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 僕の住む都市エリジオンは、巨大なクリスタル状のドームでおおわれている。
 天候は偏光スクリーンで微妙な調整ができるので、一見すると惑星の環境と変わりはない。
 晴れの日は太陽が見えるし、雨の日は透明な雫が降る。
 だけど、本当は荒涼とした大地の上にあって、豊かな緑はドームの中にしかないのだ。
 みんなそのことは知っている。でも普段は忘れている。
 きっと、忘れていないと怖くて生きていけないからだ。

 昔、僕たちは母なるホームプラネットにいた。
 あるとき、勇気ある先祖が恒星間宇宙船で旅に出た。そしてここにたどり着いた。
 過酷な試練が襲ったけれど、ようやく安心して暮らせる都市を作り上げた。
 それからおよそ100年のときが過ぎようとしている。
 船での長い旅は、様々な仕組みを編み出し、それは一世紀を経てもなお、都市の制度に大きな影響を与え続けていた。
 合理的な行政制度、平等な市民の権利と義務。
 ――そして、特殊な為政者の活用。
 

 
 僕は、こんなことを都市史の第一過程で学んだ。
 今から10年ぐらい前のことだ。四歳になった頃。
 歩き始めると同時に、僕らの『修養』は開始された。

 隣で一緒に勉強していたクレアは、確か、首をすくめてこう云った。
 『そんなに遠くから来たのに、今はもう、空へは飛べないね』
 僕もうなづいたけど、よく考えて言い直した。
 『きっと空よりも、ここが一番いいんだよ』
 都市はとても秩序のある空間だ。空気も水も、全てが順調に供給されてる。
 ここにいれば、誰でも息ができるし、飢えたりしない。
 そんなことを云ったら、先生はとても満足そうな顔をした。
 でも、と、クレアはつまらなそうに云った。
 『ずっとこのまま飛べないのは、悲しい』


 こんな風に、いつも僕と彼女は意見が合わない。
 たぶん、生まれ持ったパーソナリティが全然違うように出来てるんだろう。
 男の子と女の子だから? それだけじゃない。
 僕の理屈は、彼女の感情論にときどき負ける。
 もちろん腹が立つけど、負けてもいいや、と思う。ちょっと情けないけど。

 コインの裏と表。磁石のSとN。
 そして、――裏と表は両方、お互いが必要なんだ。


 
 ***


 
 「フィル、今日は遊んでいけるんだろ?」
 夕方の弁論学の講義が終わったあと、後ろから気さくに声をかけられた。
 明るい口調が印象的だが、見かけもそのままだ。お日様のような麦わら色の髪がそのまま性格を表わしている。
 彼の名はエディ・ダウナー。ホロシアターの趣味が僕と同じで、気の合う友人だ。
 「…あ、うん。たぶん大丈夫だと思うけど」
 人前でこんな風にさばけた話し方をされるのは珍しいので、まだ慣れない。名前を呼ばれるのも、彼が始めてだった。
 どこかぎこちない笑顔の僕を見て、エディは僕の背中をバン!と叩いて笑った。
 「さー、行こうぜ! ぼさぼさしてっとまた邪魔が入るだろ?」
 急かすように慌てた口調で彼は云う。
 …だけどそこで案の定、彼の台詞を、わざとらしく厭味な声が遮った。
 「…邪魔で申し訳ないけど。」
 げっ、と彼は思わず口に出して凍りついた。恐る恐る振り返るが、彼女は別に不機嫌そうな様子でもない。
 単に、いつも意地悪が大好きなだけだ。
 「ロウ、今日は塔で用事があるの。もちろん、手伝ってくれるわよね?」
 「…クレア。また?」
 「またってなによ、人聞きの悪い。しょうがないでしょ、仕事なんだから。…まさか私一人に報告をやらせるつもりじゃないでしょうね。」
 「そんなこと云わないよ。でも、君こないだズルして休んでたと思うんだけど――」
 「ずいぶん昔のこと持ち出さないの。監査は貴方の役目じゃないでしょ。…じゃ、これ借りてくわね」
 まるでレンタルのスケート靴を借りていくような言い草で、彼女は僕を引きずっていく。
 「…ごめんな〜」
 ずるずる遠ざかっていく僕の哀れな姿にエディも同情したのか、泣き真似をして送ってくれた。
 「めげるなよ、フィル!明日があるからな!」
 熱い男の友情に、クレアは一言、冷たく感想を漏らした。
 「…。また明日会うんじゃない。バカ?」


 塔と呼ばれる都市のコントロールセンターは、普通の市民が立ち入ることは許されない。
 ドームの中心に位置する白亜の巨塔には、都市の管理機構の全てが集中している。
 中は技術の粋を凝らした最新の防御システムに守られていて、常時穏やかな光が塔の全体を包む。

 僕とクレアは(さすがにもう引きずられてはいない)、守衛に挨拶をしながら入り口を通り抜けた。
 判別チップが脳に埋め込まれてるので、ややこしいID検査はなし。
 だいたい顔を見れば分かる。…二人とも、市民の全てに顔を知られているから。
 僕らの黒い髪と目は、この都市ではあまり見かけないものだ。それも差別化を図るためなのかもしれなかった。
 一目見ただけで『ディア』だと分かるように。

 塔から出てくる人とすれ違うと「こんにちは、ディア!」と声をかけられるので、会釈を返す。
 ここで働いてる人たちとはたいてい面識がある。
 というか、毎日会ってるんだから当たり前だ。
 …何のことはない。ここが僕らのうちだから。


 僕には母がいない。彼女には父がいない。
 お互いにふたりきりで育った。生まれたときから、他に家族はいなかった。
 なぜなら、僕らはディアだから。

 ディアというのは、「親愛なる」という敬称を略した呼び名。
 こう呼ばれるのは、父たる執政官になる息子と、マザーになる娘だけ。

 僕の名前はフィリウス・D・ローレンス。ローレンスとは元々『法』から来た家名。フィリウスは『息子』。
 彼女の名前はフィリア・D・クレメンティア。クレメンティアは『寛容』、フィリアは『娘』という意味。
 
 都市の法と秩序を守るため、市民に寛容を与えるため、僕らは生まれた。


 
 ***



 毎度のことながら、つまらない書類に囲まれていると気が滅入る。
 僕らに課せられた義務の一つではあるけれど、エアクリーナーの管理責任だの民事裁判の陪審評定だのを見ても、やっぱり面白いはずがない。
 向かいに座るクレアも同じようにうんざりしているかと思いきや、彼女の方はけっこうご機嫌だった。
 「…なんだか楽しそうだな」
 僕は理由を知ってる。まんまと邪魔できたから嬉しいんだ。
 そう思ってふてくされて見せたら、逆に鼻先で笑われた。
 「私は何も悪いことしてないわよ。だいたい親友を作ろうだなんて生意気。どうせ長続きできないのに。」
 「そんなの勝手に決めつけるなよ。僕はちゃんと両立できるさ。…きっと」
 自信なさそうに付け足すところが、自分でも情けない。
 「ムリね。結局向こうが尻込みするに決まってる。いつもそうじゃない。」
 「…」
 僕らに共通の思い出は、同性の友人を作ろうとしては失敗したこと。
 一緒に遊びに行けなくて、傍にいると警備は厳しくて、その上近い将来、全く違う立場にいるのが決まってる。
 そんな奴と友達になろうだなんて奇特な人間は、そうそういない。
 「…でも、エディはいい奴だ。きっと…」
 そういいかけて、口をつぐんだ。――それでも僕を気に入ってくれるなんて、やっぱりどうしても思えない。
 それに、クレアにこんなことを云うのは気が引けた。
 僕以上に、諦めと苛立ちを抱えてるはずの彼女には、残酷な話だから。
 「じゃあ、がんばってみれば? また失敗してイジケないでよ、うっとうしいから」
 予想通りあっさりと、彼女は突き放した。
 
 ここ最近、一層クレアのこの傾向はひどくなった。
 親しく話し掛けるのは僕だけ。あとは人並みに愛想はいいけど、誰とも仲良くなろうとはしない。
 『どうせ、すぐに離れなきゃいけないもの』
 特に悲しそうでもなく、さらりと云う。
 こんな風になったのはいつの頃からか。
 諦めたように肩をすくめるクレアは、僕よりずっと早く大人になってしまったように見えた。

 「クレアも、友達作りなよ。小さい頃は泣いて抵抗してたくせに。もっとみんなと遊ぶーって」
 「うるさい」
 照れたように怒る彼女は、昔のままだ。僕にだけ見せる、子供の顔。
 そんな表情に安心して、つい口が滑った。
 「まだ時間はあるし。――いつかカプセルに入るとしても、まだ先なんだから」
 「…そうかな。私は、もう覚悟してる。いつお迎えが来てもいいように」
 しまった――また元に戻ってしまった。こんな顔させたくなかったのに。
 自分に舌打ちして、つい苦い口調になる。
 「そんな言い方、止めろよ。死ぬわけじゃない」
 「似たようなものでしょ。…まあ、ロウとは話せるけどね。だからよ、今のところ一緒にいるのは」
 
 親しい人がいなくなったら、誰でも悲しいでしょ?とクレアは云う。
 だから、友達は作らない。恋人なんてとんでもない。
 こんなことを聞くたび、僕は無性に胸がざわざわする。
 悲しいような、苛立つような、嬉しいような。
 ――嬉しい? …そんなわけない。
 
 「でもそれってあんまりだろ。僕はずっと傍にいるからいいとして」
 「ふうん? そうなの?」
 「当たり前だろ、僕ら兄妹みたいなもんなんだから。…なんだよ、信じてないの」
 「…ううん、まあ、一応」
 「一応、何だよ」
 こそばゆそうに、クレアは微笑んだ。久しぶりに見る笑顔。
 「――信じてる。そういえば、約束してたんだ」
 何を、とは云わない。

 僕たちの約束は、昔から一つだけ。
 未来の自分を悲観して泣き喚いた小さなクレアに、僕は約束した。
 
 都市が僕達を必要としなくなったら、舟で空に飛び立とう。
 いつか、全ての束縛を脱ぎ捨てたなら、ふたりで楽園に行こう――

 そんな約束は叶うわけがない。
 だから、夢の続きだ。ふたりとも分かってる。
 それでも、僕たちには約束が必要だった。
 ――生きていくのに必要な、空気や水と同じくらいに。



 ***



 彼女の予感は、杞憂では終わらなかった。
 まだ30代だったはずのマザーが、突然亡くなった。
 原因の分からない病。ときどき都市の中で思い出したように患者が出るウイルス性のものだった。
 本来ならあと10年は先だったはずの、カプセル入りが急遽決まった。
 一度入ったら、次の『娘』が成人するまで出られない。
 黙って20年、クレアは都市のマザーコンピュータと連動する「ブレイン」として、電解水に満たされた水晶の柩に眠り続けることになる。

 「…もう、止めてください。マザーには人の感情なんて必要ないでしょう。クレアを20年も閉じ込めるなんて絶対おかしい!」
 初めて、『父』に必死になって訴えた。年に一度会うかどうかの、名義上の父親。
 遺伝子設計のベースにはなっているけれど、あちこちいじられているせいか、血が繋がっているという意識はあまりない。
 そんな父の返事は、思ったとおりそっけないものだった。
 「お前も分かってるだろう。あの子は自分の役目を受け入れてる。このために我々は生まれたんだ、当然、誇りをもって職務に当たらねばならん」
 「僕には理解できません」
 「それならば、お前はまだ自覚が足りんのだ。我々は市民じゃない。与えられた権限には、それに比例した義務があるものだ」
 「――貴方は可哀想だと思わないんですか。クレアはまだ14なのに…!」
 「…可哀想?」
 父は奇怪な単語を聞いた、とでもいうように不可解な顔をした。
 「可哀想なのは、むしろお前だな。フィリアに聞いてみるがいい。同情されるのはお前のほうだ」
 「何を…」
 「己の何たるかを弁えない振る舞いは、無様だ。下がれ」


 父が言ったように、僕はクレアに逆に慰められた。
 「なんで今ごろそんなに泣いてるのよ、バカ。」
 「だって…。なんでそんなにすましてるんだよ、そっちこそおかしいよ」
 カプセルに入る直前、マザーにつながっている薄いファイバーの機器をあちこちに取り付けたクレアは、なぜかキラキラしたドレスを着ておめかししているみたいだった。
 長々と引かれたファイバーの束がベールのように映って、最近流行の、光るウェディングドレスに似ていた。
 「まるで、花嫁の父みたい。」
 泣いてる僕をからかうつもりか、自分の姿が可笑しいのか。クレアはくすっと笑った。
 「そうか、考えようによってはエリジオンに我が身を捧げるわけだから、結婚するようなもんね。」
 「…何云ってんだよ…」
 僕は思わず、ファイバードレスの花嫁を抱きしめた。
 彼女にまとわりつく消毒液の匂いが、これから行われる儀式を想像させてぞっとする。
 「今なら間に合うんだからな。嫌だっていうなら絶対――」
 どんなことをしたって。そう云おうとしたけれど、続かなかった。
 
 具体的に何をするっていうんだ? 
 まだ力も資格も無い僕に、何ができるって?
 僕は甘かった。全然覚悟が出来てなかった。
 いつも傍にいたのに、もう会えなくなるなんて。考えただけで呆然として、吐き気がした。
 
 そうしてカッコ悪くうめいて、嗚咽を噛みしめた僕の頭を、クレアがぽんぽん叩いた。
 「大丈夫だって。苦しくも痛くもないんだから。ロウとは話せるんだし、寂しくもないでしょ」
 「…でも、もう触れられない。一緒にいられない」
 たった一人の大事な家族なのに。君がいなくなるなんて――
 
 クレアはまっすぐに僕を見て、ため息をついた。
 それからまるで母親のように、頬を包んで優しく囁いた。
 「ずっと見守っててあげるから。だから、もう泣かないでよ」


 
 ***


 
 カプセルの扉が閉まるとき。
 僕らは生まれて初めてのキスをした。
 家族の、じゃなくて、もっと違う意味のあるほうで。

 
 「最後の意地悪だ。…あのバカ」
 僕はそう思った。
 あんなに愛しいと、…離れたくないと思わせてから行くなんて、嫌がらせとしか考えられない。
 人のことを馬鹿呼ばわりする彼女のクセまでうつってしまったじゃないか。
 
 ――でも昔から、僕は彼女に勝てたためしがなかった。一度だって。
 
 
  
 
 
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