雪の乙女【1】




 谷の中ほどで、若い騎士が足取りもおぼつかなく彷徨っていた。
 時々立ち止まり、苦い息を吐いてはまた進む。
 季節は秋の入り口で、北方のこのあたりは既に肌寒い風が吹いていた。
 しばらく歩いて見つけた洞窟に入ろうとして、彼は足をもつれさせて転んだ。
 そして、呟いた。
 「…もう、ここまでか。」

 ――これ以上いけないのか、自分は。

 心の中では焦燥を隠せず、そう付け加えた。



***



 モルドレッド卿が北方の守備を命じられたのは、つい最近のことだった。

 アーサー王の宮廷で華やかな名声に彩られている円卓の騎士。
 その中にあって、モルドレッド卿は知略と武勇を併せ持ち、若い世代の勇士として頭角を現していた。
 血族として王の覚えも目出度く、ランスロットやガウェインといった主要な騎士にも可愛がられ、取り立てられることが多かった。
 そんな折、手間取っていた北方の砦の建設に助力が求められ、モルドレッド卿に白羽の矢が立った。
 あくまで希望するなら、という王に、卿は礼儀正しく微笑んで答えた。
 「私でよろしければ、どこへでも。」


 モルドレッド卿の赴いた地では、昔に築かれたローマ人の砦を補修する形で、北方に睨みを利かせるための石垣や城砦が建てられていた。
 (これだけ基礎があれば、すぐに完成するだろうに…)
 全体を見渡して、要所を見て取った彼は、そう判断を下した。
 そして、未だに完成しないと云っては王に泣きつく在地の豪族達の無能を嘲りつつ、面と向かっては同情しきり、という様子で優しく云った。
 「資材の乏しい地のようですが、この冬が来るまでにはなんとか完成させましょう。そうすれば、安心して冬が越せるはずです。あなた方が必死で取り組んでいることは、私からも王に口添えしておきます。けれど、王の忍耐にも限りがあるということを、決してお忘れなきよう」
 一見、彼は柔らかな物腰の貴公子に他ならなかった。けれど、何かが違った。
 彼は万事がこんな調子で、扱いやすい小僧が来たと思う者がいれば、なんとも恐ろしい騎士様だという者もいて、印象は不気味に定まらなかった。
 モルドレッド卿に対する敵の反応も味方同様で、一気に攻めてよいものかどうか、彼らも判断しかねているようだった。

 ――そんな膠着状態が敗れたのは、卿が突然行方知れずになった、そのときだった。



 「……。…?」
 ごつごつした岩肌を想像して寝返りを打ったモルドレッドは、意外にも柔らかな感触が顔に当たるのに驚き、目を開けた。
 (…違う場所だな。一体…?)
 意識が覚醒しつつも、自分の置かれた状況がわからないために、少し警戒して身体を強張らせる。
 彼が崖から落ちたとき、背後に人の気配を感じた。
 それは確かに、自分を案内していたはずの地元の人間だった。
 (私が死ぬことを誰かが望んでいる…)
 すぐにそのことに気付いて、暗い物思いに取り付かれた。
 宮廷から派遣された自分を殺して、何の得があるというのか、咄嗟には判断しかねた。
 考えられるのは、敵に殺されたと宮廷に報告し、王に援軍を乞うこと。

 自分が来たとき、彼らはあからさまに失望の表情を浮かべていた。
 おそらくはこんな若僧に何ができる、と忌々しく思ったに違いない。
 それにしても、正面切って戦うことも避け、事故に見せかける、という手段を選んだ者に、モルドレッドは蔑みの念を抱いた。
 (いかにも安直だな。…それに、どうせ殺すならしっかりやればいい。ただ突き落とすだけとはな、馬鹿馬鹿しい…。)
 彼はたとえ他人のことにしろ、暗愚と臆病を何よりも嫌った。
 (さて、どう動いてやろうか。) 
 その思案にかかろうとしたとき、かすかに近付いてくる物音を聞いた。

 「…なのか?」
 「もう大丈夫だと思うわ。傷はそれほど…」

 そう云って、部屋を隔てる幕を上げ、若い男と少女が入ってきた。
 モルドレッドは、しばらく寝たふりを続け、二人のやり取りを聞いていたが、とりあえず相手に害する意思はないと見て取った。
 少なくとも、今の時点では砦にいる連中よりも見ず知らずの者のほうがまだ安心できる。
 そう考え、瞳をゆっくりと開き、その二人のほうに向けた。
 「まあ、目が覚めたのね? よかった。兄さま、気がつかれたようよ」
 「…そうか。大事なくてよかったな、お客人。ここがどこか分かるか?」
 素直に首を振るモルドレッドに、男は告げた。
 「ここはお前さんが倒れていた峡谷のすぐ近くだ。たまたま通りがかってよかった。普通は誰も近寄らないような危険なところだからな。」
 「…そう、ですか。助けていただいたようですね、ありがとうございます。」
 モルドレッドの丁寧な、けれどあまりに冷静な礼の言葉に、男は不審げに鼻を鳴らした。
 「なんで倒れていたのかは教える気がなさそうだな。ここらの人間じゃないってのは見れば分かる。お前…」
 問いただす声に険が混ざる。
 だが男が先を続ける前に、隣にいた少女が温かいスープを差し出して、モルドレッドに微笑んだ。
 「さあ、どうぞ。よかったわ、無事で。動けるようになるまで、ここで養生していらしてね」
 「キウィ、お前…。」
 「兄さまは黙ってらして。怪我人にあれこれ問いただすのが立派な戦士のなさることかしら?」
 「……。」
 少女にじっと見つめられた男は、居心地の悪そうな顔をして、すっくと立ち上がった。
 「――看病してやるがいい。」
 「ええ、もちろん。…しばらく大人しくしていらしてね、兄さま。」
 その返事にはフン、と鼻で笑い、男は出て行った。
 (妹には弱いようだな。見たところ、砦向こうの豪族か。)
 モルドレッドは二人の素性をおぼろげに把握すると、少女に適当に相槌を打ちながら、どうすべきかの算段を考え始めた。

 砦を挟んでの豪族たちのにらみ合いは、このあたりでは数世代に渡りずっと続いている。
 土地を巡っての小競り合いもさることながら、私的な復讐に絡んだ揉め事のほうが多く、父祖の代にまで遡る恩讐がこの地を支配していた。
 アーサー王に助力を求めた連中にしても、王に臣従する義務よりも自らを保護する権利のみを追求する、目先の利しか考えない者達だった。
 けれど、庇護を求める手を跳ね除けることは王にはできない。

 この世界は力の弱いことが罪だった。
 自らを守る力を持つことが、生きる権利を保障する。
 もし自分で自分を守れない場合は他の者に縋る。そして守ってもらう。
 それは恥ではなく、守ってもらう算段をしないほうが愚かなのだ。
 結果、多くの者を護ることができる者こそ、この世界では崇拝され、人望を集める。
 そして、頼られた王は彼らを守る義務があった。
 その力のない者は、王にふさわしくないのだから。
 
 全ての者を守ることなどできるわけがない、とモルドレッドは思う。
 けれどできる限りのことをせねばならないだろう。…今は。
 内心の葛藤を抑えつつ、彼は現状の把握に努めた。
 まさか自分が攻め手の側の重要な騎士だとは誰も思うまい。見かけだけならせいぜいが騎士に成りたて、といった年齢だ。
 彼は自分の容姿と物腰が何よりの武器になることをよく知っていた。
 故に、体が本調子になるまでは、このままで過ごすことに決めた。
 無論、事によって人質ともなるであろう少女に、優しげな微笑を向けることを忘れずに。――




***



 怪我をした腕が治るまでの間、モルドレッドは初めに寝かされていた洞穴から部族の村へと移された。
 彼は偵察も兼ねて、この部族の生活をつぶさに観察した。
 離れに閉じこもっていたので外に出ることはなかったけれど、少女の話や聞こえてくる物音で大体の予想はつく。
 規模はあまり大きくない。が、活気のある村のようだった。
 近隣から訪ねてきた者達の声が時々響く。
 …どうやら、彼が作っていた砦を落すための動きが活発になっているようだった。
 (冬が来る前に何とかしたいと思っているのは、どこも同じか。)
 はっきりいってしまえば、モルドレッドにはこの地がどうなろうと、さしたる関心はなかった。
 ただ宮廷にいても今は動きがない。
 ほんの暇潰しと人脈のしがらみのために、ここに赴いたにすぎなかった。
 けれど、ここに至ってモルドレッドは事態の変化を楽しんでいた。
 ――何かと面白いことになりそうだ、と。

 「だいぶ腕が動くようになったわね。よかった。日頃鍛えているから治りも早いみたい」
 …唯一、計算違いで苦々しく思うことがあるとすれば、自分の看病を買って出ているこの少女のことだった。
 キウィログという名のこの少女は、年のころは自分より少し下ぐらいで、透けるような金髪と青に近い灰色の瞳をしていた。
 いつもきびきびと動き回り、明るく話し掛けては屈託なく笑う。
 肉親はギルダスという兄だけだと言うが、その分、部族の皆に愛され、恵まれた育ちをしてきたのだろう、とモルドレッドは思った。
 彼にとっては、彼女は今まで見たことのない種類の人間だった。
 貴婦人でもなく、下女でもない女性。
 いつも楽しそうに、義務でもない自分の世話を懸命にする様子が、ありがたいと思う反面、無性に苛立ちを誘った。

 だが、計算違いはそれ以外にもあった。
 初めは普通の村娘だとばかり思っていたのに、彼女は族長の妹だという。
 (…ということは、あのときの男が族長か。)
 あまりに若いのでそうとは思わなかったが、ここの一族だけでなく、周辺の部族をも束ねる長であるらしかった。
 そうと分かると、モルドレッドの胸中にある思いが湧き上がった。

 自分とそう変わらぬ年齢で、この北方に覇を唱える族長。
 見た限りでは、周辺の部族民たちからも崇敬を受けている。
 …まるで、『父』と同じように。

 ――それならば、その手並みを拝見しなければなるまい?
 少女に向ける偽りの笑顔とは別に、いつの間にか、彼はそんな不敵な微笑を浮かべていた。
 心配そうに彼を見上げる少女の視線には、気付くこともなく。




***



 その頃、砦の中では数人の男達が暖炉の前でこそこそと談義をしていた。
 「モルドレッド卿はうまく始末できなかったらしいではないか。」
 「…うむ。まずいことに、かくまわれているようだ。噂が流れてきた。」
 「もし人質にされたらどうする。…あれは重要な客人だ。無視することもできん。奴らにむざむざ従うのか。」
 思いがけない展開に不安に駆られた者達が、ざわめき合う。
 そこで、くっくっと喉を鳴らし、一人の男が厭らしく笑った。
 「いい手がある。向こうに取られたのは好都合だ。もしかすると、騎士様は我らのために気高い犠牲となってくれるであろうよ。」
 そして、興奮した口調で続きを語り始めた。
 「…こちらから赴く者を選ぼう。…できれば、最近の私怨を持つ者がよかろうて…」
 周りの者はその内容に恐れながらも、彼の言に耳を傾けた。
 このままこうしていても、状況は良くならない。
 少々汚いことをしたところで、遠い宮廷にまで伝わることはあり得ないのだから。

 何といってもモルドレッド卿は王の血縁。
 使いようによっては、我らに大軍の助けをもたらしてくれるではないか?




***



 「お前、もうあの男には近づくな。」
 「…え?」

 モルドレッドが村にやってきて一月。ようやく怪我も治りかけた頃、ギルダスはキウィログに突然告げた。
 「あれは宮廷の騎士様なのだそうだ。砦で騒ぎになっているのを聞き出してきた。しかもただの騎士ではなく、…王の、甥なのだと。」
 「……でも、彼は、何とも…」
 呆然とする妹に、渋面を隠さず、彼は云った。
 「それは云うわけがなかろうさ。彼を盾にしてしまえばこちらは無傷であの砦を手にする。自分が人質になるなど、お高く留まったあいつらには我慢できんことだろうからな。」
 「…。まさか、兄さま…。」
 「…心配するな。奴らではあるまいし、そんな卑怯な真似ができるか。大体、あんな砦を手にしたところで、今は人手が足りん。――とにかく、お前はもう近づくな。代わりの者を見張りにいかせる。奴も馬鹿でなければ早々に逃げ出すだろうよ。」

 
 宮廷の、騎士様。…
 アーサー王の宮廷というのは、キウィログには想像もできない世界だった。
 噂に聞けば、金銀の食器を使って食事をし、豪華な鎧の騎士達ときらびやかな衣装を纏った貴婦人が大勢いるという。
 年に一度、新しい衣装を自分で紡いだ糸で作ることさえ贅沢な、この辺境とはかけ離れた話ばかりで、本当のこととも思えなかった。
 けれど。
 …彼の様子を見ていると、そんな夢の世界を信じられるような気がした。
 美しい金の髪と、薄い青緑の瞳。
 こんなに奇麗な男の人がいるとは考えたこともなかった。
 白い肌も長い指も、見たことがないくらい整った顔立ちも、全てが幻のようで。
 ごつごつとした体躯と無骨な動きしかできない部族の男たちと見比べると、同じ生き物とは到底思えなかった。

 けれど、――夢みていたものとは違う何かを、モルドレッドには感じた。
 キウィログは、騎士や貴婦人はきっと悩みなど何一つない、生まれたときから何もかもに恵まれた人たちなのだと、ずっと思っていた。
 モルドレッドもそうなのかもしれない。
 恵まれた生活と高貴な血筋と、全てを持っている人なのかもしれない。
 それなのに、どうしても納得できなかった。

 ――あの、寂しそうな瞳を見てしまったら。

 

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