風の歌う処
 
 
I would, if I could.
 If I couldn't how could I ?
 I couldn't, without I could, could I ?
 Could you, without you could, could ye ?
 Could ye ? could ye ?
 Could you, without you could, could ye ?

 [THE SONG OF MOTHER GOOSE]

 
 
そうできるんなら そうしたい 
もしできないんなら どうできる? 

できなきゃできない できるかね? 
きみもできなきゃ できぬはず 
それともきみは できるのか? 

 できずにきみは できるのか? 
 
[マザーグースのうた] 


2



 プレアカデミーでの授業は、まず都市への宣誓から始まる。

 『偉大なるヘリオスによって導かれる我々は、その叡智に従い、より良き市民であることを誓う』

 繰り返される誓いは、言葉だけではなく、常に規範に従った行動によって示される。
 理想とされるのは、理知的で礼儀をわきまえた態度。情緒不安定な行動はもってのほか。
 良き市民ならば、他人に不快感を与えないのは当然のこと。

 したがって、感情を露わにするのは子供のすることで、非常に不適当な態度である。


 
 
 ――と、すれば、昨日の外界の人間は、やはり幼稚なメンタリティの持ち主だということだ。
 ティアンは、目の前の備え付けディスプレイを眺めながら、ぼんやりと考えた。

 今日はいつもより考えることが多くて気が紛れる。
 昨日のこと、外界のこと。…あと、今朝トールに言われた厭味にすっとぼけて答えたこととか。
 いつもと違うことがこんなにあったら、それだけで一時間は我慢できる。
 何も思いつくことすらないと、彼は講義を勝手にレポートに切り替えて逃げてしまうのがクセだった。
 ここに来ることは強制ではない。だから、教育内容は自分で選択する幅があった。
 けれど、彼ら生徒にとって、アカデミーを忌避するのは、最も危険な行為でもある。
 『社会不適合者』の烙印を押されることほど、市民にとって恐ろしいことはないからだ。
 それにそもそも、ひとりっきりのユニットでぼーっとしていても、何もすることがない。…

 それでもティアンにとって、プレアカデミーの講義は逃げたくなるほど退屈だった。
 特にこの市民道徳の講義はひどい。内容は、ここ100年同じことの繰り返しではないかと思う。

 まずは幼年クラスのときに、子供達は始めにこんな神話を聞かされる。



 『
昔、この星系に三人の神々が現れました。一人は男神、二人は女神でした。
  太陽の神ヘリオスと、暁の女神エイオース、そして、月の女神セレネ。
  三人の神は、互いに励ましあいながら、ここに安住の地を構えました。
  始めは大層困難がありましたが、次第に豊かになり、栄えていきました。

  …ところが、何ということでしょう。
  二人の女神は、日頃からお互いの美しさを誉めあい、競い合っていました。
  それが原因だったのでしょうか、ふとしたことから、彼らはいがみ合うようになってしまったのです。

  間に立ったヘリオスは、下らない争いを止めるよう、懸命に説得しました。
  しかし、彼女達は少しも聞き入れません。
  ついには、武装をして戦うようになってしまいました。
  ヘリオスは何度も身を呈して止めようとしました。そのために怪我を負っても、彼は諦めませんでした。
  けれど、争いは止まなかったのです。

  ヘリオスは、この女神達を哀れみました。
  なぜこのような愚かな争いを続けるのか、と問いかけました。
  彼女達は言いました。あの人は、私よりも高価な宝石と美しい土地を持っているのですもの。
  …ヘリオスには、彼女達を止める手立てが、もうありませんでした。

  そして、彼は身を引くことにしたのです。
  彼女達が自分の愚かさを知るまで、争いを止めるまで、彼は待つことにしました。
  ヘリオスはただひとり、賢明だったからです
。』



 これは、要するに歴史そのものを物語にしたやつなのだ。

 都市ヘリオスの周辺には、アステロイドベルトに沿って二つの衛星都市がある。
 同じ時期に建設された姉妹都市の、エイオースとセレネ。
 二つの都市はここ100年の間、ずっと星間戦争を続けていた。
 そして、戦況は泥沼になり、この星系は悲惨な戦場になってしまった。

 だが、ヘリオスはこの争いに介入することなく、独自に繁栄を極めた。
 まさに神話が示すとおり、争う彼女達を冷ややかに見つめながら。
 だからこそ、市民達は『自分たちこそが賢明だ』と都市ヘリオスを誇り、外界を愚か者の集まりと見下しているのだ。
 
 しかしその争いも、遂に決着がついた。悲惨な形で。
 10年ほど前、月の女神の名を持つセレネが、エイオースによってとうとう滅ぼされてしまったのだ。
 最後の無残な荒廃を映し出す映像を、市民は繰り返し見せられた。
 焼き爛れる土地、爆撃によって破壊された都市の中枢ビル。
 映像は残酷に訴えていた。…「どうだ、これが愚か者の末路だ」と。

 神話にも、そろそろ新たな章が付け加えられる。例えば、こんなふうに。


 
 『
女神達は、ついにお互いを斬りつけ、血を流し始めました。
  もはや彼女達は自分が何をしているのかも分からなくなってしまったのです。
 
  月の女神は、とうとう暁の女神によって殺されてしまいました
』――

 

 それでも、ヘリオスの市民にとっては、全てが神話の中の出来事と同じだった。
 自分たちには、関係がないから。

 ティアンもずっとそう思ってきた。
 二つの都市が争いあっているのは愚かだ。子供でも分かるような、当たり前のことだ。
 それを百年も続けているなんて、彼らはなんて愚かなんだろう。
 でもここは関係ない。ヘリオスは賢明で、愚か者の争いには加わらない。
 彼らが襲ってきても歯が立たないほど、ここは徹底した防御システムと強力な防衛軍で守られているのだから。
 
 ――だから僕たちは、都市の中でだけ、自分の素敵な居場所が見つけられればいい。
 大抵の生徒はそう思っている。
 だから、彼らは定められたカリキュラムをなんとかこなし、後は自分の居心地を良くするために最大限の努力をする。
 大事なのは皆の評価、重要なのは将来の自分のポジション。

 …そこでなぜか立ち止まって、前に進めないでいるのが、今の自分だった。




 ***




 「…では、ここはグループを組んでレポートをまとめてもらいましょう。――あとはお願いしていいですね、アルファ」
 先生の呼びかけに、アルファと呼ばれた少女が立ち上がる。
 市民が理想とする理知的な言葉使いで、彼女はグループ分けを決めていった。
 彼女はこういう作業が手馴れている。そしてもちろん、メンバーについては巧妙なバランスを心がけているから、誰も反対などしない。
 「これでいいですか? 反対の人は私のところに申し出てください。発表は明後日ですから、早めにお願いしますね」
 少女はそう云って、てきぱきと話を進めた。

 (…。こいつと一緒かよ)
 割り振られたグループを見て、ティアンはつい舌打ちをしてしまった。
 よりによって、彼女と同じ。普通の奴なら喜ぶのだろうが、彼にとっては最悪だった。
 反対だが、申し出るのも面倒臭い。
 (あんたと一緒なのが嫌だ、って云ったらどうなるんだろ)
 ティアンはそんなことを考えつつ、前髪の隙間から、アルファを嫌そうに見遣った。
 プレアカデミーの生徒なら、普通は髪や目を気軽に変えたりして楽しむものなのに、彼女は生まれもったままの姿を頑なに守っている。
 先生受けする「可憐な」、淡いブラウンの髪、薄いグリーンの瞳。

 ティアンの印象では、彼女はどこまでも「嫌なヤツ」だった。
 自分の名前だって、CCにランダムに決められた記号みたいなものだけど、彼女よりはマシだ。
 アルファ、だなんて。あまりに個性の無い、記号そのものの名前。
 だが、彼女はその名が示すとおりの優等生だった。
 ほとんどの科目でA+。先生方の評価は、たぶんそれ以上のS。
 『アルファ』なんて名前では、BだのCだのといった低級な成績は似合わないのだろう。
 普通そんな奴は陰険なやっかみを受けるものだけど、彼女の場合はあまりにも完璧すぎて、誰も嫉妬すらしなかった。
 性格までが穏やかで思いやり深い、謙虚な女性、という、市民の歩く理想形だからだ。
 
 だから、市民が通称で3C(City Central's Children――都市コンピュータの子供達)と呼ばれるのをもじって、彼女は別名3Bと呼ばれている。
 BBというのは、CCの別名で、ビッグブラザーという意味だ。市民は親しみを込めてこう呼ぶ。
 彼女はそのBBのお気に入りだというわけだ。
 つまり、ビッグブラザーのお嬢ちゃん(Big Brother's Baby)だと。

 
 「おんなじグループだね、ティー!良かったあ」
 彼のぶすっとした顔とは逆に、横から笑顔で話しかけてきた娘がいた。
 「…なんだ、フロラも一緒か」
 「なんだって何よ。嬉しいでしょ?」
 「お前は別にいいけど、あのお嬢さんも一緒だろ。…ウンザリなんだよ」
 「うわ、そういうこと言う、ここで。いいじゃない、彼女良い人よ?」
 あたしなんて、何度もレポート手伝ってもらったし、と、フロラは笑う。
 明るくて、軽やかな性格のフロラは、付き合いが悪いという評判のティアンにも、気負うことなく気軽に話しかける、とても珍しい子だった。
 生来、人見知りするタイプではないのだろう。
 今日初お目見えしたペパーミントグリーンの髪は前衛的すぎて、美的にはどうかと思うけど。
 (まあ、こいつなら誰とでもうまくやるだろ)
 「じゃあ、お前とあいつでやれば? 今日は悪いけど、帰る」
 そう云って、唖然とするフロラをよそに、ティアンはプレアカデミーの校舎が入っているアドミラルタワーを早々と飛び出した。

 「ちょっと、どこ行くのよ!」
 「うるさいな、お前の知らないとこだよ」
 すたすたと逃げていくティアンを、フロラは息せき切って追いかけた。
 「そんなに毎回逃げていいと思ってんの? いつか矯正されちゃうよ!」
 「別にいいよ。なくなって困る記憶なんかないし――」

 …。
 そこで、ティアンの足が止まった。
 今までは、そうだった。
 でも――

 『また遊びにおいでよ。待ってるから』
 
 昨日の記憶は、他の連中にはない、自分だけのもの。そんなの、初めての記憶だ。
 それまで失ってしまう…?

 「いっつも危ないって言ってるのに! あんたは変なとこだけ頭良いから助かってるんじゃない。でもそれだって限界だよ」
 「…」
 フロラの言ってるのは、事実だった。
 あまりに市民として適切でない行動をした場合、温厚な市民に戻るよう、様々な施策が取られる。
 薬や無意識下のコントロールを施して、少しだけ「矯正」するのも、その一つ。
 人権に触れるほどのものではないが、少々大人しくするための精神安定剤が投与され、人格障害に至る原因になったような記憶が削除されたりする。
 例えば、事故とか、ショッキングな出来事なんかが。…
 でも、影響が心配されるような、都市の財産――つまり、ちょっとでも優秀な頭脳などには、容易には行われない。
 少しばかり得意な数的科目が、ティアンにとっては有利な取引材料になっているのだ。


 「…今日は、何か大事な用でもあるの?」
 入り口で立ち止まっていた二人に、心配そうな声がかかった。
 振り向かなくても分かる。遠慮がちで慎ましく、…イライラする声。アルファだ。
 「だったら、明日でもいいわ。提出まではまだ余裕があるし」
 「駄目よアルファ、甘やかしちゃ。明日はまた逃げ出すんだから」

 ――なんなんだよ、一体。
 苦手なものに周囲を囲まれて、追い詰められた状態のティアンは、心底逃げ出したくなった。
 フロラは嫌いじゃないが、一緒にいるのはごめんだ。アルファなんかさらに我慢できない。
 この二人と何時間もディスカッションするなんて、冗談じゃない。…
 そこで彼は、突然、良いことを閃いた。
 …そうだ、こいつらと一緒になるんだったら――!
 
 「…大事な用なんだ。実は外界の船に行くんだけどね、…君たちも、一緒に行く?」

 二人が凍りついたのを見て、ティアンは顔には出さなかったが、心の中でザマーミロ、と叫んだ。
 彼女達は断るに決まってる。だが、こんな恐ろしいこと、誰にもバラしたりはしないだろう。
 それにもし(あり得ないけど)一緒に来るにしたって、審査もされにくい。アルファみたいな優等生は隠れ蓑になるじゃないか。
 どっちにしても、都合がいい。
 …それに実際のところ、いつも自分より大人ぶってる彼女たちを、あっと言わせてみたいという願望もあった。

 「ちょっとした知り合いになってさ、誘われたんだ。そんなに危なくもないよ」
 いいながら、まあ無理だろうな、と彼はせせら笑う。
 外界の人間と話をするなんて、こんな奴らにできるもんか。
 彼自身にしても、あれほどイライラして自暴自棄でなければ、きっとあんな思い切ったことはできなかった。外界の船に足を踏み入れるだなんて、恐ろしいことは。
 だから、絶対、無理。
 「まあ、無理にとは言わないけど。…じゃあ、そういうことだから」
 そう云って、ティアンはカッコよくクールに背中を向けようとした。我ながら完璧だ、と思った。
 ところが。


 「え、行く行く! すごいじゃん!」「私も、行ってみたい」


 ――ウソだろ?
 驚いて振り向くと、キラキラした二人の目が、興奮して彼に向けられていた。
 恐怖など微塵もない、好奇心丸出しの顔。
 しかも、フロラなら分かるが、あのアルファまで。

 (女って…)
 言うんじゃなかった、とティアンは猛烈に後悔した。が、後の祭だった。
 フロラもアルファも前向きで社交的な性格。その可能性も考えるべきだったのに。
 …彼女達の度胸と勢いを甘く見たのが、彼の第一の敗因だった。






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