‖flower crown‖


  2


王は隠れるように森を訪れる

歌姫に会うためではないと言う

ただ歌を聴きに来るのだ、と


歌姫はそんな王を優しく迎える

――限りなく柔らかな、声と肌とで




 「王はあれがお気に入りのようじゃの」
 「…は」
 「可憐で素直な、可愛い鳥じゃ。…殺しとうはないの」
 「……は」
 「が、王が油断めされれば、そちの出番よ。心得ておくがよい」
 老人は飄々と言う。
 ファルハングもまた、いつものように、淡々と受け止める。

 「一度、あれに聞いてみたのだ。ジャムシードの王や王妃が処刑されたが、どう思うかと」
 「…」
 「したらの、顔が変わった」
 「では、やはり」
 王の親族なのか。ファルハングは目で問うた。
 ならば、王に害を及ぼすかもしれない。身内の仇として。

 しかし、フーシュは否、と答えた。
 「…あれは、戸惑った。それは良い。だがの、次には」
 「泣きましたか」
 「いや、ほっとしておった。だがすぐに、それを自ら咎めた」
 意味が分かるか?――フーシュは孫に問う。
 ファルハングはただ首を振る。

 「姫ならば、身も世もなく嘆き悲しむであろう。奴隷ならば、主人の死を聞き、自由になったと喜ぶ。または、形ばかり悲しむ」
 「はい」
 「…であればこそ、あれはどちらでもないものよ」


 フーシュは、密かに彼女の身上を調べるよう、孫に諭した。
 王のお傍に危険があってはならぬ。それは、当然のこと。
 …彼の見る限りでは、あれは吉兆と見えたのだが。



 ――さて。王が捕らえた鳥は、いったい何であろう?




 ***




 「おまえ、歌う以外に芸はないのか」
 王が髪をつんつん引っ張ると、歌姫は困ったように首を振る。
 「踊りは?」
 少しは。――彼女は、小声でそう答えるのみ。
 王様も頷いた。扇情的な踊り女など、およそこの娘では務まらぬ。

 「おまえは生娘であった。側女だったわけでもなかろう。歌うだけか。…役に立たぬな」
 王の一言に、彼女はようやく傷ついたような顔で俯いた。
 いつも微笑んでいる瞳が、暗い影を落とす。
 何を言っても反応しない娘だったので、王はこの様子に少し驚いた。

 「泣くなよ。今は役目を与えてやったろう。俺のために歌え――ソルーシュ」
 名を呼ばれて、歌姫は顔を輝かせた。
 初めて名を付けられた獣でも、これほどの反応はしない。
 名を貰って喜ぶなど、おかしな娘だった。
 普通なら、己の名を捨てさせられたと屈辱に思う。人としての矜持を傷つけられて。
 …これは元々、そんなものを持たぬ娘だったのだろうか。

 そのうち、王は考えるのが面倒になった。
 この鳥は喜んでここにいる。
 逃げるなら逃げればよい。鳥が逃げても嘆きはしない。
 一時の安らぎをもたらすならば、飼ってやろう。――


 王を膝に寝かせ、彼女は歌う。

 ――まるで母親がそうするように、心をこめて。




 ***




 「ソルーシュ、今日は王が来られたのか」
 「…はい」
 素直な鳥は、老人に答える。
 彼女は、来たときよりもさらに表情が和らいだ。
 フーシュにもよく懐いていた。あの朴念仁の孫よりも余程、愛らしい孫代わりだ。

 「そなた、真の名は何という? 本来の名で呼ばれたいとは思わぬか」
 「…」
 彼女はゆっくりと首を振る。
 「今は別の名を頂きました。私はそれでいいのです」
 「そうか。ならばよかろう…」




 彼女の本当の名は、アルナワーズという。
 老人は、もう知っていた。
 ジャムシードの後宮にいた女から、ファルハングが聞き出してきたのだ。



 『白い肌の女? そんなもの、奴隷にいくらでもいたわ!』
 混乱の中、大臣の第四夫人にうまく納まった女は、かつてジャムシードの後宮にいた。
 王の11番目の王女だったという。かの城には、数え切れぬほどの姫がいたのだ。

 ファルハングは、重ねて娘の特徴を述べた。
 ささやくような小声で歌う。森が好きで鳥と遊んでいるような娘。――

 そう云うと、女はああ、あの婢女の姫、と嘲りを込めて笑った。
 『…婢女の姫』
 ファルハングは、聞きなれぬ響きを繰り返す。
 
 『あれは奴隷のようなものよ。そんな娘もいたわね、すっかり忘れていたわ』
 『奴隷のような、とは?』
 『…昔、奴隷女が産んだ娘よ。本人は王の子だと言っていたけど、嘘に決まっているわ』
 『では、姫なのですか』
 『だから、あの肌で王の子のはずがないでしょう。きっと、白い奴隷同士で通じてできた卑しい娘よ』
 『…』
 竜涎香の冠を巻きつけたような、自らの艶やかな黒髪を誇るように、女は言った。

 『で、あの娘がどうしたというの。ようやく奴隷に売られるのかしら?』
 優越感を込めて、女はせせら笑う。
 もしかすると、妹にあたるかもしれぬ娘。
 しかし彼女にとって、そんな仮定は意味がない。

 『…はい。それで、生まれを確かめておりました』
 『そう。せいぜい高く売れるとよろしいわね。卑しくもジャムシードの後宮にいたのですもの』

 もしも、その娘が王の傍にいるなどと口走ればどうなるか。
 彼女は、己の幸運を上回る厚遇など、決して認めないだろう。
 ソルーシュを妬み、恨み、…殺したいとさえ願うだろう。
 そういう女だ。

 ファルハングは、ただ黙って礼を述べた。

 あの鳥がどういう生まれで、どのような扱いの中で生きていたか。
 ファルハングには、手にとるように分かったような気がした。
 彼は奴隷の身分でありながら、王の傍近くで様々な人種をつぶさに見てきた。
 だから、知っている。権力の集まるところで、人間がどう振舞うのかを。


 …あの姫は、王を裏切るまい。
 少なくとも、彼はそう信じたいと思った。



 ***




 あるとき、王は森で狩りに夢中になっていた。
 そんな中、傍らのラクシュが消えたことに、しばらく気がつかずにいた。
 彼の愛馬は家臣の誰よりも我が儘で、気ままだ。
 王の許可もなく好き勝手に動き回る。
 だから、誰もが恐れる王が後ろから追いかけるのは、この世でラクシュだけ。

 
 「まったく、生意気なヤツだ。あるじを置いていくつもりか」
 ブツブツ言いながら、王はラクシュを探し回った。
 今度こんなことをしたら、焼き馬にしてくれようか。…そうこぼしつつ。

 だが、彼はラクシュには手を出せない。
 彼の愛馬ほど、輝く毛並みと天馬の如く軽やかな足を持つ馬など他にはいない。
 数多い戦の中で、ラクシュは王と一体となり、縦横無人に戦場を駆け巡った。
 まさに、王の分身なのだ。彼と心を共にする唯一のもの。
 …であれば、気ままで勝手なのも当然ではないか?


 「どこにいるのだ、ラクシュ」
 森の奥、普段の狩りでも近寄らぬところに、愛馬はいた。
 穏やかに草を食み、甘えるように鳴き声を漏らして。
 そこで王は気づいた。ラクシュはただいなくなったのではない。
 なぜなら、その傍らには彼の鳥も共にいたから。

 「…何をしておる」
 どちらに向けていったのか、王にもよく分からない。
 馬と鳥は、顔を見合わせて、王にそれぞれ笑いかけた。

 ラクシュは王以外の者の手には慣れぬ高貴の馬。
 そのはずだった。
 だが今、ラクシュは彼女に甘え、その手から差し出された林檎を美味そうに食んでいる。
 ソルーシュも馬を優しく見つめている。
 その目つきは、普段よりも優しいように思われた。――王には。

 「…帰るぞ、ラクシュ」
 王は、歌姫を無視して、愛馬にそう声をかけた。
 ラクシュは一声、ヒヒン、と抗議する。
 まるで、彼女の傍にもっといたい、とでも言うように。

 ――そういえば、この鳥を始めに見つけたのも、ラクシュだったのだ。
 王はそのことを思い出し、無意識に腹立たしく思った。
 何が腹立たしいのか、彼自身にもよく分からない。
 愛馬を手慣づけられたのが悔しいのか。歌姫が馬に優しいのが苛立つのか。

 「…ふん、勝手にするがよい」
 そういい残し、彼はその場を去った。




 それくせ、その夜、王はいつものように歌を聴きに赴く。
 昼間、彼女を無視したことなどすっかり忘れて。

 彼の鳥は、ただひそやかに笑う。
 その瞳は、馬に向けたものよりも、なお優しい。


 ラクシュがこの天使に甘えるのも当然のこと。
 かの馬は、王の分身なのだから。
 そのことに、王はまだ気付かない。――




 
backnext


back