なんのゆめをみたんだろ? おもいだせない わからない もみがらみたいな かけらばっかり なのにへんだね こころがとってもくすぐったくて わらいださずにいられない [マザーグースのうた]
7
ヘリオスに逗留して二ヶ月が経った日、フィルは評議会に召集を受けた。 彼が座ったのは奇遇にも、セントラルタワーの一室で少女が座っていた、その椅子だった。 「とにかく、困るのです」 「なぜ余計な詮索や干渉をなさるのか。我々には成長途中の子供たちを守る義務があります。だからこそ、こうしてお願いしているのです。それはお分かりいただけましょうな?」 「はあ」 「穀物供給のメドがつき次第、申し訳ないが、早々にお立ち退き頂きたい。よろしいですか」 「…」 相次ぐ非難の嵐の中で、彼が考えていたのはただ一つのことだった。 『だから言ったでしょう。また余計な問題を起こしたら、私は知らないわよ』 彼女の呆れたような怒りの声が、まざまざと脳裏に浮かんでしまう。 ――ああ、クレアに叱られる…。 しゅんとうなだれる彼の様子を見て、評議員たちは、明らかに誤解をした。 「…まあ、こちらとしても無理な仲介をして頂いている立場です。貴方を非難するわけではないのですよ」 しかし、この話の流れから、逆にいきり立つ者もいた。 「無理な仲介? …ふん、だがこちらの妥協も相当なものだがな。彼らの無謀のツケを我らが払ってやっているのだから」 「そうだ。建設時の三都市協定は今でも有効なものだぞ。それを無視して、向こうの言い分も飲んでやっている。奴らはCCの寛容に感謝すべきではないか」 「…」 フィルは再度繰り返される議論に、うんざりしながら意見を挟んだ。 「…ですから、お分かりいただきたいのは、向こうの市民にとっては、この規定がもはや妥協などというレベルの問題ではないということなんです。はっきり言って、法定分の取り分をこちらが取れば、彼らは生きていけません。何の罪もない子供や病人が死んでいっても、貴方がたは関係ないと言うのですか?」 彼に評議会から委任されていた仕事というのは、エイオースとセレネ、そしてヘリオスの間で昔から結ばれていた協定の改定作業だった。 都市の建設と同時に、この星系では共同の穀物・鉱物プラントが建設された。 そして、都市間の管理費と取り分は均等になるよう、前もって取り決められていた。 しかし長期の戦乱によって、エイオースとセレネの備蓄は底を尽き、今や共同プラントからの供給に市民の生存がかかっている。 それに引き換え、ヘリオスにはいくらかの余剰があり、自営のプラントも順調に稼動していた。無理に正当な取り分を要求する必要はないのだ。 だが―― 「何の罪も無い…とは言えまい。彼らの長年の戦乱は、彼ら自身の罪だ。我々がそれによって損害を被る義理がどこにある」 「百年も前からの戦争ですよ? 彼らが生まれる前に、既に長いこと戦いは慢性化していたんです。今の市民には何の関係も――」 「それは違う。無駄な争いを止める努力をしない彼らは、やはり怠慢だ。そうではないか」 「…それでも実際に、今このときにも、死んでいく人が大勢いるんですよ。それにこれまでの戦いで、彼らにはとてもそんな余力はありません。それを思いやってもらうわけにはいきませんか。貴方がたには、哀れみというものが無いんですか…?」 「下手に哀れみをかけたところで、それが理解できる奴らか? CCは今までも十分に寛容を与えている。これ以上は必要ない」 フィルは、都市ヘリオスとの付き合いを始めてからずっと、こんな言い争いを繰り返していた。 彼らは己が正しいと思うことをどこまでも主張する。 『他の二都市の支払いはずっと滞っていて、ほとんどこちらが管理費を負担してきた。 それにも関わらず、奴らは規定以上の取り分を寄越せという。 それはおかしな主張ではないか。義務を果たしていない者が権利など持てるはずがない。』 確かに理屈としては間違ってはいない。だがそれは、あまりにも無慈悲な正しさだった。 彼らは躊躇いもなく、それを堂々と放言する。まるで子供のように残酷に―― フィルにはその冷たさが理解できず、時に自分でも驚くほどの怒りを感じてしまう。 「これ以上話しても無駄ですね。直接CCに掛け合います。・・・貴方がたはまるで、いらない玩具に固執する子供のようだ。なぜ余裕があるのに、それを分け与えるだけのことができないのです?」 彼の発言に、周囲の評議員は一気に怒気を孕んだ。 「我々は賢明なるヘリオスの市民だ…!余所者にそこまで言われる筋合いはない!あまりに礼を失した発言ではないか。こちらは正しいことを述べているにすぎない。違うか?」 「まったくだ。CCにそこまで面倒をかける必要があるものか。このような瑣末事は、我々だけで解決する。こちらは正規の手続きを踏むだけだ」 ――やばい、つい本当のことを。しまった…。 フィルは思わず、手に隠していた端末で、ノヴァーリスに信号を送っていた。 表面上は無表情で動じないように見せていたけれど、内心では泣きたい心境で助けを乞う。 (ごめん、クレア。助けて・・・) *** これよりも時間にして少し前、アカデミーでは別の顔ぶれが難しい顔で向かい合っていた。 「なぜですか? そんな、いきなり…」 「こちらでもよくよく考えた上での結論だ。理解して欲しい」 トールはこの日、ティアンとアルファを呼び出して唐突に告げた。 『君たちは矯正を受けることになった。我々の判断だが、これは都市規定に則ったものだ…』 理由として、彼はこう付け加えた。 『この間矯正を受けたフロラは、今では順調に「回復」している。これを検討した結果、君たちにも同様の処置が望ましいと判断された』 ティアンは、じっと黙ってトールの言うことを聞いていた。 矯正を受ける、と言われても、ちっとも実感が湧かなかったからだ。 (フロラみたいに、元に戻る。…忘れて困ることって、なんだっけ) 改まって挙げてみようとするが、とっさには思いつかない。 確かに、フィルやクレアに会ったことは忘れたくない。 でも、寂しくて苦しいと気づいてしまったことは忘れたいのかもしれない。 そのとき不意に、アルファと一緒に泣いたことも頭をよぎった。 ――これは忘れたいのかな、それとも…? 戸惑ってばかりいる彼に、トールは着々と説明を終え、処置はすぐにこれから行うと言い渡した。 「…はい」 隣にいたアルファは大人しく、いつものように答える。 …。いつものように? ティアンはその瞬間、弾かれるように彼女を見た。 アルファは普段と変わらず、先生やトールの指示に黙々と従っている。 だが、その目に宿る微妙な表情を、彼は知っていた。なぜなら、昨日見たばかりだったから。 (…こいつ、泣きたがってる) それでも彼女が矯正を拒まないのを、ティアンは訝しく思った。 だがすぐに原因を思いついて、彼は舌打ちをした。 彼女は困難から逃げたりしない。立ち向かうのが当たり前だと信じ込んでる。 いつも厄介事を避けてばかりいた自分と違って、この優等生は、逃げることなんて知らない―― 「…来いよ」 「え。…ちょっと、何」 「いいから、来いって!」 トールが別室に行った隙に、彼は無意識に、彼女の腕を掴んでいた。 自分は矯正されてもされなくても、どっちでも構わないかと思った。そんなに価値のあることなんて無いから。 だけど、彼女は矯正されるべきじゃない。 …だってこいつには、泣くほど大事なものがあるんじゃないか・・・! 「放してよ、ティアン。手が…痛いってば!」 アルファが叫ぶのも無視して、ティアンは人通りの激しいロードウェイを駆け抜けた。 普通こんなところを走る市民はいない。振り返った人は、彼らを見ると驚いたように眉をひそめる。 だがティアンには周りの人間の反応など確かめている余裕もなかったし、そんなものどうにでもなれと思った。 (委員会から逃げているんだ、いまさら、市民道徳なんて!) 彼女の腕は思った以上に細くて、強く握り続けていたら折れてしまいそうだったけれど、遠慮なしに掴みながら走った。 どうしてこんなことをしているのか分からない。 ただ逃げるにしては、馬鹿げた理由だった。 彼女の記憶は彼女のもので、自分がどうこう言えるものじゃない。 ――それでも、ダメなんだ。『嫌なんだ』 心の中でそんな思いが膨れ上がって、彼は切羽詰った声で叫んだ。 「矯正、受けたくないんだろ? 忘れたくないんだろ、違うのか?」 「…でも、逃げたりできない。私は…、もう…」 ほとんど泣いているような彼女の答えに、彼はようやく立ち止まって振り向いた。 「? 何だよ?」 彼女は何かを堪えるように、話し出そうとしては俯く。待っていても話す気配がなかったので、今度はゆっくりと彼女の手を引いて歩き出した。 それからティアンは、黙ったまま何も言わなくなってしまった彼女を連れて、自分のお気に入りのスポットに飛び込んだ。 前にフロラと話をした場所だ。辺りには誰もいない。 走りすぎて息を切らしていた二人は、そこで立ち尽くした。 彼はそこでようやく腕を放したが、あまりに強く掴んでいたのか、彼女の手首はすっかり赤くなっていた。 アルファはその腕をぼんやりと見つめながら、ようやく切れ切れに、吐き出すように話し始めた。 「私は、逃げても仕方ないの。だって、…もう矯正を何度も受けたんだもの」 「…え…」 ティアンは、一瞬呆然として、彼女をぽかんと見つめ返した。 「お前が矯正なんて。…嘘だろ? 今までずっと優等生だったじゃないか」 彼女が矯正されるような真似をするなんて、彼には想像もつかなかった。 たまたま誘われて船に行くまで、彼女は道徳的に逸脱した行為などしたこともなかったはずだ。 だからティアンは彼女の言うことがむやみに信じられず、ただ繰り返した。 「なんで? いったい何しでかしたんだよ。いつ?」 アルファは、彼の質問など耳に入らない様子で、泣きそうだった顔をさらに歪めた。 「…私は市民じゃないの。だから、矯正されたのよ。それでやっと、狼の子は羊の檻に入ることが許されたの」 彼女の言葉の意味が分からず、は?という顔をしたティアンに、アルファは諦めたように微笑んだ。 もう洗いざらい言ってしまおう――そんな様子で。 「私はヘリオスの子供じゃないの。セレネから来た難民だったのよ…。だから、外界の、野蛮な人間なの。貴方たちが軽蔑している愚か者の子供なのよ。分かった?」 *** 『何もかも忘れて、幸せに――』 そう言ったのが誰なのか、いまだにアルファにはわからない。 甘く優しい声だったような気がする。たぶん、女の人だろう。 その人は、幼い自分の真上で泣いていた。でも、笑っていたような気もする。 全てがぼんやりしていて、いつどこであったことなのかも分からない。 …唯一つ確かなのは、自分にはその記憶が忘れられなかった、ということだけ。 「だから矯正を逃げたりできないの。私は不適当な資質を持った人間で、市民として不適切な言動があった場合は、矯正を受けることが義務付けられてる。…私も今度は覚悟していたから、いいの。ただ、少しだけやってみたくて…」 思い出すことが苦痛で、でも忘れることはもっと辛くて、彼女はいつでも矛盾していた。 優等生でいたのは、勿論、ヘリオスの市民になりたかったから。周りには決して悟られないように、完璧な生徒でいたかった。 でも一方では『野蛮人』の記憶も、確かに自分のものだった。 矯正を受けても、昔の記憶はいつの間にか浮かんできた。 記録映像を見たり、泣いている子供を見たりすると、ひょんなことから思い出す。 それが嫌で、でも思い出すと、忘れることに罪悪感が襲ってくる。… 「だからあなたと一緒に行ったの。矯正を受けるかもしれないと思ったけど、外界の人間に会って、少しだけほっとしたかった。この都市の中で、狼の子は自分だけだって思ってたから――」 アルファは何もかもぶちまけて清々したとでも言うように、はっきりと顔を上げた。 だがそれとは裏腹に、彼が掴んでいた彼女の腕は、わずかに震えていた。 彼女の顔を直視できずに視線を下げた彼の目には、その震えが痛々しいほど映っていた。 ――彼女は、怖がってる。 …違う、そうじゃなくて…、今までずっと、怖がっていたんだ。 自分の生まれが違うと分かった途端、周りの人間に軽蔑される。違う目で見られる。 それが怖くない人間なんて、いるわけがない。 今自分に打ち明ける事だって、どれほどの勇気が必要だったんだろう。… ティアンは、ずっと彼女を眺めたまま、黙り込んだ。 (外界の人間――。アルファが…) これが二ヶ月前だったら、自分は彼女を冷たく一瞥し、そして言っただろう。 『…じゃあ、あんたは余所者なんだ。野蛮人なんだ』 フィルに会ったとき、実際そう思った。疑問など持たずに。 でももう、そんなことは言えない。今は言えなくなった。 今では、自分は、外界の人間がどんなものなのかを知っている。 彼らは決して野蛮ではないし、無知でもない。 それどころか、都市の人間にはないものを当たり前みたいに持ってる。 (僕はそれを、落ち込むぐらいに、うらやましいと思ったんだ。…) 「だから泣くほど大事なものを持ってるんだ。…そうだろ?」 「え…」 アルファは、まるで怯えるように、彼の言葉にびくんと反応した。 そんな彼女の動作に驚いて、彼はまたそっと手を掴んだ。 彼女を安心させたかった。それから、もう震えて欲しくなかった。 「忘れたくないと思うぐらい、大切なものがあるんだ。だったら、ヘリオスの市民なんかよりずっといいじゃないか。僕たちは、何も持ってない。矯正を受けても構わないぐらい、何にも持ってないんだ。だけどお前は違うんだろ?」 「でも、…そんな風には思えない。だって、私や私を連れてきた人たちは戦争で何もかも失って、多分飢えて逃げてきたの。自分でもそんなの、愚かな人間だと思う。そうでしょ? だから、セレネはもう滅ぼされてしまったけど、私は同情なんてしたことなかった。それに比べてCCはなんてすごいんだろうって、余計に感動したわ。この都市は清潔で満たされていて、なんて素晴らしいんだろうって」 「そうかもしれないけど。…確かにCCは市民を守ってくれてるんだろうけど、でも、守ってもらってる僕たちは、そんな命を大事だと思えない。すごく軽いんだ、自分の存在なんて」 「…どうして? こんなに大事にされてるのに」 「分からないよ。どうしてだろう。…」 ずっと手をつないだまま、彼らはおかしなほど真剣に話し続けた。 この手を放したら、気持ちが伝わらなくなってしまうんじゃないか――訳も無く、そんな気がして。 そのときに、驚くほど大きな警戒音が彼らの傍で響いた。 ぎょっとして音のするほうに目をやると、そこには小動物の形をした警戒ロボットが近づいて来ていた。 通称ヘルハウンドと呼ばれる、都市内の治安維持用の『番犬』だ。 「トールが通報したんだ。…やっぱり追われてる」 「もういいから、戻りましょう。私はどうせ、矯正を受けたって構わないんだから――」 焦ったように言うアルファに、ティアンは今度こそ首を振り、きっぱりと答えた。 「ダメだ。絶対、ダメだろ、そんなの」 これだけは間違いない。彼はその思いを込めて、彼女に向き合った。 「行こう。ノヴァーリスなら、逃げ込める。フィルとクレアは、きっと助けてくれるよ」 彼らのことは、信じられる。 外界の人間だからとか、ヘリオスの市民だからとか、そんなの関係ない。 僕は僕の出会った人を信じることができる。 ――彼は生まれて初めて、誰かを信じることができると確信した。 あやふやな、でもとても強い、心からの確信だった。 back≫next
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