‖flower crown‖


  3



お望みのとおりに

歌をうたいましょう

すべてを手にしたあなたの

淋しい心に届くように






 王様はときに気まぐれを見せる。
 『土耳古石の耳飾をやろうか』 『金で作った花が欲しいか』…

 歌姫は微笑んで曖昧に首を振る。
 何もいらない。――それでなくとも、身の回りにはいつの間にか、色々なものが溢れている。

 なおも王様は続ける。
 『では、後宮へ行きたいか。…連れていって欲しいか?』

 …そこで、彼女は身体を凍りつかせる。身を震わせ、ただ力無くうずくまる。
 後宮は恐ろしい。そして、それ以上に――

 『このルビーの美しいことよ。…どうだ、おまえも、欲しいか?』

 以前、彼がそう問うたときの、底冷えするような瞳。
 彼女は、その瞳が何よりも恐ろしく、悲しかった。
 人を決して信じない、仮面のような微笑み――かつて、いつも彼女に向けられていたもの。
 後宮のことを口にするとき、王はその微笑を浮かべる。
 まるで、言葉の中に蛇を飼っているよう。

 『いいえ、…いいえ。私はここが好きです。他の何処へも行きたくはないのです――』

 そう云うと、王は冷たい光を和ませる。
 それで、彼女はようやく息をすることができる。…





 ――そうして、天使が森へやって来て、半年も経ったろうか。


 王はまた、思い出したように征服を再開した。
 今度は遠い、東の国へ。
 長い間、国を留守にするが、歌姫には何も告げなかった。

 
 …当然だ。阿呆でもあるまいし、なぜ鳥にわざわざ行き先を教えねばならぬ?
 
 王はずっと、己の命を狙うかもしれぬ娘と知っていた。
 爺としもべが始末しなかったので、ほうっておいたが(むろん、老いぼれもそれぐらいは働くものだ――)。
 ならば、気にかけるほどのものではない。
 気まぐれに手折った花のひとつ。…それだけだと。
 
 


 ***




 いつものように、戦は順調だった。
 王はラクシュを引き連れ、戦場で軽やかに駆けた。
 そして、変わりなく、全てを手にした。
 領土と、宝玉と、奴隷と。
 …だが。



 「おい、この女を連れて行け」
 王に呼ばれたファルハングは、黙々と王の下命を承る。
 だが、その寝台に近づいたとき、わずかに息をひそめた。

 陣に置かれた豪奢な寝台に横たわるのは、気ままに捉えた戦利品の一つである、端正な美貌の女。
 白い肌と金の髪。…そして、可憐な声。
 どこかで見たような、その色と響き。
 「…」
 王が何を求めているのか、彼に分からぬはずがない。

 しかしファルハングは、無言のまま、嫌がる女の腕を引きずり出した。
 去り際に王は問う。
 「その女は美しい。朗々と達者に歌う。だが、…。なぜだ?」
 …何が、とは言わない。
 忠実なしもべも、ただ一言、王にさとすだけ。

 「何をお求めなのか、王自身がお分かりでないならば、私にも叶えてさしあげられませぬ」

 
 答えは、彼が教えるものではないのだ。




 ***




 フーシュは、森の中を彷徨う鳥の姿を横目で眺める。
 王が来なくなってからというもの、徐々に生気を失っていく鳥。
 人の手に慣れてしまったあとでは、もはやそれなしには生きられぬ。

 あるとき、娘は言った。

 『名は、呼ばれないと生命を失います。枯れてしまいます』

 …おそらくあの娘の名は、以前は枯れようとしていたのだろう。
 アルナワーズという、誰にも呼ばれることの無かった名。
 おそらくは、二親でさえ呼ばずにいた、死んだ名前。

 ソルーシュという新たな名を与えられ、彼女がどれほど喜んだことか。
 王の口からそう呼ばれるたびに、水を与えられた白いジャスミンのように、なんと瑞々しく輝いたことか。

 それは、ただの呼び名ではない。
 自分が必要とされることを意味する、存在を肯定する言葉。
 老人が呼んでも意味は無い。
 …彼女を欲する者が、呼んでやらねば。


 あれは、本当に天使と呼ばれるものなのかもしれなかった。
 人の想いを糧にして、息をしているような娘。
 わずかな想いを寄せられただけで、…それだけで、自らの全てを捧げる娘。





 老人は、娘の素性を王には知らせなかった。
 そして、娘にもこれまで何も語らなかった。
 だがもはや、どちらにも、何を語る必要もないと悟っていた。
 
 あの娘にとっては、王が何者かなどどうでも良いことなのだ。
 彼女はただ、心のままに感じ取るだけ。
 王の心に隠された、王自身も知らぬ魂の傷を。

 王が王であるために、生きるために傷ついてしまった、その痛みを。――




 ***




 王は、16のときに王位を継いだ。
 父王の死とともに、三人の兄王子をその手で葬った。
 母の王妃が、兄王子たちの策略により死んでいたのだ。


 母の記憶さえ持たぬ王は、それでも雄々しく明朗に育った。
 強靭な精神が、彼を支えていた。
 王座にあった十年も、決して平穏ではなかった――戦と、謀略と、裏切りと。
 それでも、彼は王だった。


 王子の頃に娶った第一王妃は、隣国の王女だった。
 美しく、優しく、教養高い姫だった。
 年若い王が即位すると、妃の父である隣国の王は、保護者を気取り恣意に振舞った。
 領土を侵され、女子供を連れ去られるに及び、彼は宣言した。

 『土地と民は、全て我が物。俺に属する、俺のものだ』

 父と夫の板ばさみとなった王妃は、…最後には父を取った。
 幼い王と老練な王。普通ならば、勝ち目はないからだ。
 そして彼女は王を裏切り、内通を図り、逃げ出そうとして――殺された。


 王が、妃を愛しいと思っていたかは誰も知らぬ。
 彼は、こんなことで自分を哀れみはしないからだ。
 王者として生きるなら、当然のこととして、彼は受け止めている。

 だから、己の心が磨り減ったことも、彼は知らない。
 強靭な精神であるが故に、欠けてしまった魂の傷は、余計に見えぬもの。

 だが、それ故に、王は満たされぬままでいる。
 どれほど領土を広げようと、どれほど宝をかき集めようと、何千という家臣や女を侍らせようと。
 心のどこかが欠けている。そして、泣いている。
 地獄で飢えに苦しむ罪人のように、いつまでも――





 これまで、王の傍らには、フーシュとファルハング――『知性』と『教養』があった。
 王自身には、青銅の如き肉体と、猛々しく勇敢な意志があった。
 それで全ては事足りた。…これまでは。


 だが、ただ一つ王に足りぬもの。
 生きるために、足りぬもの。
 それを、あの天使は与えてくれよう。

 心を満たす、最後のひとかけらを。




 ***




 ソルーシュは、森の宝石を集めていた。
 煌く色とりどりの花。生きている宝石。
 彼女は、命を愛している。祈りにも似た、熱心さで。


 花を集めて作った命の冠。
 だが、被せてあげるひとは、いない。
 彼女が想いを預けるひとが、誰もいない。


 「…っ」
 ソルーシュは思わず、冠を胸に抱きしめた。
 誰もいないなら、自分がここにいると、…いてもいいのだと、どうやって確かめられよう?
 名を呼ばれなければ、名は枯れてしまう。
 そして、彼女自身も枯れてしまう。

 新たな名をもらうまで、彼女はいつも萎れた花だった。
 自らの住む城が攻められていたことすら、彼女は知らなかったのだ。
 誰も、彼女にそんなことを教える必要を感じなかったから。…

 今は、その寂しさを知っている。
 名を呼ばれることの喜びを知っている。

 だから、呼んで欲しい。自分の名を。
 見つけて欲しい。それだけを、ひたすら願った。――


 そのときに、彼女は聞いた。
 空耳かと思うほど、耳の奥に響くまっすぐな声を。
 
 




 「…シュ。ソルーシュ、出て来い!」
 森に響き渡る、荒々しい声。
 馬も、鹿も、兎も。どれもが恐れをなして逃げ去っていく。
 だが、鳥は逃げない。
 信じられぬほどの喜びが襲って、手にした花冠を落とし、足は竦んだけれど。


 「なんだ、ここか。返事くらいしろ、怠け者め」
 「…はい」
 「帰ったぞ、俺の鳥。…何か言え」
 「…」
 声が出ない。立つことも、出来ない。
 「…気の利かぬ女だ」
 ああ。王は、呆れて去ってしまうに違いない――

 だが、彼は去るのではなく、逆に彼女に近づいた。
 「おまえはただの奴隷だが、もはや俺のものだ。たったひとつの、俺の鳥。だから、もう逃げるのは許さぬ」
 逃げる。…?
 ――思いもしない言葉に、彼女は小首をかしげる。
 王はそれを見て、悪戯を企む子供のように眉を上げた。
 「おまえはとぼけるのが上手いな。…だが、覚えておけよ。もし逃げたら、俺が自らその細首を絞め殺してくれる。皮を剥いで、肉を切り取って、食ってやろう」
 座り込んだソルーシュを乱暴にかき回しながら、王は楽しげに言う。
 「…この手で?」
 ソルーシュは、己の首に触れる王の手を、そっと取り上げた。
 刀と弓と手綱を扱う手は、大きく傷だらけだ。だがその指は、思いのほか長くて繊細だった。
 その手で、命を掴んでくれるという。…己の、このちっぽけな生命を。
 「そうだ。この手で」
 ソルーシュは、笑った――嬉しさのあまり。


 「……」
 王はつくづくと、おかしな女だ、と呟いた。
 「ルビーをやるかといえば、薔薇がいいと言う。後宮に行きたいかと言えば、震えて拒む。それが、殺してやると言えば、泣いて喜ぶ。…本当に、おかしな女だ」
 それでも、彼の天使は優しく笑う。
 つられて、王も笑った。





 ***





 その夜、王様と歌姫は、初めてお互いの心に触れた。

 それは、肌よりも腕よりも、互いを優しく暖めるもの――欠けていた、大切なもの。
 
 命を持った花冠とともに手渡したのは、真を捧げる彼女の心。






 ――そして、全ては癒された







 end.
 




 
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