風の歌う処
 
 
Two drifters, off to see the world
 There's such a lot of world to see
 we're after the same rainbow's end

 [MOON RIVER / Henry Mancini]

 
 
世界を見に旅立った二人の漂流者 
無限に広がる見知らぬ世界に 
同じ虹の果て、めざしてる 

[ムーン・リバー] 


3




 「今日はまた、一気に人数が増えたねえ」
 ノヴァーリスに連絡をとって、ティアンたちが船にいくと、昨日と同様にフィルが明るく迎えてくれた。
 「しかも、可愛い子を二人も。なかなかモテるんだな」
 しかも入り口では、そう云ってこそっとティアンをつついてくる始末。
 (…冗談だろ…)
 言い返す元気もなく、彼は張り切った足取りのフロラとアルファの後ろをとぼとぼついていった。


 しかし、昨日は興奮してよく見ることの出来なかった船の内部が、今日は落ち込んでいるせいか、はっきりと目に焼きついた。
 この船は、外見ではメタリックな印象だけれど、中身は不思議に人の手を感じさせるものが多い。
 観葉植物が壁を覆うほどたくさん置かれ、果物や花が咲くカラフルな木も混ざっていた。
 それから、柔らかな手触りのソファやクッションが、あちこちでくつろげるように配置されている。
 しかも、一番珍しかったのが――

 「うっわー! 可愛いいい! これ、猫っていうんでしょ?」

 フロラが興奮して撫でている、猫のエリーだった。
 グレイの毛並みに、綺麗な青の瞳。無闇に触られて、明らかに嫌がっているエリーだったが、フロラに噛み付いたりはしなかった。
 この、ペットを飼うというのも、ここには無い慣習だった。
 だから、彼らは初めて猫というものを見た。人間とは違う、生きた動物を。

 「エリーは大人しいから、撫でても大丈夫よ?」
 クレアがそう云って、遠くから眺めていたアルファにも笑いかけた。
 「…ええ。あの、珍しいから、驚いてて。本当に、可愛いですよね」
 アルファは、得体の知れないものが不気味なのか、おずおずと答える。
 そしてそのまま、二人は意気投合したのか、仲良く話し始めた。

 一方。
 「なんだか、疲れてない?」
 「…別に。ただ、ちょっと予定外で…」
 ティアンはソファに深々と寄りかかり、ため息を漏らしていた。
 (なんでこんなことに…)
 「すみません、いきなりまたお邪魔しちゃって。…迷惑だったんじゃないですか?」
 一応、市民としての礼儀を見せようと思い、ティアンはそう謝った。
 しかし、フィルは手を振りながら、笑って答えた。
 「なんで? また来てくれて嬉しいよ。こないだは変なとこ見せちゃったしなあ」
 「…」
 
 ――彼らの基準でも、あれは恥ずかしいことらしい。
 そう思って、ティアンは少し安心した。やはり、そうそう常識が違うわけでもなさそうだ。
 「あれから、実はまた揉めたんだけどさ。まあ喧嘩するほど、仲が良い証拠だから。うん」
 (自分で言うか、それを)
 相変わらず彼は能天気で、ティアンは呆れた。
 こういうタイプが荒っぽい世界で生きていけるんだろうか、と、他人事ながら不安に思ってしまう。
 
 「きっと、クレアさんがしっかりしてるんですね」
 「何? どういう意味?」
 「いえ、別に」
 つい、ティアンはしみじみと呟いてしまった。さぞかし大変だろう、と彼女に同情して。
 そんな気持ちが伝わってしまったのか、フィルは苦笑しながら反論する。
 「あのねえ、クレアは確かにしっかりしてるけど、思い込んだら止まらないんだ。だから大変なんだよ。純粋でねー」
 「はあ」
 機械のように冷静に見える彼女が?と不思議に思ったが、ひとまず聞き流した。
 なんといっても外界の人間だ。見た目で判断はできない。

 「私がどうかした?」
 …と、思っているところに、当の本人が姿を見せた。隣にはアルファもいる。(フロラは猫とじゃれている)
 「いや、君はしっかり者だよね、って。彼が」
 「ふうん、そう。誉めていただいてありがとう、ティアン?」
 明らかに信じてない顔で礼を云い、クレアはフィルの隣に腰掛けた。ごく自然に。
 傍にいたアルファは、彼女らしく静かに、ティアンの隣に座る。
 「あの、本当にそうだと思いますよ。冷静沈着で、隙が無くて。まるでBBみたいだ」
 「BB?」
 二人が聞きなれない単語を問い返す。ティアンは説明不足だと気付き、重ねて言った。
 「ああ、CCのことです。公的な名称じゃないけど、市民たちはビッグブラザーって呼んでて――」
 「『彼』を?」
 途端に、クレアの表情が変わり、一気に険しくなった。
 その様子に、フィルが慌てて口を挟む。
 「ちょっと待って。君たちは、どういう意味で使ってるの? …その、BBって」
 「? 頼れる兄貴、みたいな意味でしょう?」
 兄貴、というが、市民にはまず兄弟という概念がないので、よく分からない。
 けれど、とても親しい目上の人、ということらしい。
 だから、ティアン自身、それほど間違った意味とは思っていなかったのだが。
 
 「…」
 すると、フィルとクレアは互いに肩をすくめた。何か、違うことらしい。――
 「あのね、ビッグブラザーっていうのは、独裁者っていう意味があるんだよ。…たぶん、初めに使った人は意味を知ってて、皮肉を込めたんだろうけど…。まあ、使ってるうちに忘れちゃったんだろうね。そういう言葉はたくさんあるからなあ」
 
 ――独裁者。
 それこそ、聞いたことのない単語。辛うじて、意味は分かるけれど。
 (でも、それなら――)
 「別に、その意味でも合ってるんじゃないですか。実際、僕らは支配されてるわけだし」
 「…なんですって?」
 ティアンが思わずそう漏らすと、クレアは静かに眉を上げた。
 「だって、都市を全て管理してるのはCCだ。僕らはその命令に従って動いてるだけ。奉仕という名の支配をしてるのは確かでしょう」
 「ティアン…」
 隣のアルファがそう云って、彼の袖を引いた。フロラも、険悪な気配を感じたのか、エリーを撫でる手を止め、振り向く。
 (だって、事実じゃないか!)
 周囲のうろたえるような視線に、ますますティアンは反感を募らせた。
 もしかして、自分が苛立ってたのは、これだったんじゃないだろうか、と思うほど強烈に。
 「そうだよ。だから、市民は大勢いたって、結局取り替えのきく操り人形みたいなものなんだ。僕らが一人いなくなったって、誰も何も変わらないし」
 ――僕が死んでも、誰も気にしない…。
 昨日感じた思いを、彼はまた噛みしめた。
 (そうだ、だから、僕は…)
 
 だがそのとき、クレアがまっすぐにティアンを睨みつけた。黒い瞳が、きつい視線に変わっている。
 「…支配されてる? 違うわ。彼は、奉仕したいだけよ。あなた達が望んだのよ、自分たちを全て世話して欲しい、支配して欲しいって」
 「――クレア」
 抑えようとするフィルに、ロウは黙ってて、とクレアは言い放ち、早口で続けた。
 「なんでそんな無責任なことがいえるの? この都市で彼がいなくなったら、あなたはどうやって生きていくつもり? 食べ物も、着る物も、歩く道も寝る場所も、全て彼が管理してあげてるんじゃない」
 「だから、それは――生まれたときからそうだったんだ。CCが支配してるんだから、仕方ないだろ」
 「それを感謝しようって気持ちは、全然ないの? 信じられない。あんなにあなたたちに尽くしているっていうのに。百年以上も、不平不満も言わずによ?」
 「そんなの、コンピュータなんだから当たり前だろ! なんで不満なんか言うんだよ!」
 クレアの怒りが理解できずに、ティアンは思わず叫んだ。
 どう考えても、彼女の云うことは理屈になってない。――
 「クレア、よしなよ。君にしか分からないんだから…。ティアンも、落ちついて」
 フィルがなだめて、ようやく二人は黙り込んだ。
 しかしさすがに、その後は気まずい雰囲気が船内を支配してしまった。…

 
 その、なんとも居心地が悪くなったところで、彼らは船から帰ることにした。
 フロラとアルファが、ティアンを引きずるように、帰ろうと望んだからだ。
 それでも、フィルは懲りずに、『また来てね、クレアはすぐ落ちつくから』と云っていた。



 「もー、なんであんなこと言い合いになっちゃったの? せっかく面白かったのにー」
 フロラがぶつぶつ文句を云う後ろで、アルファがティアンにそっと呟いた。
 「…私、クレアに賛成だわ。CCは私たちを守ってくれてるもの。そうでしょう?」
 「そりゃ、君はCCのお気に入りだもんな。そう云うと思ったよ」
 ティアンのぶっきらぼうな態度に、アルファも表情を固くする。
 「あなたの言うこと、矛盾してる。CCが支配してるって言ったり、不満なんか持つはずないって云ったり。コンピュータなら命じられたことしかしないのよ。支配欲は持てないわ」
 「…」
 さすがに優等生、こんなときの指摘までが冷静だ、とティアンは妙に感心する。
 しかし。
 「それでも、何かがおかしいよ。彼らを見てるとそう思うんだ、絶対…」
 自分でも意固地なのかもしれない、と思ったが、彼にとって、そこは譲れない点だった。
 アルファも、それを聞いて黙り込む。
 
 そうして、三人はそれぞれに家路についた。
 …課題のことなど、すっかり忘れて。


 
 
 ***
 
 
 
 
 「クレア。…クレア?」
 三人の子供たちが帰ったあと、クレアはソファに座り込んで、俯いていた。
 子供相手に、珍しく感情的になってしまって、彼女も反省していた。
 だがそれ以上に、彼女を落ち込ませている原因は、彼女にとって、とてもショックな言葉を言われてしまったから。
 
 『そんなの、コンピュータなんだから当たり前だろ! なんで不満なんか言うんだよ!』

 彼にも、あの一言は、少し堪えた。
 CCと同じ立場だった彼らが、その責任から逃げ出してきたのは、ついこの間のことだ。
 (でも、僕らは違う。CCとは違うんだよ、クレア――)
 フィルはクレアを背中からそっと抱きしめ、彼女に云った。
 「あんまり怒っちゃ駄目だよ。彼らは仕組みなんてまだ知らないんだ」
 「…そんなの、分かってる」
 「そうかな。八つ当たりしてないか?」
 そのセリフに、クレアはきっとして背後を振り向いた。
 「違うわよ! そんなことない。だって、間違ってるもの。ヘリオスは誠実で信頼できる友人よ?」
 「だけど、あんなにムキになることないだろ。彼がコンピュータなのは事実なんだから。君は感情移入しすぎるよ。…それに」
 彼女を見つめて、ゆっくりと、彼は慰めるようにささやいた。
 「僕らの負い目は、一生背負っていくものだ。僕は初めから、覚悟してるよ。それに、二人で乗り越えていこうって云ったよね? …君だけが苦しまなくてもいいんだ」
 「…」

 クレアが、あれほどCCに肩入れするのは、かつての自分が非難されているようで辛いから。
 今でも彼女は気にしているのだ。
 あのとき、都市よりもお互いを選んでしまったこと。
 ――母なる自分が、結果として、都市を見捨ててしまったことを。
 
 彼らは、まだ泣いている盛りの子供を置いて、勝手に出てきてしまった親のような、拭いきれない罪悪感を背負いつづけていた。
 エリジオンは大丈夫だろうか。市民は、苦しんだり泣いていたりしないだろうか。
 その苦しみをあらかじめ覚悟していたフィルと違い、クレアは長いこと罪の意識に苦しんだ。
 幼い頃からの修養に加え、およそ四年もの間、彼女はマザーに直接つながっていたのだ。
 彼女の脳の奥には、都市の記憶がそのまま眠っている。泣いている、子供の記憶が。

 ――でも、後悔しないと、決めたから。
 フィルは都市を出るとき、自分たちにできることは全てやろう、と、クレアに誓った。
 この五年の間、彼らの元には、エリジオンからいくつかの都市計画プランが送られてきた。
 顧問をしているわけではないから、干渉などしない。ただ、送られてくるだけ。
 大小さまざまなそれらの中から、彼らは有望と思われるプロジェクトに対して、いくらかの投資をする。
 それが彼らの意思表示となった。
 18年間、都市を治めるために徹底した教育を施された彼らが、一番有効だと判断するもの。当然、都市にとって有益な事業となる可能性が高い。
 これが、彼らなりの、遠くからの支援だった。

 「遠くから見守ってあげるのも、親の愛ってヤツだよ。あれこれ指図するのだけが愛情じゃない。…たぶん、CCもそうすべきなんじゃないのかな」
 「あなたも非難するの、彼を?」
 「少し、やりすぎの部分はあると思ってるよ。都市の中でも、外でもね」
 君も、見ただろう?――フィルの無言の問いかけに、クレアも押し黙る。
 彼らがヘリオスの外で見てきたもの。この星系の、悲惨な有様を思い浮かべて。…

 「これは僕の仮説だけど、エリジオンと同じ頃に出来た都市は、どこも微妙に歪んでる。そのひずみが出てきてるんだよ、今になって。もしかしたら僕たちは、みんな同じ星から家出してきた子供のなれの果てなのかもしれない」
 自分たちもCCも、そう考えると同じ歪みの象徴だ、とフィルは思う。
 とはいっても、CCは自分たちのように逃げるわけにはいかないから、一層面倒なのだが。

 
 「…云っときますけど、だからって、あなたがお節介焼くことないのよ」
 「え? いや、なんで?」
 思わず関係のない話にまで思考が及んでしまったフィルを、クレアの冷たい声が引き戻した。
 「だって、あの子を連れてきたのも、また何か変なこと企んでるからじゃないの? 私たちはただの客なんですからね、変なことしないでよ」
 「いや、別に、何も企んでないって。…本当だよ」
 胡散臭げに見上げてくるクレアに、フィルは慌てて首を振った。彼女も最近、思考の回復が早い。

 ――まさか、『ちょっと変化が起こったほうが良いんじゃないかなー』と思ってティアンに声をかけたなんて、これじゃ、とても云えないじゃないか。
 
 そのまま彼女を誤魔化すように、フィルはそそくさと外に逃げ出した。
 帰る頃には、またご機嫌も直ってるだろう――きっと。



 


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