風の歌う処
 
 
cuz there wasn't any wind
 cuz there wasn't any sun
 we were waiting for the world to begin

 we were waiting in the darkness

 [AT THE BEGINNING OF TIME / Jane Siberry]

 
 
そこには風がなかったから 
そこには太陽がなかったから 
僕たちは世界が始まるのを待っていた 

僕たちは暗闇の中で待っていた 

[永遠のはじまり/Jane Siberry] 


1



 見上げると、そこには嘘のように晴れた青空。
 そして、見下ろせば、さらに完璧な街並。
 細心の注意でもって配置されたロードウェイとアドミラルタワーが、分子配列の如く整然と並ぶ。

 ここでは、全てが磨き上げられ、濾過される。
 美しくないもの、不純なものは存在しないのだ。


 例えばそう、…人間以外には。





 ***





 風の吹きすさぶ高層ビルの屋上は、少年のチェックしている隠れ家の一つだった。
 ここは自動のエレベーターで上がるのではなく、最後は狭い階段を登り、ようやく屋上に出ることができるおかしな構造。
 その不便さと目立たない質素な外観とが相まって、めったに人が来ない絶好のポイントだった。
  都市では、どこに行っても大抵は人の目がある。
 それを気にせずにはいられないように仕組まれている。
 だからこそ、この場所は貴重だった――彼にとっては。


 少年は、形ばかり据え付けられた柵に寄りかかって、ぼんやりと眼下の風景を眺めていた。
 いつ見ても、隙の無い景色。
 変化といえば、時間とともに変わる太陽光の色具合だろうか。
 しかし彼には、それすらも計算され尽くしたデジタルアートのように思えてならなかった。

 「あー…、つまんねー」
 口から漏れる呟きは、最近いつも同じ台詞ばかり。
 自分でも、なぜかなんて説明できない。
 ただ、これ以外、気持ちを表わす言葉が見つからない。
 ときどき、柵を越えて、ここから飛び降りたらどうなるんだろう、と考える。
 そして、すぐにバカバカしくなって止める。結果なんて分かりきってるからだ。

 たぶん、こんなちっぽけな身体はバラバラになって、清掃車に片付けられるだろう。
 不潔を嫌うCCは、死体などというゴミを市民の目に晒したくないので、大急ぎで清掃する。
 それから、なぜこんな愚かな行為をしたのかが委員会で問題になって、議論される。
 プレアカデミーの生徒のように、まだ自我の発達段階にある子供に事故が起こった場合は、指導側の管理責任だ。
 結局、指導員のトールが査問にかけられて、管理能力が疑問視され、もっと低級のクラス担当に飛ばされたりするに違いない。

 (…それはちょっといいかも。あいつ最近、やたらムカツクし。)
 と、彼――ティアンは一瞬思う。
 が、自分がいなくなるのと引き換えに得られるのがその程度の満足だとすれば、どうにも情けない、とも思う。
 
  …。
 というか、こんなことを考えること自体、きっと、『良き市民には似つかわしくない、不適当な思考』なのだろう。
  ほんのわずかでも口にしようものなら、即刻カウンセラーに呼び出しをくらう。

 『なぜあなたは、もっと自分の資質を有効に使おうとしないのです? きっとあなたなら、都市のために有益な才能を発揮できますよ。悩みは私たちに打ち明けて、苦しみを背負わずに。ね?』

 (…何が「ね?」だか)
 本人にも分かってない苛立ちを、何で他人が聞きたがるのか、彼にはさっぱり分からなかった。
 聞くほうは、自分なら理解できるとでも思ってるんだろうか。
 しかも、打ち明けたらそれですっきりする? …なんだよ、それ。
 
 『何が不満なの。何が嫌なの?』
 
 そんなに問い詰められたって、答えなんか出てきやしない。
 一番分かってるのは、この状態に心底ウンザリしてるということだけだった。
 プレアカデミーにも、都市にも、CCにも。
 ――自分を取り囲む、全てのものに。



 
 
 そうして、ティアンはしばらく顔を俯けて、夕日が昇ってくるまでずっと考え事をしていた。
 顔が日に赤く照らされてきたのが分かって、少し目を上げる。
 そのときだ。不意に、階段を上がってくる足音がした。歩きなれているような、軽快なリズムで。
  誰がこんなとこに。…少年は、いきなりの侵入者に警戒心を尖らせた。

 「…あれ。先客がいたのか」
 屋上にたどりついて、ようやく人がいることに気付いたのだろう。
 登ってきた男は、そう云って苦笑いをした。
 見かけからして、どこか変わった人だった。今は多彩な色の瞳が流行なのに、彼の瞳は何の変哲もない黒。髪も同じ漆黒。
 ――それらが、張り切って変えた自分の蒼い髪と銀の瞳よりも、かえって新鮮に思える。
 
 「ここは見晴らしがいいだろうなあ、と思ってね。つい登ってみたくなったんだ。君のテリトリーだったんなら、ごめんよ」
 彼は、悪びれなくハキハキと話し掛けてきた。
 市民特有の、もってまわった言いまわしに慣れていた少年は、その率直さに少し面食らった。
 普通は、
 『あなたの優先を邪魔してしまって、とても失礼なことをしました』
 とかなんとか、自分の気まずさを最大限無くすために、礼儀に適った謝罪をするものなのだ。
 
 けれど、ティアンはそんな言い方が元々好きではなかったので、気にはならなかった。
 「…別にかまわないです。ここは公共のスペースで、僕の場所じゃない」
 「そうだろうけど。まあ、一応お断りして。…ちょっとお邪魔してもかまわないかな?」
 「…。どうぞ」
 そっけない少年の言い方にもめげることなく、彼は嬉しそうに隣にやってきた。
 「僕は高いところに住んでたから、塔があると登ってみたくなるんだよね。煙と何とかは高いとこが好き、ってよく言われるんだけど」
 そしてそのまま、聞いてもいないことをベラベラとしゃべり始める。
 勝手に名乗ったところでは、名前はフィルというらしい。
 見た目では、まだ若い。成人に成りたてぐらいの年齢だろうか。

 (この人の「邪魔をする」っていうのは、本当に「邪魔」をすることなのか?)
 じっと不信の目を向けるティアンをものともせず、彼は会話を止めようとはしなかった。
 「それにしても気持ちいいな。風が通って、景色が良くて。君は良い所を一人占めしてるよ」
 「…気持ちいい?」
 あまりに意表をつく感想を言われて、ティアンは戸惑った。
 人気のない屋上が好きだなんて、協調性に欠ける変わり者、としか言われないものなのに。
 「そう思うからここにいるんだろ? 他のところはなんだか綺麗すぎて居心地が悪いしなあ」
 「…は?」
 今度こそ、少年は凍りついた。都市の美しさをけなす人間がいるだなんて。
 (何言ってんだ、こいつ?)
 その顔を見て、フィルも慌てて、『あ、別に厭味じゃないよ。ごめんね?』と言い訳程度に付け足す。
 相手がさらに唖然として黙り込んだのを無視して、彼は続けた。
 「うわ、夕日が綺麗だ。大気成分が違うと、こんなにクリアに発色するもんなんだなー」

 (こいつ、よそ者だ)
 不可解な言動の謎が、その一言でようやく判明した。
 ティアンにとって、初めて見る外界の人間。おそらく、船でやってきた連中の一人。
 その途端、恐れと不安が彼の心をよぎった。
 外界の人間は、市民にとっては怪物にも等しい異物だ。
 幼いときから植え付けられてきた、外への恐怖は、そう簡単に拭いきれるものではない。
 平和で穏やかな、この都市とは全く違う世界。
 飢えや貧困、暴力と無知が支配する別世界が、外界なのだ。
 都市では、繰り返しホロムービーで外の残虐さと無秩序さが強調される。
 そこに住む人間は野蛮で凶暴な性質なのだと、幼年クラスの頃から何度も教わってきた。

 …でも、こいつはそんなふうには見えない。
 彼は、横にいるフィルを観察した。だが、いつ豹変するか知れたもんじゃない――
 しばらくそうしていると、その視線に照れるように、彼ははにかんだ。
 「そんなに警戒されると、困るなあ。君は外の人間を見るの、初めて?」
 少年は身構えて、頷いた。
 「そうか。じゃあ、ちょっと珍しかったかな。…そうだ。良ければ、これから少し話でもしないか?」
 「…僕と?」
 「そう。こんなとこで会えたのも、何かの縁だし。あ、こんなとこって失礼だな。ごめんごめん」
 で、どう?――そう云われて、彼は無意識に答えていた。

 「…いいよ」
 もう、怖いとは思わなかった。あまりの驚きに、麻痺していたのかもしれないけれど。




 ***




 
 「ふーん、じゃあ、来年になると進路を選択して将来を決めなくちゃいけないのか」

 ふんふん、と頷きながら、フィルはソファに片腕を投げ出した。
 高層ビルから場所を変えて、外界の船の中で、彼らは初めてのお茶を楽しんでいた。
 船の名はノヴァーリスというらしい。新たな始まり、という意味だよ、とフィルは説明してくれた。
 外見はメタリックカラーの綺麗なフォルムで、わりと小さめの船だったけれど、入ってみると、やはり中は見知らぬものばかりだった。
 ティアンは内心どきどきしながら、船内を物珍しそうに見回した。
 
 見学も一段落して落ちつくと、フィルは、もはやすっかり話し慣れた間柄であるかのように、ざっくばらんに聞き始めた。
 ここではどんなふうに生活してるの、とか、何をやってるの、とか。
 初対面の人間にここまで根掘り葉掘り聞いていいのか、というぐらいに、なんとも遠慮がなかった。
 (まあでも、こいつ余所モンだし)
 ティアンのほうも、なぜかそれで納得してしまっていて、あまり不思議にも思わなかった。
 
 「別に将来って言っても、そんなに違わないから。…ちょっと適性があるかないか、それだけだよ」
 いつもなら神経質に受け答えする内容なのに、今は投げやりに答えることができた。
 相手も好奇心で聞いてるだけだと思うから、気が楽だったのかもしれない。
 「でも、何になりたいとか、何をしたいとかあるもんだろ? 少年の夢ってヤツ」
 「…」
 そこで、言うことが無いティアンは、黙り込んだ。いいかげんにすら、何もいえない。
 
 彼は、周りからは情報工学の技官コースに進むと思われていた。
 他の連中よりも目立って数字に強くて、代わりに協調性とか対人折衝能力というものが絶望的なほど欠けているから。
 適性が分かりやすくていいね、とよく言われる。…おそらく、たぶん、厭味ではないのだろう。
 評価というのは、本人にそれ以外の希望がないなら、ほぼ決定、に近い。
 自分からは何も言ったことがないとしてもだ。だからこそ、意志表示が大切なのだけれど。…

 そんな彼を見かねてか、横から助け舟を出した人物がいた。
 「はっきりしないんなら、別に言うことないのよ。この人はただ聞いてみたいだけなんだから」
 そして、フィルをじろっと睨んで、付け加える。――デリカシーってものが欠けてるのよね、全く。
 「…」
 この、反対側に座るクレアという人を始めて見たときにも、ティアンは驚いた。
 彼女は、市民のような愛想笑いを一切しなかった。
 口を開くと、そこからは次々に辛辣な言葉が飛び出してくる。女性としてはどうかと思われるほど。
 それで確信した。やはり女性でも、市民じゃない。
 本当に、この人たちは、思ったことをそのまま話しているのだろうか。
 …何の下準備もなく。

 「あの、あなたはどうだったんですか」
 これはチャンスかもしれない。――ティアンは、ふとそう思った。
 この人たちなら、教えてくれるのかもしれない。自分が今、何を悩んでいるのか。
 「どうって?」
 「だから、あなたは昔、何をしたいと思ってたんです?」

 市民には、こんな下らない質問はできない。答えは決まっているからだ。
 『それは、都市のために役立つ有益な市民になるのが、第一だよ。あとは、皆に尊敬されれば、言うことはないな』
 …としか言わない。たぶん。

 「僕は、うーん。結構決まってたからなあ、あんまりそういうことは悩まなかったんだけど」
 その返答に、ティアンは少しばかり落ち込んだ。やっぱり――
 だが、次に言ったことがやはり異様におかしかった。
 「でも、一番大事なことはあったよ。彼女と一緒にいること」
 「…は?」
 「いや、だから、ずっと一緒にいようって思ってたんだよ。最初は漠然とだったけど」
 「…。それは、将来と何の関係があるんですか」
 照れながら(でもなぜか嬉しそうに)言うフィルに、彼は驚いたというよりも、半ば呆れた。
 そんなのは、単なる希望じゃないだろうか。
 「そりゃ、関係あるよ。そのためにはどうしたらいいか、まずそこから考えるだろ?」
 「だって、あなたが生きることと彼女が生きることは別問題でしょう。別の人間なんだから。個人の生は絶対に自由を保証されるものですよ」

 個人が何の束縛も受けず、自由に生きること。
 これが都市ヘリオスの市民たる権利の大前提だ。
 もちろん、公共のためにはある程度制約があるけれど、それ以外は絶対に保証されることになっている。
 例えば、彼らのようにカップルが一緒に暮らしているのも、無いわけではないけど、珍しい。
 完全な個人の人格を尊重するなら、お互いが自立すべきだ、と都市では考えるからだ。
 自立した個人、プライバシーを尊重される環境、能力に応じて公平に評価される世界。
 都市ヘリオスはそうした意味で、まさに完璧な状態にある、とされる。
 
 だからティアンには間違ったものとしか思えなかった。彼らの思考も、あり方も。

 「それはそうだよ。でも、一緒に生きたいと思ったら、少しぐらい窮屈でも我慢しなきゃ」
 「なんで我慢して、自由を失ってまで一緒にいるんですか。だいたいそんなことをして、彼女の意志はどうなるんですか」
 「あのねー」
 堂々巡りの議論になって、収拾がつかなくなったところで、横にいたクレアが止めに入った。
 「結論なんか出ないわよ。ちょっとストップしなさい」
 二人は、それで少し落ちついた。
 機械のように冷静な彼女の声は、何となく人をなだめる効果があった。
 
 
 とりあえず、そこでティアンは帰ることにした。
 色々な刺激がありすぎて、眩暈が起こるかと思うほど興奮していたから。
 ――人と話すのがあまり得意ではないし、好きでもないというのに、よりによって外界の人間とこんなに会話をするだなんて。
 そのことに、彼自身が一番驚いていた。
 でもおかしなことに、色々と驚きはしたけれど、不快は一度も感じなかったのだ。
 向こうも同様だったのか、帰り際、彼らは『また遊びに来てね』と言ってくれた。
 
 しかし、最後にはおまけがあった。
 彼が出口を抜ける前に、彼らは彼らで、また口論を開始していたのだ。
 (…おいおい)
 
 
 
 「あなたの言ってることは、彼には理解できないんじゃないの?」
 「そんなことないよ。意固地に正論をぶつけるってのは、良くない」
 「正論、ねえ。…じゃあ、この際だから言わせてもらうけど、そもそも、あなたが何を我慢してるの? あなたの場合は好きにやってるだけじゃない。周りから見ると我が儘にしか見えないわよ」
 「って、ひどいな、それは。まるで僕が勝手に君を束縛して自由を奪ってるみたいじゃないか」
 「…それも一つの真理ではあるわね。事実、あなたの行動で私の人生は左右されてきたわけだし?」
 「ちょっとちょっと。何言ってるんだよ、クレア」

 (…この人たち、大丈夫なのか)
 いきなり二人で揉めだしたのを見て、ティアンは今日何度目か分からないが、また呆然とした。
 他人が目の前で見ているというのに、彼らはそんなことはお構いなしだ。
 はっきりいって、非常識な、子供の喧嘩。

 「ああそう、いつもそんなふうに思ってたんだ、君は? ガッカリだな」
 「今まで言う機会がなかっただけよ。いっつも人の意見なんか聞かないじゃない」
 「そんなことないよ! それに僕だって、君が嫌がることなんかしてないつもりだ。君だって納得してくれると思ってた――」
 「それはそうだけど、私だってちゃんと相談して欲しいときがあるのよ。あなたがひとりで決めてしまうのが、どんなに私を傷つけてるか知ってるの?」
 「それは…、事情によってはそういうヒマが無いときもあるわけで」
 「あなたが勝手に物事を進めるから、私に相談するヒマが無くなるんでしょ?」
 「いや、だって、相談してたら間に合わないときだって――」
 「そういう非常時のことを言ってるんじゃないの。普通の、普段のことを言ってるの」
 「だからさ」
 
 ――そのまま、ティアンが船を離れても、彼らの言い合いは続いていた。


 …。
 
 ティアンは、帰り道のロードウェイにぼーっと乗りながら、頭の中をゆっくり整理した。
 結論として、外界の人間が『野蛮で凶暴な性質』なのは嘘かもしれないと思った。
 ただ単に、彼らは、『思慮が足りない幼児的な』人間なのかもしれない。
 (…変なヤツら)
 
 でも。帰り道は、考え事をしていたせいか、足取りが軽かった。
 夜の定期報告をするのも、翌朝起きるまで忘れていた。
 普段の、トールを誤魔化すための言い訳じゃなく、本当に思い出しもしなかったのだ。
 そして、いつの間にか鬱々とした気分が吹き飛んでいた。
 …そのことにすら、彼は気が付かなかった。
 




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