麗しの姫君【1】



 名高いアーサー王の居城であるキャメロットの城は、とかく大きく広い作りになっていて、始終あちこちへ歩き回らねばならないほどの規模であった。
 だから、その日モルドレッドが長兄のガウェインと廊下でばったりと出くわしたのは、単なる偶然に過ぎなかった。
 加えて、その遭遇がちょうど間の悪い時であったことも、どちらが意図したことでもなかった。

 
 向こう側から歩いてくる兄が、どこかぼーっとしてふらふらと覚束ない足取りなのを不審に思って、モルドレッドはおずおずと声を掛けた。
 「…兄上。どうかなさったのですか?」
 俯き加減だったガウェインは、その言葉にふいと面を上げた。
 そして、末の弟の姿を認めると、気のない様子で笑って答えた。
 「……ああ、モルドレッドか。久しいな。……相変わらずで、嬉しいよ。」
 「……。」
 何が相変わらずなのか、あえてガウェインは言わなかったが、落ち込んでいたように見えた彼の顔は一瞬愉快そうに崩れた。
 一方のモルドレッドは、この挨拶に少々頬をひきつらせた。

 『本当に可愛いな、この子は。実は惜しくて堪らないよ。妹だったらどれほど…』

 ――そう幼少時から言われつづけてきた身にしてみれば、兄の言葉は賞賛というより侮辱に近い。
 (美形は片っ端から無節操に口説いて廻ってるお人だからな…)
 だからといって、弟にまで綺麗だの可愛いだのと歯の浮くような台詞は言わないで欲しい――そう願わずにはいられないモルドレッドだった。

 「ん? どうかしたか?」
 「…いえ、別に。兄上こそ、何やらご思案中だったのでは?」
 話を兄の方に振ってみると、いつもならば有り得ないことなのだが、ため息混じりの愚痴が出た。
 「うむ。――この世は全てが戦いだ。この宮廷でも常に名誉と栄光を保っていくのは難しい。だが、私もそれについて努力を怠ったことはないつもりだ。…が」
 「…何か、難題でも?」
 「…そうなのだ。こればかりは如何に私でも容易に成し遂げられそうもない。…実は、事前に用意していた準備がご破算になってしまってな…。」
 「それは、――大変なことのようですね…。」
 普段は飄々としている兄が、見た目にもわかるほど苦悩し、考え込んでいる。
 身内にもめったに見せないその様子に驚き、モルドレッドも真剣に心配し始めた。
 そんな弟の優しげな顔を見下ろして、ガウェインはふと気付いたように視線を固定させた。
 「そうだ。こんなことはもう二度とないと誓うのだが、…モルドレッド」
 「はい?」
 そう云うと、ガウェインは弟の肩をがしっと捕らえ、顔を真近に近づけた。
 かなりの身長差のため、モルドレッドはその手から逃れることも目を背けることもできない。
 「…お前の力が必要なのだ。是非、私に協力して欲しい。お願いだ。」
 「――え…」
 ガウェインの真剣な頼みに、モルドレッドは意表を突かれ、呆然と兄を見上げた。
 かなり年の離れたこの兄は、普段は兄弟というよりもまるで父か伯父のように、彼にとっては頼りがいのある人物である。
 自分の生まれる前から騎士として活躍してきたこの兄に、よもや頼りにされることがあるなど、モルドレッドは思ってもいなかった。
 ましてや、名指しで頼まれるだなんて。――

 「私でよければ、よろこんでお手伝いを致します。兄上。」
 モルドレッドの健気な返事に、兄はにっこりと笑い、おもむろに弟を抱きしめた。
 無論、抱きしめられた彼がその可愛い顔を思いっきり歪めていることを百も承知で。
 


***



 ざわざわと賑やかな室内の空気は、主だった騎士と貴婦人が入場するにつれ、そのざわめきを増した。
 まるで品定めをするかのように、大勢の賓客が集まる大広間には、名を呼び上げられた者達が一組ずつ優雅にその姿を現し始める。
 
 「…これは、素晴らしい…」
 「いやいや、やはりランスロット卿を見てからでないと…」
 こうして入場する人々は、皆この場に敬意を表してか、見事に着飾ってめかし込んだ者ばかり。
 やがて最後に近づくにつれ、紹介される騎士も徐々に高位の大物になり、見守る人々の期待も否応なしに高まっていく。
 
 「…王の甥御、オークニーのガウェイン卿!」
 その掛け声に、さっと人垣が分かれ、入ってくる彼らに左右から注目が注がれる。
 ガウェインが堂々とマントを翻して歩くその脇には、彼に手を取られた貴婦人が大人しやかな歩調で付き従ってきた。
 ガウェインが身に纏う衣装は濃い濃淡の上下に、凝った装飾を施した長剣。地味な色合いだが、品の良さと所々にアクセントの利いた同系色の模様が美しい。
 また、彼に寄りそう婦人は、遠目にも分かるほどの優雅な身のこなしとほっそりした姿態を持っていた。
 衣装は、それこそガウェインに合わせてしつらえたと思われる上等なもので、白地のゆったりした織物に、金の縫い取りが上品にちりばめられていた。
 だが、俯いた顔はあくまで隠そうとしてか、同じ厚い生地のベールが長く腰まで掛かっている。
 その中にあるかんばせを見てみたいと、皆が固唾を飲んで見守る。
 その緊張に堪えかねたのか、彼女は躊躇いつつも、伏目がちに顔を上げた。
 ――そのベールの合間から覗く、輝くような金の髪と澄んだ瞳。
 初めて見る淑女の登場に、広間は大いに湧いた。
 清楚な美しさもさることながら、何よりも彼女の初心な、怯えたようなその表情が、満座の心を一瞬にして虜にしたのだった。…

 
 (……何の茶番なんだ、これは…)
 ベールの下で、誰にも気付かれない程度に顔を歪めたモルドレッドは、心中ではかなりの苛立ちと怒りを抱えていた。
 周囲には怯えと見えたそのかすかな震えは、実は怒りから来ているものなのだが、それを知るものはない。
 俯いたままの彼(彼女)を安心させるためか、上座にいたアーサー王はそのとき、ガウェインに対して穏やかに声をかけた。
 「ガウェイン卿、これはまた、素晴らしい姫を供に連れてこられたものだ。」
 「ありがとうございます。彼女は私の縁戚に連なる者でして、まだ若く、こうした場には慣れておりません。どうか皆様、寛大に相手をしてやって下さいませ。」
 「うむ。…で、姫は名は何とおっしゃるのかな?」
 「…っ、と。えー、あー、そう、モルゴースと申します。」
 その台詞と共にひじで合図をされ、モルドレッドは絶え入るばかりの小声で答えた。
 「オークニーのモルゴースと申します。ご無礼お許しくださいませ…」
 「そうか。姉上と同じ名とは奇遇だな。…それとも、名を頂いたのかな。」
 王はそのやり取りには気づかぬようで、楽しげに話を続けてくる。
 「…ええ、そうなのです。母上が名付け親になったので…」
 しどろもどろになりながらも、ガウェインは上手く誤魔化して設定を考えているらしかった。
 そのガウェインと話をしながらも、王の視線は少しおかしなほど熱心にモルドレッドの方に向いている。
 (…? バレたかな…。)
 冗談で済めばいいが、と思いながら彼がそっと顔を上げると、瞬間、王とまっすぐに目が合った。
 「あの…?」
 「本当にお美しい姫でいらっしゃる。モルゴースとおっしゃるそうだが、どことなく面差しが懐かしいな。まるで、もう一人の姉を思い出すようだ。…」
 そのアーサー王の口調も見つめる眼差しも、もはや興味の域を越えていた。
 …つまり、まじまじと見つめるその瞳は、真剣そのものだった。
 あまりにじっと見つめる王に、モルドレッドも慌てて恐縮したように腰を折った。たおやかな外見に反して、内心はかなり穏やかでない。
 (この…クサレ親父…っ!)
 息子と気付け、とは言わないが、せめてその熱っぽい視線はどうにかしろ、とモルドレッドは胸の中で叫んだ。
 父(血縁上)と兄(義理)のあまりの情けなさに、思わずふつふつと怒りが湧き上がる。

 そうこうしているうちに会話も収まり、後の者が次々と現れる中、息を飲んだように成り行きを見守っていた周囲も、ざわめきを取り戻し始めた。
 最後に登場したのは、もちろんこの場に無くてはならない花形、ランスロット卿である。
 「…おお…」
 「あれは、確か…」
 ランスロットともう一人の姫の登場は、予想に違わぬ賑やかさで迎えられた。それでも、モルドレッドのときのような興奮はない。
 それもそのはずで、現れたのは以前にも宮廷に招かれたことのあるエレイン姫であったからだ。
 姫はいつもながらの豪奢な出で立ちで、楚々とした風情で歩を進めた。
 ランスロットに手を取られて中央まで来ると、王と王妃に向かって礼を執った。
 「…まあ、エレイン姫。今日も素敵なお召し物ですことね。」
 エレイン姫の金に糸目をつけぬ衣装に押されて、グウィネヴィア王妃が厭味交じりに声を掛けると、姫はにっこりと笑って返礼をした。
 「王妃様、お久しぶりでございます。お褒め頂き恐縮でございますわ。今日は楽しい催し事があるということで、僭越ながらまかりこしましたの。」
 二人のやり取りはこの上なく親密で、微笑ましく映りさえするはずのものなのだが、目に見えないはずの火花は、何故か周囲にはパチパチと音が弾けるように感じ取れる。

 
 『やはりエレイン姫はお美しいな。…だが、少々お年が…』
 『うーむ。お子を儲けられて大分経つからな。容色が衰えるのも致し方あるまい。…これは、やはり王妃様だろうか?』
 『…うむ。しかし王妃様とてお年は隠せぬぞ。いや、無論、国一番の御容姿でいらっしゃるのは疑いないところだが』
 『それはそうだ。疑いない。だが…これは…』
 『…なかなか難しいところではないか?』
 『ああ、そうだな…。ここは陛下のご判断にお任せして…』

  
 こそこそと周囲の呟きが流れる中、アーサー王はおもむろに立ち上がり、御婦人方は少しの間、次の間にお控えあるように、と命じた。
 婦人達がぞろぞろと移動した後、彼はようやく周囲の騎士達を見回して、遠慮がちに問うた。
 「…ということなのだが、卿らの意見を聞かせてもらおう。勝者は、果たして誰か?」
 皆がきまりの悪そうな表情を浮かべ、誰も意見を言おうとするものはなかった。
 そこで王は、あくまで個人的な意見だが、と前置きした上で、次のようにのたまった。
 「これは、ガウェイン卿が勝利したものと思われるが、いかがかな? …いや、無論、我が王妃の美しさは常に誰にも負けぬが、ここは一つ、ガウェイン卿に花を持たせてやるべきではないかと思ってな…」
 王の裁定に、ベディヴィア卿はここぞとばかりに賛成を叫んだ。隣にいた弟のルーカン卿も頷く。
 「これは陛下の寛大なご意見、いかがですかな、諸兄?」
 「うむ、異存は無い。」
 「そうだな、陛下のおっしゃる通りだ。」
 これにぞくぞくと賛同が寄せられ、意見の一致を見た。誰も反対意見をいう者がないと決まったところで、王が高々と宣言を行った。
 「では、馬上槍試合での引き分けは、これにて決着したことにする。よいか、ランスロット卿?」
 「はい、私はかまいません。もともとガウェイン卿が勝っていた試合でしたから。」
 鷹揚にそう答えるランスロット卿に、ガウェイン卿が不満げに横から口を挟んだ。
 「…待て、それは違うぞ。あれは明らかに貴兄の勝ちだった。最後の私の切り込みは届いていなかったではないか。」
 「いや、そうではない。しっかりと傷もあるのだから、間違いない。大体、今ここで勝者だと認められたのだから、素直に受け取ったらどうなんだ。」
 「何だと? そうやっていつもお情けで勝ちを譲ろうとするところが君の嫌なところなのだ。こちらは負けたと言っているのだから、そちらこそ素直に…」
 言い合いを始めた二人に、王がすかさず割って入り、両者を窘める。
 「よさないか、二人とも。それを決めるために今日の宴を行ったのだろう。私の裁定に賛成したのではなかったか?」
 「「は…」」
 恐縮して、二人が一緒にそう言いかけた、まさにそのとき。


 「「なるほど、そういうことでしたのね。」」
 嫌な具合に、もう一つの声が広間に重なった。
 「王妃!」「姫!」
 一瞬にして険悪になる雰囲気。そして、隣の部屋にいたはずの女性達が、王妃とエレイン姫を中心にしてずかずかと広間に入ってきた。
 「…王妃、これは…」
 「陛下! どういうことですの? まさかこのようなはしたない真似を皆でなさるとは…!」
 「いや、これには長いわけがあってだな」
 「理由など聞いておりませんわ。貴婦人を軽んじるようなお振る舞い、恥ずかしいとはお思いになりませんの!?」
 「……その」
 固まったままの男性陣に、王妃は畳み掛けるように続けた。
 「詳しく説明して頂けますわね?」


  

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