‖flower crown‖
1
王様は高い石のお城に住んでいる
歌姫は森の奥で歌っている
夜に紛れて王様は城を出る
優しく歌う、彼の鳥に会うために
「さあ、歌え。早く歌わないと舌を抜くぞ」
王様の催促に、歌姫は笑う。
舌を抜くといいながら、王様は歌姫の長い髪を弄ぶ。
目は子供のように悪戯っぽく閃く。
かつては虫けらを見るような目だった。
もしくは、殺気だけを湛えていた目。
では――今は?
たぶん、殺気は見えない。
***
王が鳥を捕まえたのは、ある城の中庭だった。
中庭といっても、森に似た広大な敷地。
かつては、色とりどりの花と鳥と、華麗な噴水で満ちていた庭。
しかし王が見たのは、そんな庭ではなかった。
木々は焼け爛れ、噴水は破壊され、あちこちに鹿や鳥の、…そして人の骸が横たわる悲惨な光景。
彼は冷たい目をして、その庭を横切った。
それも当然のこと。
破壊したのは彼自身。
――彼が自ら号令を下し、この美しい城を打ち砕いたのだから。
「…どうした、ラクシュ?」
あちこち砕けた石垣をよけながら、王は輝く葦毛の愛馬にそう尋ねた。
王の名はイスファンディヤール。愛馬の名はラクシュ。
ラクシュは王の分身。王以外の者の手には、決して慣れない高貴な馬。
その愛馬が盛んに鼻を鳴らしながら、王の手綱を無視して森の奥へと入っていこうとする。
「分かった。分かったら落ち着け」
他のものが聞いたら、驚いてとっさに目を剥くような、優しい声。
だがラクシュはそれも当然とばかりに、ふふんと返事を返し、王を乗せて駆け出した。
「こんなつまらんところに一体何がある。早く戻るぞ、ラクシュよ」
馬が向かったのは、森の奥の、そのまた奥。
もはや城を破壊する騒音も、軍馬の雄叫びも聞こえない。
ただ静謐な、エメラルドよりも煌く緑の空間。
――ここは…
人の手の入らぬ神聖な場。
不可侵の領域が持つ美しさに、さすがの王も、ふと意識が途切れた。
その瞬間、すぐ傍の草むらで、風に凪いだような音がした。
「何者だ!」
タマリスクの矢をつがえ、厳しく誰何する王の声に、ざわ、と森全体がざわめく。
ラクシュも、その声に耳を澄ませるようにして、歩き出した。
「…おい、ラクシュ。どこへ行く。…?」
そして、愛馬の向かった先には。
――煌く羽と可憐な鳴き声を持つ、一羽の鳥がいた。
「ファルハング、これをフーシュの爺の元へ連れて行け」
「…は」
傍に控える寡黙な僕に、王は捕まえた鳥を預けた。
命じられたファルハングは、ただひたすら、その命に従った。いつものように。
***
隣国のジャムシードを攻め取った王は、これで邪魔だった強敵のほとんどを打ち倒した。
王の城には様々な戦利品が高々と積み上げられた。
広間に敷き詰められた、豪華な絨毯が見えなくなるほど。
高価な宝石や絹、香、珍しい花や植物。それから、白い肌や黒い肌の奴隷。
それらが功のあった臣下や後宮の女たちに分け与えられた。
王自身は、いくら宝石を山と積んでも、飽き足りることはなかった。
次はどこを攻めよう。…奪い取った品々など忘れ、そんなことを楽しげに企んでいる。
だが、最後に自ら奪った戦利品のことは、忘れずに覚えていた。
とても、珍しいことに。
『…おまえ、誰だ』
王の問いに、娘は怯えもせず、ただ呆然としているように見えた。
(こいつは、阿呆か)
『誰かと聞いている。答えぬと、首を刎ねるぞ』
そう重ねて問うても、彼女は答えない。
『言葉が分からぬか?』
見ると、娘は白い肌を持ち、薄い黄金の髪をしていた。
それは遠い西の民の色。このあたりでは黒い肌と並んで、奴隷の女が持つ色。
そこで、わざわざ問い詰めるのも飽き、王は去ろうとした。
だが踵を返す間際になって、娘はようやく口を開いた。
『何と答えれば良いでしょう?』
『なんだと?』
人を食ったような返事に、王も目を見開く。
一瞬、殺気を孕んだ視線が冷ややかに彼女を貫いた。
だが、娘は無表情のままだ。
『おまえは後宮の女だろう。そんな麝香の香りは、下賎の者にはつけられぬ』
彼女の服装、香り、そして身のこなしの優雅さから、王は瞬時に検討をつけていた。
これは王族の姫か、それとも高級な奴隷女かのどちらかだ。
『違うのか?』
それでもなお、彼女は何とも不可解な答えを返す。
『私が奴隷ならば、どうなりますか』
『むろん、売る。俺のところには奴隷など溢れんばかりだ、おまえなどいらぬ』
『では、姫ならば?』
『より高く売るに決まっている。妃など奴隷よりも必要ない。もう少し売って減らしたいぐらいだ』
そう云うと、女は諦めたように微笑んだ。
クセのように、そんな顔がよく似合う。
たぶんいつでも、こんな表情をしているのだろう。
『では、どちらでも私は売られるのでしょう? ならば、どう答えようと変わりません。王様の仰せのままに』
『…。おかしな女だ』
それで、王はこの鳥を捕まえることに決めた。
退屈しのぎに面白いかと思った。
それに、声が。――優しく、甘いその声が、彼の耳に残ってしまったから。
それだけの理由。
鳥や女を捕らえて、鳴き声を楽しむ。飽きては殺す。
王の、数多い気まぐれの一つだった。
***
森の主であるフーシュ爺は、『知性』という名の、王の知恵袋。
彼は、王から託された白い鳥を、丁重にもてなした。
彼の城である森には、彼女のように可憐な鳥が良く似合う。
「そなたも、鳥のように自由にさえずっていればよい」
「…はい」
鳥は素直だった。
なぜこんなところに連れてこられたのか。自分はどうなるのか。
普通ならば半狂乱で取り乱すだろうに。
彼女は、ただ言われたとおりに歌っている。
そのうちフーシュは、何も語らぬ娘に名をつけた。
ソルーシュ。――吉兆の天使と。
名をつけられて、本当に嬉しかったのか。
それまで無口だった娘は、まるで本物の天使のように、無邪気に笑った。
ときどき、王は傍らにファルハングを引き連れて森に来た。
ファルハングは爺の孫。『教養』という名の奴隷だ。
「フーシュ、あれは何者だ?」
王は何度か森に来たあと、気難しい顔をしてそう問うた。
「何者とは、いかなる意味ですかな。あれは鳥でございましょう」
「…おまえまで俺を馬鹿にするか。その皺首、へし折ってくれるぞ」
「どうぞ、王子。幼少のみぎりよりイスファさまにお仕えして、もう二十年。最後にお手にかかるならば、奉公も全うしたと申すもの」
「何が王子だ、この耄碌ジジイが。俺が王位に就いてもう十年にもなるわ。いよいよボケたか」
「ほっほ」
穏やかにあしらう爺に、苦虫を潰したような表情で、王は言う。
「あれは奴隷ではないぞ。これをやろうかと言ったら、ここでは薔薇のほうが美しいと抜かした」
彼が手に持つのは、オリーブの実ほどの大きさを持つルビー。
おそらく売れば一生の間遊んで暮らせるであろうほどの、極上の宝玉。
「これを持って逃げればよいではないか。奴隷ならば、みなそうする。あれはおかしいぞ」
「であれば、奴隷ではないのでございましょう」
「だからなんだと聞いておるのだ。無駄に年ばかり喰いおって、物の役に立たん」
「ほっほ。…あれは、天使でございますよ」
フーシュは、なおも動じない。
王は聞くのも馬鹿らしくなり、老人に向かって無造作にルビーを投げ捨てた。
「…ふん、つまらん。やる」
「これは、恐縮でございます。頂いてもよろしいのですかな?」
「代わりにまたこき使う」
強大な権力をもつ王は、宝石だろうと何だろうと思いのままだ。
数少ないお気に入りには、それこそ湯水のように何でも気ままに分け与える。
しかし、その代償は時に残酷。
ある寵臣は、領地を貰った次の日に賄賂を咎められ、妻と娘と命を失った。
そこで、老人はふと不思議に思って尋ねた。
「…ソルーシュには、タダで差し上げるおつもりだったので?」
王は、それには振り返って楽しげに答えた。
「欲しいと言ったら、代わりに首をもらおうと思ったのだ。だが要らぬと言ったから、予定が狂った」
――薔薇では、首は取れぬ。
王はフン、と薄く笑った。
森にある薔薇とて、この国の全ては王の物だ。
だから、薔薇をやる代わりに何かよこせとからかった。
むろん、彼女は困った顔をした。
身一つで連れてこられたのだ。何かを持っているわけがない。
だが、王は小癪なこの娘がなんと答えるのか、試してみたかった。
『では、歌を。…歌を歌いましょう、王様のために』
娘は小さく細い声で、囁くように歌った。
話し声よりもなお優しく、そのささやきはまるで小鳥の囀りのよう。
ゆっくりと紡ぐ彼女の歌に聞き入っているうちに、王は久しぶりに腰の剣から手を離した。
そのまま、傍にあった雪花石膏の寝台に行儀悪く寝そべる。
薔薇の代価としては、悪くない――
花々の香りと彼女の歌声に包まれて目を閉じながら、王はそう思った。
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