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 私が異変に気づいたのは、ロウの私室の回線につなごうとしたときだった。

 彼は私には分からない、独自のルートの通信網を作っていた。
 都市に張り巡らせたはずの、マザーの『目』と『耳』の網を潜り抜けて。
 一体どうやって?
 彼ひとりでそんなことができるはずがない。
 誰かが、何かが手助けをしているのだ。
 私に黙って、何かをやろうとしてる。教えてくれるつもりはないんだ。

 彼は、私よりも他の誰かを信頼し、助けを求めたのだろうか。

 そのことに、私は何より深く絶望する。

 
 ――自分自身の身体を失うことよりも。



 ***



 「まるで、昔話のお姫様みたいだな。何て言ったっけ、ホワイト…ビューティ?」

 ふたりで話しているときは、彼はいつも通りの様子を見せた。
 あくまで、私には知らせないつもりらしい。
 隠したつもりだったけど、落ち込みは声にでてしまう。なんて感度のいい合成音。

 「…違うわよ、混ざってる。スノーホワイトとスリーピング・ビューティでしょ」
 「ああ、そうか。両方眠ってるから同じ話かと思ってた。…君は、どっちかな」
 「私はお姫様じゃない。でも、柩に入ってるのはスノーホワイトのほう」

 昔、ライブラリーで読んだ白雪姫のお話を思い出した。
 柩に眠るお姫様。…私はそれを見て、とても嫌な気分になった。
 でも、そのせいか話は覚えていたので、大まかに説明した。
 毒のリンゴを食べて眠ってしまった姫は、王子のキスで目を覚ます。単純な話。
 でも、私はこの物語が嫌い。
 だから、一緒にしないで、と念を押す。

 「何で? 照れてる?」
 「違うわよ。そうじゃなくて、その姫、何度も同じことを繰り返して罠にはまるのよ。バカみたいじゃない」
 「罠だとわかっていて、リンゴを食べたのかもしれないよ。継母が哀れで」
 「そんなわけない」
 「…どうかな」
 「何が言いたいの」
 冷たく問いただしたら、彼は肩をすくめた。
 「別に。…ただ、お姫様は何でいつでも眠ってるんだろうって思ってさ」
 そして、柩の中の私を、ゆっくり見つめた。
 
 …本当に、止めて欲しい。
 そこにいる私は、決してあなたには答えないのに。
 そう思って、いたたまれない気分でいたのに、彼は追い討ちをかけた。

 「君が目覚めるときも、キスをしようか?」

 殴りつけてやりたい。今、手があったら。



 ***



 ロウが私に隠し事をするようになったのと時を同じくして、都市の平穏は一層乱された。
 あちこちの主要な施設に暴動が起こったり、参事会の召集が邪魔されたり。
 挙句の果てには、塔のシステムに侵入される異常事態となった。

 都市を私の体に例えるなら、脳の神経にまで入り込まれたような不快感。

 
 …私はもう、ただ悲しみに浸ってはいられない。



 ***



 「いいかげんにして。これ以上、あなたが適切な処置を行わないなら、私にも考えがある」
 いつまでも厳罰を下さない彼に、<寛容>のはずの私が怒り出した。
 これだけでも、充分に異常なことだ。
 「君が何をしようと、この流れはもう止まらない」
 彼は、事件の起こった要所をチェックしながら、私を見もせずに言った。
 あくまで私の助言に従わないつもりだ。
 なぜ、どうして。――半身のはずなのに、彼の心が全くわからない。
 「あなたは何を考えてるの。私に黙って、何をしようとしてるの? 話してくれなきゃ分からない。私はあなたを助けるためにいるのに」
 必死になって訴えた。
 あなたを助けるのが私の存在意義。
 このカプセルに眠るのは、そのためなのに――

 「僕は、君のために戦ってるだけだよ」
 彼は、私を拒絶した。
 …もう、限界だ。

 「…あなたが何もしないのなら、私が治安を回復する。それから、執政官の罷免を参事会に提案します。いいわね?」
 最後通告のつもりで、そう云った。
 彼は、答えずに、背中を向けた。
 ――去っていくのだろうか? 一瞬、そんな恐怖に襲われる。
 そのときだ。
 大きな爆音が、中央管理室の――私たちのいる部屋を襲ったのは。



 
 「…遅くなった。悪い。」
 「いや、時間通りだよ。よくやってくれたね」

 強引に扉のロックを解除して、数人の男が押し入ってきた。
 市民の入ることの許されない、この部屋に。
 入ってきたうちの一人は、どこかで見覚えのある顔。…
 あの、麦わら頭だ。

 「どういう…!…っ。
 『あなた方には、ここへ入室する許可が与えられていません。すみやかに退去しなさい』」

 とっさに地の声になってしまったけれど、一瞬で思い直して、マザーの警告を与える。
 「もういいよ、クレア」
 ロウは飄々として私に言う。彼は――
 怒りのあまり、言葉は冷ややかさを増した。
 「『執政官、あなたの罷免は今日の議題で取り上げます。それまで、謹慎を命じます。』」
 「おっと、それは困るんだって。まだやることがあるんだ、お姫様」
 麦わら頭が、私たちの会話に割って入る。
 …こいつ、人の部屋に入ってきて、無礼にも程がある。
 どう片付けてやろうかと、私は真剣に悩んだ。

 「執政官、あなたの有する権限を、今ここで全て放棄して欲しい。
  そして、この都市の体制を改め、我々市民の手に戻してくれないだろうか。
  我々は、あなたのこれまでの苦労を思い、自由と感謝を捧げます。どうか」
 言うに事欠いて、反乱者の一人が、そんなことを言って頭を下げた。
 まだ若い男だ。リーダーのように見えるけど、これもやつの仲間らしい。
 「『何を…、』」
 何をふざけたことを――。そう叫びかけたとき、ロウが答えた。
 「認めよう。私は、ここで全ての権利の破棄を宣言する」


 …信じられない。
 そんな思いで、呆然と彼らを見渡した。
 ロウは、都市と私を裏切った。全ての信頼を踏みにじった。…

 口も聞けないでいる私の耳に、笑いを含んだあいつの声が響く。
 「おい、もうちょっと悩めよ。『ここで執政官は市民の希望を受け入れ、苦渋の決断をする』ってのがおまえのシナリオだろ?」

 …何言ってるの?

 「だって、もう決着はついた。脚色は任せるよ、得意だろ」
 そう云って、ロウは彼らと肩を叩き合った。周りにいた連中も、笑って集まってくる。
 みんな、ロウの仲間なのだ。
 「参事会のほうは、反対するしかないだろうな。あとは、マザーの一票だ」
 リーダーの男が、私のモニターに向かってそう云った。
 拒否権のことを言ってるのだ。都市の体制を決定する三つの票。
 執政官と、参事会と、…そして私の。
 「何をバカな…! 私が賛成するわけ…」
 ついマザーの声で言うのも忘れて、叫んだ。
 しかし、そこでロウに止められる。
 「ストップ! 待って、クレア。…悪い、ギャラリーは外に出ててくれないか」
 彼の頼みに、皆が笑いながら部屋を後にした。
 嵐の去ったあとのように、私とロウを残して。



 ***



 「クレア、よく聞いて。もう君はマザーじゃなくてもいいんだ。ここから出てもいいんだよ」
 「うるさい」

 聞く耳は持たない。持てるはずがない。
 彼が私に隠れてこそこそとやっていたのは、これだったのだ。
 執政官がグルになった反乱なら、成功するに決まってる。
 私たちは、都市の要所と弱点を全て把握しているんだから。
 怒りと悲しみで、今はロウの顔すら見たくない。

 「…私はマザーであることに誇りを持ってる。あなたもそうだと思ってた。だって、私たちはディアなのよ?」
 「僕は、ディアである以前に、人間だよ。もっと大切なことがある」
 「都市を守るよりも大切なことって何? 私たちはそのために、お互いを支えるために生まれたのに」
 「エリジオンを守るのは、僕たちじゃなくてもできる。僕たちだけがやろうとするのがおかしいんだよ」
 「…私たちよりも能率的にできる人間なんていないじゃない」
 「能率的にやる必要なんて、もうない。ここは船じゃないんだ。僕たちは縛られすぎてた。…いや、違う」
 ロウは、そこで躊躇うように俯いた。
 その視線の先にいるのは、――私だ。

 「僕たちは、お互いを縛りあってた」
 「…? 何を言ってるの…」
 ロウの言ってることが理解できない。私の知らない言葉で話しているみたい。
 私たちの絆は間違いだったって。…そういいたいの?
 私は、混乱して、もう何も考えられない。考えたくない――

 「お願いだから、聞いて。僕は君を失ったときに、おかしいと思った。なんで僕たちはこんなにお互いがいないと駄目なんだろうって」
 「…」
 「それで気づいた。僕たちは、狭い世界に押し込められてた。お互いしか見ないように。――ふたりだけで、生きるように」
 「…それが嫌なのね?」
 「それは、本当の生き方じゃないだろ。でも僕は、君とふたりでいるのは嫌じゃなかったよ。それを強制されてるのが嫌だったんだ」
 「同じじゃない」
 「違う。君がカプセルにいると、僕は執政官にならざるを得ない。それで、眠ってる君を見て満足しなきゃいけない。…そんなの、ごめんだ」
 「私はそれでもいいと思った。あなたが執政官になるなら、私はこうしなきゃ支えられない。それなら、このまま眠ってもいいって、そう思って諦めたのに…!」
 
 ――しまった。
 …つい、言ってしまった。
 私がここにいる本当の理由。本心では、都市のためというよりも――
 
 黙り込んだ私に、ロウが笑った。
 「じゃあ、もう起きてくれないか。僕はこんな束縛があるから君が必要なわけじゃないって、そのことを確かめたい。…ちゃんと触れて」
 
 もう、私には手持ちのカードがない。反論もできなかった。
 
 何と言うべきか悩んでいると、突然、聞き覚えのない声が耳元で囁いた。
 「『起きて、クレア。あなたのロウが待ってる』」

 ――え。

 「何、今の。あなたが言ったの?」
 大人の女性の声が聞こえた気がして、幻聴かと耳を疑う。
 慌てた私に、ロウが言った。
 「違うよ。僕の企みを助けてくれた、もうひとりのマザー」
 モニターに、私の像とは違う女性が映る。
 
 「…君の、お母さん」



 ***



 都市は、執政官とマザーの決定を採択した。
 これまでの制度は廃止され、新たに市民の手で市政が運営されることになる。
 私とロウはお役御免で、ディアとしての権利と義務を全て失った。

 …これで、もう、私たちは特別な絆で結ばれることはない。



 「いつまでも君がそこにへばりついてたら、マザーに強制排出してもらおうかと思ってたんだ」
 私がカプセルから出るとき、ロウはそう漏らした。
 計画は、ロウだけで作ったものではないらしい。
 考えてみれば、彼らが塔の防備を抜けたり回線を自由に張り巡らせたりできたのが不思議なのだ。
 マザーの目をかいくぐれるのはマザーだけ。
 娘に黙って、…なんて親だろう。

 「『聞こえてるわよ、フィリア』」
 「う。…ずるい。コンピュータの中にいるなんて、全部筒抜けじゃない」
 「『意識だけだもの。別に害はないでしょう』」

 自分の母親が、こんな人だったとは、正直思いもしなかった。
 でも、あのディアの片割れなんだよね。…なんだか、似ているみたい。
 どうして意識を残しておいたのか聞いたら、彼女は一言。
 『ロウが心配だったから。…あの人、私がいないと生きていけないひとなのよ』
 見事なノロケで、聞いて馬鹿を見た。
 聞くと、以前にもこんなケースはけっこうあったんだそうだ。
 それで私は、彼女が傍にいたからディアは安らかに亡くなったんだと、初めて知った。

 ちなみに今回のことは、ディアのことを見守ってたら、私のことも心配になったんだって。
 娘はついでですか。
 …まあ、私も薄情だったから何も言えないけど。
 私はこんなところが似てるんだろうか。この人に。

 「害っていうか、かなりやりたい放題やってるのに…」
 そうぶつぶつ言っていたら、その間に麻酔が入って意識が抜けた。
 
 …
 
 『がんばってね』
 

 …うん


 

 ***



 彼女が起きるのを、僕は息を殺して見守った。
 ゆっくりと目が開き、視線が辺りを彷徨う。

 「…何て言えばいい? おはよう、でいいかな」
 手を貸して、姿勢を起こす彼女に話しかけた。
 以前は肩までだった髪が腰のあたりまで伸びていて、俯いた顔を隠している。
 覚醒したばかりの身体にまだ慣れないのか、動作は緩慢で気だるげだった。
 僕は、いつも前を見て颯爽と歩く彼女しか知らない。
 だからまるで、見知らぬ女の人のよう。

 ――たぶん、そのとおりなんだ。
 僕の知らない、生まれ変わった彼女がここにいる。

 「なんだか、変な感じ。私の身体じゃないみたい」
 のろのろと言うクレアが、顔を上げて僕を見た。
 一瞬、息が止まった。
 ――白雪姫が起きたら、こんな感じなんだろうか。

 でも、ぼうっと見惚れた僕に、彼女は勝気に微笑んだ。
 「…これで、やっと実力行使ができるわけよね。眠ってたあいだの分が貯まってるから、覚悟してなさいよ」

 僕は笑った。やっぱり中身はクレアだ。
 …僕の白雪姫は、おっかない。
 「いいよ。いくらでも、受けるよ」

 立ち上がった彼女は、少し足元がふらついた。
 弱ってるのは当然だ。
 支えていたけど、彼女はとても軽かった。僕がその分、成長したんだと実感する。
 「…私たち、もうディアじゃないのよね」
 同じ視線だった彼女が、僕の目線の下でそう云った。
 「そう、もう自由だよ。…何で?」
 彼女は、言いにくそうに口ごもる。
 「…じゃあ、まだ家族のつもりでいてもいいの? 私たちは一緒にいてもいいのよね?」

 僕は、思わず天を仰いだ。
 …全然起きてないじゃないか。これ以上どうしたらいいんだ。

 「僕は君がいないと、浮気もできないんだけど」
 何言ってんの?とクレアが目を丸くする。
 「だから、――」
 説明が面倒になって、彼女を抱きしめて、長々とキスをした。
 あのときと同じ、消毒液の匂いがする。でも、もう怖くはない。
 「目が覚めましたか、姫?」

 我ながらちょっと恥ずかしくなったけど、彼女も顔を赤くしてた。
 …やっと、起きたみたいだ。



 ***



 僕とクレアは、解放されたあと、今度は都市を追放された。
 ディアがいては、また頼ってしまう。そういう理由で。
 ここにいないほうがいいと、僕たちも判断した。
 もう少しエリジオンが成長したら、また戻って来られるだろう――

 マザーは、都市をまた違う形でサポートしてくれるらしい。
 それだけでなく、僕たちのために新造の船を一隻調達してくれた。
 たぶん、新しい政府も黙認してくれたんだろう。


 エディは冷やかし混じりに、見送りに来てくれた。
 『ハネムーンってやつ? っかー、うらやましいねえ!』
 彼も残って仕事を始めるらしい。
 『一緒に他の都市に行きたい気もするけど、お邪魔だろ』
 そう云ったので、真面目な顔で「当たり前だろ」と返したら、がくっと脱力された。

 …彼は元々、ディアに不信を持って僕に近づいたらしい。
 そのとき、初めて教えてくれた。
 『嫌な奴だったら、嵌めてやろうかと思ってさ。…幻滅したか?』
 それでも、僕は嬉しかった。本心から。
 『これだもんな。…俺も、楽しかった。元気でな』
 彼は、友達というより恩人のような存在だった。でも、そんなことを言うと怒るに決まってる。
 だから最後に、「またな」とだけ、言った。



 ***



 僕らは約束を果たした。
 いつかエリジオンじゃなく、他のどこかへ一緒に行く夢。
 でも、楽園はどこでも良かったんだ。

 ――君さえ、傍にいるなら。




 
 
 end.
 
 
 
 
 
 
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