| あした見る夢
うんざりするような気持ちを押さえ、彼は王宮の渡り廊下を通っていた。
普段の長衣よりもわずかながら華美な正装に身を包み、重い足取りをして。
しかし大勢の興奮を示すざわめきが近づいてくると、心持ちそのスピードを速めた。
扉の向こうで行われているのは、いつもの、虚飾の宴の続きだ。空虚な談笑と偽りの賛美と。
だが、唯一の救いは麗しの彼の姫が微笑みかけてくれること。
…たとえ、その微笑に特別な意味はないのだと、彼自身がよく知っているとしても。
『レムオン様、ようこそお越し下されました。』
優美な礼と共に、鈴を振るような可憐な声が耳に心地好く響く。
そんな王女に対して貴族礼をした彼の目に、不意に、横にいたもう一人の姫君の姿が目に入った。
『……』
見知った顔だ。それも、間近で何度も。
だが、…到底本人とは思えない。
その少女は艶やかな黒髪を精緻な細工の髪留めでまとめ、その細工に似た模様をした豪奢なダマスク織りの衣装を身に纏っていた。
肩と腕を露わにした裁断は、着る者によっては必要以上に色気を強調してしまう危険がある代物だろう。
しかし彼女の場合は、その健康的な笑顔のせいか、厭らしさは感じさせなかった。
…それどころか、この大人っぽい衣装が、日頃は想像すら出来なかった女性としての美しさをいやにはっきりと際立たせていた。
(この女性は。…違う。「こいつ」は…!)
信じられない思いで凝視する自分をよそに、音楽の開始と共に、周りのあちこちから彼女を誘う貴公子たちが集い寄る。
『御令嬢、是非一曲わたくしと』
『次のメヌエットのお相手を』
そう言って誘いにやってくる男たちは、自分の見知った者ばかりだ。
普段の夜会で浮名を流している貴族のバカ息子たち、さらには従兄妹のタルテュバや見覚えのある冒険者風の男まで。
(なんなんだ、これは)
どこかでおかしいと思いつつ、それとは別に、胸のうちの不快感は否応なく高まっていく。
『おおっと、ここは俺…いや、私とお相手願えますかな、お嬢さん?』
彼の不快が最高潮に達したのは、あの男がいつもの軽口で登場したときだった。
いつでも、どんなときでも、自分の欲するものを悠々と掠め取っていく、あの、男。
『…ええ、喜んで』
「彼女」はそう答えると、恥じらうような様子で彼のリードにおずおずと手を差し出した。
(――待て…!!行くなっ…)
咄嗟に、叫んだ。
懸命に叫んだつもりだった。
…けれど、声が出ない。
(止めろ…っ!それは、俺の――!!)
「レムオン!――兄様!」
そう、この声は、俺の…。
俺の、何だ?
「いつまで寝ぼけてんの? いつもは人が居眠りしてるとバカにするくせに〜」
ようやく覚醒してきた頭に、『彼女』の声がその口調とは裏腹にやさしく響く。
「――ソフィア。…いたのか」
できるだけ平静を装い、表情が見えないよう掌で顔を覆う。
…そう、これは俺の妹だ。俺の、偽りの、妹。
「いたのかって…。今日は泊まってけって無理やり命令したくせに」
いささか呆れた口調と共に、ソフィアはかすかに苦笑を漏らした。
この兄が強引なのはいつものことなので、今更気遣いが無いだの何だの言っても始まらない。
「…そろそろエストが帰ってくる頃なのでな。お前も会いたいのだろう?」
「え、エスト兄様帰ってくるの?」
驚かせようと内緒にしていた知らせを聞かせた途端に、嬉しそうな反応が返ってきた。
――それもまた、気に入らない。
(どうかしている、俺は…)
「お前、さっきの仏頂面はどうした。この俺に向かって。つくづく失敬な奴だ」
「ふ〜んだ。あたしは良い人に対しては良い子になるし、嫌な奴にはそれなりなの」
「…嫌な奴とは、誰のことだ?」
「あれ? お分かりになりませんでした? 洞察力が鋭くないと策謀家は向かないんじゃないかしら。ほほ」
「こいつ!」
最近では、こんなやり取りも普通になった。
まるで生まれたときから兄妹だったように、ごく自然に。
(本当にどうかしている、俺は。こいつは妹だ…こんなにも)
自分がそうあれ、と願った通りに。否、それ以上に。
これは喜ぶべき状況だ。
『彼女』は期待以上に自分の戦力となり、軍事的政略的に片腕とも同志ともなり得ている。
ただの思いつきが予想以上の成果を上げた。
…なのに。どこかでこの成り行きを喜んでいない。心のどこかで。
「最近どう? 上手くいってるの、化かし合い」
「あの女は雌狐だが、化かしあいとは何だ。俺は狸か?」
「あははっ、いいね、それ! でも兄様もキツネ顔だよね、どっちかっていうと」
「…せめて、鋭角的な顔と言え」
「――ぷぷっ! ちょ、ちょっと二人とも、待って。面白すぎるよ〜」
長兄と末妹の延々と続く漫才に、横で聞いていた次兄がこらえきれずに吹き出す。
珍しく兄弟三人が揃った夕食の席で、これまた更に珍しい笑い声が響いていた。
「ほんとに仲良くなったね、二人とも」
「…馴れただけだ」「仲良く〜?」
…返す反応まで似通っている。
「ほんとに。…ちょっと妬けるぐらいにね」
そう言って少し寂しげに二人を見比べて、エストは微笑んだ。
だが、すぐに何かを思い出したのか、表情を改め、兄のほうに向き直った。
「…そうそう、忘れてた。兄さんに伝言です。ティアナ王女から」
「ティアナから? 何故わざわざお前が?」
ティアナ、の名が出た途端、レムオンの口調が堅くなった。――と同時に、ソフィアもかすかに息を飲んだのを、エストは気配で感じた。
「僕も一応国から予算をもらっててね。…まあ、スズメの涙程度だけど。それで、今日は報告がてら王宮に伺候してきたんだよ」
そこでたまたまティアナに会い、伝言を頼まれたのだ、とエストは事の次第を説明した。
「今度の国王主催の夜会に、お二人でご出席いただけませんか、って」
「…俺はもともと顔だけ出すつもりでいたが。お前は? すぐ発つと言っていただろう」
そこでエストは普段の彼らしからぬ、少々意地悪な笑みを浮かべた。
「――僕じゃないよ。もう一人は」
「宮中に、しかも祝宴に出せるわけがないだろう、あのジャジャ馬を」
レムオンは、エストと二人になるやいなや、そう言って頭を抱えた。
「そうかな? …兄さんが出したくないだけじゃない?」
「何だと?」
「だって、ソフィアはちょっと着飾ればそこらの姫君に負けないよ。あの美貌と気高さ、さすがはリューガの末姫、って巷で評判なの知ってる?」
「……」
『俺と、お相手願えますかな、お嬢さん?』
『…ええ、喜んで』
(何を…馬鹿な。それこそ、夢だ…)
突如として思い出した夢を追い出そうとでもするように、レムオンは顔を歪めた。
「…別に無理に出なければならないものでもない。あいつも忙しいようだしな」
「でもソフィア、一週間はロストールにいるんでしょ? …そう言ってたそうだよ、姫に」
どんどんと積み重なる悪条件に、彼は思わず舌打ちをする。
「あの〜、あたし出てもいいけどって言っちゃったんだけどな、ティアナに…」
そんな重苦しい雰囲気の最中に、恐る恐る両者に話しかけたのは、隣室にいるはずの当の渦中の少女。
「お前な…」
「だって、ただの食事の会だって言うから、さ…。あの、まずかった?」
「そうやっていつもお前は安請け合いを…!」
「まあまあまあ。落ち着いてよ、兄さん。いいじゃない、いつかは来る話なんだし」
「何がだ」
「だから、そのうち社交界にも出さざるをえないでしょ、っていうこと」
(…!)
――許せない。
そう思った瞬間、彼は無意識に妹の腕を掴んで自分の背後に隠し入れようとしていた。
「兄さん…? 一体…」
エストの驚く様子に、自分が何をしたかに初めて気付く。
「……? レムオン…?」
彼を見上げてくるソフィアの表情も、不可解そのもの。
「……っ」
――そして、誰より彼自身が、一番自分の行動を訝しく思った。
「…こいつは、余所に出すつもりはない」
「政略の駒として縁付かせるには、女としてのたしなみが無さ過ぎる」
「誰か結婚したい男でも出来たというなら、考慮してやらないでもないが…」
「…そんな物好きは、今のところいないだろうからな」
レムオンの口から淀みなく科白が飛び出す。言っているうちに、彼自身には、それこそが真実のような気がしてきた。
端から見れば、それはまるで言い訳にしか聞こえなかったのだけれど。
「…ようするに、ソフィアを出したくないんだね?」
駄目押しをするように、エストがゆっくりと確認をした。
「別に、出す必要がないだけだ。こいつが出たいというなら、俺は…。」
反対など、しない。――そう言い切る言葉は、しかし喉の奥に閉じ込められて、出てこなかった。
「…兄さん、どうしたの? 何か、怖がってるみたいだ」
「……?」
「自分でもわからないのかな。――漠然と、不安に思うことって」
ひそかに、何かを。
(何を…)
まるで救いを求めるように、視線を移した。自分を心配そうに見上げる、傍らの少女に。
そうして目と目が合った途端に、体が強張った。
(これは俺の妹
俺の、俺に属するもの
だが、妹ならば、俺のものではなくなる。いつか
いつか?
もう彼女は…明らかに、出会ったときの子供ではないのに?
…嫌だ。イヤダ。イヤダ、イヤ…!
もう、失うのは、誰かに取られるのは嫌だ……!)
「…兄様が」
そのとき、自らの思考に捕まっていたレムオンの耳に、さして大きくもないソフィアの声が、なぜか奇妙に、はっきりと届いた。
「兄様が嫌なら、断るよ? だって、特に行きたいわけでもないし」
――兄の浮かべるその表情が、声が、彼女に何かを思い出させた。
そして、奇妙な既視感と共に、不安を掻き立てられた。
(どこかで、見たことがある。ううん、よく見た。…あれは、ティアナの前で、ゼネテスのことを…)
「あたしは兄様の妹、だからね。ご命令には従いますとも。…従順な妹を持って幸せでしょ?」
閉じこもった彼の心に届くように、そう重ねて言うと、明らかにレムオンの表情が変化した。
傍目には少々目の光が穏やかになったようにしか見えないが、ソフィアには違いがわかる。
あれは、嬉しくて泣き出しそうな子供の顔なのだ。
(はああ〜。あたし、つくづく甘いんだわ、この人に)
彼は、ただ単に、自分の玩具を取られたくない子供と同じなのかもしれない。
自分に執着しているというよりは、我が儘な独占欲を満たしたいだけなのかも。
――でも、仕方がない。
自分は魅入られてしまった。この人の孤独な魂と、傷つきやすい心に。
そして、その魂と心を護ってあげたいと、そう望んでしまった。
共に戦う仲間よりも、血を分けた弟よりも、誰よりも大切にしたいと――。
「従順、か。…ふん。珍しく気味の悪いことを言うものだな」
「なによ〜。こんな気立ての良い妹つかまえて〜」
「止めなって、二人とも。まったく仲良しなんだから」
エストの合いの手を聞きながら、レムオンは先ほどの焦りが嘘のように、心が落ち着いているのがわかった。
この少女が傍にいるだけで、自分はこんなにも救われてしまう。本当ならば、こんな甘えは何よりも唾棄すべきものと考えていたのに。何かを頼み、何かにすがるなどと、今まで考えたこともなかったのに。
それでも…
(まだ、このままでいい。このままでいられる…)
そんな、声にならない安堵感のほうが、大きく心の中を占めていた。
「彼女」が自分にとって何なのか、それをはっきりさせたくない。
はっきりしてしまったら、壊れてしまう…何かが。
そのとき、自分が今まで見せたことのない、不安と幸福の入り混じった表情をしていることに、彼自身は気付いてはいなかった。
(二人とも、不器用だよね。ほんとに…)
めったに見られない兄の顔を堪能しつつ、エストは二人の奥手ぶりを心配せずにはいられなかった。
(あんまり鈍いと取られちゃうよ? 兄さん?)
兄に一途な想いを寄せる彼女は、エストの目から見ても健気で愛らしい。恋する少女が日一日と奇麗になっていくのを、彼はずっと横にいて見てきたが、これほど劇的なまでに変化していくとは思わなかった。
けれど、難しい立場も災いして、何かきっかけがなくては、この二人は進展しない。早く、確かめ合ったほうがいいのは確かなのに。
だが、気後れする兄の気持ちに賛同する部分も、彼にはあった。
――なんだかんだ言って、居心地がいいのだ。この状態は。
だから、口に出してはこう言った。
「こうして、三人仲良くいられたらいいね、ずっと…」
それは、このままではいられないと、何処かで分かっていたからなのか。
三人とも痛切に願っていたこと。
叶わないと思いつつ、それでも、だからこそ、望まずにはいられない。
このまま、こうしていられたらいいね
いつか見た夢が現実になるのなら、今の現実がそのうち夢になる
あした見る夢が、こんな夢だといいね…
end.
*afterword*
単に「惚れたね、兄さん( ̄ー ̄)ニヤリ」ってのが書きたかったんですが、わけのわからんものに。
これもまたまた由良さんのところに安置されております。もう…すいませんとしか…。
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