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第一章 「帰郷」
「内なる性の叫び」
車を走らせながら3年前、空港バスの中から見た山越の風景が鮮やかな色彩とともに浮かんできた。
今は秋だから実家への道すがらそれを目にすることは出来ないが、5月頃のそこだけ日が指しているような錯覚を感じさせる、樫や椎の群生全体に広がる燃え立つような薄黄の花が山肌のあちこちに点在し、濃い緑の照葉樹や針葉樹の中で光輝いている風景は、小さい頃に見慣れた風景の記憶を蘇らせ、感傷的な気分に陥ったことを思い出した。それ程険しい道でもなく、交通量も少ないが曲がりくねったその山道を姉の小さな体で1時間半も運転して来たのかと思うと申し訳ないという思いがしてくる。
道すがらこの一年に両親に起こったことを事細かく説明してくれる話を聞きながら、長男で一人息子として生まれたわたしに対して姉はどんな思いを抱いているのだろうと考えていた。
男尊女卑で家父長制的な文化の根強い土地に育った姉としては私に対して恨みを持っても当然であるだろうが、そんな態度を取られたことも苦言を聞かされた記憶はなかった。
姉はわたしの浪人時代から付き合っていた男性と結婚まで誓っていながら、何が原因なのかは聞かされていないが分かれてしまい、その後結婚しないまま実家で両親と暮らしていた。
その後何度と無く結婚話を持ち込まれたが全てを断り、いつしか50歳を超えるまで年を重ねていた。姉が数々の結婚話を断り続け、独身として両親と生活をひとつにして来た原因の一つに、わたしが田舎に帰らないこともあるのでは、という負い目もまたわたしにはあった。
「もうちょっと行ったら交差点があるでしょう。あそこを左に曲がってね、買い物をして行くから」
実家への道のりの半分の行程のところに、ここら一体の中心的市街地が広がっている。姉のいう交差点を右に曲がれば実家に向かう道になる。そこを左に曲がり姉の言うとおりに車を走らせると、目の前に田舎では大き過ぎるコンクリートの建物が現れた。わたしの住む町の大型店程の規模を持つスーパーで、九州一体に店舗を展開しているスーパーの名前が駐車場入り口に輝いていた。
「こんなものが出来たんだ」
「2年程前に出来たのよ。お陰で町の商店は軒並み店を閉めちゃったみたい。すっかり寂れているわよ」
わたしの実家のある市でも大型店の進出が急増し、旧市街地は見る影もなく寂れてしまっていた。
わたしの高校時代の同級生の何人かの家も金物店や衣料品店を営んでいたが、同窓生と交流を断ってしまったわたしには彼らの情報は入るべくもなかった。おそらくこの町の商店街も同じ道を辿るのだろう。
もう6時過ぎのせいか駐車場には車が少なかった。店舗の入り口に近いところに駐車し店に入った。
店の中は都会同様明るすぎるくらい明るくなっているが、生鮮食料品は都会と違い近隣農家から持ち込まれたような野菜や果物類が所狭しと並べられていた。
「随分と安いもんだね。近所の農家から仕入れているのかな」
「さあ、わかんないけど、地元産のものよね。だから安いんでしょう」
野菜の棚からより新鮮なものを、と選りすぐっている姉の横顔は昔の意志の強さを表したものと変わりないが年齢を刻み込んで老いが感じられた。
<こんなに小さな人だったっけ>
傍に立つわたしの脇の下ぐらいしかない姉を見下ろしながらそう思った。
姉の背丈を追い越したのがいつだったかはっきりしないが、高校を卒業する頃は随分と身長さがあった。浪人時代姉と生活を共にしながら一緒に買い物に行ったりしていたが、その頃の印象とは違った背丈の違いが感じられた。
<両親のことや自分のこと、それに家のことで随分と苦労しているんだろうな>そう思うと、姉に対する負い目と共に申し訳無くなってしまう。
「どうしたの?」
そんな感情が顔に表れていたのか、怪訝そうな表情でわたしを見つめ問いかけて来た。
「いや、なんでもない」
余ほど口にだして、<苦労かけて申し訳ない>と言いたかったが、なぜか言葉に出すのをためらった。
「腕、太いでしょう。お母さんが余り力仕事が出来ない分、わたしがやるからこんなに太くなっちゃったのね」
姉は自分の二の腕を握ってみてというようにわたしの前に突き出しながら言った。
「父さんは相変わらず手伝いしないのか?」
「そうなの、いつも居間にいてテレビを見ているか、眠っているかどちらかね」
姉は父親に手伝いを求めるのを諦めた、というような非難めいた口調で言った。
「でも、あなたからは手伝えとか何とか言わないでね。そんなこと言ったらまた母さんにとばっちりが回って来るから。手伝って貰わなくても二人でやれる分だけにしてあるから」
父の母に対する態度はやはり昔と変わっていないらしい。わたしが田舎にいた高校までの間にも何回か父が母に向かって怒鳴り散らすのを聞いたことがあった。父親が外出していない夜、食事を済ませテレビを見ながら寛いでいる時、帰宅した父が不機嫌そうな顔をして居間に上がって来ると、一瞬にして重い空気がわたし達を包み込んで身構えさせることが何回もあった。
機嫌の良いときは冗談を言ってわたし達を笑わせてくれる父であったが、外出先や訪れた人との間で不愉快なことがあると一変して怒りの感情を剥き出しにした父に変貌するのだった。
そしてその不満は全て母に向けられ、そのことで母が随分悲しい思いをして来たことは姉から聞いていた。
わたし達子供が物心つくようになってからは暴力を振るうことは少なくなっていたようだが、それ以前は随分母へ暴力振るい、その度に母は納戸で泣いていたと言うことだった。もう他界してしまった父の弟である叔父が他界前に「納戸はあねさんの涙が染み込んでいるからなぁ」と嘆かいしたということを聞いたことがあった。
今ならすぐ離婚してしまうような事であっただろうが、当時は世間体から母と同じようなことがあったとしても離婚となることは稀であった。母としては世間体や実家への遠慮も有っただろうが、なによりわたし達子供を残しての離婚は父の暴力より耐え難いことだった、というこも姉から聞かされていた。
姉が婚約解消を経て実家に戻り家を切り盛りするようになって、叔父から聞かされた話を母にしてからぽつり、ぽつりと昔の出来事を姉に語り聞かせてくれ、その話をわたしが電話したり帰省した都度わたしに話してくれたのだった。
それらの話を聞く度、わたしはわたしの中にある父への反感が水を吸った海面のように膨らんでゆくのを嫌悪感と共に感じていた。
わたしが田舎を捨てるように東京へ飛び出した原因の一つに父親への強い反発も有ったのだが、今は更に大きなものになってしまっていた。
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