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Faith and Truth 【3】
姉妹の姫君を襲った危難が去った後、騎士ガレスは時折思い出したかのように、彼女たちの城を訪れた。 そしてその度に、必ず豪華な手土産を持ちこみ、辺境の姫君の気をそそるにはもってこいの話をする。 「今度は北の大きな戦いに参加します。この辺りとは全く違う民がいるという話です」 「宮廷で流行の衣装をお持ちしました。きっとお似合いになるでしょう」… 遠方から足繁く通う彼を見て、城の人々は口々に言い交わした。 『きっとあの騎士さまは、姫君のどちらかに求婚なさるおつもりなのだろう』 『いったいお目当てはどちらの姫様なのだろう…?』―― そんな噂を耳にすると、一方の姫は微笑んで頬を染め、もう一方の姫は苦々しく顔をしかめるのが常だった。 *** 「どこにいらっしゃるおつもり? この先は、騎士様のお入りになるところではありませんわよ」 いつものようにガレスが城を訪れたときのことだ。 姉妹の寝室へと続く渡り廊下でガレスとすれ違ったリネットは、憤然として彼の行き先を咎めた。 「…この先で不埒な振る舞いをなさろうというのではないでしょうね。偉大なアーサー王の甥御様が? まさかそんなこと、ありえませんわね」 初めて出会ったときの口調そのままに、彼女は大げさな手振りをしてみせた。 リネットにしてみれば、それで彼がわずかなりと恥じらい、いつものポーカーフェイスを崩してみせてくれれば十分だった。 城に度々訪れるわりに、彼は姉妹の両方にどこまでも公平で、彼女としてはそんな態度に少々不満を持っていたのだ。 (――『姉』がお好みならそう言って下さればいいのに) それならそれで、すっきりする。 彼女にとって今の曖昧な状態は落ち着かない気分がして、大層苛立たしかった。 だから、少し軽い気持ちで彼を困らせてみた。…それだけだったというのに。 「そんな風に断じられては困ります。御婦人に愛を打ち明けるのは、不埒なことですか?」 「そうは言いません。けれど、それだけではすまないのが殿方というものでしょう」 「貴女のご意見は承りますが、全ての男を同じように考えるというのも如何なものか」 「…ご自分だけは違うとでも言いたげね。果たして、殿方は気高い愛など求めていらっしゃるのかしら? わたくしにはそれ以外の望みがいつも後ろに見え隠れするわ。例えば、妻として見栄えのする容姿だとか、配偶者に相応しい財産だとか」 「…」 リネットの厳しい物言いを受け止めた後、ガレスはおもむろに訊ねた。 「では、貴女にとっての騎士とはそのようなものですか。女性を獲物のように捕らえようとする、己の欲望だけに忠実な生き物だと?」 「戦をする方々ですもの。少なくとも、戦っていらっしゃるときの猛々しさを見ていると、そう思えてならないのは確かですわね」 彼はその答えを聞くと、不気味に静かな口調で言った。 「…戦うのは、戦うことの出来ぬ者を守るためです。我々に与えられている力はそのためにあるのですから」 「そうね、確かに。――でもわたくしは、その力をご自分のために使う方をいつも見てしまうのよ」 「私もそうですか。私が貴女をお助けしたのも、そういう目的からだと?」 リネットはその問いに、一瞬返事を躊躇したが、ためらいを見せまいと強気な声で言った。 「貴方の目的などわたくしは問いません。…知る必要など無いことだわ。だって、騎士様の戦う理由なんて、わたくしには決して理解できないのでしょう?」 すると彼は、さげすむように冷たく笑って、彼女を見据えた。 「やはり今日は失礼しましょう。貴女と話して、すっかり興が冷めてしまった」 「…どういう意味なの」 「言ったままの意味ですよ。相変わらず、人の話など聞いておられないようだ」 そしてガレスは踵を返すと、背中を向けたままの姿勢で捨て台詞を吐くように言った。 「…この先の部屋に用があるとしても、少なくとも、貴女が御心配なさることではありませんよ」 こんなやり取りをした後で、彼は明らかに態度を変えた。 城を去る際にも、リネットを無視して、ライオネスのほうだけに親密な笑顔を向ける。まるであてつけのように。 『勝手にしたらいいわ。どうせ、図星を指されて怒っているのでしょう。…それとも、ようやく本音が出ただけなのかしら』 リネットはイライラと悩みこんだが、しばらくすると、頭の中でそんなことを考える自分にすら腹が立った。 もっと違うことを言いたかったのに、彼と向かい合うと、どうしてもあんな態度を取ってしまう。 騙されていたという苛立ちと、嫉妬と、不安と、後ろめたさと、…色々なものが混ざり合って、冷静ではいられなくなる。 腹立ち紛れに、彼女は自分にこう言い聞かせた。 『あの人だって同じだわ。これまで求婚してきた者たちと、何も変わらないのよ――』 *** 「どうしてそのように意地を張っていらっしゃるの?」 数ヶ月もすると、リネットと彼の間に流れる空気はすっかり険悪なものになっていた。 彼が来るや、挨拶もそこそこに逃げ去ってしまうリネットと、彼女の前で殊更に姉姫への態度を恭しくするガレス。 そんな二人を見て、ライオネスはひたすらオロオロとするばかりだった。 しばらくして、やっとのことで、彼女はリネットに向かってこう問いただした。 …もしかしたら、腫れ物に触るような話になるかもしれないという恐れを抱えながら。 「別に、意地など張っていないわ。ただあの方とは気が合わないだけよ」 「そうなの? …本当に?」 「…」 リネットは一瞬、他の誰にも見せない不安そうな顔を見せたが、すぐに隠すようにその表情を伏せた。 「未だに貴女が『リネット』であろうとするのは、あの方が怖いからではないの?」 「それは――。言わなくて、悪いと思ってはいるけれど。でも、怖いからなどでは無いわ。わたくしは何も――」 「いいえ、怖がっていらっしゃるわ。そうでしょう?」 ライオネスはそっと近づくと、恐る恐るといった口調で続けた。 「もしかしたら、怖がっていらっしゃるのは、あの方そのものではなく、…あの方に失望すること」 「失望などしないわ! あの方はわたくしに何も求めていないもの。失望のしようがないわ…!」 リネットはそう叫ぶと、少しだけ肩を震わせて目をそむけた。 ライオネスは、そんな彼女に向かってそっと呟いた。 「やっぱり、そう。お二人はそっくりだわ。…わたくしが思った通り」 「…?」 不可解な表情で見上げるリネットを見て、彼女はさらに苦笑した。 「わたくし、お姉さまが羨ましくなりました。でも、そう思ったのは今回が初めてですのよ。今までは、お姉さまだけが求婚されることは当然だと思っていました。むしろ、求婚なさる方々を見て疎ましく思うほどでしたわ。お姉さまを取られるのが嫌だったのですもの。だって、わたくしはお姉さまが大好きで、誰よりも憧れていたから。…ご存知でした?」 「…」 「それなのにお姉さまはわたくしを気遣って、言い寄る方々を無下にあしらっていらしたでしょう? わたくしたちは姉妹でも、母の身分は違います。相続財産の無いわたくしに、言い寄る方がいないのは当たり前ですわ。お姉さまはそのことをわたくしに卑下させまいとして――」 「違うわ、誤解しないで。貴女のためではないのよ。…ただ、うんざりしていただけだわ。だって下心が見え見えなんですもの」 「でも、ガレスさまは違います。誠実な方です。お姉さまも分かっていらっしゃるはずなのに、まだあの方のお心を試すおつもりなのだわ。…わたくしの名に隠れて」 「――リネット、そんな…」 そんなつもりはない、と言いかけて、彼女は言葉に詰まった。――本当に、そうだろうか? 「もしそうでないのなら、勇気を出して、真実を打ち明けて下さらないと。わたくしはこれ以上身代わりにはなれませんし、」 リネットと呼ばれたライオネスは、儚げな微笑を見せた。しかし一言、はっきりと区切るように彼女は言った。 「…なりたいとも思いませんわ」 それが彼女の嘘だということを、二人とも、知らないはずはなかった。 *** 「今晩は、ガレスさま」 「これはリネット姫。また嫌なところで待ち伏せをなさっておられる」 「…」 ガレス卿という人は、戦いと同じく、争いを始めると遠慮の無い性格であったらしい。 一度仲違いをしたリネットに対して、彼は容赦なく皮肉を浴びせた。 端然とした表情も、冷たい目が加わわると、別人のように鋭く冴えた。 だが当然、それにめげる彼女でもなかった。…特に今回は。 「何か私に御用ですか。今日は不埒な真似をするつもりなどありませんよ。ただライオネス姫と静かに歓談などしようと思っただけです」 「…ならば、お話をしましょう。歓談とはいきませんけれど」 「ライオネス姫、と私は言ったのですが?」 「…。ライオネスは、わたくしです。リネットというのは妹の名なの。…偽りで貴方を欺いたことを謝罪します――心から」 リネット――ではなく、真のライオネスは、そう言って礼を執った。 二人の間に、長い沈黙が横たわる。おそらく、彼女が感じたほどに長くはなかったのだろうけれど。 沈黙が苦痛になろうとしたとき、彼はようやく答えた。 「今更教える気になったのは、何故です?」 ライオネスはその言葉に、はっとして姿勢を戻した。 「知っていらしたの? いつから?」 ガレスは苦笑して、自嘲するように肩をすくめた。 「…人の話を聞かないのは貴女の悪い癖ですが、私も同じかな。貴女がライオネス姫だということは、赤の騎士と戦ったときに知りましたよ。彼は貴女を欲していたのですから。ですが、貴女はあいつを手酷くあしらったようだ。妹君を身代わりに差し出してまで」 「そんな…、違います!わたくしのほうが残ると言ったのよ、それなのに、あの子は…」 「分かっています。冗談ですよ。リネット姫では助けを求めに一人で宮廷まで来ることなどできなかったでしょう。姫の選択は正しかった」 ガレスの悪質なからかいに、ライオネスは本気で彼を睨みつけた。 「知っているのなら教えるのではなかったわ。どうせ、わたくしがリネットでもライオネスでも、貴方にとってはどうでもいいことですものね」 「…確かに、そうですね。それにしても、なぜ今教えて下さるのです? 少しは信頼して頂けたと思っていいのですか」 「信頼? なぜわたくしが?」 思わずライオネスは叫びそうになった。――貴方のことなど、信じられないわ! だが、そのとき、リネットの声が彼女の耳の奥でそっと囁きかけた。 『ガレスさまは違います。誠実な方です。お姉さまも分かっていらっしゃるはずなのに、まだあの方のお心を試すおつもりなのだわ』 (違うわ、リネット。わたくしは試してなどいない。この方は、わたくしのことなど、何とも思っていないのだから――) 心の中で、ライオネスは叫んだ。 自分が素直になろうとするたびに、ガレスとは言いたいことが食い違う。 それならば、何を言っても彼には伝わらないに違いない。 そうして、彼女の勇気は次第に萎んでいってしまいそうだった。リネットのことを思えばこそ、勇気を出すと誓ったのに。… 勝気な彼女は、その思いで、再度顔を上げた。最後まで言ってしまわなければ、気がすまない。 「ええ、そうよ。少しは信頼しようかと思ったわ。でも、」 結局、無駄なことでしたのね。――そう言いかけたとき、彼女はガレスの真剣な顔に気付いて声を失った。 彼は怒っているのだろうか。真剣な顔がかすかに歪む。 しかし、彼は思い返したように真面目な表情を保って、こう言った。 「ようやく、ですか」 「…?」 ガレスは次に、やれやれといった風に深いため息をついた。 「信頼するのも、されるのも、本当に難儀なことですね。特に、偽りがあるときには。そして、御婦人と戦うのは騎士と戦うより何倍も大変だ」 「戦う…。わたくしと?」 ガレスは頷き、おもむろに笑って話し始めた。 *** 『それはお前が信用されていないからではないか?』 兄ガヘリスは、ガレスの話を聞くと、開口一番こう言った。 『私も名を偽っていたから、これでおあいこだと思っていた』 『では、お前はなぜ名を明かした? その赤い騎士とやらと、本気で向き合おうとしたからだろう』 『…彼女は、私から逃げていると?』 『そうだな。嫌われていない自信があるなら、せいぜい逃げられない程度に追いかけてみろ。…だが、俺にこれ以上聞くなよ。そもそも、こういう相談ならば兄上のほうがお得意だ』 ガレスは心底苦手そうな兄の言い草に、軽く笑った。 『兄上には相談したくない。彼女は兄上のお好みだ』 『…そうか。ならば、言わぬほうが良い』 二人は真面目な顔で頷きあったが、すぐにこらえきれずに吹き出した。 『お前もひどいな。それで俺に相談か』 『ガヘリスはこういう女性は好みではないだろう?』 『芯の強い御婦人は好きだがな。…その、もう一人の姫のほうもお美しいのか』 『さあ? 自分で確かめたらどうだ?』 『この…!相談にのってやった恩を忘れたか』 『だから、紹介はしてやる』 ガレスは答えを授けてくれた兄に感謝した。冗談交じりにしか表現はしなかったが。 お互いに意地っぱりなのは仕方がない。 だが、このままでは前に進めない。彼女を知ることも出来ないのだ。 それは嫌だと、自分の中で声がする。 ならば、彼女が真実を打ち明けてくれたなら。自分に向き合う気持ちがあるのなら。 ――そのときこそ、本気で相対しようと、彼は心に決めた。 *** 「貴女が自分から名乗るまでは聞くまいと決めていたのです。貴女がそうするのは、私が身分と名を偽っていた理由と同じだと思ったから」 「わたくしは別に、目的があったわけではないわ」 「そうかな。貴女は無意識に試していたのですよ、きっと。私と――貴女自身を」 「わたくし自身?」 「そうです。貴女がいかにあるべきか、その答えを知るために」 「…意味が分からないわ」 ライオネスは首を振って、ためらうようにガレスを見上げた。 「では、もう一度聞きます。貴女は騎士が戦う理由は何だとお思いですか」 「か弱い者を守るためだというのでしょう? …わたくしたちは戦う力の無い、無力で哀れな存在だから」 「だから貴女は名を偽ったのですよ」 重ねて言われても、ガレスの言いたいことは不明だった。 苛立ったライオネスは、噛み付くように彼を見た。 「わたくしが無力だからだと言いたいの。そんなこと、十分に分かっているわ」 「違う。そうではなく、貴女が自分自身の価値を疑っておられるからだ。哀れな、弱い者だと」 「…」 「自分がどうあるべきかを知っていれば、己を偽る必要などないのです。私は自分が自信を持ち、人を信じることの価値を知りました…敵と、それから己と戦うことによって。身分や名ではなく、己自身こそが存在の証明になるのだと。…だから貴女も同じです。違う名を持って戦ったことで、貴女は変わった。そして、私を信じ、自分を認めてくれるのなら、偽り続ける必要など無くなる」 「わたくしに何の価値があるの? …城とこの身分の他に?」 「リネットとして示した勇気と気高さが。――それから、戦う者に与える祝福と正義が」 「祝福?」 「騎士は、己のために力を振るったときから騎士ではなくなります。守る者を得てこそ意味がある。そのときから真に力を振るう資格が与えられるのだと、私は思います」 「そのための大義名分になることが、わたくしの役目だと?」 ライオネスは思わず皮肉な笑顔を向けた。何のことはない、今まで通り、お飾りで守られていればいいのだ…。 しかし、ガレスは真剣な表情で彼女を見つめ、説得するように話し続けた。 「違いますよ。御婦人は、常に騎士を試して下さればいいのです。その力が正義と呼ぶに相応しいのかどうか。…逆に言えば、貴女から信頼されなくなったとき、私は騎士ではなくなるのです。ただ暴力をもたらすだけの悪しき者に変わる」 「…なんだか、詭弁に聞こえるわ。だって、例えわたくしがそう判断したとしても、やはり貴方は騎士ですもの」 「いや、…愛する人にすら信じられなくなったなら、もはや騎士ではいられないはずだ」 「そうなのかしら。わたくしにも、そんな価値があるのかしら…」 「…本当に、人の話を聞いていませんね」 「何ですって?」 ライオネスは反射的に、喧嘩腰の口調で答えた。 ガレスはばつの悪い表情で、言いにくそうに繰り返した。 「だから、愛する人と言ったのですよ。…今、貴女に」 「……」 「念のため、もう一度言いましょうか」 「…。嘘でしょう…」 「ここまで話したのに、信じてもらえないと?」 「だって、…。だって、貴方はわたくしがリネットでもライオネスでも、どうでもいいのでしょう? さっき、そう言ったわ」 「だから、名前などどちらでも構いませんよ。貴女は貴女で、変わらないのですから。私がボーマンでもガレスでも、貴女はずっと不機嫌なままだったではないですか」 「『どうでもいい』と『どちらでもいい』とでは意味が違うわ!」 「それほど違いません」 いつの間にか、彼らはまた言い争いを始めていた。 元々あまり話すことのないガレスは、言葉の選び方に問題がある。 そのことに彼自身は気付いてもいなかった。 そして、プライドの高いライオネスには、彼の無頓着な言い方がときに許しがたい侮辱に聞こえてしまうのだ。 しばらく言い争った後、彼は降参したのか、不本意そうに付け加えた。 「威嚇や挑発以外では、話すことが得手ではない。それは認めます」 「そうね。皮肉もお上手だわ」 「なるべく誤解を与えたくはないのですが、どうすべきですか?」 「…もう少し素直になるべきだと思うわ。……――に」 最後の一言はくぐもって彼には届かなかった。 が、ガレスはあえて聞かないことにした。 彼女はただでさえ居心地が悪い様子で、顔を真っ赤に染めて横を向いていたからだ。 「では、今後は出来るだけ誤解がないよう努めましょう」 そうして、ガレスは無言で彼女の手を取った。 そのまま引き寄せても、ライオネスは俯いたままだった。 ただ、その顔を彼の胸にうずめるように押し付けたので、彼はもはや言葉が必要ないことを知った。 end.
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