風の歌う処
I started out
Guilty of no crime
So much to learn
So little time
[I Don't Know / Beth Nielsen Chapman]
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始めは
何の罪も犯していなかった
学ぶことがいっぱいあるのに
時間が足りなかった
[ I Don't Know / ベス・ニールセン・チャップマン]
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4
外界のおかしな二人組に出会ってから、ティアンの生活は一変した。
あちこちふらふらする代わりに、空いている時間のほとんどでノヴァーリスに行くようになった。
他人のユニットに入り浸るのは、明確なマナー違反。
しかし、フィルはそんなマナーなどお構いなしで、いつでもティアンを歓迎した。
しばらく経つとフリーパスで船内に入れるようにもなった。
会ってすぐに大きな喧嘩をしたクレアも、徐々に彼が来るのに慣れ、断りなしに船にいても黙認するようになった。
彼女がそっと首をすくめて「ようこそ?」と表現するしぐさは、どこか猫のエリーにそっくりだった。
何故それほどあそこに行きたいと思うのか、ティアンは自分でも説明できない。
見たことの無い物がたくさんあるから。フィルと話したいから。船の中身が珍しいから。
…理由はいろいろ浮かぶけれど、どれも違うような気がする。
彼はただ、そこにいたいと思った。そこで感じる何かがあるから。
それが例え苦痛でも、何もない日常よりはずっといい。
知らなかったほうが幸せだったとしても、…それでも始めから無いよりは。
「はーい、エリー! 元気だった? 今日もエサおいしかった?」
ノヴァーリスのコンピュータをいじらせてもらっていたティアンの背後で、フロラの明るい声がやかましく聞こえた。
彼女も、この間船にやってきてからというもの、ちょくちょく遊びに来るようになった。
とはいっても、彼女がすることといったら、猫とじゃれあうことだけだ。
「…お前、いったい何しに来てんの?」
呆れ顔で言うティアンに、フロラも口を尖らせる。
「エリーに会うために決まってるじゃない。そういうあんただって用事なんかないくせに。それにね、今日はケーキ焼くから食べにおいでってフィルに言われたんだから」
フィルってほんと優しいよねー、しかもかっこいいしー、と大げさな身振りで言うフロラ。
アルファが理想的な都市の少女だとするなら、フロラは典型的な都市の少女だ。
彼女はいつも誰かに夢を見ては失敗しているが、それでもめげずに理想の男性を探している。
(だけど、あれはどう見ても先約済みだろ?)
ティアンは彼女に見つからないようにひょいと肩をすくめた。
クレアは愛想のない女性だけれど、フィルのほうはどう見たってベタ惚れしてる。
それでも、フロラは結構本気でフィルに憧れていた。このぐらいの年齢の少女にとっては、フィルのような優しい男性は理想タイプの一つなのかもしれない。
「やあ来たね、フロラ。ティアンもおいで、ケーキ出来たよ」
そんなことを考えているうちに、フロラの声が船中に響いていたのか、ニコニコと嬉しそうに笑って、フィルが奥から出てきた。
この男は、何がそんなに嬉しいのかというぐらい、いつでも柔和な笑みを絶やさない。
(能天気な奴…)
ティアンは見るたびにそう思うけれど、いつも感じるイライラは不思議と起こらない。
なにしろ彼は外界の旅人で、すぐにいなくなるのだから。
気まずくなったって構わない。だから、苛立つ必要がない。
「これって、クレアが作ったんだよね。すごーい」
奥のキッチンに入るなり、目の前にでかでかと置かれていたのは、台からはみ出しそうなほどの大きなケーキ。
フロラはキラキラした目で賞賛したが、フィルは言外だと言わんばかりに否定した。
「何で? 僕が作ったんだよ。クレアはあんまり料理が得意じゃない」
普通、これぐらいの宇宙船なら、何でも調理できるフードプロセッサーが備え付けになっているものだ。たいていのものは、レシピや材料を選べば、自動的に料理が出てくる。
だが、この船では原始的に手で作ることが多いらしい。
ときどきクッキーやらシュークリームやら、お手製のお菓子が並ぶ。
ティアンやフロラはずっと、全てクレアが作っているのだとばかり思っていた。
性差による偏見はヘリオスには無いけれど、やはりこういう手作業は女性のほうがこまめにするものだし、ましてや外界ではその傾向が強いと言われていたからだ。
「…」
一体こいつは何なんだ、という顔で、ティアンはフィルをじろじろと眺めた。
野蛮で粗野、暴力的、という外界の男のイメージがガラガラと崩れていく。
アカデミーの資料映像では、銃を片手に乱暴する兵士しか見たことが無いというのに。
ここにいる彼は、ケーキを作って喜んでるのは、一体?
「ティアンも食べなよ。おいしくできたと思うけど?」
ティアンの戸惑いなど知らず、フィルは、一人分にしては大きすぎるピースに切り分けたケーキを差し出した。
「…どうも。あのさ、まさかと思うけど、そこらへんのクッション作ったのもあんた?」
ティアンが少々強張った表情で尋ねた。フィルがいそいそとクッションを縫っている姿が思い浮かぶようで、想像するだに怖い。
「残念だけど、あれは貰い物。他の都市でいいものをもらってね」
フィルはクッションを手にとって、このレース綺麗だろ?と嬉しそうに言う。
その光景はまるで、無料配信のメールマガジンで見た、『女の子の理想のユニット・クラシックなアクセントで彩るインテリア』特集のようだ。
「ロウ、ケーキ出来たの? …あ、いらっしゃい」
そのうち、違う部屋にいたらしいクレアが、疲れた様子でキッチンに入ってきた。
いつものように、二人にそっけなく声をかける。だが余程長い間作業でもしていたのか、今日は挨拶も一層おざなりだった。
「ご苦労さま。メンテナンス終わった? クレアもケーキ食べる?」
「うん、終わったわ。食べる」
彼女は小さく呟くとフィルからケーキを受け取り、そっと隣に寄り添った。
そう。…この二人はいつも、まるで一緒にいるのが当たり前のように振舞う。
ティアンもフロラも、時々そんな二人を直視することができなかった。
彼らにとっては不可解そのものだからだ。同じ相手と、ずっと生活するなんて。
プライバシーがない生活など、想像することすらできない。
ここではそんな生活は激しく『市民らしくない』のだ。
「どうも動作が遅いと思ったら、一部分破損してたの。復旧したから大丈夫」
「ふうん。この間の定期点検ではなんともなかったのにな。まあうちのは特注だから…。マザーは何だって?」
「何にも。相談しても、あらそう、って。まったく。今回だって――『ロウのこと大事にしなさいよ』ってこれだけ。あなたのことお気に入りよね、ほんとに」
ティアンとフロラを無視して、二人の会話は続く。
なんでも、この船の操作系を管理しているのはクレアで、メインコンピュータはいつも彼女にリンクできるようになっているらしい。
会ったときから彼女には機械のような印象が付きまとっていたけれど、本当に見た目通り、そっちの方面が得意だったのだ。
船のコンピュータをいじらせて欲しいと言ったとき、クレアがしぶしぶ許可をくれたので、ティアンはそのときに知って驚いた。
本当に、この二人はどこかおかしい。
役割分担は、まあ、うまくできているのかもしれないけれど。…
こんな風に、彼らはノヴァーリスで一月あまりを過ごすようになった。
始めは恐る恐る訪ねていたけれど、徐々に気軽に。
そこで午後のお茶を楽しむのが、毎日の日課になった。
そしていつしか、ユニットに帰ったときに、おかしな違和感を感じる自分がいた。
以前ならこんなことは感じなかった。一人のユニットに帰るのは当たり前だから。
15になったとき、一人前のユニットをもらって、本当に嬉しかった。やっと市民として認められたのだと思った。
それなのに今は違う。…でも、何が違うのか分からない。
苛立ちが、いつしか焦りに変わった。
――また元に戻ってしまっても、すぐに慣れるんだろうか?
少しずつ、ティアンを取り囲んでいた穏やかな世界が変化していた。
生まれてから死ぬまで、絶対に変わらないと思っていた完璧な世界が、変わっていく。
それは彼が、この都市の外には違う世界があることを知ってしまったから。
彼の知る都市は、世界の全てではなかった。
***
ティアンはここに来て、初めて外界の一端を知った。
アカデミーでは教えない真実。
けれどその気になれば、今までだっていくらでも知ることは出来た。
ヘリオスでは、市民に対して情報統制はしていない。
だから、情報が故意に遮断されているわけではない。
だが知らなかった。それは単に、興味がなかったからだ。
「ヘリオスの軍隊って、本当にあったのね」
隣でモニターを見ていたアルファが、黙っているティアンに呟く。
アルファも、ティアンと同じく、外界に興味を持ち始めたようだった。
彼女もそう頻繁ではなかったが、よくノヴァーリスに訪れた。
優等生にしては、かなり大胆な行動だ。もしかすると評価に響くかもしれないのに。
ティアンは遠まわしにそう言って嫌がらせをしたけれど、彼女はそれでも気にしなかった。
そのときは、今まで築き上げた信頼があってこその強気かと嫌味に感じたものだったが、それでもティアンは、彼女に対して少しは態度を軟化させた。
――だって、冒険をする優等生なら、ちょっとは可愛げがある。
「ほら、これが『女神の宝石』よ。無数に設置されたバリア装置。ホントに乱反射してる」
ノヴァーリスにあった実際の軍事映像を、アルファは熱心に見つめていた。
彼女がここに来るのは、こういう記録を見たいからのようだ。
フロラがエリーと遊ぶ後ろで、彼女はいつも暗いディスプレイに見入っていた。
ティアンも似たようなファイルは見たけれど、彼女のほうがより真剣だった。
彼はこれも知的好奇心の差かと、少々悔しく思っていたけれど。
「軍隊って、どれだよ?」
「ほら、こっちに展開してるほうよ。エイオースが向かいにある艦隊。艦の形が違うでしょう」
暗い宇宙を背景にした戦闘は、ティアンが見てもどこがどうなっているのか、とっさに判別できない。
普段見かける資料映像は、いつも分かりやすく編集されていたのだと改めて気づく。
「全然戦闘してない」
「だってヘリオスの艦隊は見ているだけよ。あれはこれ以上近づくなっていう、脅しでしょう?」
「本当に強いのかどうか、怪しいよな。だって実際の戦闘はこなしてないわけだろ」
「それは…分からない。でも今まで侵略されてないんだもの。強いんじゃない?」
「エイオースとセレネはお互いにやりあってただけだ。別にヘリオスに侵略したっていいことなんかないじゃないか」
映像を見ながらアルファと普通に会話している自分に、ティアンは内心驚きを感じた。
だがこれも、ノヴァーリスでの幻だ。アカデミーではまた、ただの『同期生』に戻るのだから。
「でもエイオースは今、すごく疲弊してるわ。本当に差し迫ったら、ヘリオスにだって害が及ぶ…」
映像を見終わると、アルファはぶつぶつと呟き、考え込んだ。
彼女の興味は、軍隊やら戦闘やら、かなりきな臭いものにまで及ぶ。
そして、外界とヘイオスについていっぱしの意見を述べるのだ。
ティアンに言わせれば、それは明らかに、知的好奇心の範囲を超えていた。
だから彼はその真剣さに鼻白んで、馬鹿にするように手を振った。
「そんなに考えたって、アカデミーの子供に何も出来るわけないだろ。評議会のメンバーだってCCの指図なしには何にも出来ないんだから」
「でも、意見が何も反映されないわけじゃないわ。CCは私たちの呟きだって聞き漏らさずにいてくれるもの」
今度こそティアンは呆れた。
彼女のCCへの崇拝は、もはや信仰に近いように思える。
いくらアカデミーで誓いをするといっても、形式だけのことなのに。
彼女は、CCが本気で自分たちのことを気にかけたりすると思っているのだろうか?
「…そんなに心配しなくたって、そうそう危険にはならないさ。CCが君の言うように僕らを守ってくれてるのなら」
「信じてないの? CCのこと」
アルファは責めるように彼を見た。どうやら本気だ。
「CCがそんなに愛情に溢れてるとは、到底信じられないよ。それにこの前、君が言ったんだろ、あれはただの機械だって」
「それでもきっと、機械にも意志はあるわ」
「プログラムされたこと以外はやらないんじゃないのか?」
「だから、それを正確に実行しようとしてがんばってるんでしょう? 機械の意志って、きっとそういうものよ。彼は誠実だってクレアも言ってた」
「…。…それなら、きっと市民に忠実なんじゃなくて、プログラムに忠実なんだろ」
「彼は市民に忠実よ。そうでしょう? どうしてそんなに責めたがるの」
「責めてるんじゃなくて、事実だ」
一瞬、アルファはティアンと睨み合った。
彼女はじっと彼を見て、きっぱりと言い放った。
「…それは、あなたの甘えよ。CCに何でも与えてもらって、守ってもらえるから、甘えてる。この都市で暮らしていて、不満なんか持てると思ってるの?」
そのあまりにきつい視線に、ティアンは圧倒され、言葉を失った。
同じ年齢の、同じ教育を受けた少女なのに、何故こんなに厳しいことを言うんだろう。
しかしそのとき、『しまった』という表情をした彼女を見て、彼は同時に気がついた。
――彼女は、アカデミーでは決してこんな顔は見せない。
ただの優等生ではない、彼女の一面。
それでも彼は、こっちのほうがいつもの彼女よりマシだと思った。
完璧に微笑んで、遠慮がちに意見を言う彼女よりも、このほうがずっと――嘘っぽくない。
***
クレアの髪は、腰に届くほど長い。一体どのくらい伸ばせばここまで長くなるのかというぐらいに。
艶やかな黒髪はとても綺麗ではあるけれど、見た目にも手入れはめんどくさそうだった。
実際、彼女はいつも肩のあたりに掛かる髪をうるさそうに振り払う。
一度、ティアンは何の気なしに聞いてみた。
『なんで切ったり色変えたりしないの? そんなに長いと邪魔じゃない?』
すると、クレアは一瞬黙り込んだ後、そっぽを向いて答えた。
『いいの。これが好きなんだから』
そういいながら、顔が少し曇る。どうも本意ではないように見えるのは、気のせいだろうか。
(? アルファみたいに、生まれたままの髪をいじるのは好きじゃないっての?)
その場ではそれ以上追求しなかった。都市の流行には著しく反するが、それはそれ。彼らは外界の人間なんだから。
しかし、ティアンは後から、彼女の髪が長い理由を知った。
いつだったか、フィルが、ソファに座っている彼女の後ろに立っていたときのことだ。
たぶん彼は無意識に、背中に流れる彼女の髪をとっていじっていた。
クレアも、それを咎めるでもなく、好きなようにさせたまま。
他人の髪を勝手に触る。…これもまた、重大なマナー違反だ。特に人目があるときには。
でも――
それでも彼女は、長い髪を切らない。
髪型という、いわば自分のスタイルを形成する大切な一部を、彼女は自ら放棄している。
間違いなく彼のために。
彼が、彼女の髪をいじるのが好きだから。
ただそれだけのために、不便なのを我慢しているのだ。
…まったく、馬鹿げている。
またあるときには、こんなこともあった。
「なんで自分で作るんだよ。面倒じゃないの?」
キッチンで、今度はクラッカーを作っていたフィルに、ティアンは聞いた。
フィルは宥めるように笑って答えた。
「料理って楽しいじゃないか。創造的な作業だよ。それにおいしいと思わない?」
「確かにおいしいけど、時間の無駄だろ。他にすることがあるんじゃないの? …それとも、これは、クレアが喜ぶからやってるわけ?」
彼の作ったお菓子を、クレアはいつも嬉しそうに(あまり顔には出さないけど)食べている。
彼女のために、彼はこんな浪費をしているというのだろうか?
「…確かに、そうかもな。半分は、クレアのためにやってるのかもしれない。彼女はね、ずっと長い間、香りや味を直接楽しむことができなかったから」
「病気でもしてたの?」
「いや、…まあ、そんなところ。だから今は、クッションの肌触りとか、ケーキの甘い香りとか、そんな感覚で満たしてあげたいと思う。…僕は健気に尽くすタイプなんだ、実は」
「…あんたたちは、そればっかりだ」
冗談めかして言うフィルに、ティアンは思わずぼそっと呟いた。
フィルは気がつかないフリをしていたけど、苦笑していたのだろう。
だが、言わずにはいられなかった。普段なら、思ったことをそのまま口にするなんて許されないことなのだが。
クレアの髪も、フィルのケーキも、同じだ。
なんで彼らは、こんなにお互いのことを考えるんだろう。
何気ないことばかりなのに、下らないと思うのに、見るたびに胸が痛くなった。
どうしてかは分からないけれど、奥に何かが詰まったように、重くるしい。
たぶん、自分は苛立っているのだ。
苛立ちという、一番馴染みのある感情に当てはめる。
彼にはそれしか思いつかなかった。
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