風の歌う処
Inside of that smile
Inside of that lonely, lonely heart
Lies a labyrinth to tomorrow
[SOMETHING INSIDE / Nick Heyward]
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その笑顔の奥に
孤独な孤独な心の奥に
明日への迷路がひそんでいる
[ Something Inside / ニック・ヘイワード]
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5
「別に、禁じているわけじゃないんだ」
プレアカデミーの教官室の一室で、三人の生徒を前に、一人の青年が重々しく言った。
「我々は君たちの私生活には関与しない。叱責もしない。もう子供ではないんだからね」
そうして、彼はお決まりの台詞をくどくどと言い続けた。
――禁じてるわけじゃない。ダメだとは言ってない。自主性を重んじている――
カウンセラーの言うことは、何故か最後にはどれも同じになる。
『あなたのしていることを頭ごなしに否定などしませんよ。一個の完全な個人なんですから』
…でも、結局言ってるのは、禁止、否定、もしくは非難。
ティアンは目の前にある生真面目なトールの顔を眺めながら、無表情で考えた。
アカデミーの生徒にとって、私生活も含めた監督を行うのが、トールの役目だ。ティアンたちにとっては、先生よりも身近で、最もうるさい存在。
彼にとって、こんなお説教はいつものことだ。だから、特に反省したり怯えたりはできない。
けれど今回の苦言は、いつものそれよりもかなり長かった。
もちろん、『船』に行っていることが問題になったからだ。以前からバレてはいたけれど、あまりに長期に及んだので、やはり警告を、ということらしい。
それも彼だけならともかく、フロラに…、なんとアルファまでが一緒だったから。
優等生のアルファがこんな呼び出しを受けるなんて、おそらく初めてのことだったろう。
常に品行方正、温厚博識を地で行く彼女は、説教を受ける態度までが徹底していた。
軽くうなだれて、少し目を伏せて、トールの言うことに真摯に聞き入っている。――ように見える。
ティアンとフロラが少々飽き飽きしながら、明らかに説教の半分を上の空で聞き流しているのに対し、彼女のそれは、目立って『素晴らしく反省の現れた』様子だった。
「…だが、そろって課題をおろそかにしたのは問題だ。君たちには必要と思われるカリキュラムなんだから。そして」
ティアンがあくびをしそうになったとき、話はようやく本題に入った。
「これは君たちも知っていると思うが、外界の人々は、我々にとっては多少危険な存在であると言わざるを得ない。君たちのように感受性の高い若者には特に…」
「感化されるから、危険だってことですか」
――何も知らないくせに。
ティアンは聞き流すことができず、思わずそこで口を挟んだ。
普段なら黙って大人しくしているところだけれど、彼らに会ったこともないトールから危険だと決め付けられると、どうしても腹が立つ。
それに、納得できないことをただ聞いているのはもう飽きた。
何か言わないと、我慢が出来ない気がする。…もう。
「そう。そうだよ。感化というのはいい表現ではないが、人間というのはあいにくと悪い影響のほうを早く受けやすいからね」
「悪い影響、なんですか?」
「…良い影響だとは、あまり想定できないね」
「実際に彼らと話をしたこともないのに? なぜそんなことが分かるんですか」
「統計的に、実証できるデータはある。君も学んでいるはずだ」
「僕は、データよりも会った印象のほうが大事だと――」
「印象?」
トールの顔が、驚きに歪む。そんな曖昧なもので、と、その表情が語った。
時間さえあれば、彼はアカデミーにある全ての資料を持ち出して、こちらに反論しようとしただろう。
だが、それでもティアンは、自分の言っていることが正論だと信じていた。
「ええ、そうです。会って、彼らは悪い人じゃないと僕は思った。だから、あそこで感じることも、決して悪いことじゃない」
「…ティアン」
トールは深々とため息をつき、子供をあやすように曖昧に笑った。
「君がそう感じたことも否定はしないよ。だが、彼らは良い人間を装うことも得意だ。おそらくは、…君のような若者を騙すことなど、容易いだろうね」
言外に、子供だからと嘲笑され、侮辱されたのは確かだった。
ティアンはそれ以上、何を言っても無駄だと悟った。自分が何を言おうと、彼にとっては「まともな意見」にはならないのだ。
都市で評価される人間の言うことしか、彼にとっては意味がない。…
「それなら、私も騙されました」
「あたしも。でもずっと騙されててもいいです。だって良い人ですもん。かっこいいし、優しいし」
(フロラ。…アルファ)
横から、はっきりとした声が二つ、ティアンとトールの間に入り込んだ。
彼女たちはティアンを見て、それぞれに軽く笑う。
「アルファ、君まで、何を言うんだ…」
トールがあっけにとられて、二人を――というか、アルファを食い入るように見つめた。
「実証的なデータをいくら出されても、私たちには納得できません。でも、私たちが経験不足であることは事実で、判断が正しいと断言することもできません。それでも、騙されてると言われても、このまま接触を止めたくはありません。私たちが都市や外界のことを客観的に知る上で、またとない機会だと思うんです。ですから、もう少し結論は待ってくれませんか?」
アルファが早口で、反論を許さないほどの勢いを示す。隣でフロラも腕を組みながら、うんうんと相槌を打った。
「…」
黙りこんだトールは、しばらくしてさらに大きなため息をついた。
「…君たちの考えていることは理解できないが、私も頭ごなしに否定するわけにはいかないだろうね。それでは指導員として失格だ。了解したよ。もう少し、様子を見よう」
「…船に行っても、いいんですか」
ティアンの問いに、彼はかすかに顔をしかめて頷いた。
「禁止など出来ない。…始めにそう言ったはずだよ」
しぶしぶながら、自由な行動を認める発言に、三人は内心ほっと胸を撫で下ろす。
しかしトールは、彼らしく、きつく念を押すことも忘れなかった。
「だが決して公に奨められているわけじゃない。君たちは影響を受けやすい。それが行き過ぎとみなされる場合、我々はしかるべき判断に基づき、君たちの心身の発達にとってより良い処置を取る。…意味は、分かるね?」
帰り際、トールはアルファだけを呼び止めて、こっそりと囁いた。
「アルファ。セントラルからの呼び出しが来てる。すぐに向かいなさい」
アルファは表情を固くして、はい、と答える。
時々、彼女はこうして中央のタワーに呼ばれていく。他の生徒にはない、特別な日課。
こんなこともあって、彼女は『CCのお気に入り』の称号を与えられているのだ。
アカデミーでは、彼女がCCと直々に話しているとか、英才教育を受けているとか、様々な憶測が飛び交っていた。
だが、真相は誰も知らない。――そして彼女も、誰にも何一つ漏らすことはなかった。
(何をしてるんだろう。本当に、CCと話でもしてるのかもな…)
彼女の秘密を、彼はこのときになってようやく、頭の隅に留めた。
とりあえず、ティアンはその日、生まれて初めて、呼び出しを受けて、ささやかな満足を味わった。
二人の少女が味方をしてくれたことにも驚いたが、…正直、嬉しかった。
しかし同時に、始めて本格的に恐怖を覚えた。
トールの口調では、もう楽観視は出来ない。
委員会の判断次第では、実際に『矯正』を受ける可能性もあるのだ。
矯正って何なんだろう。
全てを忘れたら、生まれたままの子供に戻って幸せになれるんだろうか。…本当に?
***
そんなことがあって、しばらくしてからのこと。
ノヴァーリスに向かっていたティアンの目に、船から飛び出してきた少女の姿が映った。
(…フロラ?)
その少女がフロラだという自信がもてなかったのは、見た感じがいつもと違っていたからだ。
まるで逃げるように、顔を伏せながら走り去っていこうとする。
「…フロラ?」
ティアンに近づいたところで、彼は確かめるように彼女に話しかけた。
珍しく暗い顔をしていたけれど、やっぱりフロラだ。
「どうしたんだよ。…そんな顔して」
彼は一瞬躊躇ったが、恐る恐るそう問いかけた。
「ティー。…ううん、なんでも…」
答える声も、普段の彼女とは全く違う。元気のない女の子なんて、…かなり苦手だ。
彼はどうしたものかと内心怯えながら、彼女の返事を伺った。
「…でも、おかしいぞ」
「うん。…なんだかさ、うん。よく分かんないのよ」
「何が」
「…ねえ。人を好きになるのと、愛するのって、違うの?」
――そんな難しいことは分かるわけない。
ティアンは聞かなければ良かったと、本気で後悔した。
「なんでそんな面倒なこと言うんだよ」
ティアンは船の発着場に近い、彼のお気に入りのスポットの一つに向かった。
フィルと出会ったビルのほかにも、こんな場所が二、三確保してある。
いうなれば、いつも街をふらついていた成果だ。
フロラは落ち込んだ様子で、素直に彼の後ろをついてきた。普段が騒がしいだけに、その大人しさが怖い。
「うん。あたし今日、たまたま二人になったから、ついフィルに聞いちゃったの。『なんでクレアとずっと一緒にいるの』って」
「…。で?」
「そしたら、一緒にいたいからだよ、って。まあ予想はしてたんだけど…。でも、そんなのおかしいでしょ? 同じ人とずっといたら、合わなくなったり飽きたりするじゃない」
市民の常識にそって、フロラはそう言ったらしい。フィルに憧れている彼女にとっては、とても関心のある彼らの非常識。
個人の自由を尊重したら、あんな形態は継続できないものだと、ティアンも考えていた。
「でもね、そうじゃないんだって。嫌なことがあったり、喧嘩しても、それもひっくるめて一緒にいられることが幸せなんだって。信じられる?」
「嫌なこと…」
「そうよ。嫌な思いをしたり、相手の嫌いなところを見つけても、それでもいいなんて。だからあたし言ったの。『そんなの間違ってる、我慢して自分に嘘ついてるんでしょ』。でも――」
フロラが、そこでまた顔を曇らせた。悲しんでいるというより、悩んでいる。
「『少しぐらい犠牲になるものがあっても、例え不幸になったって、そのためなら、諦められるんだよ』って」
「…」
「ねえ、犠牲があってもいいって、どういうこと? そんなのを恋愛っていうの?」
(そんな難しいこと、分かるわけないだろ)
ティアンは聞きながら、あまりに未知の難問に頭を抱えた。
そんなこと、今まで考えたこともない――。
「あたしはそんなの嫌。好きな人と一緒にいて、今よりもっと幸せになりたい。そういうものでしょ。そうじゃなかったら二人でいる意味なんてないじゃない」
「…普通は、そうだよな」
「そうよ。だから、フィルの言ってること分からなかったの。あたしがそう言ったら、『好きな人、じゃなくて、愛する人ができたら、きっと分かるよ』って。じゃあ、あたしにはきっと絶対分からない。フィルのこと好きだけど、一緒に不幸になりたいなんて思わないもん」
フロラの言うことは、明らかに正論だ。ティアンは聞いていて、珍しく全面的に、彼女に賛成だった。
特定の相手にそれほど固執するなんて、少々おかしいんじゃないかとすら思う。
彼らのような関係は、普通は依存関係と言われ、市民からは逆に、いくらか見下されるものだ。個人が自立していない証拠として。
「ああいうのって、依存、なのかな。それとも外界ではあれが普通なのかな」
「さあ、分かんない。依存カップルって、よくユニットで一緒に暮らしてるやつだよね? いつでも一緒じゃないと落ち着いていられなくなるんでしょ」
「でもあれだって、相手は変わるよな。要は一人でいるのが嫌なんだろ? でも、フィルたちは違う」
「うーん。…」
二人は唸りながら話し続けた。理解できない関係、納得できない考え方。
彼らは彼らなりに、それを少しでも知りたいと思った。
フロラは特に、熱心に。そのことを臆面もなくティアンに言う。
「あたしね、早くパートナーを持ちたいって、ずーっと考えてたの」
「パートナー? それって成人してからだろ?」
「でも早ければ、もうすぐ許されるでしょ。そしたら、理想的な相手とめぐり合って、もしかしたら一緒に暮らせるかなあって」
「…へー」
そんなこと考えてたのか、とティアンは少し驚いた。フロラの希望なんて、聞いたこともなかった。
「何よ、つまんなそうに。…だってさ、一人のユニットに帰るのって、寂しいじゃない?」
どくん、とティアンの心臓が音を立てた。
…なんだって?
「あたしはずっと寂しくて、つまんなくて、嫌だったの。だから、早く誰かと一緒にいたかった。市民は自立してるべきだけど、でも…」
「…パートナーだって、いつも一緒にいるわけじゃない。たまに親しくするだけだ」
「そうだけど、いないよりいいじゃない。自立した市民同士の親愛関係は理想的なんでしょ」
「…」
「だからフィルたちにも、ちょっと憧れてたんだ。でも、ああ言われて怖くなっちゃった。やっぱりあたしたちにはできないよね」
「…」
「ちょっと、何か言ってよ。ぼーっとした顔して。また興味ないとか言うわけ?」
「…違う。けど、分かんないから」
「もーーー!あんたに相談したあたしが馬鹿だった!そういえばティーはホントに苦手なのよね、こういうの!」
フロラは何をいまさら、という文句を言うと、ぷりぷりと怒り出した。
しかし感情の起伏の激しい彼女らしく、しばらくすると、今度は徐々に落ち込み始めた。
ティアンは忙しい奴だなあ、と思いながらも、なんとなく彼女の気持ちが分かるような気もして、ひたすら戸惑うばかり。
「あたしが寂しいのって、おかしいのかなあ? アルファはいつも余裕があって、一人でも悠々としてるよね。ティアンだって、別に一人でいても平気そうだし。…みんなそうなのかな…」
そのまま、彼女はぶつぶつ言いながら帰っていった。
ティアンも、何を言うこともできず、ただそれを見送るしかなかった。
ただ驚いていた。彼女の気持ちに、そして、自分の心に。
(…『寂しい』)
ティアンは、そっと心の中で呟く。
フロラは、恥ずかしげもなく、そんなことを口にした。
一人前の市民だという自負があったら、決して言えない言葉。
でも――
(そうか。…寂しかったのか)
ユニットに帰ったときの違和感が、ようやく説明できた。
フロラに言われて、というのが、なんとも情けない。
だけど、これなら全て説明がつく。
自分は寂しかったんだ。ユニットに帰ると一人だから。
誰と話したいわけでもない。
それでも、誰かと一緒だったあとにひとりだと、時々わけもなく堪らなくなる。
――でも、それなら。
フィルとクレアを見ていると湧き上がる感情はなんだろう?
胸の中が重苦しくて、どこかがちくちくと痛むような、そんな感じ。
これもおそらくは、苛立ちではなくて…
彼はその答えに、思わず片手で顔を覆った。
「最悪だ。子供みたいだ…」
――ただ単に、うらやましい、だなんて。
***
セントラルタワーの一室で、アルファは多数の顧問官に囲まれていた。
向かいに陣取る彼らは、厳しい面持ちで、姿勢良く座った彼女を眺めている。
観察するような視線も、値踏みするような目も、アルファは慣れた様子で受け止めた。
「アルファ、気分は?」
「…ええ。大丈夫です」
「君について、気になる話を聞いてね。少し注意を促したいと思ったのだ」
「はい」
間をおいて、違う人物が話を引き継いだ。
「君は優秀だ。…そして我々は、君がそのまま優れた人材に育って欲しいと願っている。君のためにも、これからの未来のためにも」
「…」
「CCも同じ意見だ。そして、良い結果になることを願っている。彼は寛大だからね…知っての通り」
「はい」
「何か不満や意見があるなら、遠慮なく言いたまえ。君の意見は、いつでも貴重だよ」
「…。私は…」
「うん?」
一瞬ためらって、彼女は顔を上げた。そして、細く無機質な声で訊ねた。
「私には、市民としての適性がありますか?」
彼女の問いに、ざわ、と部屋全体がざわめく。
傍にいた顧問官は、とっさに、慌てたように答えた。
「もちろんだ。これまでの君の成績は完璧だ。そんな疑問は持たなくて良い、アルファ」
「…はい…」
「外界の人間に何を言われたか知らないが、気にする必要はないんだ。君は誰よりも完璧な市民になれる。我々はそう信じているよ」
礼を執ってアルファが部屋を出て行った後、顧問官たちは口々に囁きあった。
『あの船人が原因か? 何かと混乱の種を蒔く…』
『しかしCCからは手出しするなと』
『いくら橋渡しだといっても面倒な奴らだ。もう出て行ってもらってはどうだ?』
『ふむ…』
一方、タワーを出たアルファは、頼りない足取りで、ノヴァーリスへ向かった。
迷いながらも、一歩ずつ、心の中でゆっくりと決意を固めていく。
彼女が今抱いているのは、不満ではなく疑問だった。
『…ごめんね…。何もかも忘れて、幸せになって――』
――そう言ったのは、誰だったろう?
失った記憶の欠片は、いつか蘇ってはくれないだろうか。
(私は知っていたのかもしれない。…いろんなことを)
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