風の歌う処
 
 
Don't try live so wise.
 Don't cry coz you're so right.
 Don't dry with fakes or fears.
 Coz you will hate yourself in the end.

 [Wind / Akeboshi]

 
 
恥かいたっていいんだ 
泣くなよ 間違っていないんだから 
でも恐怖やウソっぽい言葉なんかに涙を拭うなよ 
自分を嫌いになって終っちゃうよ  

[ Wind / Akeboshi] 


6



 ノヴァーリスの入り口に現れたアルファを見て、フィルは、彼女がいつもと違う雰囲気を纏っていることに気付いた。
 どことなく張り詰めたような、緊張した表情。
 普段は知的で大人びた顔が印象的で、余裕のないところなど微塵も見せない少女だったのに。
 「…やあ、アルファ」
 「こんにちは。…ちょっとお時間頂けますか」
 真剣な彼女の表情に押されて、フィルも珍しく黙って頷いた。


 「知りたいことがいくつかあるんです。教えて欲しいこと」
 「うん、何? 僕が知ってることなら」
 「…ヘリオスの軍隊で戦ってるのは、誰ですか」

 唐突に、アルファはそんな質問を切り出した。
 フィルはまじまじと彼女を見て、首をかしげる。
 「…随分おかしなことを知りたいんだね。それなら資料に出てなかった?」
 「いいえ。――もちろん、指揮官クラスなら分かります。でも一般の兵士については、どこにも載ってない。私自身も、軍人なんて見たこともないんです。だから、軍隊の存在そのものが嘘なのかと思っていました。でも、軍隊はあった。それなのに市民に軍人はいない。どういうことなんでしょう?」
 「それは…僕にも詳しいことは分からないけど…」
 「本当に、知らないんですか?」
 きつく詰問するアルファに、フィルは逆に不思議な顔で訊ねた。
 「どうして僕が知っていると思うんだ? 僕たちはただの客人で、この都市の事情なんて知らない。そう思わなかった?」
 「…いいえ。貴方たちは普通の客人じゃないわ。だって、クレアはヘリオスのことを友人みたいに話してた。それに、あなただって…」
 アルファは、そこで言いにくそうに口ごもった。しかし、意を決したように続けた。
 「あなたも、この船もおかしいわ。普通、外界の人間はこのエアポートの外に勝手に出るのは限られた場合でしょう? だから私たちは外界の人なんて目にする機会はほとんどない。それなのに、あなたは街角のビルでティアンに会ったって言ってた。どうして市民ナンバーも持たない人間が、そんなところに出入りできるの? それから、この船。私、船籍を調べました。でも…」
 「…載ってなかった」
 「ええ! 船籍不明なんて、そんなのありえないわ! どうしてこの船はここに止まっていられるの」
 アルファは興奮気味にまくし立てたが、すぐにはっとして黙り込んだ。
 ――こんなに何もかも話すつもりはなかったのに。
 そんな表情だ。

 フィルはそれを見ると、彼女に向かって、諦めたように微笑んだ。
 「参ったな。そんなに調べるとは思わなかった。君は、ヘリオスの市民にしては用心深いね?」
 「…」
 「別に馬鹿にしてたつもりはないけど、この都市の人は、CCが認めた相手に対しては警戒も何もしようとしない。だからいったん潜り込んでしまうとチェックも全くないんだ。ある意味、とても無防備なところだよね」
 聴きようによってはひどく危険なことを、彼は事も無げに言う。
 そして、厚かましいとさえ言える程の明るい笑顔で付け加えた。
 「でも僕たちは危害を加えるつもりは全くないから、そんなに警戒することないよ。安心して」
 「…そんなこと、信じられると思いますか?」
 「だって、事実だから。信じてもらうにはどうすればいい?」
 「目的を教えてください。何のためにここに来てるのか」
 「うーん。それは…企業秘密だから、ダメ」
 アルファは彼の馬鹿にするような言い方に、思わず頬を紅潮させた。
 「ふざけないで――」
 「ちょっと待って。君の聞きたいことは、そんなことじゃないんだろ? 本来の話に戻そう」
 「…っ」

 どうしても彼のペースに持っていかれてしまう。
 アルファはイライラしつつも、冷静に戻ろうと懸命に努力して、語調を整えた。
 「…じゃあ、これ以上は追求しないわ。その代わり答えて。ヘリオスのために戦ってるのは誰? それから、…。外の真実を教えて欲しいの。エイオースとセレネは、今どうなっているの?」
 「…」

 彼はもう、誤魔化す素振りは見せなかった。
 恐ろしいほど真面目な顔で彼女に向かい合い、腹の内を探るように、ゆっくりと答える。
 普段の物腰柔らかな彼とは違う人のよう――。アルファは、反射的に息をつめた。
 
 「君はあれだけ資料を見続けたんだ。答えを知ってるんだろう? 確かめてどうするんだ。ヘリオスは、――CCは、君たちを守るために必死だ。君たちが現実を知って苦しまないように、罪悪感なんか感じないまま、無垢でいさせようと懸命だ。でも君は知りたがってる。それはヘリオスの意志に反することかもしれない。…君に何かしようという気があるなら、教えるけど」
 「何かって――」
 「だから、市民以外の人間を、同じ人間として助ける気がある? ヘリオスの市民は外界の人間を受け入れる用意があるのかって、そういう意味だよ」
 「私…、私はまだアカデミーの生徒で、子供で…。そんな力なんて持ってないわ」
 「言い訳は聞かないよ。子供だから、なんて。君は他の誰も聞かないことを聞いてきた。ここの市民で初めて、本当の意味で外界に興味を持ったんだ。だったら君自身の内面に、それなりの動機があるはずだろ。…何かを動かす力は、そこから生まれるものじゃないか」
 「…そんな…」
 「どうする? その覚悟があるなら教えよう。でも、ただ知りたいだけなら、知らないほうがいい。だって言い訳になるからね。『何も知らなかったんだ。だから、何もできなかった』。いつか真実を知ったとき、取り返しのつかない事態になったとき、君はそう言い訳することが出来る。そのほうが樂だよ」
 「…っ。どうして、そんな無理なことを言うの? 私ひとりでなんて、何も出来るわけない」
 「君が一番可能性を持ってるから。だから聞いてるんだ、アルファ」
 「私はただ知りたいだけよ。忘れてしまったことが今になって私を苦しめるから。だから、思い出したいだけなの…!」

 「…? どういう意味だい?」
 思わず彼女が口にしてしまった言葉を、フィルは不可解な面持ちで受け止めた。
 アルファは、泣きそうな顔でぽつりと呟く。
 「私、…」




 しばらく彼女の告白を聞いた後、フィルは俯いた彼女を自分の横に座らせて、そっと頭を撫でた。
 「…ごめんね。辛いことを聞いた」
 「いいえ。…いいの。だって私にははっきりしないことだもの」
 「うん、それならいいけど。――でもね、アルファ。それなら余計に、君には出来ることがたくさんあるよ。今は出来なくても、いずれ」
 「そうかしら。…私、今まで完璧な市民になることしか考えてなかった。だから完璧な生徒でなくちゃいけなかったの。そのためだけに努力してきたから、ほかの事なんて知らない…」
 「これから考えてみればいいさ。時間はいっぱいあるんだから。それに、今は一人じゃないだろ? 同じように、外に目を向け始めた奴だっているんだし」
 フィルの励ましに、アルファはかすかに顔を顰めた。
 「…彼は本当に変わろうとしてるのかしら。私には甘えてるようにしか見えない。ずっとそう思ってたの。他の子はまだマシだわ――CCの恩恵を素直に受けようとしてるもの。でも彼は…」
 「…アルファ。君とティアンは、違うことを知りたがってるけど、結局似たような結論に行き着くかもしれないよ」
 「どうして?」

 フィルは心から嬉しそうな笑顔で笑った。
 「だって、親に反抗するのは、子供が成長する第一歩だからさ。君たちの場合は、親ってCCのことだろう?」




 ***




 フロラと難しい話をしてから、ティアンはノヴァーリスに行くのが少し怖くなった。
 このまま彼らを見ていたとしても、ここの常識も暮らしも変わらない。
 それなのに、見るたびに、自分の生活と見比べて、悲しくなる。…『寂しく』なる。
 正しいのは自分のほうだと思うのに、感情がそれに付いていかないのだ。
 個人の自由は大切だ。それを保障されていることは素晴らしい。
 でもそれ以外にも、何か自分にとって大事な、素晴らしいものもあるんじゃないか――そんな疑問を持ってしまいたくなる。

 でもそれは幻想だ。犠牲を捧げなければ叶えられない、悪夢のようなもの。

 だから忘れたほうが良いのかもしれない。
 …そうしたら、もう悩まないですむ。疑問なんて、元々いらないんだ――


 それから、以前のように、風の吹く高層ビルでぼうっと時間を過ごした。
 スクリーンを通して太陽から射す虹色の光は、まだデジタルアートのように見えた。
 でも、こうして一人でいたほうが、やっぱり楽かもしれない。
 予想以上に楽しいことはないけれど、予想以上に辛いこともない。
 何もない日常だって、いつも抱えてた苛立ちだって、彼にとっては、もはや生活の一部だったのだから。

 だから、我慢できる。
 大丈夫、今までだってそうやってきた。
 心から感じる喜びも楽しさもないけど、そんなの無くたって生きていける。

 こっちのほうがマシなんだ…きっと。
 ――胸が焼けるような、あんな想いをするよりは。




 「フロラ。…おい」
 「ん? ああ、ティアン」

 フロラに会ったのは、その数日後のことだった。
 アカデミーでばったり会った彼女は、ついこの間の悩みが嘘のように、明るくやかましい――『元の』彼女に戻っていた。

 「何よ、どうかした? そういえば久しぶりー」
 「何が久しぶりーだよ。…何か、やけに明るいな」
 「そお? あたしはいつもこうだけどなあ。ティアンこそ相変わらずくっらいわねー」
 「うるさいな。…なんだよ。ちょっと心配してたのに」
 聞き取れないぐらいの小声で、ティアンはぼそっと呟いた。
 それを見て、フロラがびっくりしたように彼の顔を覗き込む。
 「どしたの、ティー。何で心配? あたし元気だよ?」
 「はあ? こないだ悩んでいじけてたの誰だよ。もう忘れ――…っ」
 そこで言葉を失い、その場に立ち尽くした彼に、フロラは冗談でかるく叩く仕草をした。
 「何? 悩んでたって、あたしが? うっそー、誰かと間違えてるでしょ?」
 「…お前、今、楽しい?」
 「何よ、いきなり。うーん、まあ、ぼちぼち。今度またBクラスの子と遊びに行くんだ。いいでしょ」
 「そっか。…じゃあな」
 「ちょっとお。何なのよ、相変わらずワケ分かんないなあ、もう」


 気が付いてみれば、彼女の髪はいつの間にか、前のペパーミントグリーンからストロベリーブロンドに変わっていた。
 髪の色を変えるように、彼女は記憶を写し変えてしまった。


 …彼女は矯正を受けた。多分、彼女自ら望んで。


 (そんなに苦しかったんだ。――本気で悩んだんだ、あいつ)

 そのとき、ティアンは矯正の恐ろしさを初めて知ったような気がした。
 あんなに考えていたことさえ忘れてしまう。何もかも忘れて、残るのは…
 残るのは、きっと「空」になってしまった自分なんだ。
 
 


 ***




 高層ビルの屋上には、風が吹く。
 寒くも無いのに、温度とは違う寒さを感じる。吹き抜ける風が持つ、独特の感じ。

 ――こういうのを、気持ちいいっていうんだよな。

 初めてフィルに会ったとき、彼はそう言った。
 風が気持ちいい。ここが気持ちいい。
 そんな良い気持ちなんて、どうやったら感じることができるんだろう。
 彼には感じられるのに、自分には感じられない。
 そんなの不公平じゃないか。
 でも、そうなんだ。…

 自分には、そんな感じを受け取るセンサーが無いのかもしれない。
 この都市の市民には、相手にそんな感情を与える機能が無いのかもしれない。
 だったら、無いものねだりはしちゃいけない。
 冷たく無機質なこの街で、死ぬまで穏やかに生きていく。
 それが市民の義務であり、…出来る全てのこと。



 こつこつ、と床に反射する音がした。
 階段を上る音。誰かがここに上がってくる音。

 「…フィル…?」
 こんな場所を知ってるのは、自分の他には彼だけだ。
 振り向くのも億劫で、ティアンはのそっと首を回した。
 「ティアン。やっぱりここだった」
 「アルファ…。なんで?」
 そこには、彼女特有のパーフェクトスマイルで微笑む、アルファの姿があった。
 「ここにいるって聞いたから。そうでなかったら、絶対分からないわね、こんな場所」
 「…」
 「隣にいてもよろしいでしょうか? 礼儀通りにお聞きします。ほら、ちゃんと答えて」
 「ここはアカデミーじゃないだろ。指図するなよ、優等生」
 「人間関係の円滑なやり取りには――。まあ、止めておくわ。ねえ、ここ、あなたの秘密の場所なの?」
 「別に秘密ってわけじゃ…。単に、誰も来ないから使ってるだけだ」
 「ふーん。でも…、なんだか、とっても気持ちいいところ」
 アルファの何気ない台詞に、ティアンが凍りついた。
 「それ…っ! それも、フィルから聞いたのか? ここが気持ちいいとかなんとか」
 「え…。どういう意味? 場所を聞いただけよ。ただ今、風が通って気持ちいいなって――」
 

 ――なんで、こいつが分かるんだよ。
 ティアンは、どうしようもなく心が震えた。
 なんでもないことだ。ただアルファは思いついたことを言っただけ。
 けれど、そんなつまらないことですら、今は彼の心をひどく傷つけた。
 
 「ティアン、何? どうしたの?」
 「なんで…。なんでお前なんかが分かるんだよ。完璧な市民は、そんな感情もちゃんと分かるっていいたいのかよ。お前は何でも持ってるのに…! 帰れよ、こんなとこに来るなよ!」
 「ねえ、何怒ってるのよ」
 「うるさい。こんなこともう考えたくないんだ。なんで思い出させるんだよ。せっかく諦めようとしてたのに」
 「…」
 「もういい、元々何もないんだ。失うものも、大事なものも。これがなきゃ駄目だってものが何もない。それなら、矯正されたって同じだ。そういうことなんだ」
 「ちょ…っ。何言ってるの? 落ち着いて――」
 「何でもある、何でも与えられてるさ。でも」

 ティアンは、自分でも何を云っているのかわからなくなってきた。
 論理的でない、感情だけの言葉。
 けれど、頭で考えるより先に、口が動いていた。
 まるで、誰かが自分を操って言わせているように。
 
 「失いたくないものがない。それなら、自分がなくても同じだ…!」

 (…え…)
 そうして、今度こそティアンは自分が狂ったかと思った。
 彼は『泣いた』のだ。
 そのことに、彼は心底驚いた。ありえないことだった。
 他人の前で、こんなに大きな身体で泣くなんて。
 もう子供じゃない、ユニットを与えられた市民だっていうのに。
 ――なんて屈辱的な、情けない行為だと、心のどこかで焦る声がする。

 「ふ…っく…。…」
 嗚咽を聞かせまいと、必死に声を殺した。
 視界がぼやけて、体温が上がる。きっと顔が赤くなっている。
 こんな姿を誰にも見られたくなかった。特に『完璧な』彼女には――
 (見るなよ、どっか行けよ!)
 泣きながら、ティアンは心の中でそう叫んでいた。
 なんでこいつは人の情けない場面をじろじろ見てるんだろう?
 優等生はこんなときに人を哀れんで、同情してくれるっていうのか?

 「帰れよ。…なんだか知らないけど、イライラするんだ。…だからどっか行けよ」
 しばらくして、ようやく気持ちを抑えて、彼はやっとのことで喘いだ。
 これ以上一緒にいたら、口汚く罵ってしまう。とても我慢できそうにない――
 そうやって、最大限に気を使ったというのに。
 アルファはあのイラつく口調で静かに答えた。
 「…でも、泣いてるわ」

 「…!」
 (何なんだよ、お前!)
 突然、ティアンの中に、凶暴と云ってもいいぐらいの怒りが湧いた。
 彼女の優しい言い方が、更に怒りを倍増させる。
 ――なんでこんなにこいつはムカツク奴なんだ? 
 どこまでも彼女は自分より上にいる。だから、哀れんで、慰めてくれるのだ。

 そう思ったとき、彼には自分がコントロールできなくなった。

 「ティアン? 大丈夫?」
 「…さい」
 「え?」
 「うるさいよ、おまえ。…黙れ」
 ティアンが抑揚の無い声で冷たく言うと、彼女はわずかに体を強張らせた。
 その拒絶に、彼は暗く笑う。
 (――だから、行けって云っただろ?)

 「こうやって泣いてる子供を見ると、優等生は慰めたくなるんだろ。内心では馬鹿にしてるのに」
 嘲笑うような彼の言い方に、アルファはさらに後ずさる。
 「…そうじゃないわ…」
 「どうせあんたは、絶対心配ないもんな。皆に可愛がられて、CCのお気に入りで?」

 この都市にいたって、こいつは満たされてるんだ。
 自分はこんなにひとりなのに。誰も傍にいない。必要ともされないのに。
 ティアンは自分の中で、そんなどす黒い感情が沸き起こるのをただ見守った。

 「でも、CCなんて――あんな機械が何だっていうんだよ。絶対者でも神でもない。単なる道具なんだ。そんなのに気に入られたぐらいで、いい気になるなよ」
 (…それでも、羨ましいのかな。何が?…)
 一歩足を踏み出すごとに、泣きたい気持ちと笑いたい気持ちが交差する。
 そして、足は止まらない。――彼にもどうしようもないまま。


 「…本当に、矯正されたい? それなら、すればいいわ、何度でも」
 「は?」

 
 当然の一撃に、止まらなかったはずのティアンの足が止まった。
 彼女は強張った顔をしていた。もう怖がっているようには見えない。
 ひたすら真剣な眼差しだった。
 じっと彼を見据えたまま、今度は彼女が近づいていく。
 興奮していたティアンも、そんな彼女を見ているうちに、次第に落ち着いてきた。
 というより、今度は彼女のほうが明らかに怒っている。彼に一瞬怯えた自分にすら、彼女は怒っているのかもしれなかった。

 「ねえ。本当に何もかも忘れたいの? それなら矯正を受ければいいわ。苦しいことも悲しいことも、全て忘れて幸せになれるわよ。罪の無い子羊の群れに戻って、甘えてワガママ言っていられるわ」
 「…な……」
 「あなたが泣くほど悲しいことって何? ここは何でもあるのに、何が足りないの? 教えてよ」
 「…。言葉になんて、できるもんか」
 「そんな曖昧なもの? じゃあ納得できない」
 「なっ…! そんな、何でもかんでもうまく言えるわけないだろ! だいたい俺は、お前みたいに口が上手くない――」
 「そんなの関係ないわ。人に説明できないようなことで文句言わないで、偉そうに。私は…」
 アルファはティアンの頬に残っていた涙を手の平で乱暴に拭うと、ついでのようにパチンと容赦なく頬を叩いた。
 「…ってー! 何するんだよ!」
 「泣いていじけて、本当に子供よね。トールにああ言うぐらいだから、少しは見直してあげようかと思ってたのに、やっぱり変わらないのね。私、前からあなたのこと見るたびにムカムカしてたわ。自分勝手でワガママで、甘えてばかりのくせに文句は一人前。違う?」
 「ふざけんな! こっちだって前からお前のこと大っ嫌いだったんだよ! いつもいつも優等生やってますって顔して、おしとやかなフリして! 全部嘘だったんじゃないか、本当はこんな暴力女のくせに!」
 「何よ。みんなの前で少しぐらい自分を作るのは当たり前だわ。それぐらいの気遣いも出来ないから子供だっていうのよ。こっちが気を使ってあげてたのに気付きもしないで」
 「はあ? そりゃどうも、気を使っていただいて光栄です。…そう言えばいいわけ? 馬鹿なこと言うなよ、そっちは好きで優等生やってたんだろ」
 「好きでなんて…やるわけないじゃない! 私は無理にがんばったわ。やらなきゃいけなかったの。優秀でなきゃいけなかったんだもの。そうでないと――」
 とっさに、彼女はそこで口を覆った。
 「…っ」
 「? …なんだよ?」

 ティアンはじっと答えを待つ。
 アルファは気まずい表情で、そっと視線をそらした。
 「…」
 「なんだよ。ちゃんと言えよ」
 「…っ…。なんでも、ない…」

 見ると、彼女の目には光るものがあった。
 さっき、ティアンの目からも流れていたもの。
 「アルファ、泣いてるのか?」
 「…て…ない。泣いてなんか、いない」
 「泣いてるだろ。ほら」
 ティアンは顔を隠そうとする彼女の手を無理やり退けて、泣き顔の彼女をまじまじと見つめた。
 子供みたいに泣いてるアルファ。まるで別人だ。
 「止めてよ。ちょっと…!」
 「『泣くほど悲しいことって何?』」
 彼は、ついさっき自分が言われた言葉をそのまま返した。
 嫌がらせではあったけれど、本当になぜなのか知りたいとも思った。
 なんで泣いたんだろう。彼女はこんなに強いのに。
 
 「お前が泣いてるのも、何かが足りないからじゃないの?」
 「…」
 「違う?」
 「あなたは何が足りなかったの」
 「…だから言えないんだよ。そっちは言えるんだろ」
 「…言えない、ね…」

 結局、お互いに泣いた理由なんて言えなかった。
 ただひたすらばつが悪くなって、苦い顔で笑いあう。
 それからずっと日が暮れるまで、何を話すでもなく二人でぼんやりしていた。
 日が暮れて、暗くなって、赤く腫れた泣き顔が見えなくなるまで、そうしていた。

 
 
 帰り際、膝を抱えて座り込んでいたアルファは、ひとり言のように言った。
 『私、これからは絶対泣かないわ。人前では二度と泣かない』
 ティアンも背中を向けたままの姿勢で、こっちだって、と呟く。
 『でもあなたの前なら遠慮しないで泣いてもいいよね。もう散々見せちゃったもの。恥をかくならお互い様だし。ねえ?』
 『…。それが優等生の言うことかよ…』
 彼女の言うことはまるで脅迫だ。唖然とするティアンに、彼女はふふん、と威張るように笑うと、その場に寝転がった。
 『さあ、…優等生の仮面はどこかに行っちゃった。きっと、この風に吹かれて』
 
 



 


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