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 『目覚めた』とき、私の五感は違う段階にシフトしていた。
 全てが見えて、聞こえるのに、混乱しない。
 入ってくる情報が瞬時に取捨選択されているらしい。
 あちこちに設置された『目』と『耳』から、私は都市の全てを手にとるように把握することができた。


 「よろしく、私の半身。今日この日より、共にこの都市を愛し、慈しんでいこう。」
 棒読みの台詞を読み上げるように、パートナーである執政官が言った。
 マザーのブレインである私と個人的に話ができるのは、もう一人のディアである執政官だけ。
 だから、今はこの人だけ。
 
 「…よろしく、おじさま。お久しぶりです。」
 ロウの父上であるこの人を、私は生まれたときから知っている。
 その人に、私の半身、といわれてもピンとこないのは確か。
 私の戸惑いを知ってか、彼は薄く笑った。
 「今のは公式の挨拶だよ。新しいマザーと執政官がそろったらそう言い合うことになっている。私と君は、今日からこの都市の父と母になるわけだから。」
 「はあ…」
 
 そういうものなのか。なんとなく納得。
 では、おじさま呼ばわりするのも、これからは良くないのかもしれない。
 さて。この人のことを何と呼ぼう?
 執政官というのは堅いし、私の…っていうのはちょっと恥ずかしい。
 名前は…、この人も、ロウと同じなのだ。呼びづらい。
 黙っていると、彼は、私のことはディアと呼んでくれていいよ、と言ってくれた。
 
 「君のロウは私じゃないし、私のクレアも君じゃない。――彼女は、もういない」
 「…」
 『母』のことをこんな風に言う人を始めて見た。あのひとも人間だったんだ、と思う。
 我ながら、ひどい娘だ。
 でも、彼女のことを私はまったく覚えていない。死んだと聞いても、まるで他人事のようだった。
 ――彼女の家族は、私ではなく、この人なのだ。

 「君のことはフィリアと呼ぼう。いいかい?」
 …。
 どうぞ、と言った。それしか言いようがなかった。



 ***



 それから、およそ二年。
 夢を見るように、瞬く間に時は過ぎる。
 私とロウは、16になった。私の身体も、成長してるみたい。…たぶん。


 都市のシステムを、子供の予行演習で携わるのと、実際に動かすのでは、全く違った。
 順調に思えた都市の支配機構は、実は徐々に崩壊していた。
 この都市の支配を司るのは、執政官と12人の評議員から成る参事会。
 これがまた、かなり形骸化している。その上、権威主義。
 最終決定権を執政官が握っているので、なんとか的確な判断ができているけど、それでなかったらとっくに行き詰まっていたかも。
 こんな支配層に対しての不満も当然ある。
 市民には知らされないままだったけど、不穏な動きもあった。

 執政官であるディアは、休む間もなく働きづめで何もかもを処理していた。
 法と秩序を司る彼は、都市に騒乱を巻き起こす者たちを、誰よりも厳しく処断しなくてはいけない。
 市民を愛するべく作られた私たちに、その決断をするのは身を切られるように辛いことなのに。
 彼は身と心をすり減らして戦っていた。休んで欲しいといっても、聞いてくれない。
 どうしてそんなに無理するの、と言っても笑って答えない。
 私が子供だから、いつもはぐらかされてる感じ。大人はずるい。
 
 一方、私の役目は全てを管理することではない。それはコンピュータの役割。
 するべきは、クレメンティアの名のもとに、大きな決定に対して『人間の情』から助言を与えること。
 だから、ディアが苦しんでいるときには、温情を与えるよう助言することができた。
 ――私自身は、そんなに優しい人間ではないんだけどね。


 …そう、ロウのことも「横目に」見守っていた。
 彼が執政官になるまでは、話をすることはできないから、見ているだけ。
 私がカプセルに入るときは子供みたいに泣いてた。そのあとはやっぱり少し落ち込んでいた。
 でも、エディとかいう友達がいて、だいぶ復活してたみたい。
 …あの麦わら頭、けっこう骨のあるやつだったのかな。

 そのうち、いろんな子がロウの周りに集まってきた。
 彼は優しいし、人当たりはいいし、見かけもまあ、で、実は昔から人気があるのだ。

 『ねえ、ディア。今度一緒にホロ観に行こう?』
 『そうそう、やっとむこうのディアがいなくなったんだし。あの娘、いっつもあなたの傍であたし達のこと近づかせてくれなかったのよ!』

 周りに群がる女の子たちが口々に騒ぐ。
 うるさい。だって、傍にいる間は独り占めしたかったんだもん。

 『おお、フィルもてるなあ。今まで遠巻きに見てたのは何だったんだ』
 『…オモチャにされてるだけじゃないのかな』
 『何冷めてんだ、この〜うらやましい!』

 じゃれあってる。
 かなり積極的な娘もいて、ロウはだんだん押し切られてたみたい。
 相変わらず、気が弱いんだから。押しの強い娘には敵わないんだよね。
 
 いいよ、好きにすれば? 今のうちは、楽しく遊んでれば?
 …ふん。

 悔しいから、あんまり『見ない』ようにした。
 とはいっても、何かあったら私にはすぐにわかるから大丈夫。
 見守っててあげるって言ったんだから、約束は守るわよ。…仕方ない。



 ***



 そのうち、ディアが日に日に衰弱していった。
 体調は日々チェックされてるから、私の脳にも異常が伝わる。
 ディアは私の母と同じ年齢だ。まだ40になったばかり。
 私たちは平均してあまり寿命が長くはないけれど、それにしても衰えるには早すぎる。
 始めは過労かと思った。――
 
 「ディア、大丈夫? メディカルセンターは原因不明と言ってきてる。あなた自身はどうなの」
 「…ああ、フィリア。心配ないよ、ただ疲れただけだ」
 「…本当?」
 
 おかしい。彼の言葉には力が感じられない。
 以前のマザーのデータも私は知ってる。彼は、もっと攻撃的に話す人だ。
 データを元に、もっと詳しく検討しようとしたら、止められた。
 「いい、考えなくても。分かってるんだ。」
 「病気ではないの?」
 「違う。…私は、徐々に死を受け入れてるだけだ」
 「どうして。そんなに諦めちゃいけない。あなたはまだ元気でしょう?」
 「もう、いいんだ。使い物にならない道具は、捨てなくては。クレアを失ったときに、私は自分の半分を失った欠陥品だ」
 「…クレアは…。私じゃ代わりにならないから? だから死ぬの?」
 
 完全に拒絶された気がして、泣きたくなった。
 二年間、私たちは一緒にがんばってきたのに。
 私は一生懸命やってきたつもりだったのに。
 情けないほどの震えた声になったら、ディアは慌てて慰めてくれた。
 彼はけっこう優しいところがある。やっぱりロウと似てる――当たり前なんだけど。
 
 「すまないフィリア、そういうことじゃないよ。…ただ、もう交換の時期だということだ」
 「そんな言い方しないで。私たちは道具じゃない!」
 「私たちは、対で作られた道具なんだよ。君ももう、知っているだろう」
 ディアは、淡々と言った。

 そうだ。マザーになったとき、私も知った。
 ディアというのは、尊称でもなんでもない。ただの、存在を意味する言葉。
 親愛なる閣下の意味ではなく、よく言われるような、神(Deus)のDなんかじゃなかった。
 遺伝子を都合のいいようにいじられたヒト――デザイナーズチャイルドのD。
 そして、市民に仕える奉公人(Dienstmann)。
 …下僕という名の、D。

 それでも、私たちは人間なのに。
 怒って言う私を、ディアは――そう知っていてなお、自らをディアと呼ばせた彼は、とてつもなく自虐的。――父親のように諭した。
 「何か問題があるかい? 都市を支える一本のネジは、自分が道具だからといって嘆いたりしないだろう。少なくとも、私は悲しくも辛くもなかった」
 過去形で言う。
 じゃあ、今はどうなの――と考えて、あとは何もいえなかった。
 
 耐えられないのは、ひとりだから。
 あなたのクレアがいないから。
 …そういう、ことなんだ。

 
 
 しばらくして、ディアは眠るように亡くなった。
 母が死んだと聞いたときより、私は動揺した。やっぱり、父親のように感じていたらしい。
 おかしな話だ。身体で触れたこともない人だったのに。
 
 亡くなる少し前、勇気を出して聞いてみた。そんなにクレアが大事だった?って。
 そうしたら、彼はからかうように笑った。
 『君のロウと私は違うよ。知りたかったら自分であいつに聞くんだね』
 
 …最後まで子供扱いしてくれた。

 

 ***



 私がカプセルに入って二年半。
 ディアの後を継いで、ロウが執政官に就任した。普通よりもかなり早い――17歳の最高行政官。
 彼も嫌がったりしなかったのだろうか、案外すんなりと決まったようだったけど。
 
 これで、私は彼と会うことができる。
 本当なら、あと五、六年ぐらいはかかるかと思っていたのに。
 この展開は予想していなかったから、少し困った。

 
 あなたは、まだ泣くほど私を大切に思ってくれてる?
 
 
 ――それから、あなたは、「私のクレア」って呼んでくれる?



 
 塔の中央管理室は、執政官のみが入ることのできる部屋。
 ちょっと緊張したように入ってきたロウは、背が伸びてた。今の私と並んだら、どのくらい違うんだろう。
 声も低くなったみたい。
 …以前耳にしていた声を、もう私は思い出せない。

 「『よろしく、私の半身。今日この日より、共にこの都市を愛し、慈しんでいきましょう。』」
 気取ったマザーの声でちゃんと挨拶をしたのに、彼は答えなかった。
 目の前の私を無視して、部屋の中央に置かれた柩を見つめている。失敬な。
 「…やあ、久しぶり」
 「私はこっちなんだけど?」
 正面にあるモニターの方から地の声を出したら、彼は少し戸惑い気味に笑った。
 「ああ、そうか。でも身体がこっちにあるから、妙な感じだな」
 眠っている私の身体から目を離さずに、そう云う。
 …本人の前でそんなにじろじろ見ないで欲しいんですけど。
 ありえないことだけど、居心地が悪いような、変な気分。
 しばらくしてようやく、彼はモニターに顔を向けた。
 「綺麗になったね」
 「…そっちは口が上手くなったわね」
 「僕は嘘はつかないよ」
 「ふうん? 私にはあなたが真実とは言いがたいことを話してるのが聞こえてたけど?」
 「…気にしてくれたんだ?」
 「雑・音・で、聞こえたの。わざわざ盗み聞きしたわけじゃありません。そんなにヒマじゃなかったわよ」
 「そうかなあ? ときどき女の子とヴィジで話してると、突然違うとこにつながったりしてたな、そういえば」
 「それは…。単に、嫌がらせよ」
 ふん、と居直って言ってやった。
 ちょっとぐらい職権濫用したっていいじゃない。何が悪い?って。

 すると、ロウが笑った――すごく嬉しそうに。でも、泣き顔みたいにも見える。
 「…それでこそ、僕のクレアだ」

 …。
 
 『僕のクレア』、だって。

 
 …ねえ。もしかして私の独り言、聞こえてたわけ?
 内心うろたえてる私に答えるように、ロウが言った。
 
 「よろしく、僕の半身。…会いたかったよ」
 まっすぐな瞳が、私の視覚神経にまでダイレクトに響くような気がした。
 
 
 ――泣かせないでよ、バカ。私は泣けないんだから。


 
 
 
 
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