と狡知でもって円卓の環を乱す者。」
「よくも、こうまで我を欺けたものだな。そなた達がそれほどの愚かとは。思いもよらなんだ」
二人の女性も目に入らぬかのごとくに、マーリンは一気に赤子に近づいた。
その愛らしい顔を見た途端、毒を呷ったように苦痛の言葉を吐いた。
「…これまでの全てを破壊する災いの種だ。芽吹く前に刈らねばならぬ。分かっているであろうな」
「…」
口を開こうとしたモルガンを押さえて、そのときニミュエがゆっくりと不思議な動きを見せた。
「芽は大地に根を張る権利がありますよ、マーリン。わたくしは生命を守る者。お忘れ?」
そう云って腕を振り上げたかと思うと、マーリンの立った場所を中心に、小さな結界が光を放った。
見覚えのない呪文の連なる環。
――何をするつもりなのか、一瞬モルガンも虚をつかれた。
「ニミュエ様…?」
「貴方はもはや思い煩う必要はありません。…ここで安らかにわたくしと憩いましょう。…ねえ、マーリン。それを望んでいたでしょう、貴方も?」
「何を云う? そなた…」
今だに何が起こっているのか分からぬままのマーリンは、ゆっくりと結界に取り込まれてゆく。
しかし、その表情は怪しみつつも、子供の悪戯を見咎める以上のものではなかった。
「そなたが我を裏切るのか? まさか。…そのようなことはあるはずもない」
「ええ。わたくしはいつでも貴方の味方。貴方を守り、慈しむのがわたくしの定めよ…」
ニミュエの声はどこまでも甘く、まるで誘惑しているようにマーリンを宥めた。
「…我は、そなたを信じすぎたか? まるで、罠のようだ」
徐々に動きが固まっていくマーリンに、ニミュエはそっと囁いた。
「少しだけ待っていて。わたくしは、貴方を憂いから解き放つ…!」
…そして、わずかな抵抗すらなく。
マーリンは透明な水晶に似た結界の中に閉じ込められていた。
その表情は、こうなってなお、無邪気に訴えていた。
『何をしているのだ? …そなたは?』と。
***
「この人は、もう限界なのよ。…わたくしが解放してあげなければ、いつか絶望で大地を汚してしまうでしょう。彼は何にも動じないように見えるけれど、全てのことに影響されているのですもの。普通ならば感じなくてもいいことまで受け入れてね。…それが自分の生きる意味だと信じているから」
ニミュエは水晶の中のマーリンをいとおしそうに見遣って、頬のところに触れながら呟いた。
そしてゆっくりと振り返ると、痛みをこらえるかのように微笑んだ。
「初めて会ったとき、彼がわたくしを解放してくれたのよ。憎しみで、天地を呪おうとしたそのときに。だから、今度はわたくしが止めてあげなくてはいけない。彼の心が落ち着くまでの間、共に眠ることにするわ。」
「眠る? …いったいどういうこと…?」
一連のことがまるで把握できないモルガンは、多少混乱しながら、目の前の養母を見つめた。
彼女はずっとこれを狙っていたとしか考えられなかった。
マーリンの行動と自分の出産を予測して、前から彼を結界に封じるべく。
「仮死の状態、に近いかしら。大地の鼓動に包まれて、意識が肉体から離れる。けれど、死ぬわけではないのよ。」
「そんな! …何故そんな。マーリンはそれほど酷い状態なの? それに、貴女まで眠るなんて。」
「酷いのよ。分からないでしょう…? 今回は特に駄目だわ。――我が子同然に思っている貴女に酷なことを強いたりしては、もたないでしょう。自分でも分かっていないでしょうけれど、情が移りやすいのよ、彼は。」
聞いているほうが信じられなかった。
マーリンが。情?
だが、ニミュエは唖然としている彼女に苦笑しつつも、至極真面目に言った。
「貴女に対しても、アーサーに対しても、彼ほど献身的な者はいなかったでしょう? それこそ代価など求めずに、彼は自らを捧げ尽くすのよ。」
「……」
このときの彼女を見て、モルガンはようやく真実を知った。
この人は、『怒っている』のだ。
どこまでも自分を犠牲にして厭わない彼を、いつも怒っていたのだ。
おそらく今までずっと、そんな彼を癒し、引きとどめようと苦心し続けた。
だが結局、力づくで止めるしか、手はなかった。
それで、決意を固めたのだ。このときに。
「貴女はどうしたいの? わたくし達が眠りにつけば、ここを維持するには莫大な力が必要となるでしょう。次に位置するのは貴女だわ。…けれどいくら力があるとはいえ、貴女一人では持たないかもしれない。外界に出て、生きていくこともできるのよ。…望むなら、その子を貴女の手で育てることも。…彼の傍で生きることも。」
「私…」
目の前に、いきなり行く先が突きつけられようとしていた。
けれど、ニミュエの差し出す選択は、どれも自分の未来にはどうしてもそぐわない。
子供を産むまでにずっと考えていたことを思い返し、彼女はそう思った。
「…いいえ。この子は私と関わらないほうがいい。アーサーのように、外界で生きてほしいもの。それに…、彼のところには、行かないわ。会ったときからそう思っていたから、傍にいるほうが不自然な気がして。――」
無理をしているわけでもなく、本当に飾らない気持ちを云った。
自分はきっと、どうしようもなく冷たい人間なのだろう。
あれほどの想いを返すことなど、とてもできそうにない。
「森の王――ね。古の慣わし。」
すると突然、ニミュエがそんなことを言い出した。
昔語りに聴き覚えのある気がして、ぼんやりと思い返し、一瞬背筋が凍った。
それは確か――王殺しの慣習。
「…王が代替わりのときに殺されるという…?」
「ああ…そういう意味ではなくて。それよりも、大事な意味でよ。この祭祀はそれ自体が魔法…祈りの儀式として行われていた。豊穣の女神の依り代となる巫女が、森の王と聖婚を執り行う祭祀。女神と人だから、結婚ではない。あくまで仮初めの契りね」
「……」
「でもその結合によって大地に豊穣がもたらされる。穀物は実を結び、人は子を育む。――…決して、汚らわしい結びつきなどではなくてよ」
その最後の言葉で、ようやく云わんとするところが掴めたような気がした。
要するに、故事になぞらえて慰めてくれているのだろうか?
「…私は女神ではないもの。そんな、聖なる結びつきだなんて思わないわ」
「神というのは一つの概念に過ぎないのよ。大地の鼓動と息吹を感じ取る象徴――ならば、わたくしたちは神に近いものかもしれないわ」
自信たっぷりなその云い方に、思わず苦笑せずにはいられなかった。
「傲慢ね。きっと狂っていると思われるわ、宮廷では。」
「それでも、貴女はそんな関わりを望んだのでしょう。…彼と、同じ目的を持ち、同じ道を歩むために」
「……そんなつもりではなかったわ。ただ…」
「ならば、彼がまず望んだのでしょう? 貴女を愛し、この大地を守ると。それは王のなすべきこと、そのものよ。だから、貴女も彼の望みを・・・想いを受け止めたのではなくて?」
そうなのだろうか。
漠然としたままの己に問いかけた。そして、形にならない答えを探した。
…そして、思った。
それは、きっと答えではない。
でも、今の自分の想いに一番近いことは確かだと。
私は、傍にいるよりも、愛されるよりも、心そのものを理解していたい。
そして、戦うときには見守っていたい。
腕の中で眠る我が子に、モルガンはアーサーとの絆を感じた。
――この子がいる。だから、離れていても、大丈夫。…
「なんて我が儘な願い。――私は恨まれるわね、きっと」
自分は彼のことなど少しも思いやっていない。残酷な仕打ちをしているのだという自覚はあった。
彼は、自分の血を分けた存在がいることすら知らないのだから。
それでも、何度考えても結論は同じだった。
だからきっと、後悔はしないだろう――そう思った。
そんなモルガンの想いが伝わったのか、ニミュエは嬉しそうに笑った。
「貴女とガラハッドはわたくしの愛する子供達。――思うがままに生きなさい。…大地に還る日まで」
***
数ヶ月の間拒まれて、ようやくランスロットはアヴァロンに招かれることができた。
アーサーに命じられてからずっと、《扉》に近いと思われる森を彷徨って、養母に懸命になって喚びかけた。その結果、やっとのことで。
初めはなかなか返事が返らなかった。静まり返る森に、彼は何度も途方にくれた。
(もう、アヴァロンは閉じてしまったのか…?)
このまま役目を果たさずに帰ることはできなかった。
なんといってもモルガンは彼が導いた先でアーサーと出会ったのだ。
意味も無いことだけれど、ランスロットは微妙に責任のようなものをずっと感じていた。
だから、モルガンの見慣れた、昔のままの無愛想な顔をみたとき、ランスロットはほっとしたような、気まずいような、複雑な気分だった。
どうやってアーサーの気持ちを伝えたらいい?
そして、王妃のためを考えるなら、彼女にどうしてもらったらいいのか?
けれど、そんな彼の逡巡など意に介さない様子で、モルガンは会って早々彼に云った。
「何をしに来たの?」
アーサーが会いたがっている、貴女のことを想って心配している、と伝えると、馬鹿にしたようにクスリと笑った。
「もう会う必要などないわ。守る必要も無くなったもの。」と。
「どういう、意味だ」
「分からなかったの? 鈍いこと。云ったままの意味よ」
「だって…だって、貴女はアーサーを愛していただろう?」
信じられない気持ちでランスロットは叫んだ。
いつも傍で見てきたのだから、間違いないはずだった。
それなのに。
「何故、私があの子を愛せるの? …貴方は、何も分かっていない」
「分かっているよ! 貴女はアーサーの姉君だ。だけど、それでも惹かれていただろう、お互いに?」
泣きそうな彼の叫びに相反するように、モルガンは薄い微笑を浮かべた。
…昔よりももっと冷ややかな、それこそ嘲るような笑み。
「――彼が私をそれほど大事に思っているのだとしたら、これは一番の復讐になるかしら?」
「なに…を…」
「あの子は今や、父親と同じものになったわ。他人の想いなど踏みにじり、全てを我が物にしようとする支配欲を持つ慢心した王。…貴方も、知っているのではなくて…?」
「……」
妖しく囁くモルガンの声に重なって、脳裏に、アーサーの微笑が浮かぶ。
『私は、一番ふさわしい姫君を選んだつもりだよ…』
途端に、背筋を寒気が走った。
――違う!
それでも、アーサーは、皆の幸せを願っている!
王妃様だとて、幸せになるはずだ。
彼は、真の、王なのだから…!
「そんなはずはない! 彼は真の王だ。皆が待ち望んだ、この国のただ一人の《上王》! 大地に平和と豊穣をもたらす者だ!」
首を振り、耐えきれないように声を絞り出すランスを、モルガンは横目に見遣った。
――いっそ、哀れむように。
「初めは、そうだったかもしれないわね。私も守るつもりだったのよ、本当に。…でも、王なんてものは、権力を手にしたら変わるわ。あの子もそう。所詮は父親と同じよ。今だから、教えてあげましょうか。…私の父は、ペンドラゴンに謀殺されたのよ。そして、母は騙し討ちにあったように、辱められた。父が殺された、その瞬間に。」
そう云うと、憎しみに凝った瞳をまっすぐにランスロットに向けた。
その目の強さに、彼は戦場で感じたことのない類の、生理的なおぞましい恐怖を覚えた。
――まさか、そのために。
そのために、ずっと彼を助けていたのか?
…そして、彼の心を奪ったのか…?
「…どう? これでもまだ納得できない? あの子は私にとっては憎んでも殺しても飽き足りない。父の敵であり、母の心を殺した殺人者よ。」
謳うように、彼女は言った。
もっとも、母に関しては私も同罪のようだけれど、と苦い笑みで付け足して。
それがランスには、ひどく自嘲した顔に見えた。
その表情に勇気付けられて、彼は思いだそうとした。――昔の、一緒に遊んだ子供の頃の彼女を。
「そんなはずは無いだろう…。貴女はそれほど冷たい人間ではないし、酷いことなどできないよ。…私達は共に育ったんだ。心根くらい分からぬはずがない…」
ランスロットは必死だった。
しかし、モルガンはこの哀願に、いよいよ残酷な嘲笑でもって答えた。
「私の何を分かっているというの、貴方が? ただ少しばかり共にいたからといって、何を知ったつもりになって? …貴方は本来ここに居る資格のない人間だった。ただの、一時の客人に過ぎないのよ。お情けで養われた、哀れな人の子。」
彼にとって最も辛い言葉を、彼女は臓腑を抉るように深々と突き刺した。
「私達は貴方とは違う生き物。…私を見ていてそう思わなかったの? 今、私は貴方と同じ年恰好に見えるでしょう。出会ったときは、赤ん坊の貴方をあやしていたというのにね。――たとえ十年経っても、私はおそらくこのままの姿よ。生きる長さがそもそも違うのだもの。」
だから、貴方と過ごした時間などほんの一時のことに過ぎないのよ?
そう、彼女は云った。
「だから、アーサーを愛することなどできるわけがないでしょう。あの子は私の敵である上に、すぐに死んでしまうちっぽけな存在なのですもの。――貴方もアーサーも知るべきよ。私を我が物にしようとするだなんて、どれほど不遜なことか。そして、ただの人の子が私達をどうこうできるだなんて思うこと自体が、傲慢な思い上がりだということをね。」
「…そんなはずはない。養母上はいつも云っていた。自分達も人間だと。同じことに泣き、喜ぶ。人間の心をもった同じ大地の子だと…!」
――ああ。
モルガンはそう云われて初めて気付いたかのように、無表情のまま彼に告げた。
「ニミュエ様は、永の眠りに就かれたわ。…もう、貴方と生きているうちに会うこともないでしょう。そういえば、言付かっていたのだったわ。――思うように生きなさい、と。貴方に。」
「――…っ」
その報せにも衝撃を受けた。しかし。
それよりも、育ての親の最期の言葉を、何の意味もないかのように言い捨てる彼女に、ランスロットは本気で掴みかかりたい衝動を堪えねばならなかった。
本当に、彼女はこんな人だったのだろうか。
今まで自分が見ていたのは、ただ一面に過ぎなかったのだろうか?
膝をついて小刻みに震える彼を、モルガンはしばらく黙って眺めていたが、ふと思いついたように手を打った。
「…そうだわ。貴方に預けようかしら。」
俯いたままの彼に、それは楽しそうに彼女の声が降り注いだ。
「アーサーが私に無礼を働いた証拠よ。これで私が見放したわけもわかるでしょう? …さて、貴方はこの子をどう扱うかしら?」
「…無礼…? …この子?」
ランスは、云われた意味が飲み込めず、のろのろと呟いた。
未だ頭の働かない様子の彼に、モルガンは苛ついたように居丈高な口調で云った。
「私の産んだ子よ。そして、アーサーの子。堕ろそうかと思ったけれど、結局ニミュエ様に止められて産んでしまったの。でも大して能力はないようだわ。だから、この島には置けない。――王の子は何よりの生け贄になる上等な犠牲だけれど、生かしておいたら役立つかしらね?」
「……な…」
呆然とするランスにとって、妖艶に微笑むモルガンはまさに悪夢のように思えた。
この上なく美しく、残酷な。
絶望したように見上げる彼を、優美に煌く翠緑の瞳が射抜いた。
「それとも、…やはり、殺したほうがいいかしら…?」
***
『…貴女もひどいこと。あの子はとてもデリケートなのよ? それを、あんなに虐めて』
「そうね。ランスは見届けるのが役割みたいで、気の毒だとは思っているわ。でも、あれでいいのよ。…ただ帰れといっても意味がないもの。彼は嘘がつけないから、態度で示す。私が酷い拒絶をしたことを、アーサーは言葉よりもはっきりと悟るでしょう」
『アル…いえ。モルドレッドは?』
残念だけれど、本質を示す名のようだわ、とモルガンが云ったので、子供はモルドレッドと名づけられた。もう一つの名は、真名として秘されるものとなった。
彼女にしてみれば、父の名を隠すことに、多分に皮肉を込めたのだろうけれど――と、ニミュエは思ったが。
「彼には殺せない。能力のない捨て子だなんて、自分と同じですものね。何より、アーサーの子を殺せるわけがないわ。…私の云った通りにしてくれるはず。――そして、彼自身、アーサーにこのことを告げることもできず、傍にもいられなくなる」
『……なぜ?』
「アーサーに対して疑心暗鬼になってしまったからよ。けれど、それを認めたくないから言い訳をするわ。自分がいないほうが、アーサーは王妃と仲良くなるだろうから、と。――…けれど、所詮彼はアーサーのもとでしか生きられない。結局は、戻るわ…」
『そこまで考えて? …貴女も策士だわね。弟とよく似ていること。…けれど、それほど――願っているのね…』
「さあ? 分からない。本当に自分でも決めかねたからかもしれないわ。でもいいの。…これで、いいのよ」
モルガンは、ランスの前で見せた顔とは別人のような、柔らかな微笑みを浮かべた。
「アーサーも、あの子も。この大地で必死に生きるわ。私の腕の中で。」
遠ざかるニミュエの声が、かすかに耳に響く。
――好きになさい。今は貴女がここの主。
――…モルガン、貴女がアヴァロンの女王なのだから。
***
「…そうか。もう、この世には関わらぬ、と…」
「はい。…そして、陛下の変わらぬ繁栄と幸せを願っていると」
「もういい。――ありがとう。済まなかった…いろいろと」
崩れそうなアーサーの表情に、胸が締め付けられた。自分の前ではいつも彼は素の顔を見せる。
まさか自分の云った事を逆に受け取ったとは夢にも思わず、ランスロットはほっとしていた。
やはりこの人は昔のアーサーのままなのだと。
彼が心を許してくれているのだと、頼りにしてくれているのだと思うと泣きたいほど嬉しかった。
…あのとき、自分が感じた不安など、彼女のまやかしに過ぎなかったではないかと思える。
アーサーが無体を強いたのだとしても、それは真に愛情からだったのだろう。
だが、彼女はそれを受け入れられなかったではないだろうか、とランスは思った。
それだけに、モルガンのことなど云えるわけがなかった。
だから、自分は秘密を守り通さねばならない。
…そして、アーサーのために、自分はこうせねばならない。…
「アーサー。…しばらく、お傍を離れることをお許しください。」
「……な…に?」
「私は、いつでも、永遠に貴方の騎士です。けれど、しばしの間、世界を見る機会をお与え下さい。――故郷を失って、私は何かを探さねばならない気がしているのです。」
半分の真実で、真摯に訴えた。うやむやな不安など、見抜かれないように。
「…っ。――…君まで、私を置いていくのか…?」
「いいえ、私は必ず戻ってまいります。陛下の御許に。…それに」
玉座に沈みこんだアーサーの顔を覗き込んで、ゆっくりと囁いた。
「陛下には、王妃様がいらっしゃいます。きっと、支えになってくださいます。私はそのことを心から願っておりますし、確信しているのです…。」
そうなって、欲しい。
その祈りをこめて、ランスロットはアーサーを抱きしめた。
しばらく離れていたら、きっと何もかもが良くなる。
アーサーはモルガンの呪縛から解き放たれ、昔の彼に戻るだろう。
そんな未来がありありと描けるような気がした。
――彼は、元々が至極楽天的な人間だったので。
「わかった。許そう…。」
堅く強張った手を握り締めて、アーサーは温度を失った声で答えた。
***
『いつの日か、必ず戻ってまいります。私の生きる場所は、貴方の元にしかあり得ないのですから。』
「…いつか。私が生きて王であるうちに、か。」
それまで、自分は王であらねばならない。そう思うと、漠然とした暗闇が心の中に広がっていくようだった。
愛する人も、半身も自分から去っていったというのに。
(…いや。)
目を反らしても仕方が無い。アーサーはしっかりと原因を見据えていた。
彼らが去ったのは、ひとえに自分のせいだったと。
想いをひたすらぶつけて追い詰めて。
あるいは、自分に出来ぬことを代わりにしてくれるだろうと、勝手に決め付けて。
そうせずにはいられなかったから、後ろを振り向くことすらしなかった。
けれど、こうなってみると、――予想以上に、辛かった。
救いを何かに見出したくて、縋りつくものを無意識に探した。
自分はいつまで独りで戦えばいいのだろう。
ランスが戻ってくるまで……?
そんな、思考の罠に陥っていたアーサーは、久々に逃げ腰になった自分を嘲笑った。
自分は何者だ?
モルガンを失って泣いている、情けない子供。
傍にいて欲しいと望んで、駄々をこねて、挙句に叶わないからといって誰かに縋るなど。
これでは、昔の怯えた子供の自分と変わらないではないか?
「違う。…生きている限り、――私は王だ。否応も無く」
彼女を守ると、この大地を守ると、確かに自分は誓った。
そうして自ら決めた、運命の選択。
もはや翻すことなど、叶うはずもなかった。――
the first half
finished.…
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