「内なる性の叫び」
第一章  「帰郷」
 くすんだ灰色の雲の中を飛んでいる機体は確かに下降しているのに周りの風景は何ひとつ変化を見せないのに時間は確実に経過している、という妙な確信めいた感覚に捕われていた。
時折、翼の上を嘗めるように筋状に後ろに過ぎて行く雲だけが、高速で飛んでいるという実感を与えてくれていた。
やがて飛行機が雲の下に出ると、窓から見える地表は日が射していないせいか、くすんだ緑色に見えた。地上の喧騒は聞くすべもない。そんな地上を見下ろし、何度となく見てきた風景に「ああ、来てしまった」という、後悔にも似た思いが心の隅に重く淀み始めていた。

 スチュワーデスの慇懃な笑顔を後にして到着口へ向かう。
到着口にはすぐ上の姉が迎えに来ているはずだった。姉に会うのは3年ぶりだが、心弾むというよりも後ろめたさを含んだ億劫な気分が着陸前に感じていた後悔の念に重なり足取りを重いものにしていた。

 到着ロビーからの出口には20人ばかりの出迎えの人々が、知った顔を探す真剣なまなざしを到着したわたし達に向けていた。見覚えのある顔を見つけると満面の笑みを浮かべ、手を高々と振りながら近づいて来る。それを横目で見ながら姉の姿を探した。到着が予定より10分も早かったせいで時間に遅れているのかという疑問を持ちながら出口を出ると、目の前に姉の姿があった。
驚いて見下ろす姉の顔には見慣れた強い意思を感じさせる笑みがあった。こちらの心の動きを写すような姉のいつもの表情に一瞬の戸惑いを覚え、思わず目を逸らしてしまった。外は曇りだった。南国の明るさは何処にもなかった。

 駐車場に向かう道すがら姉が口を開いた。
「お母さんは今のところ元気。膝や手の不自由さは変わらないけど、お父さんは最近ボケ気味になって来ているみたい」
「あ、そう……」
一番避けたいことを機先を制するかのように話題にする姉に疎ましさを感じながら、答える言葉が見つからないままの気の無い返事を返した。
「車を買い換えようかと思っているんだけど・・・・、もう12年にもなるしね」
「父さんに買って貰えばいいじゃないか・・・・買うんだったらワンボックスがいいかも・・・・7人は乗れるし」
確かに最近の型と比べると明らかに古い型と見劣りのするセダンの後部座席に旅行鞄と両親と姉にと買ってきたみやげ物の入った紙袋を放り込んだ。
「運転して行く?」
もう決めた、と言う風にキーを差し出しながら姉が問い掛けた。
「ああ、いいよ」
「シートが前過ぎるから直さないと……」
姉の声を屈み込んだ頭の上に聞きながらシートを後ろに下げ、乗り込んだ。
キーを回すと静かだが聞き覚えのあるエンジン音が車内に広がった。音からしてそんなに傷んでない感じがした。走行距離メーターを見ると既に4万kmを大幅に越えていた。ということは14万km以上を走ったことになる。
「何年車だっけ」
「平成6年…8年に買った時、3万km超えていたかな」
5年間で11万kmを超える距離を走ったことになる。1年で2万kmを優に超える。
その殆どが診察のため両親を病院に送り迎えしたり、温泉に連れていったり、買い物だったりで、姉が一人でゆっくりと遠出や旅行に使ったことなど無かったに等しいだろう。
「早く買い換えた方がいいな」
媚び諂う気持ちは毛頭無かった。自分に余力が有れば直ぐにでも新しい車を買ってあげたい気持ちであった。姉はこちらがいくらかでも出費することを望んでいるのだろうか、という思いが浮かんだが、姉の気性を考えるとまずそんなことを要求してくるとは思えなかった。パートの保母をしながら家計を切り盛りし、両親の面倒と畑仕事やらをこなしている姉の頭からは恐らく片時も両親のことが消えたことはないだろう。

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