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Faith and Truth 【1】
ほの暗い森の中を、一人の乙女と一人の騎士が馬に乗って進んでいた。 もうすぐ夕闇の迫ろうかという頃合に気が急いているのか、手綱を握る手にも力が篭もる。 二人が身に纏っているのはだいぶ薄汚れたマントで、ここ数日の風雨の中を休まず旅していることがうかがえた。 もしもこれが吟遊詩人の歌うバラッドならば、二人は間違いなく愛し合う恋人同士であり、この道行きは人目を憚る逃避行の最中であったろう。 そう勘繰ってみれば、二人の風体には世を忍ぶ気品というものがあるようにも見えた。 ――しかし。 「ですから、そんなに近づかないで下さい。嫌な臭いがうつってしまうではありませんか」 「…あまり離れては、御身をお守りできない」 「そんなことを言って、わたくしと轡を並べるおつもりですの? なんて図々しいこと。身分の違いはきちんと弁えたほうがよろしくてよ」 そこで交わされる会話は、そんな甘い関係とはかけ離れた冷淡なものだった。 口を開くたびに、その間に流れる雰囲気は刺々しいものとなる。 姫君と思しき少女の物言いは軽蔑に満ちた声音で、それに答える騎士もひたすら無愛想だった。 (ああ、なんてこと。どうしてこんな頼りない騎士しか助けてくれないのかしら。噂に名高いアーサー王の宮廷といっても、所詮この程度だというの。本当に情けないこと) 少女は湧き上がる不満を胸の中で静め、深々と嘆息した。 「もうすぐ領土内の砦に着きますわ。おそらく、二重三重に敵が包囲していることでしょう。逃げ帰るなら今のうちですわね」 「私には選択肢が二つしかありません。勝利するか、さもなくば命を失うか」 「…そう。ならば、わたくしは貴方の勝利を祈ってさしあげるわ」 彼女は諦めたように首を振った。今更どう足掻いても仕方がない。 (わたくしがこうしている間にも、あの娘は…) 焦りと恐怖に、足が震える。自分が男で、勇ましい騎士であったなら、助けなど請わずともよいのに。 負けず嫌いな彼女の頭を、一瞬、そんな強がりが掠める。 しかし、敵は強かった。配下の騎士たちでは相手にもならず、自分は落ち延びるしかなかったのだ。 例え下賎なものであろうと、望んだ騎士ではなかろうと、今の自分が頼れるのはこの男しかいない。 (確かに見かけは若くて頼りないけれど、一度は敵を叩きのめしたのだし…) この道を来る途中で、彼が戦った様子を思い出した。わずかな戦闘だったが、この男の戦い方は冷静で、隙の無いものだったように思う。 少女は意を決し、凛とした表情で後ろを振り向き、戦いの女神のように言った。 「戦いの準備はよろしくて? ボーマンさま」 *** 「…貴女の姫君が待つ城までは、あとどのくらいあるのです?」 その日の夜、ボーマンは少女と焚き火を隔てて向かい合っていた。 熾烈な戦いであったにもかかわらず、彼には疲れた様子もなく、傷も負ってはいなかった。そして、その態度も少しも変わることはなかった。 相変わらずの訥々とした口調で、呆然とした顔の少女に確認するように訊ねる。 「レディ。聞いているのですか? このまま進んでよろしいのですね。ここは私の知る土地ではない」 「え、…ええ。この丘を越え、川に添って進んでいけば、もうすぐですわ」 彼はうなづくと、そのまま姿勢を変えずにそっと目を閉じた。 (いったい、どういう人なのかしら) 彼女は目の前の彼を盗むようにちらちらと見つめ、その正体を見極めようと頭を悩ませた。 夕刻の戦いでは、彼はたった一騎で砦に乗り込み、あっという間に蹴散らしてしまったのだ。 敵は圧倒的な多勢で、取り囲まれたら逃げる手立てすらなかったというのに、彼は逆に一番強い者を誘い出して討ち取り、相手の戦意を奪ってしまった。 ぼろぼろの衣装には不釣合いなほどの、怜悧な戦いぶりだった。鋭い舌鋒に、巧みな剣捌き。 「……」 見れば見るほど、この男が何者なのか、彼女には分からなくなってきた。 自分と歳はそう変わらないだろう。16,7というところか。 姿かたちは、そう悪くはない。…きちんとした衣装を着たならば、およそ農夫や下男には見えない程度には。 そして、よくよく見れば、身分に不釣合いなほどの美しい手をしていた。彼の呼び名はここからついたものだろうと容易に推察できる。 城の裏方で働く男など、垢と油にまみれているのが当たり前なはずなのに。 彼の手はおかしなほど白く、苦労など知らぬとでも言うかのように、爪の先まで整っていた。 『お願いです。どうか、ご助力を。貴き身分の姫君が、ある城に幽閉されております。ここには大勢の気高き騎士様がいらっしゃると聞き及んでおります。お願いでございます、姫君をお救いくださいませ』 『乙女よ、そなたの願いは分かったが…』 朗々とした王の声が大きな広間に響いた後、しばらく沈黙が漂う。 騎士たちは互いの顔を見合わせ、苦い表情で首を振った。 重苦しい空気を感じ取り、この様子では、と彼女が諦めかけたとき。 『私が行きましょう。このご婦人の願いを、私にお申し付け下さい』 そう言って後ろのほうから進み出て、ただ一人、彼女の要請に応えたのがこの男だった。 本来ならば、保護下にある領地のために宮廷に助けを願うならば、円卓の騎士が名誉にかけて助けに参じる。 だが、自分の名や領地を明かさぬ乙女の頼みは明らかに慣習に反していた。故に、その願いを聞き届けようという、奇特なものはいなかったのだ。 彼女としても、礼儀に反していることは百も承知。それでもそうするしか、術はなかった。 『貴方が? …どなたです?』 『私はボーマンと呼ばれています。まだ騎士ではありません。ですが、戦うことはできます』 男はそう言って王の御前に近づいた。 『陛下、どうか私に御下命を。もしこの願いが叶いますならば、今すぐにでも戦い、私の言葉を証明してみせます』 彼の声は明るく、その表情は自信に満ちていた。大勢の敵が待つ地へ赴くのに、怖がる様子もない。 しかし、周囲に沸き起こったのは嘲笑の混じった野次の声だった。 『何を言うのだ、この男は。騎士でもないお前などにできるものか』 『油にまみれた口でな。…笑止なことよ』 わざとらしいほどに大きな失笑が広間全体を包む。その笑い声は、彼女には至極耳障りに響いた。まるで自分があざ笑われているかのような侮辱に、彼女は頬をかすかに紅潮させた。 こんな扱いを受ける謂れはなかった。だいたい、騎士でもない下男の助けなど話にもならない。 満座の嘲笑にも無表情のままの男を冷たく眺めやると、彼女はすっと立ち上がり、王に退席の礼をした。 『…どうやら無駄足だったようですわ。失礼』 そうして彼女が宮廷から退出し、数日経て帰郷の途に着いたときに、彼はやってきた。 『私は騎士になりました。これから、貴女をお助けします。私の名誉にかけて』 *** そうして乙女と騎士は、戦いの旅路を共に過ごした。 全身を黒で包んだ騎士、緑の衣装を纏った騎士、いずれも強く凶暴な騎士が立ちはだかったが、ボーマンは常に誓いを果たし、彼女を守り抜いた。 始めは胡散臭い目ですげなくあしらっていた少女も、陰日向無く彼女を守ろうとする彼を無視できなくなった。 目の前で戦う数が重なるごとに、少しずつ旅の歩調が合っていく。 彼は戦うたびに戦士として成長していた。司祭が神の御前で祈るように、彼は敵を前に全身全霊をかけて戦う。 休みもなく、緊張の耐えないこの旅を、むしろ楽しんでさえいるようだった。 「…戦うことが好きなのですか。敵を殺すことが」 「…?」 「あなた、辛そうには見えないわ。むしろ敵と戦うことが楽しそう」 「好き嫌いの問題ではありません。戦うことは、私のなすべきことです」 「だって。…貴方には、わたくしを助ける義理はないでしょう。それなのに、暗黒の地をここまで来たわ。なぜ?」 彼は黙って俯いた。答える必要がないと判断すると、彼は答えようと努力する素振りもしない。 彼女はいきり立ったように声を荒げた。下男風情に無視されることなど、彼女には我慢がならない。 「――そう。それとも、名誉欲? 卑しい身の上でありながら、まんまと騎士様になれたのですものね。この上は名誉を手にし、円卓に連なる野望でも持っておいでなのかしら」 「…答えはすでに言いましたが。私はあるべき騎士となるだけです。それ以上でもそれ以下でもない」 ボーマンと名乗る男は、どこまでも淡々と彼女に答えた。 いくら侮辱を吐いても、卑しい出自をなじろうと、彼は動じなかった。 (わたくしのほうが馬鹿にされているようだわ) 彼女は、義憤に燃える騎士が宮廷にいたならば、せいぜい利用としてやろうと思っていた。 騎士は名誉と冒険を求める生き物で、貴婦人はそれを最大限に活用すべきである、というのが彼女の持論だったから。 だが、この男は勝手が違った。 何を欲しているのか分からない。言葉少ない態度からは、何も読み取れなかった。 純粋に高貴な騎士を目指しているのか。単純に冒険や名誉を求めているのか。それとも…? *** 「着いたわ。あそこに見えるのが、わたくしの姉が囚われている城です」 ようやく目的の地にたどりついたとき、正面の丘の上にそびえる城を背に、彼女は誇るように言った。 「姉…?」訝しげなボーマン。 彼女はこれまで、囚われているのが肉親だとは一言も言わなかった。 「そうよ。申し遅れましたけれど、わたくしの名はリネット。姉はライオネスと言います。この城を奪われてから、わたくしたちはあちこちを転々と逃げていたのだけれど、姉は捕らえられてしまったの。今はここに幽閉の身となっているはずです」 「そうでしたか」 「…姉はわたくしと違って、清楚で内気な乙女なの。今頃は囚われの身を心細く思って嘆いていることでしょう。心身も弱っていると思うわ」 一人言を装い、彼の気を引くような内容を選んで呟いた。 (騎士になったら、次は自分の領地が持ちたくなる。それから、美しくたおやかな貴婦人を妻にしたい。男というのは、そういうものでしょう) リネットは皮肉な視線を隠し、そっと横のボーマンを見上げた。 彼はそんな彼女の視線などお構いなしで、城をじっと見たまま微動だにしなかった。彼にとって、姉についての説明は必要事項ではなかったのだ。 ボーマンは感情のない声で問いかけた。 「姉上が囚われているというのは、あの塔でしょうか?」 彼は右手の奥にある先端の尖った塔を指差し、そのまま周囲の城壁をすっと指し示した。 「え? ええ。おそらく、そうでしょうね」 「城壁から登るのも不可能だ。窓もない。少々策が必要ですね。――貴女は姉上に似ておられる?」 「…どういう意味ですの」 「ですから、貴女は姉上と遠目には区別のつかぬ程度に似ておられますか」 城に向けたままだった視線をようやく下げ、ボーマンは静かに彼女を見た。 言っている意味が分かるか、と暗に問う目。彼女はそれを、自分に対する挑戦と受け取った。 「姉の放免を涙ながらに訴えればよろしいの? ――それとも、姉の代わりをしましょうか」 恐れもなく、まっすぐに彼を見据える乙女に、ボーマンはゆっくりと顔を緩めた。 その様子は、まるで、笑うことを思い出しているかのようだった。 始めは我が儘なだけの娘だと思った。口だけは達者で、あとはいざとなると、騎士に泣いて頼るだけの姫君。 別に馬鹿にしているつもりではなく、彼は、女性というのはそういうものだと思っていた。 だが、違った。共に旅している中で、彼は己の誤りを悟った。 彼女は男でも音を上げるような辛い行程を、文句一つ言わずについてきた。 貴婦人の横乗りでは、長時間の乗馬は辛いだろうに、負けず嫌いなのか、決して泣き言を漏らそうとはしない。 戦場の流血を目にして、始めはさすがに怯えていたが、程なくして賢明に身を処すことを覚えた。 頭も悪くない。はきはきと物を言うのは嫌いではない。 例え辛辣な言葉であっても、愚痴や泣き落としに比べれば、小鳥の囀りを聴くようなものだ、と彼は思った。 だからこのとき彼は、彼女に友情とでも呼ぶべき好意を抱いていたのかもしれない。 故郷を出てから、おそらく初めて、ありのままの口調で言った。 「うまく城にもぐりこもう。私が手馴れた方法で。貴女にはまた臭いと言われそうだが」 慇懃無礼な言い方をやめ、ざっくばらんに話しかけてきた彼に、彼女は少し戸惑ったようだった。だが、すぐにいつものように勝気に言った。 「…仕返しのつもり? いいわ、もう侮辱はしないと約束してあげます。ここまで来たのですもの」 「それは、良かった」 ボーマンはかすかに唇を歪めた。皮肉な微笑みだったが、リネットは約束を守り、横目に見て無視した。 心の中では、『態度が生意気になったわね』と呟いた。
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